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タテ社会の力学

著者の『タテ社会の人間関係』は、出版から40年以上たっても現役で、110万部以上のベストセラーだが、これが英訳までされて類型的な「日本人=単一民族論」を世界に流布した罪も大きい。本書は、それに対する批判に弁明したもの(新書の文庫による再刊)だが、前半は前著の繰り返しなので、これだけ読んでも著者の「日本人論」はわかる。

まず問題なのは「タテ社会」というタイトルだ。これは著者もミスリーディングだと認めているのだが、もう定着してしまった。本来これは日本社会はヨコの連携の弱い小集団の集合体だという意味で、集団内ではむしろタテの階級構造があまりなく(建前上は)平等に近い。小集団はイエ(家族)とムラ(村落)の2層構造になっており、同じムラの中でもウチとヨソは違うが、つきあいはある。ただムラを超えた交流はほとんどなく、近世以前は国家意識はまったくなかった。

この構造は、日本人が思っているほど普遍的な「共同体」ではなく、アジアでも他の国にはほとんど見られないという。東南アジアでは個人間のネットワークはもっとゆるやかで、一人が多くのネットワークに同時に所属し、その所属もしばしば変わる。これに対して日本人の小集団に対する帰属意識はきわめて強く全人格的で、ほとんど変更されない。これは学校や職場にも持ち込まれ、学歴や職歴が一生ついてまわる。

こうした小集団――組織でいう現場――の自律性と機動性が世界でもまれに見るほど強いのが、日本社会の最大の特徴だ、と著者はいう。日本企業でも「工場長あって社長なし」などといわれるが、本書はその理論的な説明が弱い。経済学者なら、たぶん繰り返しゲームで説明すると思うが、一般的なフォーク定理からはこういう特殊な小集団は出てこないので、何か日本固有の歴史的・地理的な環境が作用したのだろう。土地が狭く、水利圏があまり広くなかったことが影響しているのだろうか。

もう一つの問題は、こういう小集団をどうやって束ねるのかということだが、これについての本書の説明は「軟体動物」というメタファーに依存していて弱い。ゲーム理論でいうと、長期的関係による「暗黙の契約」の拘束力が強いので実定法は必要なく、農民は武器を取り上げられたので戦争も少ないから、ムラをまとめる強いリーダーシップもいらない。兵士が優秀だから将校が無能でもいいのだ。

ただ近代国家となるとそうもいかないので、ここにプロイセンの行政中心の実定法主義を接ぎ木したわけだ。しかし川島武宜も嘆いたように、明治期に輸入された大陸法の体系は、ついに日本に根づかなかった。もし岩倉使節団がイギリスの君主制を学んでいたら、日本の近代化はもっとスムーズにいったような気もする。
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コメント
 
 
 
小沢イズム ()
2009-07-11 08:58:07
日本の歴史についてでしたら、別の方がいろいろ言うでしょうから、私は何も言いません。それよりも、まさに今です。
日本の統治機構をプロイセン型からイギリス型に変更するということ、これこそが小沢イズムの根底にあるものですね。自由党時代は、「それは無理というものです」といった感じでした。しかし民由合併以後、民主党の主目的になり、実現しつつあるというのが今でしょう。
民主党の議員は、いわゆる反小沢派の人たちも、一部を除けばイギリス型への変更を是と考えているように見えます。たとえば、岡田幹事長は、しばしばイギリスの政治を事例にします。

私は、これについては、理屈も何もなく、ただただ直感的に反対なんですよ。それではいけないのは分かっているのです。しかし、理論武装できなくて、感情的に反発するだけという、情けない有様です。
統治機構をイギリス型に変更するという作業は、ほとんど革命に近い作業です。官僚バッシングなどとは桁違いの国家改造になるでしょう。第三者の冷静な議論が必要だと思います。自民党内は、アメリカ型がいいだのフランス型がいいだのと言い出すバカが大勢いたりして、どうにもなりません。
 
 
 
タテ社会の「タテ」とは (南の原っぱ)
2009-07-11 17:54:25
 タテ社会の「タテ」とは、縦の移動、日本的に言えば「立身出世」は原則自由だが、「横の移動」は原則的にできないという意味でしょう。

 たとえば、有名な話ですが、日露戦争で日本の捕虜になったロシアの水兵が、日本では「生まれ」とは関係なしに、貧乏な百姓の息子でも頑張れば将校になれると聞いて、「なんて素晴らしいのだ。日本に生まれたかった」と言ったという話がありますが、しかし、がんばっても昇進できずに、下積みで終る人もいるわけで、そういう人は、「敗北感」を抱えて生きることになります。

 フリータートか、フリーターにもなれずに引きこもった人を「負け組」と賞するのは、日本社会が、出世ラインをめぐる競争社会であることを如実に表していると思います。

 この「縦ラインの競争システム」は、勝つために一生懸命働くという点では評価できても、負けた人は「負け組」という汚名を背負ってしまうという負の要素があるわけです。

 これと対照的な社会が、勿論例外はあるでしょうが、「縦ライン」の出世コースは基本的になく、人々は生まれた階層の中で、その階層の人間として生きるのが、横社会で、典型的なのがインドのカースト社会です。

 欧米も、基本的にはカースト社会です。

 労働者の家に生まれたものは労働者として一生を過ごすわけですが、これは、いわばその人の宿命であって、敗北感のようなものはないわけです。

 つまり、労働者は労働者としての権利があるし、失業者はその労働者としての権利を奪われた存在であるということで、職を持っている労働者と連帯して、「職をよこせ」と主張することができるわけです。

 対する「縦社会」の日本では失業者は「敗北者」なのです。

 中根千枝は、インドの最下層カーストの人々が、生活は極貧ながら、人生の戦いに敗北してこうなってしまったのだという意識がないため、堂々として見えると書き、実は、「横社会」のほうが人間的で優れていると暗黙のうちに示唆しています。

 もちろん、その最下層カーストの人々からすれば、日本の社会システムは夢のようなシステムかもしれませんけどね。

 ともかくそういうわけで、中根千枝の「日本タテ社会論」は今でも、否、むしろ今こそますます有効だと思います。

 問題は、中根女史自身が、私の話は学問的なものなので、政治的場面で持論を主張するつもりはまったくないと、件の「タテ社会の力学」(だったと思いますが)で言明していることでしょう。

 中根先生としては、政治的に主張したければ、勝手にやってくださいというところでしょうが、日本の縦型の社会のあり方について、あまり好ましいものではない、と考えているならば、そう言うべきでしょう。著作の片隅でこっそり言うのではなく。

 
 
 
そう、そう、このへんが (カールバーグ)
2009-07-11 18:34:10
問題なんですね。
日本的雇用システムと閉鎖的正社員主義、それから、以前話題になった、日本のWebコミュニティに、社会の上のほうの人が、入ってこないこととか、官僚支配の社会構造が異常に強固こととか、それらは、みんな同根の問題で、”タテ社会”という定義が適当であるかどうかは別として、丸山真男さんも、タコツボ社会と指摘していたのも同じ問題意識だろうと思います。
経済学の問題というより、やはり社会学のテーマでしょう。西欧流の政治学でも解けないでしょうね。
カールバーグ
A Futurist's blog
http://ft2007.blog112.fc2.com/
 
 
 
統治システム (Inoue)
2009-07-11 20:25:25
>自民党内は、アメリカ型がいいだのフランス型がいいだのと言い出すバカ

 大半の政治学者は、アメリカ型の大統領制は、民主制としては、考えうる最悪のタイプで、とくに民主制の基盤(公正な報道、国民の識字率、公正な官僚層)が不十分な新興国には、大統領制は向いていないと考えています。
 
 
 
Inoueさんへ ()
2009-07-11 22:35:18
中川秀直さんだとか小池百合子さんだとかのグループに多いのですよ、アメリカ型いいだのフランス型がいいだのと言うバカが。彼は「古い市場原理主義者」です。
小沢一郎という人は、日本の統治機構をイギリス型に変更するという大義に生きているのでしょう。だから総理などという雑用係はやりたくないのだと思います。
でも、そういう人は政治家ではなくて革命家になればいいですよ。私は、理性ではイギリス型にしたほうがいいと理解しますが、それでも反対します。もう後には引けないですねw
私個人はしょうがないとして、有識者のみなさんにはしっかり議論していただきたいですね、国民のために。本当にイギリス型にしたほうがよいのかどうかを。
 
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