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直江兼続の「愛」の字は主従愛や夫婦愛などではなく愛染明王の「愛」で現代で言う...

revolutionreloaded0303さん

直江兼続の「愛」の字は主従愛や夫婦愛などではなく愛染明王の「愛」で現代で言う愛的な意味はないんですよね?

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sarman_vacimicovさん

愛染明王の一字を取った「愛」か、世間一般で思われる「愛」か、どちらにしてもそれが絶対とは言えないでしょうね。
僕が聞いた話ですが、あの「愛」の字はキリスト教で言う献身的な愛や仏教でいう執着という意味の「愛」ではなく、「仁愛」だと何年か前に聞きました。これさえも根拠はありませんけどね。
要するに「親兄弟同士で争ったり、裏切りが当たり前だという戦国の世で人に優しくしたり、慈しむ心を忘れないようにしようね」という意味があるとその時聞きました。
これの方が何となくつじつまが合っているような気がしますが、好きなように解釈するのが歴史の醍醐味だと思います。

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vyklhlhlhuidcyrddyd55555555さん

直江兼続の「愛」
>>>>>>>>>
上杉神社の捏造です。

同時代史料で確認できません。

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yamaziro67さん

諸説ありますので、確定ではありませんが..

兼続の逸話で、閻魔大王へ手紙を出す、というものがあります。

ある時、兼続の家臣が軽率な行動を取って家来の一人を斬り殺してしまいました。主である兼続は遺族を不憫に想い、遺族に慰謝料を払うことにしましたが、遺族からは「生き返らしてくれ」の一点張りで、中々解決しませんでした。故に兼続は、「生き返らして貰えるよう、そなた達が閻魔に直接御願いして参れ。書状も書こう」として閻魔宛の書状を渡し、遺族を斬り殺しました。

確かに遺族も何処かで妥協するべきだったと思いますが、これから兼続の正確を考えるに、愛情に溢れた人物とは思えません。故に有力視されている愛染明王から採ったというのが真実と思われます。

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syuro930さん

愛染明王は仏教における密教修法のなかでも
極めて強力な力を発揮すると信じられていた明王です。
愛染王法、愛染法とよばれる修法が、天皇の命令により
行われることが平安時代には頻繁にあり、
中には誰かの呪詛、殺害を祈念した例もあります。
愛染王法は天皇など、ごく限られた一族にのみ許された、
きわめて危険な修法でした。

ただ、この本意を分かっているか否かにかかわらず、
愛染明王の像は憤怒の顔をしています。
これは愛染明王に限らず、明王一般にいえることです。

仏教と政治が不可分だった時代ですから、
このようなインパクトのある仏像を示す愛の寺を兜に掲げれば、
明王にみられる修羅のごとき勢いと、オーラを発揮できる。
そんな、強い願いをこめた一文字です。

キリスト教じゃあるまいし、NHKはちょっと頭がおかしいんじゃないでしょうかね。

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karanokasiranihondaheihatiさん

そちらの方が有力な説です。ドラマとかで主役を良く見せようとすると今の「愛」を前面に出すことになるのだと思います。
直江の政策については関ヶ原後に上杉家が厳封された時に家臣をリストラしなかったとか美談みたいに言われてますが、周りに敵が多くて兵力が減らせなかったのも理由の一つだし、そもそも石高に合わない家臣団を抱えていたことは江戸中期の上杉鷹山の頃に藩の財政が破綻していた理由の一つであることを考えるべきでしょう。

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syusix28さん

そのとうりです愛という言葉は、もともと仏教用語で物事への執着を表す言葉です。

現代で言うところの愛は「色」と云っていました。

「色」を愛と表現したのは、明治時代になってからです。

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  • 編集日時:2009/7/5 19:36:52
  • 回答日時:2009/7/5 19:35:38

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