小林 節
改めて考えてみたがゾッとする話である。
ある日、突然、自宅に警察官が踏み込んで来て、身柄を拘束され、身に憶えのない変態的な女児殺害事件の犯人だと言われた。孤立無援の状況下で、「科学的証拠があるから逃れられない」と告げられ、自白を強要され抵抗できなかった。後に自白は翻したが、その「自白」とDNA鑑定が決め手とされ、地裁、高裁、最高裁を経て、有罪が確定し、17年半も塀のなかで暮らすことになった。
幸いにも、科学技術の進歩の結果、DNAの再鑑定により有罪とすることに合理的な疑いが生じて、釈放された。
これから再審裁判が始まるが、これは検察側の主張に応える構造のものであるため、新しいDNA鑑定を根拠に検察側が「無罪」(人違い)を立証し、弁護側もそれには反対する理由がないので、裁判所がそのまま速やかに無罪と決定する可能性が高い。その上で、ご当人は、次に、17年半の不当な拘束の代償として、刑事補償を請求することになろう。
ただ、その構造では、前回の有罪判決に至った因果関係が解明されることにはなっていない。
今回の事例は、自白を翻した後の本人の意思と支援者、弁護人の愛情と努力と科学技術の進歩でこのような結果になったが、経験上、虚偽の自白は意外に多いと言われている。しかし、それこそ典型的な冤罪であり、それは本人にとって重大な人権侵害である。人身の自由が奪われ、良心の自由が奪われ、まともな裁判を受ける権利が奪われ、犯罪とされ、名誉が奪われ刑罰が課される。
菅家利和さんがこのような被害に遭った刑事司法の構造的な欠陥が明らかにされなければ、それを改善することはできず、今後も同じような冤罪が誰にでも起こり得るということである。
だから、今回の再審は、単に菅家さんの当然の「無罪」を確認・確定するだけでなく、冤罪が発生したメカニズムを解明して、その再発生の予防に資するものでなければならないのではないか。そうでなければ、菅家さんは、かつて権力により一方的に有罪にされたように、今回もまた、一方的に無罪にされ、釈然としないのではなかろうか。
憲法32条が皆に保障する「裁判を受ける権利」は、単に裁判を通過する権利ではなく、勝っても負けても納得できる、そういう裁判を受ける権利であったはずである。
(慶大教授・弁護士)
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