岡山市の後楽園を優雅に彩る名物といえば、タンチョウが目に浮かぶ。政令市移行を記念して「市の鳥」にタンチョウを指定すべきか否か。
賛否両論があるようだが、後楽園にタンチョウを“復活”させた恩人が、20世紀の中国文化界を代表する存在で日中友好に尽力した郭沫若であることはよく知られている。
大正時代、旧制六高に学んだ。「岡山での三年間の生活の思い出は、いつも私の頭によみがえっている。…私にとって永遠に忘れられない場所である」と自伝に書き留める。
その郭沫若が1955年、中国学術文化代表団の団長として37年ぶりに来岡。戦災で烏城も焼け、タンチョウも姿を消した寂しい思いを即興詩に託した。<後楽園仍在/烏城不可尋/願将丹頂鶴/作対立梅林>。「日中友好の懸け橋」として2羽のタンチョウが贈られたのは翌年のことだ。
詩人、歴史家、政治家など多彩な顔を持つ巨人の業績に光を当てた「郭沫若展」が岡山市の県立美術館で開催中だ。北京の記念館が所蔵する自筆の書画や愛用の文具などが並び、勢いのある筆遣いや詩才の奥深さが味わえる。
波乱の生涯を伝える写真や書簡からは岡山県出身の内山完造、岡崎嘉平太らとの交友ぶりもしのばれる。先人たちが培った日中友好の絆(きずな)の深さをあらためて思う。