おもなタイトル
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9・30 ルーツ探しその2:ミトコンドリア編 さて、昨日に続いて、しかしまったくの別の次元で、自分のルーツを辿ってみよう。 TX系でやっていた「サイエンスロマン紀行日本人はどこから来たか?日本人は9人の 母から生れた!?」。 女系のみに残されるミトコンドリアDNAをたどっていくと、日本人は必ず9人の「母」に辿り着くから、数千年間女の子が絶えない家系に生まれてきた 女性ならば、必ずそのどれかの「母」と同じ遺伝子にたどりつく、というのだ。 (精子の中のミ トコンドリアDNAは、受精後消えてしまうので、母から娘にしか伝わらない。だから、途中で男しか生まれない家系は、そこでミトコンドリアDNAの血統が途絶えてしま う) で、天海祐希もそうやって、太古から脈々と女系に引き継がれたミトコンドリアDNAを持っている人で、外房の茂原から出てきた縄文人の人骨とも一致する「タイプ8」という母の遺伝子を引き継いでいる、という。 そして、番組では、この「タイプ8」の遺伝子を探して、雲南省のチベット族と、バイカル湖東岸のブリヤート族の村を訪ねる。 こうゆうホラ話に本来あまり興味はないのだが、解説に出ていたのが、「人種の実在性と構築性」に関する京都の研究会でいつもご一緒する国立遺伝学研究所の斎藤成也先生だったもので、ついつい見てしまう。 まあなかなかの感動噺に仕上がっていたし、映像もきれいだったし、それなりに見ごたえがあったのだが、見終わってからは、ある気味の悪い感覚しか残らなかった。 雲南の省都・昆明やロシアの首都モスクワの研究所(しかも昆明では動物学研究所!)に行って、天海さんのミトコンドリアDNAの塩基配列を見せると、担当者がたちどころにPCで検索して、「ああ、××族の○○村で3人一致しましたよ」なんてこともなげに言ってのける。という、ものすご〜く怖い光景。 言うまでもなく、日本人のルーツとして、より近そうな韓国や台湾で取材をしなかったのには、必然的なわけがある。こんな風に、少数民族のDNAなんかを採取して持っているのは、中国と旧ソ連なわけだ。髪の毛を抜いたりして、膨大なDNAのサンプルを研究所に蓄えているのだ。 もちろん、こうして少数民族のDNAを採取することは、科学の名を借りた、ある種の少数民族管理政策の一環である/あったのだろう。 確か、斎藤さんは、「中国はいろんなDNAをきちんと持ってるから、とても調査がしやすい、私も新疆によく行きますが、世界中の研究者が行ってますよ」というようなことを言っていたように記憶している。 そうゆうことを斎藤さんが言うといつも、文化人類学や社会学やCSから研究会に参加している、TさんだのSさんだのは天を仰ぐのだけど、自然科学者としては楽しくて仕方ない、というところなのだろう。 だかしかし、天海さん。 そりゃあ、太古の昔に分かれた親戚とバイカルやチベットで会ったら感激しちゃうのはわかるけどさ、こんなに立ちどころに彼女たちに会えちゃった不気味さは感じなかったんでしょうか。 僕は、自分のルーツは平将門あたりで、もういいや。 しかし、こうゆう話。ヒトゲノム計画やらなんやらで、ここ日本でも無縁な話じゃなくなってきそうな近未来を危惧するのは、杞憂に過ぎるでしょうか。 9・29 ルーツ探しその1:歴史編 ここんとこ、柏市立図書館でいろいろ本を借りたりするせいで、柏の市内をあちこちドライブする機会が増えた。 さまざまな市町村と同様、柏の図書館もいくつかの分館があ るのだが、いまはオンラインで蔵書を検索できるのでとても便利になり、いろんな分館めぐりをすることになるのだ。 いまさらながらに柏って広い。 柏は地理的な中心部に、柏駅とか市役所とか主要なものがすべて集まっているので、柏駅のそばに住んでいる自分にとっては、今まで柏市の南 の辺境だと思っていたところが、まだまだ柏中部に過ぎないことがよく分った(^^; 千葉や横浜のように大きな市町村ではないとはいえ、柏市の大きさを台東区レベルで考えてはいけない のである。 柏は南北に長い市で、基本的には、北部は利根川に接する低地帯、南部は下総台地の北端にあたる。 どちらかというと、北部の方が(東急などの)資本が近年になって入って秩序だって開発された地域が多く、南部はといえば、下総台地に点々と散らばっていた集落をベースに、無秩序なスプロールが起こっているという印象が強い。 そんな柏市南部地域の一つの中心地である増尾に、ぽこっと大きな森が残されていることを知ってしまった。 なんだろうと思ってみてみると、なんと増尾城址公園。建造物や礎石などは何も残っていないが、不自然なアップダウンが何層にもなっており、土塁と堀の遺構だということは、素人目にもわかる。割と古いタイプの平山城なのではないか 、と。 おざなりに立っていた説明書きは、劣化が激しくよく読めないのだが、「相馬氏」という知った名前があったので気になって、家に帰ってネットでみてみたら、あるわあるわ。 ホント、この道に情熱を燃やす人がこんなにたくさんいるんだねぇ。ということがわかったことさえ、ネット時代の恩恵なのだが。 ちなみに、古城ファン的には、ここは理想的によく遺構が残されているところだそうです。 で、肝心の相馬氏ですが。相馬といえば、福島県の浜通りに地名が残され、伊達正宗の話などにも登場するから、東北の戦国武将という印象が強いが、実はもともとは下総が本流らしいのですね。 もとをたどれば、平将門に行き着く名門。やはり平将門から分かれた千葉氏の系譜として、千葉六党のひとつと名乗っていたそうな。そういえば、下総(千葉北部、茨城南部)には北相馬郡、南相馬郡という地名も残ってたっけな。 で、鎌倉時代の終わりごろに、お家争いや土豪の反乱で、嫡流が奥州にいってしまう。 この時に増尾城も陥落して、相馬の手を離れているのですね。 その後、下総を捨てた方は、 後の奥州戦国群雄のひとつとなり、江戸幕府まで続いて中村藩となった。下総に残った方は、紆余曲折の末、関東公方の上杉氏から後北条氏へと仕えてゆくのだが、小田原落 城のあとは徳川に拾われ、旗本になる、と。 以上、だいたい、この「千葉氏一族」HPの中の相馬の項を参照。いやーどうでもいいけど、勉強になったなぁ。 誰も関心ないでしょうし、僕も昨日まで何の関心もなかったことなのだが。ベッドタウンになる前はのっぺりした台地でしかな いと思っていたこの柏市にも、こんな歴史があるんですねぇ。あたりまえだけど。 で、この千葉一族HPによると、母方の祖母にあたる小泉の姓は、明らかに成田市小泉に定着した千葉六党の一つ、大須賀氏から出た一族のもの。母方の祖母は、成田の門前 の旅館出身だからね。 一方、母方の祖父の姓にあたる五十嵐の方はといえば、どうやら千葉一党にはないらしい。 五十嵐といえば、なんとも奇妙な、こんなHPがある。 これによると、日本中の五十嵐姓は、新潟県南蒲原郡下田村飯田に移り住んで農業を伝えた垂仁天皇第八皇子「五十日足彦」の流れを汲んでいるそうだが? 千葉一党の話よりはるかにうさん臭くはある。 しかし、下田村にはいまだに五十嵐神社が残り、この全国五十嵐会では、そこで年に一度の総会も催しているらしい。おまけに、五十嵐音頭なんてのまで作っちゃってるぞ。 こんなHPを作る人たちも、偉大な暇人だが、全国五十嵐会に一度行ってみようか、な んてワクワクする僕は、しょうもない暇人である。 9・27 朝まで生テレビって・・・ 久しぶりに朝生を見てみる。 この番組こんなつまんなかたっけ? カン・サンジュンさんが話すときだけ、シンとなるので、やはり一目置かれているのだろうか。別に常識的なことを言っているだけなのだが、まともなことを落ち着いて話す数少ないパネリストなことだけは確か。 9・26 ベールに包まれた文系研究者(の、はしくれ)のオシゴトのシクミを一挙公開。 先週は怒涛のように仕事をしていたし、実際しないとヤバかったのだが、今月末締め切りのひとつ仕事を飛ばす決心をしてしまったら一気に楽になってしまった。 で、今はオンラインボンバーマンなぞをしていた。アハハ。 一度タガが緩んでしまうと、人はかくも怠惰なものである。 僕ら夫婦は、なぜか片方が仕事にノっているときは、片方があまりノらない。家庭内シーソーの法則というのを地でいっている。本当に。 一年のうち80%は妻の↑の時間帯なのだが、僕のほうが瞬発力には長けているので、まあまあなんとか帳尻を合わせているという感じだ。 しかし、今回の僕の↓妻の↑は、ちょっと酷い。先週末熱を出していた妻を、めちゃくちゃ仕事をしながら少しは面倒を見てやっていたら、火曜・水曜とこちらが熱を出してしまったのだ。最初のうちは熱を押して論文を書いていたが、さすがにシンドくなって、もう間に合いそうもない仕事をひとつ飛ばしたら、楽になってしまい、一気にシーソーが傾いたというわけである。 しかし、「仕事を飛ばす」なんてことが簡単にできていいねぇ、と思われる向きも多いと思うので、少し解説。 まあ実際に、39度の熱を押しながら歯を食いしばってやらなければならない業種の方よりはずっとましだろうが、それなりのシビアさはあるものなので。 ブレイクする前の文系研究者の仕事というものは、大きく3つに分けられる。(教育関係は、ここでは入れない) 1 依頼原稿執筆 2 共同プロジェクト、依頼された調査など 3 自分自身の研究(主に博士論文に連なるもの) どれも、インプット(フィールド調査、取材、文献調査)とアウトプット(執筆、口頭発表)で組み合わされ、最終的には学術論文の形で成果としてカウントされる。 この中で、基本的に(いったん約束をしてしまったら)飛ばせない仕事は1と2である。締め切りというものが設定されている。多少は破ることもあるが。 1の仕事というのは、すでに評価の定まった自分の過去の業績を認められて、「今度、こんな企画にこんなテーマで書いてくださいよ」と頼まれるものである。 これは、多少は新しいことを書かなければならないが、基本的には過去にやっていた仕事を精緻化して再生産する方向で、編者のニーズを満たさなければならない。自分の業績を広く知られるよいチャンスではあるが、後ろ向きな仕事でもある。 2の仕事というのは、自分自身の現在の関心に近い共同研究プロジェクトに、共同研究者あるいはアルバイター的に参加するもの。 かなりドンピシャな研究テーマに巡り合えて自分自身の研究関心の進展につながる幸福なケースもあるが、どちらかというと、自分自身の関心を深く掘り下げるというよりは、関心と人脈を横に広げてゆくいい機会となる場合が多い。ただ単にお金的にオイシイ場合もあるが。 それに対して、苦しくなれば飛ばしても誰にも咎められないが、しかし、真にやらなければならないのは、3の仕事。 これは、自分自身が今現在一番面白いと思っている仕事で、しかし、それが海のものなのか山のものなのか誰にもわからないので、誰も買ってくれない仕事である。だから、書きあがったら学術雑誌などに投稿して審査を仰ぐことになる。 理系の人には考え付かないであろうが、日本の文科系の大学院では、長らく博士号に対してドイツ−イタリア流の考え方(博士号は研究者生活の集大成として授与される)を取っていて、いまだにものすごく敷居が高い。 そこに向かうには、いくつかの予備審査合格と投稿論文掲載の実績を組み合わせて、長大な論文を仕上げていかなければならないのだが、はっきり言って遠大で茫洋とした道のりである。 僕のような、高校時代から短距離走はかなり早いほうだったが(6.6秒ぐらいだったかな?)、マラソン大会では全行程路傍のダンゴムシと遊びながら散歩し、さっぱり疲れてないものだから自己嫌悪に陥るような根性なしには、目がクラクラするような博士様への道のりなわけである。 というわけで、誰にも怒られないのをいいことに、しょっちゅうこうやって「ここは取ろう」と思っていた投稿や発表の機会を飛ばし、「まあ、またいつかやればいいや」となってしまう。という感じで、雑多な依頼原稿や共同研究の締め切りだけをやりながら、平気で1年2年過ぎてゆくところが怖い。 しかし、じゃあ根性入れてガバガバ新作論文書いて発表していけばいいかというと、そう単純な話でもない。 博士論文が最終的に固まるまでには書き始めてから数年かかるわけだが、その中の部品(各章とか)を未完成な形で投稿してしまうと、後々の自分をイヤな感じで縛ってしまうということもあるのである。 ひとつには、中途半端ながら一通り投稿論文として完成度をあげてしまった文章に、将来の自分が拘束されるという内的な問題。 そしてもうひとつは、後々取材(インプット)が進展して、以前に投稿した文章をよりグレードアップしてどこかに出したいと思ったとき、これが「初出規定」(一度どこかに投稿した文章は別の場所に投稿してはいけない)に引っかかってしまい、出せなくなってしまうという外的な問題。 今回の自分の熱にうなされながらの「飛ばし」の決断は、まあさすがに今月中旬にそれなりの決意をしたこともあって(11・12日の日記参照)、「まあ、いいか」的なものではなくて、上記のような理由による「今回は書くだけ書いて出さないほうがいい」というものだったのだが。 この辺の判断はえらく難しいところである。カコヨク言えば、文系研究者は、何というか、プロデューサー的資質・「読み」の確かさも求められるということなのだが。 ま、偉そうなことをいくら言っても、結果として残ったのは、初秋の夜長をボンバーマンに興じる自分、というわけである。 9・24 一週間たって、再考。 おお、このページではなんと一週間も更新怠ってしまったか。京都出張から帰ったあとも、なんだか忙しくて&体調まで崩しておりました。 て、実は京都の漫画喫茶からカキコした9月19日付の日記がBBSにあるのですけど。「京のラーメン事情」。 今日は、久しぶりに野球で心を動かされてしまった。阪神−巨人戦。5時間を越えるものの、最後まで弛緩することのない、いい試合だった。(といっても、8時半までは、「学校へ行こう」スペシャルを見ていたが。B-RAP High School のパーク・マンサーは見逃せないもので。何がなんだかわからないという人も、一度騙されたと思って見てみてください。言葉で面白さを伝えることはできませんが、ここしばらく一週間の中で一番笑う瞬間です) サヨナラ負けで優勝が決まるとい冴えない展開ではあるが、決して白けることもなく、「六甲おろし」が鳴り響く中での胴上げというのも、いとをかし。死力を尽くした試合を目の前で見た阪神ファンも、なにかすがすがしい気分で胴上げを見ていたように見えたし、いいものを見させてもらった。 その影響で、1時半現在まだ「ナースのお仕事」の最終回スペシャルをやっている。むちゃくちゃな話である。 そういえば、10時台からは、野球中継にいっさいCFが入らなかったな。もう、野球中継付きのスポンサーもなくなってしまっていたのだろう。ということは、1時間半分の放送経費を、フジテレビは丸持ちしたのだろうか。これもまた、珍しいケースだろう。 さて、巷では一週間を過ぎても、いまだに北朝鮮ネタで持ちきりなようだが。 ワイドショーのメロドラマ(あれはあれで、被害者のご家族には十分な報道被害のレベルに達している)に与するつもりはないし、新事実やら推測やらを検討する気もないし、ましてやわかりきった外務省批判はもうたくさん。 しかし、それでもやはり言っておきたいことは、ある。 いろんな国籍の人が見る潜在的な可能性を考えると、かなり微妙な問題にならざるを得ないから、ここに書くことさえも躊躇われるのだけど。 朝鮮半島がらみの問題が起こったときには、やはりここでブレーンストーミングするのが一番いい。 ちょっと見るのは難儀ですが、ぜひきちんと読んでみてください。 僕は、ここの管理人の金明秀氏とは、必ずしも意見が相容れない場合が多いのだけれども、今回彼が最初に包括的にあげた投稿はなかなか素晴らしいものだったと思う。 もちろん、60年前の強制連行(どのぐらいの比率の半島出身の人々が強制的に連れてこられたかの詳細な議論はひとまず措く)と20年前の拉致を相殺することなど、できない。数万人と50〜60人という数の比較の問題も、無益有害だ。 しかし、それでも、60年前に、有本恵子さんのご両親のように号泣したオモニやアボジが、半島にたくさんいたということを、日本人はこの機会に思い返さなければならない。それは、絶対に必要なことだ。 考えてみれば、戦後57年の間に、日本人が他国の国益のために、一方的に身体的な危害を加えられた大規模な例は、これがほぼ初めてであったろうと思う。(ビキニ環礁がそれに近いが、あれはさすがにここまで故意ではないだろう) 戦後の歴史の中で初めて、この機に芽生えた国家の暴力の犠牲者としての共感を、ぜひ60年前の半島にも及ぼさなければならない。 たとえば、昨年のNYの被災者遺族の、ごく一部に過ぎないが、アフガニスタンを訪れ、「犠牲者」としての共感・連帯を意識して反空爆の運動をはじめているグループがあるという。笑いの共有によってだけではなく、悲しみを共有することで、ポジティブで深い相互理解に転化することも、できるのだ。 ロマンティックかもしれないが、そういう叡智を、僕は、僕を含めた日本人の中に期待したいし、信じたい。 それから、韓国を含めた朝鮮(韓)半島の住人と、その子孫の方々、そして、彼らの主張に油を注ぎ続け日本人を断罪することに生きがいを感じる日本人に対して。 ハンワールドの金氏は、その後数度投稿を繰り返し、中に非常に気になる表現があった。朝鮮総連の中でも、いくつかの世論が分裂しているとまとめた上で、こんなことを言っていた。 ところが、共和国に関わるものすべてが悪であり、考えられるいかなる罪の可能性もあり、北朝鮮人はみんな土下座して贖罪せよといわんばかりの攻撃が展開されていけば、意見の幅もおのずと狭まってくるでしょう。正直言って、これは日本人が、一部の半島の人々とその支援勢力に、この50年間とられ続けた態度に他ならない、と感じたのは僕だけでしょうか? その結果、反動的なナショナリズムが生まれていることも含めて。 国家(ステート)の犯罪は、何がしか国民に支えられたものであるにせよ、それを全面的にその国の国民に負わせて断罪するのは、かなり酷な話なのだ。いわんや、その犯罪行為が起きたずっと後に生まれた世代に、罪を負わせ続けることは。 もちろん、先ほども書いたように、この機会に日本人は、60年前の半島の悲しみに思いを馳せる必要がある。しかしその一方で、帝国日本に対する恨を現在の日本人に背負わせ続けようとする一部の半島やその出身者の方々は、逆にこれを機に、過去の罪を背負わされ続けるということの存在論的重み、ということを理解して欲しいと思います。自分の国に誇りを持つことを禁じられることの、悲しさということを。 そして最後に、日本に住む共和国公民とアイデンティファイしている方々に。 過去の清算が不完全なまま、拉致の問題を攻撃されるのは不本意だと思う向きもありましょう。上にも書いたとおり、その考え方には一部同意します。 しかし、それでも決定的な違いがあります。戦前の日本の政治体制はほぼ全面的に破壊されましたが、共和国には、20年前に拉致事件を起こした人々を指揮した政権が、いまだ何ら変わることなく居座っているのです。 情報から隔絶されている北朝鮮市民はともかく、在日朝鮮人の方々は、さまざまな情報を取捨選択することができる立場にあり、経済的にも十分な力を持っています。 だとするならば、今こそ朝鮮総聯は、「現体制での共和国は支持できない」という立場を、勇気をもって明確に宣言するべきだと考えます。そんなコペルニクス的転回は不可能だというならば、少なくとも、「総聯は第一義的には在日僑胞の相互扶助団体であって、共和国の出先機関ではない」と、本国とは一歩距離を置く宣言をするべきだと思います。 それすらもやはり難しいのでしょうか。イデオロギー的な転換をそう易々とはできない、ということもあるでしょうし、それ以上に「共和国に住んでいる身内は人質のようなもの」という過酷な現実もありましょう。 しかし、実質的に共和国の体制を経済的に少なからず支えているのは、在日朝鮮人の方々です。今後の北東アジア情勢を、アメリカの空爆などを経ることなく軟着陸させることができるとすれば、おそらく在日朝鮮人の方々がかなり大きな鍵を握ることになるでしょう。そんなことを背負わされるのは酷でしょうが、そういう流れになってきてしまっているような気がします。 9・17 パックス・アメリカーナ? 悪運の強い男だ。非常に出目の薄いギャンブルだったのに、小泉純一郎は、何とか賭けに勝った。 そう言っていいだろう。 もちろん、いくら北朝鮮では平均寿命が40ぐらいだろうとはいえ、横田めぐみさんのご家族はこれじゃあ納得しないだろうし、もしかしたら死んだと言われた人の半分ぐらいは重要なポジションで「温存」している可能性さえあると思っているが(だって、生きているのが「アベック」2組というのは偶然にしてはできすぎだろう)、とにもかくにも金正日に、国家的責任を認めさせ、謝罪を口にさせた。はっきり言って、できすぎである。驚いた。 もっとも、今後拉致事件への賠償問題、ということになったら、「てめえの国は60年前に20万人も強制徴用して、数万人も鉱山で殺してるじゃんかよぉよぉよぉ」と逆切れされてしまうだろうから、さすがにこれは国際法上の小理屈だけで切り抜けられるものでもなさそうなわけで、日朝交渉がこのまま順調に推移するとは考えられないが。 しかし、それにしても、北朝鮮がとりあえず頭を垂れた、っていう事実には、連中はこれほどまでに追い詰められてたんかー、という驚きを隠せない。 もちろんそれは、手放しで喜べるものでは到底ないが、「悪の枢軸発言」の効果である。 今度の政権のアメリカは本気だ、イラクの次はマジで来る、という怯えが、金正日を縮み上がらせてしまったのである。 一方、イラクはイラクで、昨日核査察の受け入れを表明した。ギリギリまで強気を貫いてプレゼンスを示しながら、最後にコロッと方針転換する、アラブの策士一流のしたたかさだが、これも5年地球組の暴れん坊番長アメリー君のマジ本気にビビッたからに他ならない。 4日ぐらい前の産経新聞に、元外交官のタカ派(保守派、というよりはタカ派としか言いようがない)の論客、岡崎久彦氏が、普通あまり書かないようなコラムを書いていた。 かいつまむと、こんな内容である。 「アメリカは、まどろっこしい国連なんか無視してイラクを徹底的にやっちまうべきだ。そうすりゃあ、北朝鮮は震え上がるし、中国もおとなしくなる。パレスチナ問題も解決するだろう。 20世紀はアメリカの世紀だったというが、あんなにも戦争が多かったのは、不完全なアメリカの世紀だったが故だ。21世紀は、世界史上類を見ない圧倒的な力を持つ本物のアメリカの世紀になる可能性があり、そうすりゃあ、世界はパックス・ロマーナ(ローマ帝国による平和)以上のパックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)になる。 日本は、四の五の言わず、パックス・アメリカーナを作るために粉骨砕身努力するのが国益だ。デモクラシーだの、ユニラテラリズム(一国主義)だの、ガタガタ文句をいってる場合じゃない・・・」 たぶん、岡崎氏の言ってることは、かなりの程度本当のことだ。アメリカが、大きくなれば大きくなるほど、ネイション間の総力戦が起こる可能性は、限りなくゼロに近づくだろう。 だが、そこにあるのは「平和」だとは、必ずしも思わない。アメリカの繁栄を横目で見ながら、与えられた世界システムの辺境の場所(それは、当のアメリカ国内にもある)で、経済的・文化的に抑圧される人たち・・・そうゆう人々は原理上、地上からいなくなることがないからだ。 敵対するネイションはなくなり、ネイションに匿われた大規模なテロ集団はなくなっても、、そうした抑圧された人々による散発的で虚無的なテロリズム−−インティファーダ、LAのゲットーの殺人や略奪からクラッキングまで−−は、激化の一途をたどるだろう。 ここは一般的に間違えがちなところなのだが、なぜ紛争がなくならないかといえば、小国の独裁者のせいだったりとか、超大国が身勝手な抑圧構造を温存するからではなく、人間にはプライドってゆうもん(あるいはアイデンティティへの希求と言い換えてもいいが)があるからなのだ。 じゃあ、平和になるために、誰しもがそんなプライドを捨ててしまえばいい? 多くの人々は、そうゆう選択肢をとるだろうが、地球上の人類が一人残らず、アメリカという国家そのものやアメリカ的なるものに隷従してしまうんだとしたら、それはもはや「世界」と呼べるだろうか? 冗談じゃない。そんなのっぺりした世界に生きさせられるぐらいなら、暴力に怯えたり、無謀な抵抗に訴えたりしたほうがまだマシだ。 変な話だが、それを幼いころの僕に教えてくれたのは、アメリカ人だ。架空の人物だが。我ながらバカなエピソードだが、小学生のときに夢中だった『キン肉マン』の台詞を妙に強烈に覚えている。 テキサス出身のテリーマン(顔がどことなくクリントンに似ているのはご愛嬌)。当時の彼の実力では全くかなわないアシュラマンにコテンパンにやられ、「悪魔超人に許しを乞え」と促されてこう叫び、捨て身のフックを繰り出す。 「確かに、俺はお前にかなわないだろう。だがな、お前みたいな連中に舐められっぱなしじゃ、生きてる甲斐がないんだよ!」 このテキサス仕込みのファイティング・スピリット。 そうだろう? アメリカ人はそう思うんだろう? やられっぱなしで引き下がれないんだろう? 当たり前だよな。 だったら、アフガン人もイラク人もゲットーのガキも、同じことを考えるかもしれないって、少しは想像してくれよ。 そうそう、明日からまた京都出張なので、3日ほど更新できません。 9・16 久しぶりにまともにCD買った ここんとこ、まとめてCDを買った。近年では、ごくごく珍しいこと。 最近買うCDは、昔から追っかけてるグループの「待望の新作」が中心なのだが、今度はラインナップの中に一枚まったく縁のなかったグループを入れてみた。 ザ・フレーミング・リップスの『ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ』。ヨシミとは、ボアダムズのYOSHIMIのことで、今回のゲスト。 フレーミング・リップスって、ネオ・サイケデリックとかゆうから、ギターノイズ渦巻くソニックユースの現代版(この辺のジャンル全然押さえてないから、トホホな喩えでごめん)みたいのをイメージしてたんだけど、ぜんぜん違った。メランコリックで牧歌的。でもメロディは結構いいよ。 メランコリックと言えば、何と言っても驚かされたのが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『バイ・ザ・ウェイ』。こんなのアリなんですか〜、と一度通しで聞いてみて、最初は叫んでしまったよ。 いろんなところでもう既に聞いてるとは思うけど、『カリフォルニケイション』を経た今度のレッチリは、極めてメロウ。ジョン・フルシアンテ(g)なんか、コーラスで全編活躍しちゃってる。 『カリフォルニケイション』までは、ときどきメランコリックな曲を混ぜつつも、それは非常にアイロニカルな歌詞と演奏で「照れ隠し」をしていたものだけど、今回のは、王道。あまりに王道すぎる。 はっきり言って、レッチリに望んでるのはこういうことではない、っていうファンのほうが多いはずだ。レッチリ本来のファンキーなリズムと、メロウなメロディの融合が見られるのも、せいぜい表題曲の一曲目ぐらいで、あとは、ただただメロウなメロディが並ぶ。こんなことは、イギリスのギターバンドにでも任せておけ! と、いいたいところだが、やっぱりメロディ・メーカーとしても素晴らしいんですわ、レッチリは。派手さはないが、繰り返し聞くと、癖になる珠玉の名曲集。 このズバぬけたメロディも、やっぱり、彼らならではの奇妙なコード進行と、タフなリズム隊に支えられているわけで、レッチリにしかできないことと言えば、それもそう。この珠玉の名曲たちを、手放しで褒める素直さも持ち合わせていたいところだが、だがしかし、やっぱ彼らには『ギブ・イット・アウェイ』のようにタフにはじけて欲しい、と複雑に引き裂かれるファン心理。ぐるぐるぐるぐる。 1stと、5th『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』以降は全て持っている自分だけど、これを機会に聞きなおしてみると、個人的には、セールスとしてはあまりパッとしなかった『ワン・ホット・ミニッツ』がやっぱり一番好きなんだなぁ。 演奏とプロダクション・ワークの作りこみ方、それと前作を引きずる「勢い」が、高いレベルで融合している名作だと思うんだけど。単純に考えて、この作品にだけ参加しているデイヴ・ナヴァロは、フルシアンテよりうまいし、フリーのベースも一番自由に表現できているのがこのアルバム。2曲目のAeroplaneのイントロとか泣くよ。 でも、いまレッチリのライブでは、ギタリストがここだけ違うこともあって、このアルバムの曲やらないんだって!勿体無い。自分的には、11月に行くことになっているライブの魅力が3割減なのだが。 (ついでに言えば、カミサンがレッチリで一番好きなのも、実はこのアルバムだったりする。アバとケミストリーが好きなオナゴがだよ! う〜ん。やっぱ演奏力、パフォーマンスのレベルで見ると、この時期がずば抜けているってことだろうか) もう一枚買ったのは、プライマル・スクリームの『イーヴル・ヒート』。曰くつきの「予言」曲、『ボム・ザ・ペンタゴン』は、『ライズ』とタイトルを変えて、しぶとく収録されています。 系としては、前々作の『ヴァニシング・ポイント』の方向性に戻りつつある気がするが、ライブ・パフォーマンスはどうなのだろう。 いろいろ書きたいこともあるが、疲れたので、プライマルズについてはまたの機会に。 9・15 いまさらの、GO評 いまながらであるんだが、GOという映画のビデオを見た。 ネット上をチョコチョコ「GO、窪塚、在日」でアンド検索してみるだけで、さんざんレビューが出てくるので、あんまり屋上屋を架す気もしないが、一応最低限の突っ込みだけはしておきます。 (ネタバレあるので、これから見ようとしてる人は、飛ばしてね) まず、基本的に面白い。ストップモーションを多用した映像やカット割りも凝っているし、場面ごとのディテールの台詞なんかも気が利いたのが多い。音楽はしょぼいが。 役者陣も基本的に好演しており、十分楽しめる。窪塚はあんまり喧嘩は強そうじゃないが、キビキビした動きと目の演技はつぼにはまっている。山崎努と大竹しのぶにケチのつけようはないし、いま自分的に一番ツボにはまっている女優、柴咲コウは何をやっても許す。 と、いうことを認めた上で、どうしても気になってしまうことが、結構多い。 まず時代考証。これは現代の物語なの?違うでしょうが。 ヤマタロ演じる民族学校の先輩が指紋を押捺してきた、っていうシーンがあるんだけど、特別永住者(つまり「在日」)の指紋押捺は93年に撤廃されている。それに、桜井(柴咲)と杉原(窪塚)の間の電話のやり取りは、大抵実家の親機を鳴らしている。つまり携帯が描かれてない。 というわけで、舞台は80年代。といいたいところだが、桜井は、杉原と出会った日に好きな映画を列挙する中で、「恋愛小説家」を挙げている。これは、うちのカミサンと一緒に見た記憶があるから、98年ごろの映画だぞ。どないなっとんねん。あと、クラブのシーンで、80年代の東京には、間違いなくあんな感じのアシッドハウスはない。 「在日」の映画を撮るには、背景の制度的・非制度的差別の実態を透かし見せなければならないので、年代の考証が極めて大事なはず。多くの人は気にならないだろうが、これは杜撰すぎ。 それから、これは散々批判されているようだけど、桜井との別れとヨリ戻しのシーンは、どっちも何だかなぁ。桜井は、ベッドシーンで杉原に在日のバックグラウンドを告白されて、「お父さんに、中国人や韓国人はだめだって言われてるの。血が汚いって」と拒絶する。 初体験でテンパりぎみの女の子が、突然のカミングアウトを受けて、潜在的な恐怖心や差別感情が身をもたげてしまう、というとこまでは、いい。お父さんに言われてたから、というのも、まあいい。 しかし、「血が汚い」はないだろ、「血が汚い」は、いまどき。あんたの親父は、ナチスの優生学者か。 Politically Correctnessとしての「差別」のタブー化と「人権思想」が、まあ了解されている(ことになっている)現代日本においては、欧米と同じく、差別感情とかも、もっと潜行するか、あるいは別のロジックと結びついてスマートに生き残っているかしているものだよ。New Racismとしてね。 しかも、桜井のパパは、海外経験が長いアッパーミドルという設定。さらに、桜井自身は、フェリーニやブルース・リーが好き。この設定からして、こんなベタで古典的な「血のロジック」まんまのレイシズムが桜井に刷り込まれてる、ってことがありうるだろうか? いや、100%ないとは言わないけど、リアリティは極めて薄い。さらなる問題がある。ここで、こんなリアリティのないベタなレイシズムを持ち出してそれを指弾してしまうと、シビリティ(「市民的」立居振舞の作法)やセキュリティと結びついて確実に日本にも存在するNew Racismという問題が、かえって無化されてしまわないだろうか? ヨリを戻すシーンに至っては、話にならないファンタジー。語るまでもない。 とまあ、文句はいくらでもつけられるが、やっぱり何のかんの言って、このキャスト、この映像のクオリティで、「在日」のイシューを力技で描き切ったのは、まあ意義のあったことだと思う。限界はあるにせよ、それはそれとして、やはり「見ないようにしてた」多くの観衆にこのイシューを見せ付けたのは、大きいことだ。 家族でこの映画を見たのだが、世代的にも腹に一物ある祖母が、杉原に(もっというとジョンイルに)感情移入して見ていたのは、この映画の一定の成功の一端だといって良いだろう。 さて、ここで重要な後日談。 窪塚が、この映画を機にすっかり感化され、さまざまなインタビューなどで「民族ってさぁ」「アイデンティティってさぁ」とぶっていたのを見た方も多いと思う。で、面白いのは、この映画を撮ってさまざまなことを考えた窪塚クン、いろんな本を読み漁ったらしいが、中でも、なんと小林よしのりを呼んで感激したという。 サヨクに聞かせたら、ひっくり返るか、窪塚のヴァカさ加減に天を仰ぐかしそうだが、これは、きわめてリアリティのある重要なエピソードと思われ。 普段、日本人であることとか国家とかをまったく意識したことのなかった平均的な「在日日本人」である窪塚クンが、「在日」のアイデンティティ葛藤や民族学校の世界を垣間見て感動する。 そんで、それがねじくれた形で反転し、いかに「俺ら日本人」がそうゆうアイデンティティのこととかに無関心であったかを痛感し、そこにヨシリンがすぽっとはまる。 これは、かなり普遍性のある捩れだよ。ヨーロッパでも多くの国では、アイデンティティ・ポリティクスと無縁なのが、マジョリティ。そんなことをする必要性がないわけだからね。 で、マジョリティのコが、マイノリティの文化運動とかのことを知ると、「なんで俺たちは、全然伝統を大事にしてないんだ」、となる。 それがもう一歩進むと、「マイノリティの連中にだけ、同化もなしで好き勝手にやらせて、俺たちは伝統文化からもナショナリズムを声高に言うことからも疎外され、多分化主義とやらでマイノリティのことも学べって言われる。割りにあわねぇぜ、ふざけんな!」となる。ここまできたら、ネオナチまではあと一歩。 (これはもう少し射程を広く取れば、W杯の嫌韓騒動とも合い通じることだよ。自戒も込めて) これは、ひじょーに重要な、多文化主義のもたらすパラドクス、というか罠。多文化主義は、マジョリティが自分の文化に閉じこもって、優越視することにも道を開いてしまい、結果として、開き直った閉鎖的なマジョリティという最強の文化集団を作り出す惧れがある、という。 この罠から一歩抜け出すには、シンクレティズムとか、New Assimilation論という(ここ最近のリベラル派には極めて評判の悪い)「同化」の再評価とか、そういうとこに向かわなければならないわけなんだけど、日本でそれを言っても、まだ一周半先のことだからまず理解されないだろうな。 9・12 切羽つまりゃあ、やるんだよ えー、昨日の勇ましい決意が鈍る前に、後々のアリバイとなるように、また今日も独り言を書きます。 以前、リップスライムのメンバー、確かイルマリとペッシーが、「リップって、レイジーなグループってイメージがあったけど、『東京クラシック』は前作からたった一年ですぐ出したねぇ」と聞かれて、こんな風に答えてました。 「いやさ、クリエイティブなことやるには時間的・精神的な余裕がなきゃ、なんてよく言うけど、リップに関していえば、そうゆうのって単に言い訳なんだよね。正直、うちら結成から1stを録りはじめるまでの7年間ぐらい、ほとんど何もやってなかったもんねぇ。」 「それがさあ、時間がなくて、追い詰められて1年でアルバム作れって言われたら、できちゃうんだなか、これが(笑) 俺たちもレコード会社にせっつかれるサラリーマンだからさ(爆)」 「そうそう、時間だけあっても全然だめで、ああ、こんな時間があんなら100万年チルしとくって感じになっちゃうもんねぇ」 なかなか至言だと思いませんか? ま、結局意思と切羽詰りかたの問題だってことで。 確かに、この2年間のボクは、100万年チルしとく?モードだったような。 内面的にであれ、外部的圧力込みであれ、自分を崖っぷちに追い込んじゃえば、道を開かざるを得ない。リップの言葉を思い出して、この2年間ほとんど進まなかった研究プロジェクトが、気持ちのもち方しだいでこれから2年間で終わるかもしんまい、って思えるようになったよ。 9・11 ちっぽけで、まっとうな決意 本来なら、一年前の事件とそれからの道のりを思い返しながら、「世界」を語るべき日なのかもしれないけど、今日は、きわめて個人的な独り言を書く。 ちょっとシビアなことがあってこの先しばらくの人生のことを考えなければならない事態になり、この2日ほど悩んだ。 何が起こったのかは、ここで言うわけにはいかないけれども、表面的にはえらく不運なことだった。しかし、結果的には、今後1〜2年という中期的な期間において、自分が真に何をなすべきかを考える、とてもよい機会になったと思う。 思えば、イギリスから帰ってきて2年ほどになるけど、何というか、この2年間は、ちっぽけな居場所を確保して、なんとなく「逃げ切り」モードに入っていたのだろう。学会しかり、家庭しかり。 そうではなく、真になすべきことに向かって、崖っぷちに追い込まれて立ち向かってゆくこと。そんな当たり前のスピリットを思い出させてくれる「幸運」であったし、またそうしないと生きていけないところまで自分を追い込むいい機会を与えてくれた。 具体的にはあまりロマンチックな話ではないのだが、しばらく「プー」になるという、誠実な生き方の可能性が大きく高まったというだけのこと。別にアウトノミアを気取るつもりもないが。 そうでない選択肢もないわけではないと思うが、一応の決心はしたつもり。(まだしばらくは迷うだろうが) 馬鹿げたことに、逃げないで真になすべきことに立ち向かう、という決心は、昨晩ガチンコ・ラーメン道を見ながら少しずつ湧き上がってきた。受け手の精神状態によっては、こんなツクリモノの安っぽい予定調和ドラマから、妙な「勇気」をもらうこともあるのだ。CS系のメディア研究の伝統である、「受け手の能動性」ってやつだ。 ま、精一杯ツクリものじゃなく見せようとする反動的な北海道のメロドラマから、ツクリこまれた「勇気」をもらうよりは、少しばかりシャレてるでしょ? さあ、長いバケーションは終わり。 当面は、オフ明けのボクサーのごとく、体と脳はまだ錆付いていて、白紙を文字で埋める前にネットゲームの誘惑に負けてしまうだろうが、しかし、とにかく何かを書いていかなくては、この先まったく何も開けていかないのだ。 9・8 温泉はいーね しばらく更新できずにすみません。 5〜6日に、妻方のご両親を含めて家族旅行に行き、週末もちょっとしたパーティをやったために料理の仕込などで大忙しだったもので。 行ってきたのは栃木県の塩原です。今回は、あちらのご両親からのお誘いということで金に糸目をつけず(←ヒトとして何かが間違っている)、ネットの写真を見て一目惚れしてしまった明賀屋本館に予約を取りました。 ちょっと予定が押しているので、午前中いっぱい事務仕事をこなして出立。途中、幼虫が腹をすかせたりするので、休憩をはさまねばならず、会津東街道から少し奥まった塩の湯温泉に着いたのは夕方になってしまいました。 で、まあ、当然ご飯前にお湯につかるわけですが。 延宝二年(1674)というとんでもない大昔から続くここの宿の自慢は、何と言っても、渓谷沿いに懇々と湧き出る温泉を集めた露天風呂。ホテルの地下一階から、延々と崖を下る専用の回廊を、100段以上くだったところに、それはあります。(『千と千尋』の油屋のモデルになったんじゃん?と思わせるその回廊は、趣のあることこの上なしですが、湯上りでフラフラなところを延々と上らなければならないという罠も待ち構えています ^ ^;) 露天の湯船がいくつかあり、源泉と渓谷の水との混ざり方で、湯船ごとに温度が変えてあり、僕のような「猫肌」にはうれしい限り。さらに、のぼせたら渓谷につかるという荒業もできるので、川面に映る見事な木々の緑に見とれながら、ついつい長湯をしてしまいます。 見とれてるのは緑じゃないだろ、っていうツッコミ、その通りです。こういう歴史ある露天風呂の常で、ここも勿論混浴なのです。混浴っていえば、おじいちゃんおばあちゃんのシナびた裸体を、と一気に萎えた方々は認識を改めてください。性意識の変化だか、ブームなんだか知りませんが、最近の混浴露天風呂は、若いカップルで占領されているのです。 ウチも夫婦で入りに行ったのですが、既に5組ほどの若いカップルがのんびりしておりました(うち、2組はダブルデート?という感じでした) ま、じっくり女性を見ることもできず、自分の妻とおツレの男性の視線をかいくぐって「無理のない程度に」チラチラ仰ぎ見た(^ ^;)ところ、かなりキレイメな女の子が多い。というか、それなりのキレイなボディラインの娘でないと、やはり混浴には入りにくいのかも知れぬ。 中でも、一番キレイな30絡みのおねいさんは、かなりのツワモノで、うちのカミサンも含めて他の女子がみなびっちりバスタオルを巻いている中で、普通サイズの旅館のタオル一本で、平然と「湯船ホッピング」。ということで、背面は丸見えですし、前側も、バストかシタのどちらかは完全には隠れない。 この豪傑のツレの男性は、結構スケベそうな方で、これまた女子脱衣場の近くに陣取ってじろじろ眺めたりしている。そんで、二人で時々あがってタオルだけをまといタバコを一服、これがまた絵になる。 要らぬお世話なんですが、この二人がどうしても堅気の夫婦とは思えず、ボーっとした湯あたりの頭でいろいろと妄想を巡らしてしまいます。自分はいまカミサンと来ているわけですが、誰とどんなシチュエーションで、この雰囲気のいい混浴露天に来たら一番萌えるかなーなんて。 付き合ってホヤホヤの初々しいカップルだったら、それはそれで楽しいだろうけど、その頃ならこんな渋いことしなくても、何やっても楽しめるしなぁ。ゼミやサークルの仲良しグループとか、気になる女の子もメンバーに入った男女混合5〜6人で来るってのは、確かに萌えるなぁ。しかしその場合、女の子たちがみんな積極的に混浴に入る確率は、30%以下(当局試算)だろうなぁ。入ったら入ったで、妙に先走って興奮してしまったら、後々どんなこと…(以下自粛) で、結論としては、高飛車なキャバクラ嬢を休日にここまで持ち込めたら、何とか先に進めるんじゃないか、と。ウワ、なんて汚らしいオヤジの結論! って考えてみたら、先ほどのおねいさんたちも、そんな組み合わせに見えてきたぞ。あのオッサン、湯上りに今度こそは眺めのいい和室で…(以下、検閲削除) そんなわけで(←どんなわけで?)、今日びの混浴露天はお奨めです。男子諸君にも、女子諸君にも、カップル諸君にも。ただし、なんとなく入りやすい雰囲気のとこと、恥ずかしさが倍増していくところとがあるので、よくよく露天周辺の写真や、体験談をチェックいたしやしょう。 この明賀屋本館さん、今では塩原の温泉街からはずれ、携帯の電波も入らずに、「秘湯の宿」的な扱いを受けているようですが、その昔は凄かったようです。徳富蘇峰・蘆花兄弟の常宿だったらしいですし、明治・大正の文人ゆかりの品がさりげなく陳列され、果ては蒋介石(!)の直筆掛け軸なんてものもあります。う〜ん。 しかし、それなりにはお客さんが入っている今でも、やはり、往時からは見劣りするんだろうなー、と思うことしきり。北関東の低価格温泉旅館の仲居は、ほとんどがフィリピン人になって久しいですが、この老舗旅館でさえも、男性スタッフに一人外国人(イラン人?もしくは南米の複雑な混血?のように見える)を雇用していました。 料理のほうも、不味いって言うわけではないんだけど、完全な田舎料理。舞茸の土瓶蒸しや那須牛のシャブシャブなど、地元産の素材の力に頼ったものはさすがに美味いものでしたが、お造りや煮物はちょっと苦しい。岩魚の朴葉味噌焼きなんか、ベッシャリしてしまって、素材の力さえも殺していたし。板場のレベルが、質量ともに往時より落ちているのでしょう。 極めつけは、朝の散策で、この旅館の裏山を車で5分ほど上ったところに、荒れ果てた公営住宅風の建物を発見してしまったこと。こんな人里はなれた山奥に県営住宅があるはずもなく、これは間違いなく、塩の湯温泉にある2軒(ちょっと前まで、今は廃屋となっているもう1軒の旅館も営業していたらしいが)の老舗旅館の従業員宿舎でしょう? しかし、その公営住宅風の建物2棟のうち、1棟は完全に廃墟、もう1棟も半分の部屋はまったく人が生活できる状態にありませんでした。それだけ、仲居や板場の人数を「リストラ」しているわけです。 中心街から外れているとはいえ、これだけ素晴らしいインフラ(=歴史ある渓谷の露天)を持ち、メディアにしょっちゅう取り上げられ、東京から2時間で行ける名門旅館にして、このありさまなわけです。ある意味、名門でそれなりのお金を取らないわけにいかないから、こうなってしまったとも言えますが。実際、この旅館の駐車場には、ベンツやプジョーやセルシオが並んでいましたし。 こういう名門旅館の受難の時代ですね、まさに。かの川奈ホテルが潰れるわけですから。 なんてちょっとうら寂しくなりながらも、まあ楽しく帰ってまいりましたよ。 2日目の昼食は、家族みんながリタイアする雨の中、見晴台釣り堀で4人分のニジマスを釣り、おいしくいただきました。塩原町中心街のほど近くにあるこの養鱒場、町内きっての湧き水で魚を育てているらしく、その水で育てられたマスのみならず、その水を使ったご飯や味噌汁など、いちいちおいしいです。紅葉の名所でもあるらしいし、塩原に訪れた際には、ぜひお立ち寄りを。 台風の影響で土砂降りの東北道を南下しながらも、ちゃっかり宇都宮では途中下車して餃子屋に向わせていただきました。お目当ては、いまかの有名な「みんみん」を凌ぐ人気を誇るといわれる「正嗣」。ここも、当然のようにメニューは餃子しかなく、みなさん、「水を1つ、焼きを3人前お願い!」なんて貪り食っています。 カウンター席しかないので、幼虫を車に置いて出るわけにも行かず、持ち帰りにしました。1皿170円とコストパフォーマンスは抜群なのですが…。いや、もちろん美味しいし、特に付けダレが素晴らしいんですが、衝撃を受ける味ではなかったな。あれなら、館山の正喜の餃子のほうがうまい。一部の読者しかわからないでしょうが。 とは言っても、佐野SAの餃子ドッグよりは、数千倍うまい。あの「形だけ餃子みたいにしたクソまずい肉まん」は決して食べてはいけません。 9・4 民主党の候補者 今日は、英語の文献をきっちり読んで、著者の隠された意図もだいぶ見えてきたので、久方ぶりの充実感を味わった。この商売をしている以上、久方ぶり、なんて言っては、税金泥棒を告白しているようなものなんだけど。 どんな文献で何を感じたかなんて書き出すと、co-respondingに続いて、日記のほうまで「アカデミック」に堕してしまうのでしないけど。 簡単に言えば、こんな話題。「公共空間の管理」に単純に反対する言説は日本でも多いけど、NYCやシカゴみたいに本当に物理的な危険が切迫している都市では、そんなノンキなことを言って何の「管理」や「安全保障」もしないと、そこは単なる「見捨てられた空間」になっちゃう。そういった都市において、「公共空間」を、見知らぬ他人が集って交わりあう真の「公共空間」たらしめるためには、実は「公共空間」をある程度「管理」して、パブリック・アクセスを部分的に制限し、セキュリティをしっかりする必要があるという逆説。ここで、単純に「管理」を批判し、オープンアクセスのお題目を唱えても意味がなくて、肝心なのは、ギリギリのところで公共性を担保する「管理」のレベルはどこなのか、っていうせめぎあいなのだな。 って、こんなこと書かれても、さっぱりわからないでしょうけど、ケッコウ重要なポイントなので、いつか何かの形で文章に反映させることもあるでしょう。 最近、民主党の代表選とか騒いでますねぇ。まったく関心がないのですが、それがあるべき姿だと思います。 co-respondingにも再三書いているように、ここんとこ僕は民主党に過剰なまでに手厳しいです。 そういや、中田さんが辞めたあとの神奈川8区の補選は、民主党公認候補を公募した末に、こんなヒトに決まったそうな。折田明子さん。27歳。SFC出身で、修士課程終了後、現在助手。スタンフォード大留学経験あり。専攻は、何度読んでもよくわからんけど、IT関係のことを手広くやって、政策提言とかもしちゃったりなんかしてるみたい。しかも爽やか美人。 もう、まんまベタな民主党の若手候補だよなー。こうゆう手合いの何に期待して票入れろっちゅうねん。(いや、このヒトに何か問題があるというわけじゃないよ、もちろん。) 単に、アコたん萌え、ハァハァ、でいいの? しかし、高学歴、留学経験あり、何だかよくわからんがいろんなことを手広くやって政策提言っぽいことも、ってまんまオレじゃん(血涙)。しかも、こちとら実戦経験かなりありやすぜ、お客さん。 って、別に、「あ、そっか、「なんで俺に立たせてくれないんだ!」ってイガラシはやっかんでんだー」なんて、そんなこと毛頭ありませんので、誤解なきようにお願いしますよ。国会議員なんて消耗するだけであんまインプットのできない仕事、20代にやるなんて信じられんよ。(←つか、ぜんぜんそんな心配することない) 9・2 ヤスヲは強いね スポーツ新聞には秒殺って見出しが躍っていたけど、8時過ぎるとあっという間に当選確実出てたもんねー。 相変わらずこの人は「人としては」好きになれないし、政治家としても周囲の利害を異にする人間を今ひとつ説得できなかったりと問題はあるのだろうが、選挙の強さ・巧さにはそりゃあ舌を巻きます。 チャレンジャーだった一期目は、東京から有名人を多数呼んできて、都市部の浮動票を掻っ攫う。現職の強みのある二期目は、有名人の応援を敢えてすべて断り、山間の村でミニ集会を地道に繰り返し、わずかな数の村民を前に、「全国が注目している前で長野を夜明け前に戻すのか」と自尊心をくすぐる。(で、その絵をメディアに撮らせて、都市部住民の自尊心もくすぐる) 祝勝会ひとつとっても、一期目は大きなホールで「クリスタルのシャンパーニュ」を空けて派手に祝ったのと対照的に、二期目の今回は、携帯の電波も入らない村民施設で、県の名産「天竜村のお茶」で乾杯。 話題性と盛り上げの一期目の選挙と、実績を訴える二期目の選挙は違うという選挙の基本に忠実とは言え、巧い。巧すぎる。 しかし、よくわからないのは、この文壇一の贅沢者だった知事が、どうしてこんな地道なことをしているのかってこと。何のかんの言って、地べたを這うようなやり方をしないと最終的に「民意」は動かせないんだ、と痛感した上での、選挙向けのポーズなのか。だとすれば、そこまでして(一時とはいえ不本意なことをして)この人どうして長野県知事なんてやりたいの、ってことになる。特定多数の心を読み、それに自らを合わせる選挙というゲームがいまは楽しいだけなのか。 あるいは、本当に、贅沢のし放題の挙句に、人の心を揺り動かすという「究極の道楽」にしか興味がなくなっちゃったのか。お釈迦サマじゃないんだから。 月が明けるちょっと前から、再び仕事のペースをつかんできました。今日は本郷で英語文献を読んでいたのだけど、息抜きに新聞スペースに行ったら、「解放」なんて新聞があるんですよ、未だに。 これなんだか知っています? 日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派、つまり革マル派の週刊紙なのですよ。こんな化石みたいのを、本郷の図書館はまだとってるんですねぇ。 「NY株式市場の暴落は米帝国主義覇権の破綻のはじまり」「米帝国破綻の狼煙を上げた果敢なる自爆攻撃から早一年、全世界の学生・労働者諸君は、イスラム人民と勇躍連帯せよ!」って感じの見出しが躍っておりました。 今どき誰が読んでんのか知らんが、バカだねぇと思いつつも、一部共感しかねない自分がイヤ過ぎる。 現在の営み 過去の営み
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