中国領土の新疆ウイグル自治区での殺戮がまた世界を揺さぶっています。
中国当局は「暴動」としていますが、年来、中国当局に抑圧されているウイグル人たちが抗議をしたことへの武力での弾圧、そしてその結果としての大量の殺戮というのがより正確な実態だといえましょう。
このウイグルの人たちはかねてから日本の支援を期待してきました。女性指導者ラビア・カーディル(日本語の表記は少しずつ異なる場合があります)さんが来日して、各地で講演をして、大きな同情と支援の反響の輪を広げたことは、このブログでも伝えました。
そのラビア・カーディルさんとのワシントンでの接触について書いた記事を紹介します。ウイグル人たちが日本にどれほどの期待は希望を抱いているかの例証です。なぜ「暴動」が起きるかの背景を説明することにもなると思います。
なお、ちなみにNHKではこのウイグル人の居住地区については「シルクロードの美しい歴史」ふうなアプローチしかしてこなかったこと、周知の事実です。
講演会場を去ろうとしたところを後ろから小走りに寄ってきた若い男性に呼びとめられたのに、とまどった。
ワシントンではこの種の政治的な講演や報告は多いが、その場を去ろうとして、講演をした当事者側から声をかけられ、とどまることを求められるという例はまずなかった。
呼びとめたウイグル人男性はラビア・カーディルさんの秘書兼通訳だった。
「アジアでは最も民主主義の発展した日本の人たちに私たちウイグル人の非民主的な抑圧の悲惨をぜひとも知ってもらいたいのです。そのためにはいつか日本にも行きたいと思っています」
正面からこちらをみつめ、手を固く握って語りかけるラビア・カーディルさんはカリスマ性さえ感じさせる迫力と魅力の女性だった。
それから2年2カ月、彼女は在外ウイグル人の国際組織「世界ウイグル会議」の主席に選ばれ、ノーベル平和賞の候補にもなり、つい数日前に初めての訪日をも果たした。
ウイグル民族の側には、1930年代にウイグル人だけで独立を初めて宣言した東トルキスタン共和国がまもなく崩壊した際、指導者たちが日本に亡命した歴史的経緯からも日本には独特の思いがあるのだともいう。
ラビア・カーディルさんの波乱の半生は新刊書の『中国を追われたウイグル人--亡命者が語る政治弾圧』(水谷尚子著・文春新書)などに詳しいが、新彊ウイグル自治区の底辺から刻苦と商才でビジネスに成功し、中国十大富豪のひとりにまで列せられた彼女が中国当局から弾圧される直接の契機は1996年の人民大会堂の政治協商会議での演説だった。
ラビア・カーディルさんはさらに99年、新彊ウイグル自治区を訪れた米国議会の代表団に政治犯についての資料を渡そうとして逮捕され、懲役8年の刑で投獄された。
ワシントン地区に夫とともに居を定めた彼女は在米ウイグル人ら周囲から求められて、ウイグル民族の存続に努め、弾圧に反対する運動の指導的役割を演じるようになっていった。
しかしラビア・カーディルさんは訪日直前の10月31日、米国議会の「人権議員連盟」の公聴会で堂々と証言した。
この証言はなお続く中国当局の弾圧の中でも、最近、ウイグル人の若い独身女性を専門に中国の都市部へと強制移住させる計画が実行に移されていることを主題として非難していた。
この強制移住は六十数年前の日本の慰安婦問題にくらべ、いまこの瞬間も起きている女性の人権蹂躙(じゆうりん)である。
by 三島明
なぜ新疆ウイグル自治区での「…