「定年の机の整理終えにけり最後に捨てる己の名刺」。団塊の世代が次々と定年退職を迎える。わが身に置き換えて感慨深く読み返した人は多いことだろう。
本紙5日付の原けい子選「山陽歌壇」第1席の作である。名刺は組織に帰属する証明であり捨てがたい。よりどころがなくなれば、あすから社会とどう付き合っていけばよいのか、不安が募って当然だ。
作者の井原市の山本敏男さんは36年勤めた会社を今春退職した。見事第1席となって「励みになる。何げない日常の情景を自分なりに表現できれば」と定年後の生活に意欲をみせる。
最近、短歌のカルチャー教室などには退職した男性の姿が目立つといわれる。仕事に追い回されていた生活を卒業し、新たな目標に挑戦すれば眠っていた才能が花開くかもしれない。残された人生は長い。
退職者歌人が数多く輩出すれば、歌壇が活気づこう。「短歌6月号」(角川学芸出版)で小高賢さんは「老いの歌はあった。病の歌もあった。しかし、『若からず老ともちがふ』時間。これは未体験ゾーンである。おもしろい作品が生まれていいはずである」と期待していた。
団塊世代はバブルやリストラなど波乱の企業体験を積む。多彩な経験を糧にした、捨てた名刺の後の人生詠に興味がわいてくる。