【控訴審判決のお知らせ】
9月8日(木)午後1時10分より、大阪高裁(京阪・淀屋橋駅7分)本館10階1003号法廷にて控訴審判決の言い渡しが行われます。終了後は、判決抗議集会および傍聴人交流会を兼ねて、裁判所近辺で盛大に路上大宴会を開催する予定です。これまで応援してくだすったみなさん、そしてこの裁判に少しでも関心をお持ちのみなさん、あるいは全然縁もゆかりもないみなさん。ぜひぜひ、酒を持ってご参集ください!(被告人拝)
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ホームページがついにリニューアル。
気分一新の控訴審バージョンです。
京都簡裁での全面敗訴を受け、舞台は大阪高裁へと移ります。
→京都新聞記事(3/15)はこちら
判決は、違法逮捕を認めず、警察官の証言のみを一方的に事実と認定したもので、その大部分は検察官の論告をコピー&ペーストしたものにすぎませんでした。
→判決文はこちら
被告人は当然控訴。控訴審でも弁護人をつけない旨を申請しましたが、裁判官の職権により国選弁護人を付され、8月25日に控訴審第1回公判が開かれました。公判では、被告人執筆分の控訴趣意書、貼付したビラの現物、京都新聞記事(3/15)が証拠として採用され、被告人質問の後に結審しました。
→控訴趣意書はこちら
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第一審(京都簡裁)の記録
・第1回公判 |
2004/8/23 |
罪状認否 |
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初公判で被告人は無罪を主張しました。 |
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・第2回公判 |
2004/9/27 |
冒頭陳述 |
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検察官による冒頭陳述です。 |
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・第3回公判 |
2004/10/18 |
証人尋問1 |
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被告人を現行犯逮捕した瀬下義光警察官の証人尋問です。
検察官による主尋問で、瀬下証人は「逃走のおそれがあった」と
主張しましたが、被告人自身による反対尋問によって、恣意的
な逮捕の実態が明らかになりました。 |
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・第4回公判 |
2004/11/15 |
証人尋問2 |
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被告人の取調べを行った藤野克義警察官の証人尋問です。
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・第5回公判 |
2004/12/13 |
被告人質問 |
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被告人質問です。被告人の陳述書にもとづき、検察官の反対尋問
と、裁判官による補充尋問が行われました。 |
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・第6回公判 |
2005/1/31 |
論告求刑 |
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検察官による論告が行われ、罰金7万円が求刑されました。 |
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・第7回公判 |
2005/2/7 |
最終弁論 |
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被告人による最終の意見陳述が行われました。 |
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・判決公判 |
2005/3/14 |
判決 |
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不当きわまりない判決です。 |
生きた刑訴を学ぼう
・これが起訴状だ
・これが略式命令だ
被告人エッセイ
第0回・これがブタ箱だ
第1回・石垣カフェのこと(2/10)
第2回・裁判に遅刻する(2/28)
リンク
・北寮29・30号住人連合
・石垣★カフェ
・京都大学キャンパスアナーキー計画 ・貧乏人大反乱集団
・立川・反戦ビラ弾圧救援会
・graffiti is not a crime !(落書き反戦裁判)
・8月15日事件救援会(ANTIFA 815)
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「河内音頭ビラ貼り裁判」とは?
2004年7月1日、京大非常勤職員であった私こと井上昌哉(当時32才)は、京都市屋外広告物条例違反の現行犯で逮捕されました。容疑は、左京区東一条交差点付近の電柱に、「江州・河内音頭ライブ2004」と題するビラ1枚を貼付した、というものでした。私は無理やり川端警察署に2晩留置されて取調べを受けた後、略式命令で罰金7万円を仮納付してようやく釈放されました。その後、正式な刑事裁判を申し立て、裁判は現在も係争中です。
釈放後、「被告人」となった私は、ゼロから法律を勉強し、憲法・刑法・刑事訴訟法を独学で学んだ上で、今回の裁判を「弁護人なし」でたたかうことを決意しました。「売られたケンカは自分で買う」のが私の信条だったからです。私は一貫して「無罪」を主張して争い、検察側証人に対する反対尋問まで自ら行いました。
裁判の争点
1)電柱はパブリック・フォーラムであり、「表現の自由」との比較衡量上、LRAの原則にも反しており適用違憲。
2)法益侵害が相対的に軽微であり、可罰的違法性がない。
3)非営利のビラを貼ることが違法であるとの認識がなかった以上、非難可能性がなく責任阻却。
4)逃亡・証拠隠滅のおそれがない状況での逮捕・留置は違法。
被告人プロフィール
井上昌哉(いのうえまさや)
1971年、東京・深川生まれ。 稀代のウナギ好き。歌舞伎を愛する。 好きな女優は若尾文子と岡田茉莉子。 MAIL
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