2009-05-31
El Padre Antonio y su Monaguillo Andrés - Rubén Blades
東京高裁がひどいのはたしかだけど、「世界史上で最悪に最強で最低」「歴史上のどんな軍事政権下の裁判所より“強い”」というのにひっかかった。
ボクが初めてラテンアメリカを旅した1985年、中米はどこも紛争中だった。そこには、正義のために自分の命を危険にさらしているおおくの同年代の若者がいた。一昨年、東京であったコロンビアの人権活動家も、仲間が何人も殺されている。それも、チェンソーでずたずたにされたり、強姦されたうえに腹を引き裂かれたり。あんな環境で、ボクはとてもがんばれない。
今の日本で、裁判の場で国家権力とケンカするとか、勇気を失わないでいることなんて、それに比べたら気楽なものだと思う。少なくともボクみたいな立場でいろいろ言い過ぎるのは不謹慎じゃないかと思ってる。
El Padre Antonio y su Monaguillo Andrés - Rubén Blades
El Padre Antonio Tejeira vino de España, この土地に新しい約束をもとめて
buscando nuevas promesas en esta tierra. スペインからやってきたアントニオ・テヘイラ神父
Llegó a la selva sin la esperanza de ser obispo, 司教になるなんて望みはすこしももたずに ジャングルのなかにわけいると
y entre el calor y en entre los mosquitos habló de Cristo. うだるような暑さのもと 蚊の群れが飛び交うなかで キリストについて語り始めた
El padre no funcionaba en el Vaticano, 心地よくエアコンの効いたバチカンのオフィスで書類にかこまれていたころは
entre papeles y sueños de aire acondicionado; どうにもうまくやれなかった神父だが
y fue a un pueblito en medio de la nada a dar su sermón, ある小さな村にいくと なにもないなかで
cada semana pa' los que busquen la salvación. 毎週 救いをもとめるひとびとのために 説法を始めた
El niño Andrés Eloy Pérez tiene diez años. アンドレス・エロイ・ペレスは
Estudia en la elementaria "Simón Bolivar". シモンボリバル小学校にかよう10歳の男の子
Todavia no sabe decir el Credo correctamente; まだクレドもきちんといえず
le gusta el rio, jugar al futbol y estar ausente. 大好きなのは川遊びとサッカー、そして学校をサボること
Le han dado el puesto en la iglesia de monaguillo やがてアンドレスは侍者*1の役目をおおせつかった
a ver si la conexión compone al chiquillo; やんちゃな子どももこれで少しはしっかりするだろうと
y su familia esta muy orgullosa, porque a su vez se cree アンドレスの家族は鼻高々 それは彼らなりに
que con Dios conectando a uno, conecta a diez. アンドレスが神とつながれば 残りの家族10人も神とつながるだろうと思ったから
Suenan las campanas un, dos, tres, 1、2、3
del Padre Antonio y su monaguillo Andrés. アントニオ神父とアンドレスの鐘がなる
El padre condena la violencia. アントニオ神父は暴力を告発した
Sabe por experiencia que no es la solución. 経験からそれは解決にならないと知っていたから
Les habla de amor y de justicia, 彼は説教で 神の愛と正義にくわえ
de Dios va la noticia vibrando en su sermón: 声を震わせながらこの社会でおきていることについて語り始めた
Al padre lo halló la guerra un domingo de misa, 神父のもとに ついに戦争がやってきた
dando la comunión en mangas de camisa. ある日曜日のミサ 腕まくりをして聖体拝領をしているボクらの神父に
En medio del padre nuestro entró el matador 男が近づくと
y sin confesar su culpa le disparó. 告白をすることもなく発砲した
Antonio cayo, ostia en mano y sin saber por qué アントニオはオスティア*2を手に倒れた
Andrés se murió a su lado sin conocer a Pelé なぜアンドレスまで ペレに会うという夢もかなわないまま 自分のかたわらで死ななければならなかったのかわからないまま
y entre el grito y la sorpresa, agonizando otra vez 叫び声と驚きのなか、最後に苦悶の表情を浮かべたアントニオ神父
estaba el Cristo de palo pegado a la pared. そこには壁にかかげられた十字架のキリストが
Y nunca se supo el criminal quién fue でもアントニオ神父とアンドレスを殺した犯人が誰かは
del Padre Antonio y su monaguillo Andrés. ついにわからずじまい
Suenan las campanas un, dos, tres, 1、2、3
del Padre Antonio y su monaguillo Andrés. アントニオ神父とアンドレスの鐘がなる
Matan a la gente, pero no matan a la idea 人は殺せる。でも思想は殺せない
Suenan las campanas de Arnulfo Romero アルヌルフォ・ロメロの鐘がなる・・・
オスカル・アルヌルフォ・ロメロ大司教*3をはじめとする、エルサルバドルで、貧しい人の正義のためにたたかい、凶弾に倒れた聖職者たちにささげた歌。
ビデオの冒頭は「葬儀参加者の身の安全は保障しない」と警告を受けながらも、ロメロの葬列に参加した25万人の民衆。この葬列も狙撃され、30〜50人の死者がでている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/オスカル・ロメロ
La Virgen de los sicarios
http://h.hatena.ne.jp/isikeriasobi/9236532720343245931
http://h.hatena.ne.jp/isikeriasobi/9234263334349560272
原作は、2003年ロムロ・ガジェゴス賞受賞のコロンビアの作家Fernando Vallejo(フェルナンド・バジェーホ)の代表作*4。
コロンビア・アンティオキア県メデジン市。生と死、静謐と暴力、聖と俗、富と貧困が描き出す強烈なコントラスト。わずかな報酬と引換えに「殺し」を請負う、sicario(シカリオ)と呼ばれる少年たち。
30年ぶりに故郷に戻ってきた中年の作家フェルナンドは、同性愛者専門の売春宿でシカリオ稼業のあいまに、同性相手の売春で小銭を稼ぐ少年、アレクシスと出会う。親子(コロンビアならむしろ祖父と孫?)ほど年のはなれたアレクシスとフェルナンドは、たがいに求めあい、愛しあう。アレクシスはその気持ちを、フェルナンドの気に入らない人間をあっという間に撃ち殺すことによってあらわしていく。メデジン市街をみわたす小高い丘の上には“Se prohibe arrojar cadaveres”(死体捨てるべからず)と書かれた看板。そのうえをコンドルの群れがゆうぜんとまい、ときどき丘の斜面に降りては後ろ手にしばられた男の屍体をついばむ。登場人物がここに来るのを待ち受けているかのように。
みる人のレベルによっては、コロンビアに対する偏見をあおる危険はあるが(実際、公開当時はコロンビアでかなり論争がおきた。ちなみに今はメデジンもこんなじゃないですよ。)、問題作であるのはまちがいない*5。
あと、コロンビアの映画だけあって音楽がいい。バジェナートからLisandro Meza、Binomio de Oro、Los Embajadores Vallenatos(ただし作家はバジェナートが嫌いらしく、タクシーにのると、たいていバジェナートが原因でトラブルになっている。)、それ以外のコロンビア音楽からLucho Berumudez、Dario Gomez、Pacho Galan、サルサからGrupo Niche、コロンビアではなぜか異様に人気があるRichy Ray & Bobby Cruz、メキシコの御大Pedro Infanteなど。
“por la gracia de San Judas Tadeo que estas balas de esta suerte consagradas den en el blanco sin fallar, y que difunto no sufra. Amén”
“聖ユダ・タダイの恩寵のおかげで、この弾丸は聖なるものにされているから、標的に確実にあたる。だから死ぬ人も苦しまないんだ。アーメン。”(6:10)
- 作者: アロンソサラサール, Alonso Salazar, 田村さと子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1997/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
著者は現在メデジン市長。邦訳されていないが、著作のなかには日本に人身売買で売られてきた女性を描いたドキュメントもある。
2009-05-28
ちょっくら、ちょうようきん、きたえてくる。
カルデロンさんの件で、国連人権理事会からジュネーブの北川大使にきた書簡の翻訳完了。これも別の事件で裁判所に提出する。とにかくオレは勝つまでやるから。ところで、この書簡、なんでオレがもってんだろーねー(笑)。
先日、診断をしてくださった先生に聞くまで、そもそも腸腰筋(ちょうようきん)といううコトバ自体、知らなかった。えらくほめられたので(スポーツ選手でもこんなに発達している人はめずらしいといわれた。)、調べてみると、体の深い部分にある筋肉で、なかなかにきたえづらいものらしい。
オレは子どもの頃から体を動かす、というか暴れるのが大好きで、社会人になってからも、とにかく一日一度は気絶するくらい動くことにしてる。
ただ、健康やシェイプアップ、レクリエーションというよりは、クタクタになって、ストレスやムシャクシャを解消する効果をねらってしているので、スポーツジムでちゃんとしたトレーニングするとかぜんぜん興味ないし(あとケチだし)、12年前に左目がみえなくなってから、道場もいってない(右のハイキックがよくみえないんだよね)。ダンベルをもって坂を全力疾走でかけあがったり、首から鉄アレイをぶら下げて懸垂したり、要するに、深夜、世間が寝しずまったところで、重たい物をかついで、ひたすら暴れ回るわけですよ(工事現場でひろってきたコンクリートの塊をリュックにつめて腕立て伏せをしていたこともある。これは腰と背中を痛めるので、マジやらないほうがいい。)。
だから、なにが良いのか、さっぱりわからないのだが、今日もムシャクシャしたので、マルコス副司令官のTシャツ着て、ちょっくら「ちょうようきん」きたえてくる。
数日前、血尿だとかさわいでいたわりには、どうなってんだとおもうが、先生に運動してもだいじょうぶですかってきいても「ちょうようきん」のことしかいわないんだもん。
それでもオレは絶望しないよ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.nakashimalaw.com/essay/miyamoto/0903.html
まいどまいど、ぼうだいな赤字をたれながしながら(報酬どころか、仮放免の保証金なんて全部こっちが出しているし、このご時世、みるにみかねて生活費を出すこともある。)、数100ページもの書面をかいて、タナがいっぱいになるくらいの証拠をあつめる。なれない英語の翻訳を必死になってつくって、書類をミスった部下を「クライアントのこと考えてんのかよ!」とどなりつける。
で、例によって、争点についてなにも書かれていない、国の書いたものをそのままコピペしただけの紙っぺらを受けとる。オレとまともに議論する度胸もねえのかよ。あんなものオレなら1時間で書ける。そして、くやし涙をながす男、女、そして子どもたち。
日本の裁判官がくさりきってる、デタラメだってことぐらい、よ〜くわかってますよ。勝訴率(たぶん)1%もない裁判を、えんえんとやり続けているのだから。今日も再々々々々々・・・確認したよ。
それでも、絶望なんかしませんよ。「走って逃げる」ことのできない人がいるうちは。
「世間の人たちは、びっくり仰天してしまって、どうしてそんな見込みのないことをやらかしたのか、とそれこそ最初の日から質問攻めにあうことでしょう。しかし、本人にすれば、それでも見込みがあると考えているのです。そうでなければどうして生きていくことができるでしょうか。」
- 作者: フランツカフカ, Franz Kafka, 前田敬作
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1971/04
- メディア: 文庫
2009-05-26
結局なんでもないみたい
検査終了。
採尿、採血、レントゲン、CTとひととおり検査していただきましたが、結石もなく、どこもなんともないそうです。
ほっとしました。心配してくださったみなさま、ありがとうございました。
マジかよ・・・
血尿が出た。
これは自慢だが、自分ほど体力がある人間はみたことない。それに、毎朝6時頃から12時過ぎまで働いているし、8年間で丸一日仕事を休んだのは1日しかないが、ムリしているつもりはない。好きなときに昼寝してるし、ウンザリ感以上のストレスは自覚がないし(サルサ聞きながら仕事しているからというのもあるが)、こんな生活でもゲロ吐くぐらいのランニングとウエートトレーニングは欠かしていない。
実際、今でも体はピンピンしているのだが、急きょ、予定をキャンセルして病院に行くことにした。今ひっくり返るわけにはいかないから。43にもなったら血尿ぐらいたまにはでるもんだよね? 何もないといいなー。
2009-05-25
命拾い
債権回収で、「うっかりミス」をした。あらゆる事態を予想して、あらゆる手段をこうじて(教科書に書いていない方法は、まだまだたくさんある。)、あらかじめ徹底的に逃げ道をふさいでおくのが大事なのに、今回は、ひとつだけ見落とした箇所があった。これまで、逆の立場に立たされた弁護士が、苦しまぎれに、ボクのことを「やり方が汚い」とののしる姿が、まぶたに浮かんで、いっしゅんパニックになった。
さいわい、大事には至らなかったが、ある事実がもう少し不利にふれて、相手がこちらとおなじくらいズルがしこかったら、事態の収拾には、かなり手こずっただろう。
債権回収、特に不動産がらみの債権回収は、超高コストな事務所経営を強いられている自分とっては生命線。この分野でクライアントに迷惑をかけるようでは、存在価値が問われる。部下の優秀さにもたれて、気がゆるんでいたのが原因だと思う。とりあえず二度と同じミスをしないように、システムの変更をした。明日から気を引きしめなおさなければ。
2009-05-24
“El Testamento”(遺言)
みなさま、こんにちわ。
id:isikeriasobi の日記です。というよりid:barcarolaはid:isikeriasobiと同一人物です。
はてなダイアリー「いしけりあそび」はプライベートモードですが、こちらは普通に公開です。ちなみに、「いしけりあそび」はフリオ・コルターサル、「舟唄(ふなうた)」(barcarola)はパブロ・ネルーダの詩から拝借しています。
はてなハイクで延々と書いていたラファエル・エスカローナ追悼特集(http://h.hatena.ne.jp/keyword/M%C3%BAsica%20Latina)の続きです。
“El Testamento / Rosa Maria” Bovea Y Sus Vallenatos
Oye morenita te vas a quedar muy sola モレニータ、キミはひとりぽっちになっちゃうよ
porque anoche dijo el radio 昨夜ラジオでいっていたよ
que abrieron el Liceo リセオがはじまったんだって
Como es estudiante そこに進学するために
ya se va Escalona エスカローナがいっちゃったんだ
pero de recuerdo te dejó un paseo でも思い出としてキミのためにパセオ*1を残していったよ
Que te habla..."de aquel inmenso amor" それはキミにむけたこんな歌なんだ
Que llevo... "dentro del corazón" “キミへの限りない愛を、心にひめてボクはいく
y dice..."todo lo que yo siento" ボクが感じていること
que es pura..."pasión y sentimiento" それは純粋な情熱とセンティミエント
grabado con el lenguaje grato ペドロ・カストロ*2の土地の
que tiene la tierra ´e Pedro Castro 心地よいしらべにのせて”
Adiós morenita me voy por la madrugada さよならモレニータ 夜明けとともに旅立つ
no quiero que me llores ボクはキミに泣いて欲しくない
porque me da dolor, だってボクまで悲しくなっちゃうから
paso por valencia バレンシアから
cojo la sabana, 草原をぬけて
Caracolicito y llego a Fundación カラコルシートからフンダシオンへ
Y entonces..."me tengo que meter" それから、のらなきゃならない
en un diablo..."al que le llaman tren" 電車とかいうすごいヤツにね
ay, que sale..."por toda la zona pasa" いろんな土地をとおって
y de tarde... "se mete a Santa Marta", 午後にはサンタマルタにつく
Ese orgullo que tú tienes no es muy bueno キミはつんとすましているけど それは良くない
te juro que que más tarde te vas a arrepentir, ボクにはわかるよ キミはきっと後悔するってね
yo sólo he querido dejarte un recuerdo ボクがキミに思い出を残していきたいだけなんだ
porque en Santa Marta me puedo morir. だってボクはサンタマルタで死んじゃうかもしれないんだから
Y entonces... "me tienes que llorar" そしてキミはボクをおもって泣くだろう
y de ñapa*3..."te tienes que poner" おまけに
traje negro... "aunque no gustes de él" キミは喪服をきることになるんだよ それがどんなにきらいでも
y entonces te vas a arrepentir そう、キミはきっと後悔するんだ
de lo mucho que me hiciste sufrir. ボクをこんなに苦しめたことを
歌にでてくるリセオは、サンタマルタにあるリセオ・セレドンのこと。バジェドゥパルからサンタマルタにあるリセオ・セレドン*4に進学するラファエル・エスカローナが当時の(おおぜいいた)恋人(のうちのひとり)ヘノベバ・マンハレスにささげた別れの曲。浮気をしていたうえに、自分で勝手に進学するくせに「ボクをこんなに苦しめて」だの「ボクは死んじゃう」だの勝手な気もするが・・・とりあえず、文字の読める人すらほとんどいなかった同世代のバジェナートのミュージシャンのなかで、高校(中等教育後期課程)まで進学したエスカローナは異色の存在だった。バジェドゥパルからサンタマルタなら隣の県(当時ならおなじ県)だからたいした距離ではないけれど、本人は決死の覚悟だったみたい。1948年の作品。
“遺言”なんて歌まで歌って旅立ったエスカローナだが、その高校では金にこまって飢えに苦しみ、結局1年もたたないうちに退学してバジェドゥパルに帰っている*5。そのときの様子は“El Hambre del Liceo”(腹ペコ学園)という歌になっている。
この歌は、1992年のテレノベラ“Escalona”の主題歌だったこともあり、歌詞の内容とあいまって、追悼の場面ではよく流れていた。
Carlos Vives “Testamento”
バランキージャの街角で歌う地元のおじさんたち。
地元の子どもの歌。すごい貧乏だが、コロンビアにはこういう子どもはおおぜいいる。
*1: バジェナートを構成する4つのリズムのうちのひとつ。
*2: 郵便通信大臣・マグダレナ・グランデ県〜現在のマグダレナ県とセサル県をあわせた地域〜の知事もつとめたこの地域の有力者。恋人・愛人、親類縁者、スポンサーの名前を歌に入れるのは田舎音楽としてのバジェナートの特徴のひとつ。ちなみに、ペドロ・カストロ自身はバジェナートが好きではなかったという。
*3: コロンビア独特のいいまわし。プラスして、という意味。
*4: 当時バジェドゥパルにあったロペレナ中等学校は中等教育課程の前半部分〜日本でいうと中学校〜までしかなかったので、後期課程(日本の高校)にいくには、サンタマルタかバランキージャにいくしかなかった。
*5: なお、ガブリエル・ガルシア・マルケスの自叙伝“Vivir para contarla”(今年翻訳がでるらしい)には、エスカローナはバチジェラート(中等教育の6年間の課程を修了すると得られる中等教育修了証。同時にそれは大学への入学資格ともなる。)を修了したと書いてあるが、たぶんガボの記憶ちがいだと思う。