1960年の日米安全保障条約改定の際、核兵器を搭載した米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認する密約が交わされていたことを元外務事務次官が実名で認めた。歴代の次官が文書で引き継いできたという。
密約の存在を実名で明らかにしたのは87年7月から2年間次官を務めた村田良平氏。村田氏は、今年3月に共同通信のインタビューに応じ、匿名を条件に密約や外務省内での引き継ぎなどを詳細に証言、今回実名での公表を了解した。
60年の改定は旧条約をより対等な内容に改めるためのもので、米軍の軍事行動に関し、核の持ち込みを含めた「装備の重要な変更」は日米が事前に協議することで合意した。しかし、その裏で核搭載艦船などの通過・寄港などについては対象外とすることを確認したとされる。
村田氏は前任者から書面で説明を受け、在任中に2人の外相に説明、後任に引き継いだという。密約については他の複数の次官経験者も存在を認める証言をし、自分が信頼した首相や外相には伝えたとも話している。外交、安全保障上の問題の扱いを官僚が主導的に決めていたとすれば由々しきことだ。
密約については、すでに81年のライシャワー元駐日大使の発言や、90年代からの米関連公文書の開示による改定時の英文の「秘密議事録」、極秘公電などから明らかになっている。村田氏ら次官経験者の証言は、それを裏付けるものである。
これまでも、国会で米艦船の寄港の際に核兵器の持ち込み疑惑が質問されてきた。しかし、政府は「米国側から事前協議の申し出がない限り通過・寄港も含めて持ち込みはない」との主張を繰り返してきた。今回も、その姿勢を崩していない。
密約を裏付ける客観的な状況が次々に出てくるにもかかわらず、なぜ政府はかたくなに否定し続けるのか。政府は、早急に真相を国民の前に明らかにすべきだ。反論があれば、明確な証しを示した上で説明を尽くすよう求めたい。衆院外務委員会では「政府答弁だけを信じて委員会運営ができる状況ではなくなった」とし、村田氏の参考人招致などを含めて調査していくとの動きもある。ぜひとも実現してほしい。
オバマ米大統領が「核兵器なき世界」の実現を掲げる中で、日本は唯一の被爆国として取り組みの先頭に立つときである。うそを重ねて内外に不信を募らせたのでは、その役割を果たすことはできまい。
ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの解放や民主化促進などを求め、潘基文国連事務総長が打って出た軍政トップとの直談判は何の成果もなく終わった。来年の総選挙をにらんだ軍政側の強硬姿勢の前に、国連外交の手詰まり感を印象付けた。
スー・チーさんは軍政によって何度も自宅軟禁されてきた。今年5月には軟禁の期限切れ直前に、米国人男性の自宅侵入を理由にした国家防御法違反の罪で起訴・拘置された。国民的人気の高いスー・チーさんによる総選挙への影響を恐れたあからさまな弾圧行為だ。
加えて、多数の死傷者を出した2007年の反軍政デモ弾圧以降の国連による民主化への働きかけが功を奏していない危機感が、事務総長にミャンマー行きを決断させたといえよう。
軍政のトップであるタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長と2度にわたって会談した事務総長は、総選挙までにスー・チーさんを含む政治犯全員を解放することや、軍政と野党の対話再開、透明性ある民主的な総選挙の実施などを要請。だが、具体的な譲歩は引き出せず、スー・チーさんとの面会すら拒まれた。
軍政は昨年、主導して新憲法をまとめた。その下での総選挙によって影響力を維持しつつ民主化をアピールしたい考えだ。しかし、スー・チーさんらを排除する中での選挙では国際社会の理解は得られまい。一刻も早い解放が求められる。
事務総長訪問には「軍政側に利用されるだけ」との声があった。国連の見通しの甘さを指摘されても仕方なかろう。だが、失敗の原因には各国の足並みの乱れを見透かされた点もある。国際社会が協調して軍政への圧力を強めなければならない。
(2009年7月6日掲載)