じいちゃん。
昨日の月参り。
自宅介護のじいちゃん。
いよいよ起きれなくなって、
隣の部屋から
苦しい息づかいが聞こえてきた。
「はぁ はぁ はぁ……」
94歳のじいちゃんの苦しそうな呼吸が聞こえていた。
「施設に入れたくない」
娘さん夫婦が、
へとへとになりながらも
大切にずっと自宅でじいちゃんを介護してきた。
元気だった頃、いつも、お寺にお参りに来てくれたじいちゃん。
本堂の一番前で胡座をかいて座り、
頷きながら仏教の教えを味わっておられたじいちゃん。
歩けなくなって
お寺に来れなくなっても、月参りに僕がお宅に行くと、
僕の後ろで一緒に声を合わせてお経をあげてたじいちゃん。
楽しそうに笑って、いつも僕の話を聞いてくれたじいちゃん。
自分の人生を照れ笑いしながら、語ってくれたじいちゃん。
そして
仏教から学んだことを
自分の言葉で語ってくれたじいちゃん。
お寺を
仏教を
大事にされ、
そして
寺の後継者になった僕を
いつも見守り、
いつも励まし
そう、
育ててくれたじいちゃん。
僕は
じいちゃんの
その存在感に甘え、
信頼し、
時に緊張し、
そして尊敬し……、
昨日の午前に会ったばかりなのに、
昨日の午後から容態が急変し、
今日の昼前に
とうとう亡くなっちゃった。
耳が遠いじいちゃんの顏にいつも近づいて会話をしてたから、
僕にはじいちゃんの“横顔”が焼きついている。
そのじいちゃんの顏を
さっき枕経に行って、
見せてもらったよ。
あの笑ってた顏が、
固まっていた。
口を開けて
固まっていた。
ピクリとも動かなかった。
じいちゃんが亡くなってしまったという「事実」だけが、
目の前にあった。
まだピンとこないまま、
僕は
じいちゃんとの今日までを振り返っていた。
じいちゃんの「声」が聞こえてきた。
じいちゃんのお茶をすする姿が浮かんできた。
じいちゃんが胡座をかいてうつむきながら、
僕の話に頷いてくれる情景が蘇ってきた。
そして
昨日の最後に会ったじいちゃんの
「はぁ はぁ はぁ……」苦しそうな呼吸を思い出していた。
うまく言えない、
が、
命の「迫力」を
じいちゃんが
教えてくれた。
じいちゃん。
ありがとう、
じいちゃん。
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