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大きな半生の流れ
34になりました。半生かあ。
小さい頃は病気がちで、よく引越しをした。中高と囲碁に打ち込んだ。大学で京都に来ると、急に世界が広がった。芸術グループのようなものに興味を持ち、社会に対してパンクな表現をする。→車内ディスコ。一年のイタリアへの旅より帰り、93年頃より、場(人々が交流し、何かが起こるかもしれない場所)というものに興味が行く。フリースペースの運営にかかわる。→きんじハウス。きんじハウスの後、居候ライフをはじめる。
人といっしょに社会に対してどうしよう。→プロデューサーサーきょへ
社会のすみの一郭で→キョートット出版
テーマとしてきたこと
フリー 自由(フリー)とはただであることと考えた。例えば、電車賃がかからなければ、自由に移動できる。入場料がかからなければ、自由に入れる。
スーパーの商品がただ(万引き)ならば、なんでも食べられる。家賃がなけけば、どこでも住める。働かなくてよい。これは、社会のシステムからはずれる。システムに対する敵意のようなものはあるのに、でも、実はあまり社会の仕組みを知らないまま、考えていたところがある。
例えば、働いて給料をもらうこと自体にはよろこびがあるはず。それは、働くとは、誰かに役に立つことをすることで、そのお礼として、お金をもらう、ということ。ありがとう、という意味で、お金が渡される。そいいう(役に立ってありがとう)コミュニケーションで社会が成り立っている面もある。
迷惑かけてありがとう これを居候ライフのテーマにしたかった。でも、実際は、ごめんなさい、が口癖になった。
迷惑かけてありがとう、これはたこ八郎の言葉。人生の核心に触れる感じがします。
私は少し忘れていたのだけど、パピーさんに言われて、そうだ思い出し、元気になったのだけど、厳しさを感じる言葉でもあります。この言葉を背負って生きていくことの厳しさのようなもの。(鷲田清一さんが、ケアという概念とからめて、この言葉について考えている、とききました。青い芝の会、にこのスピリッツを感じました。つづく)
迷惑かけてありがとう、と世界に対していうとしたら、それは人間肯定の言葉になると思います。
迷惑かけてありがとう、と自分に対していうとしたら、それは自己肯定の言葉になると思います。
どちらも、含んでいると思うのだけど、たこ八郎は、迷惑かけてありがとう、と相手に言っているように感じる。それが、この言葉のつかみどころのない尖った感じのするところでもある。
たこ八郎の顔をうかべながら、この言葉を
みると、「なにいうとんのや、ボケ!(なにいってやがんだ、このタコ!)」とタッグになっているのだ、と気づく。
どんなふうに「迷惑かけてありがとう」といい(またはいわず)、どんなふうに「なにいうとんのや、ぼけ!」といわれるのか(なぐられるのか)。
この言葉については、いろいろな人が考えている。
リズム リズムを生きる、これを人生のテーマにしたい。リズム日記
暴力反対 暴力をふるっている人は自分が相手にどういうことをしているかわかっていない。大きな断絶がある。何人かで「性暴力と私 1号」というパンフレットを作りました。希望者には送ります。