水俣病の原因企業チッソが有害な工場排水を止めた後の1969年以降、国は「新たな患者発生はない」としてきたが、現地の熊本県水俣市の医師たちの調査で、69年以降に生まれた世代に両手足のしびれなど水俣病の症状がある人がいる。水俣病問題の最終解決を目指す未認定患者救済法案では、少なくとも200人以上いるこの世代が対象から外れる。研究者らは潜在的な患者が相当数いることから同法案は全面解決にはつながらないとして、国に未認定患者を対象にした広範囲な健康調査を求めている。
国は、患者認定や医療費が支給される事業など水俣病の救済制度の対象から、この世代を外している。200人は認定申請中の人で「申請はできるが、認められることはない」(環境省)という。
熊本大の水俣病研究班員だった藤野糺(ただし)医師や現地での診察歴が長い高岡滋医師は05年6月〜08年4月、チッソの工場排水が停止された68年5月から86年5月までに水俣市と周辺で生まれ育った男女40人を詳しく診察した。
その結果、37人に手足の先や全身の感覚が鈍くなったりしびれたりする症状や、視野が狭くなるなど水俣病によくみられる症状があった。29人を「水俣病」、8人を「水俣病の疑い」と診断し、6月に中国であった水銀国際会議で発表した。これだけ、まとまった数の調査結果が出たのは初めて。
高岡医師は「胎児期と出生後の両方で(水俣病の原因である)メチル水銀の影響を受けたのではないか」とみる。
胎児性、小児性水俣病に詳しい熊本学園大の原田正純教授も、69年以降生まれの患者を複数確認しているという。
チッソ水俣工場が工場排水を停止したのは68年5月18日。国は91年、中央公害対策審議会の答申に基づき「水俣病発生レベルの水銀暴露は68年まで」と結論づけた。
その根拠として、答申は住民の頭髪や、胎児のへその緒の水銀値が一般の人とあまり変わらない、とするデータを示した。だが、それをはるかに上回る値を示す被害者がいたという研究データも見つかっている。
答申には「科学的な結論とは言い難い」という批判があり、前国立水俣病総合研究センター所長の衛藤光明氏も「68年で汚染が一気に低くなるわけがない。当時、環境庁から聞かれたので、おかしいと言った。75年ごろまでは胎児性水俣病があってもおかしくないと思う」と指摘する。
一方、環境省の原徳寿・環境保健部長は「水俣地域には心理的バイアスがあって(体の不調があるとそれが水俣病だと)思い込む人がいるかもしれない。今から住民健康調査をしても、過去の汚染データがないのだから、メチル水銀の暴露との因果関係は分からない」と反論した。