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永六輔
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永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 - )は、元放送作家で、タレント、作詞家、エッセイストの歳。本名は永孝雄(えい たかお)。角刈り頭と細長い顔、大らかな表情がトレードマーク。

■ 江戸時代に渡来した中国の学僧を先祖に持つ。
■ 代々江戸→東京・浅草の浄土真宗の寺の住職を勤めていた永家の息子として生を受ける。
■ 東京府東京市→東京都下谷区(現在は台東区)の小学校に通っていたが1944年に学童疎開により長野県北佐久郡南大井村(現在は小諸市)の小学校に転校しそこで終戦を迎える。
■ 1946年長野県立上田中等学校に入学するが翌年東京へ帰り早稲田中等学校に2年編入で転校。
■ この間同校が学制改革により早稲田中学校・高等学校となったため3年で高等学校に昇級進学して卒業する。
■ 1959年~1966年にかけて中村八大とのコンビにより数々のヒット曲を飛ばし、特に坂本九が唄って大ヒットした上を向いて歩こうがアメリカ合衆国でスキヤキ・ソングとタイトルを変えビルボードのデイリーチャートで1位に輝くという金字塔を打ち立てている。
■ しかしラジオの活動に重きをおくようになった1967年以降は作詞活動から後退し、1969年以降は付き合いを除く作詞活動から撤退してしまった。
■ 永が作詞家として全盛期を迎えたのは、美輪明宏がヨイトマケの唄を作詞・作曲、自ら歌ってヒットさせ、さらに荒木一郎が空に星があるようにを作詞・作曲、自ら歌ってヒットさせたように、日本のミュージックシーンにシンガーソングライターが登場した時期でもあった。
■ 永は1974年に野坂昭如・小沢昭一と中年御三家を結成して日本武道館でコンサートをしているが、これは単なる話題づくりで終わっている。
■ かつてTBSテレビ放送40周年記念特別番組の際、ある若手タレントが、永が行っていたラジオ番組紹介コーナーの進行を無断で遮ったことに憤慨し、生放送であるにも関わらず途中で退場してしまったことがあり、これを境にテレビへの出演に消極的になったとされている(なお他のテレビ番組でも途中退場したことがある)。
■ 全国こども電話相談室に回答者として出演した際、「どうやったらテレビに出られますか?」という質問に対し「出なくてもいい」という趣旨の答えを返し、「もっといろいろなものに興味を持ちなさい」と子供を諭した逸話がある。
■ 永がラジオを主体に活動するようになったのは、元々テレビカメラに取り囲まれるのとドーランを塗って出るのを嫌がっていたのに加え、ちょうどテレビにワイドショーが登場し、その手法に早くから幻滅を覚えてしまったことが原因であるといえよう。
■ しかし、テレビというメディア自体は否定しておらず、後に深夜番組『2×3が六輔』に出演して、自分の存在を確かめさせた(本人談)。
■ また、上記の通り現在は殆どテレビに出ないにもかかわらず旅先で会った人から「いつもテレビで見てます」と声をかけられることはラジオやエッセイなどで度々ネタにしている。
■ 1966年に夢であいましょうが終了すると活躍の場をラジオに求め、翌年の1967年に誰かとどこかでがスタートする。
■ それ以降は、ラジオに重きをおくようになっているが、TBSラジオ以外のラジオ局では定時番組での仕事をしたことがない。
■ 朝日放送・中部日本放送・琉球放送で仕事をしたことがあるが、個人的付き合いに留まっている(朝日放送は道上洋三アナウンサーとの、中部日本放送はつボイノリオとの親しい縁から、琉球放送は親交のあった灰谷健次郎が居を構えていた事から)。
■ 文化放送とニッポン放送には長らく出演していない。
■ 2002年ごろ、文化放送制作のナイター中継にゲスト出演したことがあるが、これは同局で野球解説をしている豊田泰光がパーソナリティを務めた番組にゲスト出演したのがきっかけである。
■ 2004年7月15日のニッポン放送開局50周年特別番組に、録音出演した。
■ 「他の局の人から見たニッポン放送」というコーナーの2人のゲストのうちの1人だった(もう1人のゲスト吉田照美は生出演した)。
■ ニッポン放送側からの度重なる出演依頼を断りきれなくなったから、と述べている。
■ 生活文化として江戸の文化・風俗を再評価させたり、在野の芸人を世間に紹介したり、絶滅の危機に瀕していた尺貫法を再び世間に認知させたり、日本人の感覚では常識という考えが同じ日本に住むいわゆる在日の人々にしてみれば侮辱であると主張していた事など、大抵の人々が関心を持たない事を取り上げた事で一部の人々の間では評価が高い。
■ しかしその一方で、保守的風潮を嫌うあまり根拠のない発言(忘年会を「日本人の歴史認識のなさの証明」、七つの子を「朝鮮人の強制連行の歌」など)をして批判を浴びるケースがある。
■ また自分の信念にこだわった為に差別または犯罪肯定発言と認識されて抗議を受けるケースも多く、「無名の人物、とりわけ己の名前を名乗らず黙々と仕事する職人と日本の文化・礼法を伝承している農民こそが模範である」という考えから、職人・農民以外の業種を"賎業"と見下す発言をして、業界団体から抗議を受けたり、「日本では本来ありえない病気」との考えから糖尿病に罹った人々を中傷した発言をして、患者団体から抗議を受けたり、運動競技全般を軽蔑する発言をしてスポーツ関係者を激怒させたり、近年は自身の実家の寺の宗派浄土真宗の開祖親鸞聖人の教え「悪人正機説」こそが正しいとの考えから暴力団を「社会になくてはならない存在」と発言して暴力団追放運動関係者を激怒させたり等、舌禍は数知れない。
■ 物柔らかく高めの声音が、今上天皇(明仁)に似ていて、永自身も今上の即位前から冗談の種にしている。
■ 自身担当のラジオ番組では、番組挨拶をせずにオープニングトークに入る事が多い。
■ 死刑制度に反対している。
■ 若者の街中での非礼な行為に対し怒鳴りつけ、反感を買って危ない目に会う事があると話す。
■ しかし、同世代の人間が同様の事をしている場合は強く出られないとの事2006年9月14日放送の誰かとどこかでで自身が「相席の作法」という内容の話をした際に明かした。
■ NHKテレビドラマ「若い季節」の主題歌。
■ 遠くへ行きたい(読売テレビ製作・日本テレビ系)。
■ 永六輔・遠藤泰子 誰かとどこかで(JRN全国ネット・TBSラジオ製作)。
永六輔 - Wikipedia より要約
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エッセイスト 
1933年生 
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