マキタスポーツ

オフィス北野所属のピン芸人・マキタスポーツのコラム 毎週更新!
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草野仁さんも絶賛のマキタスポーツが初の単独DVD発売! マキタスポーツの上京物語』6/26リリース!
PROFILE


マキタスポーツ
1970年、山梨県生まれ。浅草キッド主催のライヴ「浅草お兄さん会」でデビュー。
音楽的造詣をもとにしたミュージシャンの思考形態模写など、"お笑い" のカテゴリにはまらない独自の芸を追求する。
執筆活動も精力的に行う傍ら、自らの音楽プロジェクト「マキタ学級」にてバンド活動も行う。
2006年10月に1stアルバム「マキタスポーツの金もうけ」リリース。

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マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオによる、 こわれかけのおじさんたちの知的好奇心ムラムララジオ。
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三沢光晴の思わず死んでしまいました
考えてみれば、床に強く頭をぶつけると盛り上がるジャンルというのもおかしな話である。

プロレスラーの三沢光晴が試合中に倒れ、そのまま死亡してしまった。

見せ物には、自分本位で成立するものと、観客本位で成立するものとがある。前者が例えばボクシング、後者の代表がプロレスだ。
プロレスには、相手にケガを負わせ、優位性を獲得するような価値観はない、むしろ自分がケガをすることによって喜んでいるような倒錯した世界、しかし、それがカラクリとなり、“仕組み”が成立しているのである。
それは世の中の道理とは全て真逆に構成された、あべこべな世界観なのであった。

反則はしてはいけない事なのでやるのである。
そんな高い所から飛び降りたら危ないよ、と言うから飛び降りるのだし、ケガをしないよう細心の注意をはらうのが普通だから、ケガをするぐらいの勢いでマットに落ちるのだ。

あべこべ、である。

どうしてそうするか、それは盛り上がるからだ。
人を集め、何やら面白そうなことをやるのに、何故わざわざ世の中と同じ道理をなぞる必要があるというのか。


お笑いも「するな、やるな、をヤレ」という欽ちゃん理論があり、それが基本的動作基準となっている。人間のどうしょうもない悪性の部分をそのまま出して笑ってもらうのだ。
開けるなと言われている場所を開ければ、だいたい必ず悲劇が待っているのであり、そのバカさ加減を突き放した視点で再構築すると喜劇的状況になる。


昨今、悪性のエンターテイメントがどうも分が悪い。
清潔な世の中からプロレスの居場所がなくなってきてることは無関係ではあるまい。
インフルエンザに過剰反応する向きも、政治家にやたらクリーンなものを求めるのも、お相撲さんをやたら叱る雰囲気も、みんなプロレスを見ないからだ、プロレスという“いい加減なもの”を愛でる知性がないからそうなるのだ。(ついでに言えばいい加減なものを愛でる気持ちが低下してるのに裁判員制度だ)アブねぇ。



「人間はそんなイイもんじゃない…」



何もシリアスに受け止めることもない。
面白い悪さなら許すという感覚がなくなっていくことが凄く怖いのだ。
全て理性でコントロールする美しい人間性なんて怪しい。そういう奴はどこかでウンコを食べたりしてバランスをはかったりするもので、それが人間性というものなのである。

世の中のメインストリームが、どこか退屈で、また、息苦しく感じるのは私だけじゃないはずだ。だのに皆なんとなく言い出せずに受け入れているような感じがしている。メインストリームが淡く浅めにカルト教団化しているのは間違いないと思う。

三沢光晴はそんな世間にプロレスを見せたいがために全国を飛び回った。連日接待もあったろう、そこでも相手を気持ち良くさせるべく“技”を受けつつ、実際リングに立ち続け、危険な技を受けまくった。「練習なんか出来てないはずなのに…」と周りに言われたら、それはもう“ネタ”である。かえって危ない落ち方で下の者達から尊敬を集めて見せたかも知れない。

それもこれも「盛り上げるため」であった、という事実。そのバカバカしさを味わっていただきたいと思う、ご冥福をお祈りするとか言う前に。

極度の楽しさの裏には死がある。
直前までゲラゲラ笑っていた奴が溺れたり、事故で死んでくのを何人か見たことを思い出した。
だから世の中は「ほどほどに」というルールを設ける。でも、その「ほどほどに」という前提があるから、超えるべき「過剰に楽しい」という世界がある。それが興行だろう。


世間はプロレス、またはプロレスに見られる悪性なるエンターテイメントを“オラがカルト教団”内からつまみ出す材料を得たと思うだろうか。
そうはいかない。
そうやってまたぞろ「やってはいけない」が溜まっていけばエンターテイメントは面白くなる。面白くひっくり返さなくてはいけないのだ。それは私にも無関係ではなく、かかっていることである。



※ちなみに、とっさに今回の件で思い出したのは江頭2:50の存在だ。氏の突き抜けた観客本位精神をやや心配に思う。
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前大統領の死、日本の裁判員制度
韓国という国は“リセットボタン”の国という気がする。

ゲームをしていて、マズいことになったからといって、いちいちリセットしていたらゲームは上手くはならないのではないか、そういう考え方もある。
一方、そんなこと言うのもアレだが、その都度リセット出来るのは、「反省しなくていいシステム」だと思えば利便的ではあると思う。

向こうは命がけだからイヤにセンセーショナルだが、日本だってミソギだのと言っては選挙をするのだ。

「人は進歩をする生き物である」と、思わない国があってもいいじゃないか。欧米的な合理と、東アジア的な知恵は等価である。

他国と比較するからなんだけど、韓国は韓国だ。
自分の矛盾を矛盾だと認識した時点でそれは他人から見た弱点になる。矛盾だと思わなければそれに越したこともなくはないのだ。
負の部分ではあっても、裏返せばきっと良き事柄がそこにはある。やはり韓国は韓国なのだ。

いろんな国にいろんな“システム”がある。それがよーく解る一例であった。
踏まえて、日本人の責任消化のシステムも又非常に味わい深い。


裁判員制度が始まった。
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天才の大喜利
私は常々「結婚とは贅沢品である」と言っている。

飢えもなく退屈が常態、社会的に“エモーション”が低下している現代、結婚は「嗜好品」となることで制度としての体面を保つ。

そんな中、あの松本人志氏が結婚したという。

富も名声も手にしても尚、飽くなきお笑い芸人魂が枯れることないグレイティスト。私は、氏は大喜利として「結婚」というお題に手を出したのだなと直感する。ついでに「子供」という難題にも挑戦したと見るべきなのではないか。


言わば、人生とは問いと答えの連続する大喜利。スペシャリストの松ちゃんの解答が楽しみだ。
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