6、神の子、マイケル・ジャクソン。
〜マイケル前編「モータウン時代」〜
マイケル・ジョー・ジャクソンはジャクソン家の五男である(正式には亡くなったブランドンを入れて六男・大昔のスペースシャワーTVのクイズ番組「梁山泊」で「マイケルは何人兄弟の何番目?」みたいな質問に俺があわてて間違えたのはブランドンを入れるか入れないのか悩んだため←いいわけ)。
ともかく、彼のことについて考えるとかなり長くなる・・・のだが、まぁ一言で言うならば「極端な人間」・・・かな・笑。
「頑張り屋」、「気まぐれ」、「臆病」でも「大胆」でもあり、「シャイ」で「図太く」、「現実的」でも「夢想家」でもある。時には信じられないくらい「冷淡」でもあるし、その声は「限りなく優しい」・・・。
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御存知のように天才少年マイケルを擁するJ5は、ソウルの名門モータウン・レコードから1969年秋にデビュー。瞬く間にアメリカのみならず世界中で大注目されて、11歳にして信じられないほどのブレイクに成功した。
69年秋から70年春と言えば、ビートルズ「レット・イット・ビー」や、サイモンとガーファンクル「明日に架ける橋」が全米チャートを制覇した頃。そんな、ロック史上でも指折りに重要な曲達とともにJ5は戦い、見事4曲連続でナンバーワンを獲得したのだ。
この頃のJ5はとんでもない人気だった。この時のJ5を凌ぐほどの人気を得たグループなど、全盛期のビートルズしかいないだろうと言われている。ブームをこえて現象になったし、ある意味「この時代」だけでもアーティストやバンドにとって充分過ぎるほどのキャリアである。
多くのチャイルド・スターのようにこの後は静かにショウビジネス界を去るか、細々とディナー・ショウをして回るか・・・、ともかく11才の少年の肩には重すぎる栄光と言っても良かった。
事実、その後のJ5はゆるやかに人気を下降させ(しょうがないのだが・・・)、マイケルやジャーメインのソロもヒットするが、どうしても最初のインパクトを上回ることができなかった(当たり前だ!)。ともかくモータウン末期、マイケルはティーンネイジャーながらも、容姿でも(背が伸びると「もう可愛くないなー」とか散々言われた)、声でも(声変りの途中はかすれた声になってしまった)、ともかく色んな意味で絶対的な挫折を味わうことになったのだ。
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60年代のモータウンは、テンプテーションズ、フォー・トップス、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ、マーサ・リーヴス&ザ・ヴァンデラス(ノーナ・リーヴスはマーサの名字をもらったもの)、ダイアナ・ロス&シュープリームス・・・。ともかく豪華絢爛のスター目白押し、質量ともに世界一のレーベルと言ってよかった。
しかし、70年代中盤にさしかかろうとする頃、そんな栄光にも影が差しはじめ、全盛期のヒット曲量産工場としての機能が果たせなくなっていた。
「ニュー・ソウル」などと呼ばれ、自由に音楽を表現しはじめたスティーヴィー・ワンダーやマーヴィン・ゲイらはまだ所属し、成功を収めていたものの、これは逆に既存のモータウン的なルールを破りまくることで黒人音楽の可能性を広げていた。時代は変わったのだ。
成長するにつれ「自分達でプロデュースしたアルバムを作りたい」という音楽的な欲求がどんどん高まりはじめたジャクソン兄弟だったが、彼らの願いは社長ゴーディによってことごとく却下される。ワガママは許さないとばかりに、操り人形のように与えられた歌や踊りをこなすことを強要され続けたのである。
1975年。遂にジャクソン兄弟はエピックへのレーベル移籍を決意する。
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そこであの大事件が起こった。
モータウンはワンマン社長ゴーディの元、完全な支配体制に基づいたポップス工場である。日本で言えばジャニーズ事務所のように、その事務所を離れて成功するのは至難の技と言っていいほどの強烈なカラーと影響力を持つ会社だ。
ゴーディにとって、百歩譲ってJ5の移籍はやむをえないとしても、愛娘ヘイゼルと結婚した義理の息子ジャーメイン・ジャクソンを手離すわけにはいかなかった・・・。ジャーメインのためというよりも、自分の執念とジャクソン家への嫌がらせのために。
そしてジャーメイン自身も、彼の生涯にいつもつきまとうマイケルの亡霊から逃れ、自分こそがヤング・スーパー・スターに躍り出るチャンスだと感じた。J5にいては常にマイケルの二番手である。彼はいつまでもその位置に甘んじられる男ではなかった・・・。兄弟から移籍の誘いを受けたジャーメインはジャクソン5を脱退し、モータウン残留を宣言する・・・。
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才能溢れるジャーメインの脱退。これはジャクソン家の迎えたそれまでで最大の危機だった・・・。
スーパー・ブラザーのジャーメインがいなくなり、残されたのは気が弱いジャッキー、おやつ好きのティト、そして頼りないマーロンのみ・・・。
マイケルは16歳になっていた。この移籍を境にマイケルは大人になった。これ以後、優しいけど駄目な兄貴達と理不尽な父親に代わって、マイケルがジャクソン兄弟のすべてのイニシアチヴを握るしかない状況が生まれたのだった・・・。
〜マイケル前編「モータウン時代」〜
マイケル・ジョー・ジャクソンはジャクソン家の五男である(正式には亡くなったブランドンを入れて六男・大昔のスペースシャワーTVのクイズ番組「梁山泊」で「マイケルは何人兄弟の何番目?」みたいな質問に俺があわてて間違えたのはブランドンを入れるか入れないのか悩んだため←いいわけ)。
ともかく、彼のことについて考えるとかなり長くなる・・・のだが、まぁ一言で言うならば「極端な人間」・・・かな・笑。
「頑張り屋」、「気まぐれ」、「臆病」でも「大胆」でもあり、「シャイ」で「図太く」、「現実的」でも「夢想家」でもある。時には信じられないくらい「冷淡」でもあるし、その声は「限りなく優しい」・・・。
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御存知のように天才少年マイケルを擁するJ5は、ソウルの名門モータウン・レコードから1969年秋にデビュー。瞬く間にアメリカのみならず世界中で大注目されて、11歳にして信じられないほどのブレイクに成功した。
69年秋から70年春と言えば、ビートルズ「レット・イット・ビー」や、サイモンとガーファンクル「明日に架ける橋」が全米チャートを制覇した頃。そんな、ロック史上でも指折りに重要な曲達とともにJ5は戦い、見事4曲連続でナンバーワンを獲得したのだ。
この頃のJ5はとんでもない人気だった。この時のJ5を凌ぐほどの人気を得たグループなど、全盛期のビートルズしかいないだろうと言われている。ブームをこえて現象になったし、ある意味「この時代」だけでもアーティストやバンドにとって充分過ぎるほどのキャリアである。
多くのチャイルド・スターのようにこの後は静かにショウビジネス界を去るか、細々とディナー・ショウをして回るか・・・、ともかく11才の少年の肩には重すぎる栄光と言っても良かった。
事実、その後のJ5はゆるやかに人気を下降させ(しょうがないのだが・・・)、マイケルやジャーメインのソロもヒットするが、どうしても最初のインパクトを上回ることができなかった(当たり前だ!)。ともかくモータウン末期、マイケルはティーンネイジャーながらも、容姿でも(背が伸びると「もう可愛くないなー」とか散々言われた)、声でも(声変りの途中はかすれた声になってしまった)、ともかく色んな意味で絶対的な挫折を味わうことになったのだ。
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60年代のモータウンは、テンプテーションズ、フォー・トップス、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ、マーサ・リーヴス&ザ・ヴァンデラス(ノーナ・リーヴスはマーサの名字をもらったもの)、ダイアナ・ロス&シュープリームス・・・。ともかく豪華絢爛のスター目白押し、質量ともに世界一のレーベルと言ってよかった。
しかし、70年代中盤にさしかかろうとする頃、そんな栄光にも影が差しはじめ、全盛期のヒット曲量産工場としての機能が果たせなくなっていた。
「ニュー・ソウル」などと呼ばれ、自由に音楽を表現しはじめたスティーヴィー・ワンダーやマーヴィン・ゲイらはまだ所属し、成功を収めていたものの、これは逆に既存のモータウン的なルールを破りまくることで黒人音楽の可能性を広げていた。時代は変わったのだ。
成長するにつれ「自分達でプロデュースしたアルバムを作りたい」という音楽的な欲求がどんどん高まりはじめたジャクソン兄弟だったが、彼らの願いは社長ゴーディによってことごとく却下される。ワガママは許さないとばかりに、操り人形のように与えられた歌や踊りをこなすことを強要され続けたのである。
1975年。遂にジャクソン兄弟はエピックへのレーベル移籍を決意する。
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そこであの大事件が起こった。
モータウンはワンマン社長ゴーディの元、完全な支配体制に基づいたポップス工場である。日本で言えばジャニーズ事務所のように、その事務所を離れて成功するのは至難の技と言っていいほどの強烈なカラーと影響力を持つ会社だ。
ゴーディにとって、百歩譲ってJ5の移籍はやむをえないとしても、愛娘ヘイゼルと結婚した義理の息子ジャーメイン・ジャクソンを手離すわけにはいかなかった・・・。ジャーメインのためというよりも、自分の執念とジャクソン家への嫌がらせのために。
そしてジャーメイン自身も、彼の生涯にいつもつきまとうマイケルの亡霊から逃れ、自分こそがヤング・スーパー・スターに躍り出るチャンスだと感じた。J5にいては常にマイケルの二番手である。彼はいつまでもその位置に甘んじられる男ではなかった・・・。兄弟から移籍の誘いを受けたジャーメインはジャクソン5を脱退し、モータウン残留を宣言する・・・。
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才能溢れるジャーメインの脱退。これはジャクソン家の迎えたそれまでで最大の危機だった・・・。
スーパー・ブラザーのジャーメインがいなくなり、残されたのは気が弱いジャッキー、おやつ好きのティト、そして頼りないマーロンのみ・・・。
マイケルは16歳になっていた。この移籍を境にマイケルは大人になった。これ以後、優しいけど駄目な兄貴達と理不尽な父親に代わって、マイケルがジャクソン兄弟のすべてのイニシアチヴを握るしかない状況が生まれたのだった・・・。