展覧会

謎のデザイナー 小林かいちの世界



大正時代末~昭和初期にデザインされた木版画の絵葉書や絵封筒を展覧。
京都モダンデザインの世界をお楽しみください。

開館時間 :
10:00~18:00(入館は17:30まで)
休 館 日 :
月曜日(ただし7月20日は開館)、7月21日
出品点数 :
約300点
入 館 料 :
一般¥800、大高生¥500、中小生¥300
宿泊者無料、20名以上の団体は各¥100割引
ギャラリートーク :
7月25日(土)、8月8日(土)
いずれも14:00~ 当館学芸員
主  催 :
ニューオータニ美術館
監  修 :
保科久夫氏(伊香保 保科美術館館長)
協  力 :
伊香保 保科美術館

小林かいち(本名:嘉一郎、1896~1968)は、近年注目されつつある京都の図案家です。
大正時代の後期から昭和初期にかけてのおよそ10年、絵はがきや絵封筒のデザインを数多く手がけました。 木版によるそれらの作品は、ピンクやブルーによる独特のグラデーション、赤と黒などの明快な色の対比の中に、女性像やハート、植物、月や星、トランプや十字架などを配したモダンなもので、現代にも通用する色彩感覚、デザイン力といえるでしょう。

かいちの存在は、以前から好事家の間では認知されていましたが、展覧会という公の場で取り上げられるようになったのは、最近のことです。 1992年のフィリップ・バロス・コレクション「絵葉書芸術の愉しみ」展、次いで2004年にはローダー・コレクション「美しき日本の絵はがき」展が日本各地を巡回し、そこに含まれた小林かいちの作品が脚光を浴びると、以後立て続けにその紹介が始まります。 国内の個人コレクションによるそれらの展覧会は、いずれも、大正モダンや竹久夢二ら抒情画家たちとのグループ展でしたが、2007年にはかいちの出身地かつ活動の本拠地である京都において、単独でかいちを扱う始めての展覧会「小林かいちの世界~京都アール・デコの真髄展」が開催されるに至りました。 2007年10月には群馬県の伊香保に、小林かいちを常設する保科美術館が出現、もっぱらプライベートな愉しみであったかいち作品を、多くの人々が享受できる環境が整いました。 その後、2008年2月にはご遺族が名乗り出られ、経歴不明であったかいち研究は、ひとつの転機を迎えます。

本展は、かいち作品の常設館である保科美術館の全面的な協力を得て、東京でかいちを大々的に紹介する初の展覧会となります。 約300点の作品を通して、未だに謎の多い小林かいち研究の進展に寄与するとともに、多くの人に、未知の作品との出会いの場を提供できれば幸いです。

小林かいち(1896~1968)略歴
明治29年(1896)京都生。本名嘉一郎。
数度の転居はあったようだが、本籍を東山区祇園町に置き、生涯京都で活動する。
京都市立絵画専門学校(現、京都市立芸術大学)で学んだと言い、大正11年(1922)には着物の図案家として「歌治(うたぢ)」の雅号で活動していたことが『京都図案家名鑑』から確認されている。 大正時代の後期から昭和初期にかけて、絵はがきや絵封筒のデザインを行い、それらは京都・新京極の「さくら井屋」(現在も営業)で版行された。
絵はがきや絵封筒に残るサインから、当初は「うたぢ」の号を用いていたが、まもなく「かいち」の名で制作を行ったことが分かる。
昭和17年(1942)にトメヲと結婚。後半生は、京都の「鷲見染工」で友禅の図案家として活動した。昭和43年(1968)歿。

かいち絵はがき

かいち絵はがき
ここに掲載した「かいちの絵はがき」は、いずれも4枚を1セットとし、かいちがデザインした袋に入っている。 4枚の絵はがきは、刻々と移ろう時間の流れや登場人物の心情の変化を示すかのように全て異なっている。 例えば、「彼女の青春」では、待ち、不安に思い、嘆き、酔いつぶれた女性の姿をそれぞれに配している。 4枚でひとつのストーリーをつむぎ出す、これらの絵はがきは、京都の新京極に今もある「さくら井屋」から版行された『現代的版画抒情絵葉書』(全38集、1セット30銭)に属する木版画である。


かいち絵封筒

かいち絵封筒
「かいちの絵封筒」は、同じ図柄を5枚ずつ帯で封じ、20銭で販売されていたという。 封筒の大きさは数種類あり、現代の封筒より小ぶりのものばかりである。いずれも木版画で、小画面ながらデザイン性が高い。 絵はがきを翻案したような図が見受けられる一方、植物やトランプなど人物以外のモチーフで構成された図が多い。 詳細な制作年は不明ながら、封筒の裏に記された「さくら井屋」の店名記載方法や使用済み封筒にある郵便の日付印などから、扱われたおおよその時期を推し量ることができる。
さくら井屋の登録商標
かいちの絵はがき、絵封筒を出版していた版元は「さくら井屋」である。 「さくら井屋」の製品は、当時の女学生に非常に人気があったといい、模倣品対策として、商標を用いていた。 この商標が登録された時期について、これまで昭和2年頃といわれていたが、当館の調査によって、大正14年11月26日に出願、大正15年8月23日登録の商標であることが確認できた。 木版画ゆえの再版を考慮しつつ、今後、これらの周辺情報から、さくら井屋刊行物の作風の変遷を検討していく必要がある。



図版については美術館までお問い合わせください。

 museum@newotani.co.jp