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プロフィール
岡田斗司夫
岡田斗司夫
もの書きで大学教授でダイエットについてもいろいろ語ったりします。 ひとつ、ご贔屓によろしく。
オーナーへメッセージ

日記、書いたけど消しました

2009年07月09日

 新劇場版エヴァを見た感想書いたんだけど、ちょっと思うところあって消去しました。コメントを書いてくれたみなさん、すいません。
 やっぱりね、コメント同士で叩きあうのは見てて気持ちよくないからね。人のコメントを叩くためだけに書き込まれたら、困っちゃうんですよね。
 持論を展開するのは自由だけど、それは自分のブログでやってほしいと思います。

 追記:
 当分、コメントは承認制にします。承認には半日~一日程度かかる場合もあります。

 
  

Posted by 岡田斗司夫 at 22:55Comments(3)TrackBack(0)

今日は無理

2009年07月08日

 アスキーの連載書いて、遅れてるメール返信書いてたら、どうにも時間が取れない。
 とりあえず、今日のブログ更新はあきらめた。
 すまん!また明日!

  

Posted by 岡田斗司夫 at 19:27Comments(4)TrackBack(0)

ひとり反省夜話(笑)

2009年07月06日

 ひとり夜話、終わってようやっと六本木から帰りました。
 いや~、今日はひたすら「コカコーラCM」の話だったね。もう時間配分がメチャクチャ。(笑)

 フレドリクソンの話は、先月の「海のオーケストラ号」の模型と同時にできればよかったんだけど、ちょっとわかりにくかったかなぁ。
 とりあえず今回の挑戦は「熱く語れるものばっかり語る!」でした。
 でも、コーラのCM集って、ああやって”見方”ポイント・オブ・ビューを押さえないと、単に資料として見ちゃうんだよね。それはもったいない。
 CMマンたちの戦いの記録、として見なきゃね。

 あ~、とりあえず終わったので、今日はここまで。
 また明日ね。

 
  

Posted by 岡田斗司夫 at 23:51Comments(10)TrackBack(0)

今夜はGyaOジョッキー

2009年07月06日

 今日の夜は一ヶ月ぶりのGyaOジョッキー。いちおう「お品書き」という話すことのリストは事前に用意している。
 前回はテロップ用にリストをスタッフに貸し出したら、番組がはじまっても返してくれない。どうやら放送中にテロップを入力してるらしい。おかげで番組冒頭はメモなしではじめることになってしまい、すっかりパニックになって話の流れが悪かった。
 まさかネタ帳を本番がはじまっても返してくれないとは思わなかった。そこに僕の油断があったよね。
 貧乏なスタジオなのでコピー機すらない。だから僕のネタ帳をコピーできず、その場で入力するしかない、というわけ。
 こういう事故が起きたときに、誰かのせいにしても意味はない。一番被害を受けた人間、つまり「その場で一番イヤな思いをした本人」こそが解決当事者であるべきだ。少なくとも僕はすごくイヤだったから、今回からはリストを事前に自分でコピーして、原本は渡さないようにしようと思う。
 
 前月のお品書き、積み残しの消化はあんまり考えていない。その時に一番話したい話をする、というのが「ひとり夜話」のコンセプトだから、一ヶ月も前の話は熱が冷めてる場合が多いんだよね。
 とりあえずいくつか本とかDVDの紹介はするつもり。
 では今夜、GyaOジョッキーでお会いしましょう。
 http://www.gyao.jp/jockey/?c=cnt0087232
 見たい人はここで、あらかじめ会員登録してね。チャットへの参加もお待ちしています。
 
 「ひとり夜話」の生本番が終わって帰ったら、「今日の反省」とか書いてみるつもり。
 だから、今日はここまで、じゃない。
 またあとでね。
 
  

Posted by 岡田斗司夫 at 15:08Comments(4)TrackBack(0)

もの書きの悩み

2009年07月02日

 毎日、原稿を書いてて思うんだけどね。
 もっと面白いこと書きたいなぁ、ってすごく思う。
 いや、「面白いこと書きたい」は正確じゃないか。
 
 え~とね、「頭の中で考えていることをテキスト化する技術」は、かなりあると思うんだ。
 コツは「割り切ること」。
 考えてることを正確になんか表現できない。そもそも、僕たちは日本語で「思ってる」わけじゃない。なんかわかんない「思い・想い」がグチャグチャして、それが心の表層で取り扱われるときに、とりあえず日本語に変換して「考える」わけだ。
 だから、誰しも「考えていること=思っていること」じゃないんだよね。
 そこで「割り切る」が必要になってくる。自分が本当に言いたいこと、本当に思ってることを言語化するのはそもそも不可能。
 だから近似値として「とりあえず説明用のサンプル」として、なんでもいいから言葉にしてみる。
 口に出したり画面に書いてみたりして、その時の違和感とかフィット感で、「どの程度、言いたいことに忠実か」を計るしかないんだよね。
 
 このあたりの割り切りは、もう訓練だよ。人に誤解されようと恥を掻こうと、とりあえず発言したり書いたりして、人目にさらす。割り切ることにも慣れるし、「言いたいこと」の精度も徐々にあがってくる。
 
 と、僕はこういう「考えてることをテキスト化する技術」は、そこそこあると自負してるんだ。
 
 でもね~、いま悩んじゃってる「もっと面白いことを書きたい」というのは、それより少しばかり階層が深いんだよね。
 「面白いことを思いつきたい」に近い。
 いや、これが難しくて。

 「自分の中心軸をエキセントリックな方向に振る」というのが、いちばん安易な方法だ。
 もちろんこれ、考えたよ。
 あえて無頼な発言するとか、もっと露悪的になったり、逆に正義感ぶったり、社会の外れものの立場から発言したり。
 そういうやり方は知ってるんだけど、なんかイヤなんだよね(笑)
 あ、このあたりはワガママなんだけど。
 
 いま、準備してるのは「筑摩書店から分厚い本」「文藝春秋から小さい本二冊」の計三冊。それ以外にアスキーから「連載のまとめ」がでないかな~と期待してる。
 で、「その次の本」を空いた時間にゴチャゴチャ考えたりしてるんだけど、そっちはかなり感情的な本にしたいんだ。
 今までの「考えてることを書く」じゃなくて、「感じたことを書く」に近づける感じ?
 まだそのあたりはよくわからないけど、とりあえず、もっと面白く書けるようになりたいなぁ。
 
 あ、愚痴っぽい文章になっちゃった。すまん。
 今日はここまで。
 また明日ね。

  

Posted by 岡田斗司夫 at 23:06Comments(7)TrackBack(0)

7月1日は僕の誕生日です

2009年07月01日

 さて、今日は誕生日。
 今日から51才だ。
 
 と言っても、別に普段から変わらない。昨日の夜も仕事してて日付変わったのに気づかなかったし、今朝もいつもと同じ時間に起きて仕事している。
 昨夜、夜食に柿の種を食べたので、ちょっと胸焼けしてるぐらいかな?変化と言えば。
 
 10年ぐらい前から、誕生日は淡々と過ごすようになった。当たり前だけど「年に一度のイベント」も、30回も40回もこなすと「特別感」は薄れてくる。
 僕にとっては、桜の開花の方が何倍も盛り上がるなぁ。
 
 と言って、なにも考えないでもない。
 毎年、誕生日のたびに思うのが「一年経つたびに、人生は行き易くなる」だ。
 
 僕にとって一番しんどかったのは小学生の頃。
 学校は嫌いだったし、給食はもっと嫌いだった。授業も運動会も遠足も休み時間も、全部イヤだった。
 自分の好きなようにできない。じっと座ってなきゃいけない。トイレも休み時間まで我慢する。先生の退屈な話より教科書の方が面白いけど、そんなの学期の最初に読み終わってしまってる。
 膨大な、退屈で不自由で、ひたすら我慢するだけの時間。
 それが僕にとっての「小学校生活」だった。
 
 中学校に入ると、ちょっとマシになった。
 相変わらず学校は嫌いだけど、毎日同じ制服を着て坊主頭という変化のなさは気に入った。
 給食じゃなくて弁当になったし、3年になると校内に食堂もできた。
 女子が気になりだして、友達は背伸びして酒やタバコをはじめる奴もいた。
 金はなかったけど、金を使う遊びなど知らなかったので平気だった。
 自転車でどこにでも行けた。

 高校は、さらにマシになった。
 高校自体は好きじゃない。でも放課後は好きだ。
 クラブ活動もはじめて、彼女もできて、SF雑誌に投稿しようと小説を書き始めた。
 テストの点がシャレにならないほど悪化したのは困ったけど(笑)
 
 大学は・・・覚えていない。
 大学生活を覚えられるほど長く行かなかったから。あっという間に大学に行かなくなり、あっという間に放校処分になった。
 しかし、かわりに「SF」が生活になった。
 SF小説を買うため、SF大会の赤字を埋めるためにバイトした。
 SF映画を見るために大阪中の公民館や会議室での自主上映会に足を運んだ。
 付き合っていた彼女には、SFを読ませ、SFを見せて、SFっぽい風景を見るためにビルとか工場ばっかりデートした。
 ようやくこの頃、「金がない」が問題になってきた。
 
 庵野秀明らと出会ってアニメを作り、海洋堂と出会って模型に狂い、SF大会が終わって結婚し、大阪の片隅でSF専門店ゼネラル・プロダクツを始めた。
 もう僕は25才になっていた。
 もう25才?まだ25才?
 
 必死の決意で東京へ移住してガイナックスを設立し、『王立宇宙軍~オネアミスの翼』を作り、ハリウッドでプレミアを開いて赤絨毯を踏んだその日、僕はまだ30才になっていなかった。
 
 30才から40才までは、絵に描いたような「波瀾万丈」の日々だ。
 アニメを作り、コンピューターゲームを作り、マンガ雑誌を作った。
 借金にまみれ、使い切れない大金を稼ぎ、人を雇い、またクビにもした。
 海外で会社を作り、某国大統領からヘッドハントされかけ、会社が放火されかけ、娘が生まれて育児に追われ、旧友と再会し、そして全てを捨てて、仕事もなにもせず一年半すごした。
 東京大学で非常勤講師をつとめ、最初の本を出し、お笑い芸人としてタレント名鑑に登録され、最初のベストセラーも書いた。
 自分が主役のドキュメンタリーも2本放映されたけど、それ以後本はさっぱり売れなかった。
 
 40才から50才までは、「自分」が徹底的に変わった。
 「社長」とか「プロデューサー」として仕事する機会が減って、どんどん作家性の強い仕事ばかりするようになった。
 家族と暮らすのを辞めて、一人で暮らすようになった。
 人と会わなくなり、飲み会の誘いも断り、一人で過ごす時間が圧倒的に増えた。2~3日、誰ともしゃべらない生活が当たり前になった。
 40才で体重が人生最大の125キロを超え、50才で62キロに半減させた。
 絵本を書いて、食玩を監督して、年に6回海外に行って、英語で講演して、海外の大学で講義もした。
 49才で最大のベストセラーを出して、50才の頃は「テレビに出るのが日常」というタレント的生活になり、知らない人にサインを求められるのが当たり前になり、一日の睡眠時間が3~4時間になった。
 ブログをはじめ、2ちゃんねるを毎日見るようになり、mixiにハマり、mixiをやめた。
 ネットからリアルに時間をシフトさせ、手芸や模型作りに時間を割くようになった。
 髪を茶色に染めて、毎朝なにを着ようかと悩み、その服のサイズは5LからMになり、ついに男性用Sサイズになった。
 
 で、今日から51才。
 上記の通り、僕の人生は毎年どんどん面白くなっている。変化の幅は相変わらずすごいし、なによりも毎年、生きていくのがラクチンになっている。
 心臓弁膜症という先天的な機能不全に生まれて、「生きてるのが奇跡」と言われた幼少期から、小学校までの時代に比べれば、そこから先の人生は丸儲けみたいなもんだ。
 
 だから、大学で学生たちと話すと、不思議でしょうがない。
 高校を出たことがまるで残念みたいに話している。
 大学を卒業して働くのが、すごく辛そうだ。
 「遊ぶ」ことが楽しくて、「大人になる」ことがつまらないみたいに話している。
 
 そうかなぁ?
 少なくとも僕は、子供の頃より今の方が楽しい。
 教室に座ってなくてもいいし、好きなものを好きな時間に食べていい。
 リスクさえ覚悟したら、どんな仕事や生活をしようが自由だ。
 年を取ると言うこと、大人になると言うことは、イコール自由度が増えることだと思う。
 
 仕事や社会的な成功とは関係ない。
 「自分で生き方を決められないこと」「大人になにか強制される、または大人になにか許可してもらうしか、生き方を選べないこと」
 この2点だけで、僕にとって子供時代とは不自由の象徴だ。
 成功や失敗は結果でしかない。僕にとっては「本が売れない」みたいなものだ。
 自分が好きに決めて選んだ生き方なら、本が売れなくても貧乏でも、結果は本質的な問題じゃない。
 
 学校を出て大人になれば、自分の好きなように生きられる。
 でもそこはゴールじゃない。好きなように生きて、そこで勝負して勝ったり負けたり引き分けたりして、いろんなものを得たり失ったりすること。
 これが人生というゲームの本質だと思う。
 
 だから僕は、年を取るのが好きだ。
 というわけで、僕にとって、僕の誕生日はめでたい。
 ハッピーバスデー・トゥー・ミー
 
 じゃ、今日はここまで。
 また明日ね。

  

Posted by 岡田斗司夫 at 12:08Comments(24)TrackBack(0)

「ゆとり」とはパジャマである

2009年06月30日

 カウントダウン:誕生日まであと1日

 いよいよ明日で51才。
 以前にマンガ夜話の楽屋で、いしかわさんが50才になった時に「早いなぁ」と感じたもんだけど、自分事となるとその比じゃないね(笑)
 
 40才過ぎてからの体感速度は、20代のまさに三倍!
 特に最近は週刊アスキー連載としてSF大会の時代を思い出しながら書いてるわけじゃない?20才~25才ぐらいの頃の僕って、なんでまたあんなに元気だったんだろう?
 
 覚えているんだけど、「パジャマとか着たことがない」んだよね。当時は。
 いつも翌日の用意して、服を全部着て、靴下まで履いて寝ていた。で、目覚ましで朝起きたら10秒以内に部屋を出ていたよ。
 本当に毎日毎時毎分が、戦闘態勢だったんだよなぁ。
 
 「やらなきゃいけないこと」に朝から晩まで追いかけられている感じ。
 だから「自分の時間」というのがよくわかんなかった。SF大会やゼネプロやってるときに「もっと自分の時間が欲しい」って言われたけど、意味がわかんない。
 「休憩さえできたらいいじゃん。その他は全部仕事すれば」っていつも思っていた。
 
 今も実はかわんないんだけどね。戦闘態勢というほどではなく、警戒態勢ぐらいには緩和したと思う。
 あいかわらず「自分の時間」はよくわからない。工作や手芸している時間がそうなのかな?とは思うけど、それもいずれは発表するつもりだから、純粋な趣味とは言えないしね。
 読書や映画を見るのだって、すぐに「あ、これ使えるな」と考えちゃうのは、マンガ家の先生と同じ。
 だから、純粋な「自分の時間」なんてないんじゃないかなぁ。
 
 でもね、「自分の時間」が充実してることイコール幸福だとも思えないんだよね。
 大学で教えてる学生たちが使う「遊ぶ」というコトバもよくわかんないしね。
 彼らがよく言うんだ。
 「昨日は遊びました」「先生、遊びませんか?」「最近、遊んでない」とか。
 
 遊ぶ?そんな普通のことするんだったら、もっと普通の大学に行けばいいのに。
 正直、そう思うんだよなぁ。
 
 でも、そんな僕でもいつのまにかパジャマを着て寝るようになりました。
 だから僕の思う「ゆとり」というのは、「パジャマに着替えて寝ること」だな(笑)
 「ゆとりがない」というのは、服を着たまま仕事椅子で倒れるように寝ること。
 「ゆとりがある」というのは、風呂に入ってパジャマに着替えて、ちゃんとベッドで寝ること。
 
 40才を超えた頃から、僕は一年の半分以上は「ゆとりがある」生活をしている。
 でも、いまだに週一回は仕事椅子で倒れるように寝てしまう。
 明日からの目標は「毎日、ベッドで寝る」だな。
 いや、思い切って「週に一日は『遊ぶ』」というのもアリかもね。
 
 じゃ、今日はここまで。
 また明日ね。
 
  

Posted by 岡田斗司夫 at 12:17Comments(11)TrackBack(0)

福岡ケロロ

2009年06月29日



 カウントダウン:誕生日まであと2日
 
 写真は福岡空港で売ってた「ご当地ケロロ軍曹」ね。
 ご当地キティやご当地ガチャピンは知ってたけど、ケロロまでとは。
 マンガ夜話イベントに参加された皆さん、お疲れさまでした。オンエアは10月なので、あんまりネタバレとかは勘弁してください。
 
 今日は疲れてるので、これだけ。
 また明日ね。

  

Posted by 岡田斗司夫 at 23:03Comments(2)TrackBack(0)

収録終わり〜

2009年06月28日

今日の衣装を、いしかわさんに撮ってもらいました。
いやー、収録は面白かったよ!

  

Posted by 岡田斗司夫 at 16:45Comments(11)TrackBack(0)

本番

2009年06月28日

あと5分で本番。
いまNHK職員の前説、というイタいイベントやってます…

  

Posted by 岡田斗司夫 at 14:25Comments(2)TrackBack(0)

両隣

2009年06月28日

いまカメラリハーサルが終わった。
右隣りでは矢口さんがいしかわじゅんからボーイズラブの講義うけてて、左隣りでは半田くんが夏目さんから昭和漫画の説明聞いてる。
いや、豪華だけどシュールな光景だね(笑)

  

Posted by 岡田斗司夫 at 13:07Comments(4)TrackBack(0)

僕もボーメになります

2009年06月28日



 カウントダウン:誕生日まであと3日

 昨日の散髪、こんな感じになりました。
 久しぶりに短い目にしてみたよ。髪を短くするとワックスやムースつけないとまとまらなくなっちゃって、それがイヤだったんだけどね。
 
 ところが、最近「帽子」という新兵器の開発に成功したんだ。いや、帽子って便利だね。朝起きて髪が爆発してても、帽子かぶって外出したらバレない。おまけに15分もすれば髪もなじんで爆発が収まる。
 いや~便利べんり。
 
 海洋堂の天才造形師・ボーメ君は「帽子にメガネ」だったためというだけの理由でボーメと飛ばれてるんだけど、彼の帽子も絶対に「髪型とかどうでもいい」が理由に違いない。
 友よ!(勝手に親友認定)
 
 今日は福岡の収録会場から更新できれば、もう一度ぐらいブログ書いてみます。
 期待せずにお待ちください。
  

Posted by 岡田斗司夫 at 06:33Comments(7)TrackBack(0)

髪を切りに行くよ

2009年06月27日

カウントダウン:誕生日まであと4日

 髪が伸びてうっとおしくなったので、カットしに行ってきます。
 体中で後頭部が一番熱くなる体質なので、できるだけ後ろは短めにしたい。いや、それどころか刈り上げにしたいぐらい。
 中学の頃は坊主頭だったけど、いま坊主にしたらまずいだろうなぁ。坊主頭って頭自体のカタチのいい人は似合うけど、僕は目つきが悪いから完全にヤクザに見えちゃう。
 
 とりあえず、今日の注文は「短め」で。
 出張前で忙しいから、今日のブログ、これでおしまい!
 またあしたね。

  

Posted by 岡田斗司夫 at 11:25Comments(2)TrackBack(0)

『ケロロ軍曹』、福岡来襲であります!

2009年06月26日

カウントダウン:誕生日まであと5日

 今度の日曜は福岡でマンガ夜話の公開収録。
 「なんでマンガ夜話の公開収録は地方都市でばっかりやるんですか?」と聞かれるけど、そりゃBS宣伝のために決まってる。
 
 都市圏はBS普及率が高い。でも地方によっては加入率がマチマチだ。なので地方都市でBS普及のためにイベントを開く、というのは意味があるわけ。
 マンガ夜話やアニメ夜話はさいわい、たいへん視聴率も高く視聴者からの反響も多い。たしかに普及率をあげる宣伝にはちょうどいい番組なんだろうね。
 
 もちろん、それだけの理由ではイベントは決まらない。実はなにより大事なのは地方局の熱意。その県のNHK支社にマンガ好きやアニメ好きがいないと、そもそも企画自体が成立しない。やっぱりなんだかんだ言っても、最後は人の問題なんだよね。
 
 今回の作品は『ケロロ軍曹』。僕としては夏目さんのマンガ夜話的な解析がいちばん楽しみだな。あと、いしかわさんがケロロをどのように評価するのか。前に楽屋で打ち合わせしたときには、嫌いじゃないと言ってたような気がするんだけどね。
 
 で、いま全部を読み返してるんだけど、これは「The 角川マンガ」だよね。
 その出版社らしい「マンガの作り方」のフォーマットが具現化した代表作を「The ○○マンガ」と呼ぶとすると
 「The 講談社マンガ」は『巨人の星』
 「The 小学館マンガ」は『伊賀の影丸』
 「The 集英社マンガ」は『キン肉マン』
 というあたりじゃないかな?小学館は『うる星やつら』かも知れないけど。
 角川のマンガの作り方は、この『ケロロ軍曹』じゃないかと思う。
 そういう話を福岡でできたら面白いかな。
 
 でもゲストが矢口真里さんと半田健人くんなので、その二人の話を聞くだけでもいいかもね。基本的に公開収録というのはお祭りだし、ちゃんとしたトークのやりとりは二日目や三日目でやればいいんだから。
 
 とりあえず日曜は福岡、収録が終わったら美味しいもの食べる時間あればいいなぁ。
 では今日はここまで。また明日ね。

  

Posted by 岡田斗司夫 at 11:35Comments(6)TrackBack(0)

「立ち位置」は明確に

2009年06月22日

 この間、朝日新聞から「国立メディア芸術総合センター構想について」という取材を受けた。
 いますぐ記事にして掲載、というのではなく、中期~長期の取材で長い目の読み物にしたい、という先方の取材理由が気に入った、というのもあるんだけどね。
 
 で、僕は自分の思うところを30分ばかり話した。
 話しながらシミジミ思ったんだけど、僕の意見というのは絶対に”自分の立ち位置”を明確にすることからはじまってるね。
 
 たとえば今回の問題については「国民の一人として」なんていう大づかみな立場からは発言しない。こういう個別かつ具体的な問題に「人間として」とか「日本国民として」とか言い出しても意味ないと思うからね。
 そんな”ミスター日本国民”の意見なんか僕には興味ない。
 
 僕の立場は、もちろんバイアスがかかっている。
 「マンガやアニメが好きなオタクとして」「この50年、マンガやアニメ業界の推移を見てきた者として」の意見だからだ。
 だから「税金の無駄遣いだ。やめろ」とは”発言”しない。
 もちろん「無駄遣いだなぁ」とは”思う”よ。でも国立能楽堂とかよりはずっと「オタクである僕にとって」は無駄じゃない。
 
 「全ての無駄遣いをやめろ」とヒステリックに叫んで、この計画を潰しても、税金の無駄遣い自体はなくならない。なにが無駄か無駄じゃないかをいちいち国民の論議にゆだねる、なんて方法も僕は勘弁だ。
 
 「私はマンガやアニメが好きなオタクである」というのは、趣味嗜好を超えた”生き方”に近い。少なくとも僕はそう思っている。政治的な立場にはなりうるかどうか知らないけど、ここを僕の立脚点にした。
 
 だから、国立メディア芸術総合センターに関しては異論もあるけど賛成だ。
 現在のように、マンガやアニメの一次資料や原本・原稿そのものが散逸してしまうより、保護してくれた方がマシだからね。
 もちろん、「箱モノだけ作ってほうりっぱなしでいいのか」と言われると「いいはずないだろうけど、だからといって企画全部潰すのが果たして僕たちオタクの公益となるか」と考えてしまう。
 
 日本の国益
 日本国民全体の公益
 オタクの公益
 
 この三つ、実はすこしずつ矛盾してるし、ずれている。
 
 たとえば、誰でも自宅の区に廃棄物処理場ができるのはイヤだろう。つまり「区民の公益」としては反対だ。でも「東京都民の公益」としては意味がある。
 こういう場合、公益同士がぶつかって議論が起きる。
 
 先進国と発展途上国が、Co2排出限度を議論する。すでに経済発展を遂げた先進国は「地球温暖化を防ぐ」という大きな公益を叫ぶ。途上国はCo2限度枠の拡大という「比較的小さな公益」を叫ぶ。
 
 でね、オタク業界のやっかいなところは、「正義が好き」という人の含有率が多いところなんだよね。「正義が好き」という人は、できるだけ”大きな公益”を立脚点に置く。
 だから、せっかく国が「国営のマンガ喫茶作りましょう」って狂ったこと(!)言ってるのに「大きな公益のため」に反論しちゃうんだよね。
 
 「大きな公益のため」しか考えない意見というのは、つまり「利己的でない意見」のことだ。
 そして、利己的でない意見、というのを僕は信じないようにしてるんだ。
 言い過ぎかな?「利己性を含まない意見」「利己性と公益との葛藤をはらまない意見」を信じない、と言い換えようか。
 それは「責任を持たない意見」と僕にとっては同義だから。
 
 たとえばね、食料が少ないときの分配法で考えてみるよ。
 ある家族のお父さんを仮定しよう。つまり「家族という集団のリーダー」だ。彼の目的は「自分の家族に腹いっぱい食べさせること」だろう。
 でも、他の人だって餓えている。良心的な彼は、なんとか食料を公平に分配したいと思うだろうけど、やっぱり「まず自分の家族を餓えさせたくない」と思っちゃう。
 自分一人が食べたい、という私益は犠牲に出来るかもしれないけど、「自分の家族」という「小さな公益」は無視できない。それが責任というものだ。
 家族という「小さな公益」と、みんなという「大きな公益」の間で彼は葛藤する。こういう立場の意見を、僕は「責任を持っている意見」だと思う。
 
 小さな会社の社長でも、小売店の店主でも、お母さんでもみんな同じだよね。みんな、「自分が喰わさなきゃいけない人」を抱えて、おまけに地域や国との公益とも調節してやっていかなくちゃいけない。
 だからお母さんは面倒でもゴミを分別して出すし、小売店の店主は利益を削って商店街の祭りに寄付するんだ。
 
 すっかり話が遠くなっちゃったけど、だから僕は「国立メディア芸術総合センター構想」に完全に反対はしない。
 「ない」よりは「ある」ほうがマシだから。
 もちろん、日本国民にとっては「ある」より「ない」がマシだろう。
 でも、オタクにとっては、少なくとも国立能楽堂よりは金の使い道として「オタクの公益」に適っている。
 「日本国民として」の僕と、「一人のオタクとして」の僕が、それぞれの公益やバランスを考えたら、う~ん、そろそろ国もオタク文化のためにこの程度の無駄遣いをしてもいいんじゃないか?と思う。
 それが僕の立脚点で、僕の結論だ。
 
 それより、どっちかというと僕が「国立メディア芸術総合センター構想」で問題に思うのは、そのネーミングだな。
 「国立マンガ喫茶」でいいのに。
 そしたら、本当に漫画やアニメという「保管すべき文化」に特定して機能するだろう。
 
 なんせ、こんだけ外貨を稼いでながらもトキワ荘すら保全できなかったのがマンガなどオタク文化だ。
 僕たちオタクは総じて「いまの作品」に注目するけど、「過去の遺産」には冷たい。だからこそ、国が保護してくれたら”楽”なんだけどね。オタクの公益にかなう。
 で、それは100年後の日本の国益になってると思うんだよね。
 
 でも「国立メディア芸術総合センター」というわけのわかんない名前だったら、また補助金目当てのニセ芸術家どもを優遇するだけになりそうだ。
 メディア芸術とか、環境アートとか、そういう格式だけはご立派な連中には、少なくとも僕の払う税金は使って欲しくないなぁ。
 「国立マンガ喫茶」なら大賛成なのに。
 
 あ~、長くなっちゃったけど、この話の主論は「発言の立ち位置は明確に」であって、国立メディア芸術総合センターうんぬんは系論なので誤解ないように。
 
 今日はここまで。
 また明日ね。
 
  

Posted by 岡田斗司夫 at 11:34Comments(22)TrackBack(1)

”あかほりさとる”の最高傑作

2009年06月20日

 いや、あかほりさとるがこんなに面白いとは知らなかった。
 
 アフタヌーン新書で発売された『オタク成金』という本、あかほりの著作ではなく天野由貴さんという女性ライターがインタビューをまとめたものらしいけど、これがとてつもなく面白い。
 クリエイターを志すもの、特にマンガやアニメなどオタク系を目指してる人にはぜひ読んで欲しいなぁ。
 いや、彼の言ってることが正しいとか、そういう意味じゃない。そうでなくて「とてつもなく面白い」から。
 ぜひ彼の語り口(ライター・天野さんの技術も含め)は吸収した方がいいと思うよ。
 
 
 正直、これまでの僕にとって”あかほりさとる”という作家は「名前は知ってるけど、それ以外の情報は皆無」といっていいぐらい縁遠い存在だった。彼の小説は読んだことないし、たぶんこれからも読まないと思う。
 でも、そんなことは本書の「面白さ」の前には関係ない。
 
 とにかくここで書かれているあかほりは、徹底的にチャーミングだ。
 「売れたい」「売れないと意味ない」「目立ちたい」
 過剰なまでに露悪的に書かれてるけど、露悪的発言というのは絶対に「真意を理解してくれる奴が世界のどこかにいるはずだ」という読者への信頼感がないとできない。露悪的キャラクターとは、絶対に”甘えっ子”なのだ。
 
 そのあかほりが、口は悪いけど読者に明かす創作技法の数々は、まぁ書店で自分で手にとって見てください。
 実際に創作してる人には食い足りないかもしれないけど、なにせ彼が対象にしてるのは「文字が並んでるのを見るだけで頭が痛くなる人」「40人のクラスで、本を読まない35人」なんだから、これで充分以上だと思う。
 
 繰り返すけど、本書の魅力は”あかほり自身”だ。
 内容にいちいち反発したり検証しては、せっかくの美味しいところを味わえない。
 語り口とスピード感と、合間から見え隠れする彼の「みんなに喜んでもらえないオレなんて、生きてる意味ないよなぁ」という絶望、ここを味わいましょうよ。
 
 相変わらずあかほり作品に興味はないけど、あかほり本人というキャラは面白いなぁ。
 どんどん、この「あかほり+天野」のコンビで新作書いてくれないかな。
 
 というところで、今夜は終わり。
 また明日。
 
  

Posted by 岡田斗司夫 at 02:38Comments(4)TrackBack(0)

もの書きは天職です

2009年06月18日

 昨日は久しぶりに筑摩書房さんと会議。ようやっと入稿した『遺言』第一章、第二章の原稿を前に、全体分量を試算してみた。
 本文を二段組みにすると、やはり読みづらい。図版や写真、注釈も多いだろうから、一段組みで試算してみると400ページ強。
 もしあまり加筆しなければ、の話だけど。
 
 打合せ中に、この本の核となるフレーズが思わず口から出てきた。
 あ、題名は『遺言』じゃなくて、こっちにしよう。『遺言』は、僕の都合というか理由で考えた題名だけど、こっちはおそらく「読んだ人の心に浮かぶフレーズそのもの」だから。
 題名の変更案は筑摩さんに持って帰ってもらい、第三章以降の作業に戻った。
 
 mixi辞めてから徐々にエンジンかかりだしたけど、いま本当に原稿を書いて本を出すのが楽しい。
 この波に乗ってるうちに何冊書けるかが勝負だと思う。

 書かなきゃいけない本は何冊もある。本当は新しい企画も進めたいんだけど、とりあえず目の前の書き下ろしや連載に全力を注がなくっちゃ。
 
  

Posted by 岡田斗司夫 at 11:04Comments(3)TrackBack(0)

手塚治虫の新連載

2009年06月16日

 最近、パソコンのキーボード前で眠ってしまうことが多い。
 仕事中に集中がふととぎれたとき、そのまま寝てしまうのだ。
 「倒れる」という感じではなく、もう普通に「落ちる」という感じ。もちろん原稿書いてる最中だから退屈してるはずはないんだけど、集中が保たなくなって意識が落ちちゃうんだろうね。
 
 で昨日、こんな夢を見た。
 夢の中で僕は雑誌を読んでいる。『漫画ゴラク』をさらにさらにさらに安っぽくしたような大衆漫画雑誌だ。
 サラ金やグルメやパチンコやヤクザが舞台だったり主人公だったりするような漫画に混ざって、なぜか手塚治虫の新連載がはじまっていた。
 どうも、この夢の世界では手塚治虫はまだ存命で、僕もそれを当たり前のように受け入れていた。
 
 しかし、手塚治虫ともあろう人が、なんでこんな三流週刊誌で連載するのか?
 そういえば少年チャンピオンで『ブラックジャック』を連載するまでの手塚は流行り廃りの激しい漫画界では「過去の人」扱いで、マガジンやサンデーに企画を断られてチャンピオンに「持ち込み」したのが『ブラックジャック』だった、という話を夏目さんに聞いたことがある。
 そうか、手塚さん最近新作見ないな、と思っていたけど、ここまで落ちぶれちゃったのか。
 などとムチャクチャに失礼な納得を勝手にした夢の中の僕は、その「新連載」とやらを見た。
 
 主人公は手塚治虫本人。漫画雑誌の編集者に体験ルポ漫画を命じられるシーンから漫画ははじまる。
「俺は手塚治虫だよ。いまさら温泉いってメシ喰って、そのレポート描けって言うのか!」
 喰ってかかる手塚に、孫ほどの年齢の編集者は詰めたく言い放つ。
「じゃあ、やめる?」
「・・・いえ、やりますやります!

 夢の中の僕はあぜんとした。
 まるで若手芸人じゃないか。いくら漫画業界がシビアだとはいえ、いくら手塚治虫が現役至上主義だとはいえ、これはあんまりだ。
 自分で勝手に見ている夢のくせに、なぜか義憤に燃えながら読み進める。
 
「で、どこに行きましょうか?伊豆?箱根?」
「そうだなぁ、とりあえずバグダッド」
「か、海外ですか?」
「うん、バグダッドで戦場っぽい絵、ちょっと描いてきて。戦争もの、描ける?
「はぁ、『火の鳥』とか『アドルフに告ぐ』とか描いてましたから」
あ、そうなの?じゃネームは現地からFAXで送って。原稿はFEDEXでいいから」

 なぜか手塚治虫はこのムチャな仕事を了解し、リュックに漫画道具と携帯日本食を詰めてアヤシゲな航空会社のエコノミークラスでバグダッドに行ってしまう、というところで連載第一回は終了。
 
 しかし、僕を本当に驚かせたのは最後のページ、枠外にある「次回予告」のアオリ文句だった。
「次回、手塚治虫がバグダッドで爆撃!?」

 え~!手塚さん、バグダッドで爆撃受けたの?で、それ漫画に描いたの?
 たまらず僕は大爆笑してしまった。

 手塚治虫、バグダッドで爆撃

 今までの人生で、一度も想像もしたことのない字面だ。
 状況のあまりの酷さ、漫画の神様が爆撃されている、というシチュエーションの可笑しさにゲラゲラ笑ってたら、笑いながら目が覚めた。
 
 なんだ、夢か。
 そりゃそうだよな。
 でもあの漫画、続き読みたかったなぁ。
 
 
 
 
 
P.S.
 ここまで書いて気がついたけど、こういう話はブログに書かずにGyaOジョッキーのネタとして温存すべきだったよな。
 ま、書きたかったんだからいいや。
 じゃあ今日はここまで。また明日ね。
 
 
  

Posted by 岡田斗司夫 at 11:03Comments(11)TrackBack(0)

さすがに疲れた

2009年06月14日

 『遺言』の第二章を先週書き上げたので、水曜の打合せ前に第一章のリライト作業中。
 とりあえず今日までで100枚終わって、残りは150枚だ。
 
 少しでも読みやすく、誤解や混乱がないようにと、このフィニッシュワークの「リライト」に僕はいつもかなり時間を割いている。
 文体の統一もこの段階。
 わざと論理の階梯を外す「論理ジャンプ」と僕が呼ぶ”読者との共犯関係作り”も、すべてリライト段階で盛り込む。
 
 一昨年にロフトでやったイベントの単なる書籍化ではなく、「プロデュース論としても、作品論としても、クリエイター論としても、おまけにビジネス書としても面白い本」が出来つつあるのを実感してるよ。あ~幸せ。
 
 書店にこれが並ぶのは、早くても来年頭かなぁ。『王立宇宙軍』のパートに関して追加もしたいしなぁ。
 
 といらえず、あんまり寝てないので今日のブログはここまで。
 ではまた、明日。

  

Posted by 岡田斗司夫 at 18:44Comments(2)TrackBack(0)

サイン会中止のお知らせプラスα

2009年06月12日

 来週木曜に予定していた、池袋ジュンク堂のサイン会が中止になりました。
 トークショーを予定していた唐沢俊一さんが、心不全で入院されたためです。
 幸い、命には別状ないようですが、トークショー等をできるような状態ではありません。
 
 というわけで、おまけの僕のサイン会も中止になってしまいました。
 楽しみにしてくれていた皆さんにお詫びすると共に、唐沢さんの一日も早い回復を祈ります。

 昨年より、中学高校時代の友人や同年代(やや年下)の業界知人が、なぜか次々と鬼籍に入っています。
 まだそういう年では、と思ってたのになぁ。
 僕は「心臓弁膜症」という先天性の心臓器官異常があるので、もともと数ヶ月しか生きられない子供として生まれました。
 それが幸運にも、もっとも死にやすい乳児期を乗り切れたため、いまだ生きることができています。
 つまり、僕の1歳からこっちの人生すべてが「おまけ」みたいなもんなんですよね(笑)
 だから、同年代の仲間達の訃報を聞くたびに、悲しいと共に不思議な気持ちになります。

 え〜、なにが言いたいかというと、このブログを見ているみなさんだけでも、いつまでも元気でありますように。
 今日はここまでです。また明日。
 おやすみなさい。
  

Posted by 岡田斗司夫 at 23:06Comments(12)TrackBack(3)