戦時中、長崎市沖の端島(通称・軍艦島)の炭鉱に強制連行されて亡くなった中国人の遺族が7日、島で追悼式を営むため、初の上陸を試みたが、悪天候でかなわなかった。「ここまで来たのに」。遺族は涙を流して目前の島を見つめ、持参した花と故国の酒を海に流した。
「お父さん、大変だったね、つらかったね」。遺族の王樹芳さん(68)=中国河北省=は、亡き父・雲起さんが生涯を閉じた島に向かい、洋上から涙声で呼びかけた。
同省で教師を務めていた雲起さんは1944年、日本の憲兵に連行され、端島炭鉱で強制労働を強いられた末に亡くなった。3歳だった樹芳さんは父の面影を覚えていない。“再会”は終戦から2カ月ほどたった45年10月ごろ。同様に強制連行されていた中国人が、家族の元に届けたのは雲起さんの遺骨だった。
当時は幼すぎて父の死を理解できなかったが、大きくなるにつれ会いたい思いが募った。
軍艦島を訪ねるのは、2002年、04年に続き3回目。洋上から島を見ただけだったが、今年島への上陸が解禁されたことを聞き、出国前には「初めて上陸するよ」と墓前に報告してきた。しかし、折からの高波に阻まれ、約束は果たせなかった。
「お父さん、ここまで来たけど手が届かない。また絶対来るから」
顔をくしゃくしゃにして叫んだ樹芳さんは下船後、報道陣に語った。
「過去のことは絶対忘れないが、将来を見つめようと思った。日中両人民はとこしえに友好的でありたい」
=2009/07/08付 西日本新聞朝刊=