「ジャクソン兄弟物語 2009」 第一章

2009.07.01

「ジャクソン兄弟物語 2009」

著・西寺郷太



故郷・インディアナ州ゲイリーで歌っていた時代。
1968年撮影。

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1,物語の前に・・・ 

 ジャクソン・ファミリーについて考える時、ぼくはいつもそこには「人間のすべてがある」と感じる。リビー、ジャッキー、ティト、ジャーメイン、ラ・トーヤ、マーロン、マイケル、ランディ、ジャネット。そしてパパ・ジョー、ママ・キャサリン。ぼくが彼らと出会って30年近くなるが、その間、ほぼ一時も忘れることなく、情報収集、エピソード集め、音楽的研究に精進してきた。ぼくはコレクターではないけれど、彼らの魅力とアホな逸話を語らせたら日本一の自負がある。 



70年代初頭、モータウン・レコードに所属し一世を風靡した時代。
<最前列・五男マイケル
後列左から・四男マーロン、長男ジャッキー、三男ジャーメイン、次男ティト>

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 これからひとりひとりに焦点を当てることにより、この半世紀以上に渡る壮大な人間模様を少しづつ綴っていきたいと思う。 

 まず、兄弟6人の素晴らしい歌とダンスを見てから、ジャクソン・ファミリーの深くておもろい物語にダイヴしてゆくことをお薦めします!今はありがたいことに沢山の動画が「You Tube」などで見れます。Jackson 5 などで検索してみてください。それらの数々を見てもらえれば、なぜぼくがこれほど長い間マイケルとその兄弟に夢中なのかわかってもらえるはず!



1984年、マイケルがお化けアルバム「スリラー」で驚異的なヒットを記録し続ける中で、
企画された史上最大級のライヴ・ツアー『VICTORY TOUR』時の写真。
結果的にこの後、マイケルはジャクソンズを脱退し、最後の兄弟でのツアーとなった。
<左からティト、マーロン、マイケル、六男ランディ、長期離脱後復帰したジャーメイン>

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2、「ハンサムな長男、ジャッキー」 

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 ジャクソン・ファイヴが鮮烈なデビューを果たした時、幼いマーロンやマイケルを従えて真ん中で巨人のようにダンスしていたのが長男ジャッキーだ。ハンサムで背が高く、スポーツ万能でバスケットが得意なモテモテ・ハイスクール・ボーイ。

 彼の声はハイトーンで淡い。ファルセット気味でクセの強くない声は個人的にはかなり好きだ。その上、モータウン的なドライヴするポップ・チューンを書く、なかなかのメロディメイカーで彼の作った曲には波もあるが良いものはかなり最高(ジャクソンズの代表曲「キャン・ユー・フィール・イット」はマイケルとジャッキーの共作)。

 でも、いかんせん押しが弱く、タイミングも悪い。いつも長男として家族をまとめようとするものの、ワガママなジャーメインとラ・トーヤ、才能のあるマイケルやジャネット、借金だらけのマーロンなどを引っ張っていくことなど出来るわけもなくうやむや。そのせいで恐ろしい父親ジョーの呪縛から兄弟全員(ジャネット以外)が逃れられない原因を作っているのもこのジャッキーだ。 

 体格のいい彼が、暴力的な父親に反抗し、しごきや虐待を自分の気分で繰り返すジョーを一発でも殴っていれば・・・、兄弟はもう少し幸せになれたかもしれない。そういった意味では可愛そうだがジャクソン一家の本質的な分裂のA級戦犯でもある。 

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 白いブリーフが大好きで、ともかく体を鍛えている。年齢の割に若く見えるので、80年代は太った次男のティトの方が老けて見える。若い頃はグルーピーを良く食っていたようだが、父親にバレないかびくびくしていた。途中からは父親ジョーもジャーメインらと一緒に女の子の味を覚えたのでお咎めなしだったようだが・・・。 

 一番タイミングが悪かったのは、マイケルのスリラーが馬鹿売れした後の再結成ツアー『VICTORY TOUR』でせっかく6人全員揃ったジャクソンズのツアーが企画されたのに、直前にバスケの最中に足の骨を折ってしまったことだ。 なんで、わざわざそんな人生の絶頂期に骨を折る・笑!!!
 というわけで結局不思議なことに、末弟ランディが一人前になった後の「ジャクソン6」でのきちんとしたツアーは実現しないのである。

 しかし、この骨折事件。バスケは嘘で本当は浮気をしていることを奥さんに見つかって、激怒した奥さんに車でひかれて骨折したという説が有力だ。ちなみに、彼の浮気相手はその後人気の出たポーラ・アブドゥルというシンガー。
 車でひいた奥さんのイーニッドはマイケルのいい相談相手でもあったまともな人だったが、浮気を許さず別れた。そこからのジャッキーはほんとについてない。あー。 

 その後、病的なくらいダイエットしてソロ・アルバム『ビー・ザ・ワン』を制作したが内容もさっぱり。10年くらい噂を聞かずに2001年の再結成ライヴで久しぶりに見た。

 ここ数年はいわゆる式典やアウォードで、若い頃のスマートぶりが嘘のように丸くなった体型のジャッキーを見ることが出来る。 

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3,「次男ティト、ジャクソン5の野村義男」

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 ティトは太っている。ジャクソン兄弟の中で太る遺伝子はティト、ランディ、ジャネットに受け継がれているが、少女時代『ロバ』というあだ名で馬鹿にされたジャネットはその後決死のプロ根性でサイボーグのようなナイスバディを手に入れた(とはいえ、歳を重ねるごとに尋常でないリバウンドを繰り返しているが・笑)。

 80年代中盤までのジャクソン兄弟を見分ける時、まずギターを弾いていて太っている奴を見つけるとそいつは100%ティトなので覚えやすい。 

 彼はおやつが大好きだ。レコーディング中も、いつも食べているんだよと自分でも公言してはよくインタビュアーを笑わせている。そんなことからも、ジャクソン家に珍しい自分をネタに笑いをとれるクレバーな男であることもわかる。彼が子供の頃、パパ・ジョーのギターをこっそり手に取り練習しはじめた時、ジャクソン・ファイヴのストーリーは始まったのだが、その時以来彼は芸能人であるよりもミュージシャンでありたかったのだろう。そのせいで、他の兄弟に比べて大成功した弟マイケルへの嫉妬心が少ない。ティトの頭にはダンスやボーカルはなく、ギタリストでいたいという欲求しかないのでマイケルと競争しなくてもすんだのだ。そのせいか孤独なマイケルもティトとはとても仲がいい。 

 ティトは兄弟で一番最初に結婚した。アイドル的な存在というものへの執着心のなさと、笑顔、ギターへのこだわりは「たのきんトリオにおけるヨッちゃん」を思わせる。数年前、彼の息子達は3Tというグループでマイケルの手伝いもあってデビューした。ティトの息子はお父さんにならって、全員イニシャルがTなのだ。 

 ぼくが直接喋ったことのある唯一のジャクソン・ファミリーがティトだ(マイケルとジャネットは目撃しただけ)。本当に優しい最高の人物で昔も今も大好きだ。

 そう言えば映画「ラッシュアワー」で刑事役のクリス・タッカーが相棒刑事のジャッキー・チェンにむかって「俺がマイケルで、お前はティトだ!(つまり、おれの方が偉い)」というシーンがあった。しかし、多分ティトの知名度がないので、日本版の字幕は「俺がマイケルで、お前はバブルスだ!(猿になってしまっている!)」と意訳?されていた。おーい!ガンバレ!ティト!

ノーナリーヴス:西寺郷太のブログ「LIFE」