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自らを「男のおばさん」と標榜しており、ピーコなどと仲が良い。
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人生の模範になりえないとの考えから、高校野球を軽蔑している。
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ただし、1970年頃にはリポーターとして甲子園球場で高校球児にインタビューしていたこともある。
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誰かとどこかでの相棒遠藤泰子が高校野球の話をしていた際「何であんなのがさわやかなの?」と発言した。
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「人が殴ったり蹴ったりしているのを大晦日にやるなんて何考えているのでしょう。
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」と最近流行の総合格闘技に疑問を呈する趣旨の発言をしている。
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久米宏が初めてもったレギュラーは永六輔の土曜ワイドであり、久米は永のことを「拾ってくれた」「恩人」と言っている久米麗子・久米宏『ミステリアスな結婚』にて。
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しかしのちに永自身が語ったところによると、久米は永からかなりぞんざいに扱われたため、当時はかなり恨んでいたという。
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現在でも「永さんの前に立つと緊張する」と語っているが恨みはもっておらず、「大往生」がベストセラーとなった1994年にはニュースステーションの年末特番に「ベストセラー作家」として永がゲスト出演している。
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永によると土曜ワイドがスタートした頃レポーターとして参加していた久米は永からぞんざいに扱われた事を恨んでいたが、愚痴ひとつこぼさず黙々とレポートし続けていたと執筆当時フジテレビのアナウンサーであった次女麻理への手紙というスタイルで明かしていたのである。
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久米への上記のような対応を反省してか、1991年に「土曜ワイド」に復帰して以降はぞんざいに扱っても恨まれない性格の著名人に中継レポーターを任せるように気を使っている。
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現在永は中継レポーターに振付師でタレントのラッキィ池田を起用。
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舞台監督としても活躍していた時代があり、現在でも自らのトークショーや地方講演などではプロの舞台監督を雇わずに自分で進行をしている。
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ただし業界で唯一信頼を置いて舞台進行を任せる人物に、勇村育世がおり、最近では永自らが構成・演出する舞台にも関わらず彼女を「舞台演出家」と他の出演者に紹介する程である。
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清水ミチコの芸能界入りの橋渡しをした。
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清水が語ったところによると永がジァンジァンにて主催していた芸人ライブ冗談画報に出演させた事が芸能界入りのきっかけとなったとの事だが清水をはじめて見た時の感想は「ものまねはプロ級だけど芸人としてはアマチュアだね」である。
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''「冗談画報」はフジテレビ深夜で放送していた番組であり永の主催ではない(構成:加藤芳一、関口和之)。
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「ジァンジァンのライブを切っ掛けに、テレビ番組『冗談画報』に出演し、デビューの切っ掛けになった」ではないか? 要確認。
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''2006年10月20日放送のメントレGで清水が明かしていた。
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」と感謝しているとの事であるメントレGの後番組僕らの音楽の未公開対談集にて明かしていた。
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自身と政治思想・信条が違うとの理由から文化放送とニッポン放送の番組は出演していないが両社が共同出資し設立したフジテレビの番組には出演していたことがある。
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しかし徐々に疎遠になり実子の永麻理がアナウンサーとして入社すると「公私混同を避けるため」との理由から出演しなくなった。
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代表的な例では青島幸男が東京都知事時代、官僚と対決する公約を破っていると指摘した野坂昭如を青島が罵倒していたことで、青島批判したケースや、田原総一朗が近年石原慎太郎におもねった発言をしたとの理由で批判している雑誌ラジオライフ復刊号のインタビュー。
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読みが同じ名前のよしみで、魚のエイが好きであり、旅に行く時は水族館に行くのが好きである。
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長野県立上田中等学校時代の苦い体験により上田市に対して憎悪の念を抱いていたという。
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しかし1996年に同市出身の作家小宮山量平のとりなしにより和解してからは上田市で行われる小イベントに顔を出している。
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テレビCM出演が浅田飴のみで、しかも13年おきに出演しているため、所ジョージから「僕らから見たら永さんって『浅田飴のおじさん』というイメージしかわかない。
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永六輔が浅田飴のCMに出演したのは1970年・1983年・1996年である。
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初めてテレビ出演したのが浅田飴、初めてスポンサーラジオ番組を持ったのが桃屋だが、つながりができた理由は自身の語るところによると「江戸風俗・芸能に造詣が深いから」だそうである。
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自身の信念とは正反対の文藝春秋で記事を書くこともあるがこれも「江戸風俗・芸能に造詣が深いから」書けるとの事。
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新潮社でも「江戸風俗・芸能に造詣が深い」との理由から長らく記事を書いていたが親交のある灰谷健次郎が斎藤十一のやり方に抗議して絶縁した1997年以降疎遠となり皇室寸劇封印事件で同社の雑誌に批判されてからは完全に絶縁した。
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辛淑玉と親しい仲であり、彼女が世界一受けたい授業に講師として出演した際「推薦VTR」で出演していたほどである。
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また、2007年5月5日に長野県松本市の寺で行った彼女の生前葬では葬儀委員長を務め、無着成恭と共に読経をあげていた。
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上記の関係と元祖フェミニストの中山千夏との親しい縁から最近の「反ジェンダーフリー・保守的教育復興運動」には批判的。
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井上ひさしとの縁と自身の信念から井上らが構成する護憲組織「九条の会」に参加していたが、永は「九条以外は憲法改正してもいい」という考えをもっているため最近は距離を置いている。
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最近の日本建築は建築法によりボルトで締めなければならないそうでボルトで締めず木材だけで建築した建物が地震で崩れないのになぜそういう建築を認めないのかと憤慨している。
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かつては生活苦からやむにやまれず払えないという人がほとんどであったが、最近は意図的に払わないケースも出ていると嘆き「学校給食はただではありません、ちゃんと払いましょう」と呼びかけたがテレビのワイドショー番組・報道バラエティ番組が取り上げる様になると「何ですべて意図的と決め付けるのでしょう」とテレビでの取り上げ方を批判する発言をしていた。
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2006年11月19日、日比谷公会堂で開かれた『週刊金曜日』主催の「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」に参加し、「君が代」をアメリカの有名な行進曲「星条旗よ永遠なれ」のメロディーで歌う。
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また当日、この集会にて皇室コントが演じられ、悠仁親王を「猿のぬいぐるみ」に仕立て、前立腺がんを以前今上天皇が患ったことが笑いのネタにされた。
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上述のコントのほか、趙博[http://www.fanto.org/]が歌う天皇侮辱ソングを称揚したことがある2001年TBS系『筑紫哲也 NEWS23』にて。
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その他、「浩宮が赤ちゃんを産んで、その方がまた赤ちゃんを産んで」等と発言した2003年8月9日にNHKで放送された「思い出のメロディー」において。
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2007年の東京都知事選挙では親交のある中山千夏と共に浅野史郎を支援した。
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シーシェパードなど実力行使を伴う反捕鯨運動をテロリストと批判している2008年3月25日TBSラジオ「誰かとどこかで」。