かけはし重要記事

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チェチェン民衆を殺すな!              かけはし2000.5.29号より

現地を訪れたNGO活動家とジャーナリストが支援の訴え

チェチェン戦争現地緊急報告会
 5月15日、東京・文京シビックセンターで「チェチェン戦争」現地緊急報告会が市民平和基金主催によって開かれた。

激化する戦争の中民衆に多大な犠牲

 チェチェンは1991年、ソ連邦崩壊直前に独立を宣言した。これをつぶすためにロシア軍が侵攻した第一次チェチェン戦争(94〜96年)はロシア軍の敗北に終わり、和平条約が結ばれ独立問題は2001年に先送りされるが事実上の独立国家になった。
 99年8月のダゲスタン事件(チェチェンの隣の自治共和国でチェチェン軍とロシア軍との衝突)、ロシア国内における何者かによる爆弾テロによって、ロシア軍は再度チェチェンへの全面戦争、首都グロズヌイへの侵攻を行い、2月6日に全面制圧を宣言した。しかし、南部山岳地帯を中心としてチェチェン側との戦闘は続いている。
 チェチェンの人口100万人の内20万人が難民となり、何千何万というチェチェン人が虐殺されていった。そして、ロシア軍兵士の死傷者も多数出ている。

きわめて弱い国際的な支援運動

 今回、第一次チェチェン戦争以来取材をしてきているジャーナリスト林克明さんとNGO活動のためにチェチェンを訪れた高橋純平(市民平和基金事務局)さんが報告した。
 林克明さんは自由な取材許可がおりないので四月末から一週間、チェチェンに潜入した。今回のロシア軍の全面侵攻とその実態を明らかにするとともに、困難な局面に立たされているチェチェン人の独立への意志を押し潰すことはできないことを明らかにした。(発言要旨別掲)
 次に、高橋純平さんがスライド上映をしながら、4月11日〜15日の間チェチェンでのNGO活動の報告をした。
 「イギリスのCPCD(平和と開発のためのセンター)とともに、北西部のズナーメンスコエで食糧配布を行った。これにはロシア軍の護衛がついていた。チェチェン人たちは外国人に惨状を訴えたいと話にくる。行方不明の子どもを探す母親にも会った」
 「肉は手に入らない。食糧も衣類もない、家もないという状態だ。一日一人16ルーブル(60円〜70円)程度の米・マカロニ・サラダ油・そばの実などのセットを配った。これで一週間もつかどうかだ。子どもたちの精神的ケアが必要だ。隣のイングーシでは難民テントで四月一日から学校が始まった」。
 「ロシアの人権侵害についてはヨーロッパ諸国が動き、国連人権委で決議案が提出され採択された。しかし、全体的に非常に弱い。日本は全然動かないし、ブレアもプーチンのイギリス訪問の時、チェチェン問題にはふれなかった」。
 「私はロシアで旅行会社に勤めていた時、ロシア人にチェチェン人のことをどうみているか、質問してみた。『チェチェンは生まれついて戦闘的で残虐で血を好む』、『いい人はひとりもいない』と答えが返ってきた。『では、チェチェン人を本当に知っているのか』と問うと『知らない』と答える。『チェチェンの罪もない女・子どもを殺しているのではないか』と問えば『あつらが始めた戦争だ。テロリズムから国を守ってくれている』と答えた。プーチンが大統領選で勝つためにやった戦争だと感じた」。

チェチェンに平和と救援を!

 市民平和基金事務局からは森首相が訪ロした時、チェチェン問題についての申し入れをしたのは「国境なき医師団」と「平和市民基金」だけであり、日本の国会ではチェチェン問題をだれ一人質問しないなど、日本でのチェチェン支援が極めて弱いことを報告し、せめてヨーロッパ並みの支援を作りたい、そしてチェチェンの子どもたちの舞踊団を日本へ招待・交流の機会を作りたいと呼びかけた。(M)

◎チェチェンに平和と救援を!
救援募金にご協力下さい!

 支援の内容@難民2000世帯への人道援助物資供給A難民の子どもたちのための学校設置B子どもたちの疎開と精神的ケア。
銀行口座 第一勧銀本郷支店 普通2287678「チェチェン救援金」
郵便振替 00100―4―722213「市民平和基金」
b平和市民基金(CFP)東京都文京区本郷3―37―3―303 電話03―3813―6758 FAX03―5684―5870
URL:http://www2u.biglobe.ne.jp/~cfp/
b参考文献 『カフカスの小さな国〈チェチェン独立運動始末〉』林克明著、小学館刊・1500円、パンフレット『チェチェン』〈知られざる戦争〉市民平和基金編、500円




林克明さんの報告から

残虐行為を繰り広げるロシア軍と民衆の疲弊


 まず、全体的情勢について報告したい。今回のロシアの目的は前回負けたことへの報復と独立の阻止にある。2月6日、ロシア軍は首都グロズヌイを制圧し、チェチェン側は山岳部へ逃れた。ロシア軍は全土制圧だと発表したがそれはその通りだ。第一次戦争の時よりもロシア軍の部隊が多い。今回の特徴は山岳部にもロシア軍が万単位で入っていることだ。空から地雷をまいている。歩いてチェチェンに入ることはできない。
 チェチェン側は首都から山岳部へ撤退した。ロシア軍はわざと逃がしたのではないか。チェチェンは森がなく原野だ。地雷源で傷ついた以外は何千人ものチェチェン部隊が無傷で逃げた。もし、ロシア軍がせん滅しようとしたらできたはずだ。今後、ロシア兵がチェチェンの一般民間人を攻撃する。そうするとチェチェン側が急進化してテロ行為をするだろう。こうしたことをロシアはねらっている。ロシアは2月6日以後も戦争をやめるつもりはない。
 EC・欧州議会は人権侵害でかなり強硬にロシアを批判している。プーチン大統領も西側とこれ以上関係を悪化させたくないので、話し合いを拒否していたが交渉しようと変わってきている。チェチェンを軍事的に完全に支配することはできない。いつか、ほころびが出てしまうだろう。チェチェン側の反撃により、ロシアの死者は2200人と発表しているがはるかに被害は大きいだろう。
 プーチンはKGBのトップであった人物であり、「ロシアのピノチェト」と言われている。経済改革はかなりやっていくだろう。そして西側との関係もよくなるだろう。しかし、民主化にまったく逆行して、軍のマスコミへの介入や他の少数民族の権利を奪いとっている。この点で最悪の方向に向かっていくのではないか。
 次に、今回チェチェン現地の状況について。ロシアが取材許可をしなかったので潜入する形でチェチェンの村に入った。家の道路側は雨戸を全部閉めている。外出できるのは女性や老人だけだ。若い男は軟禁状態の生活を余儀なくされている。5カ月間で4回一斉捜索があった。ロシア軍が一つ一つの村を囲み、家の中にまで入ってくる。「男はいないか、武器はないか」と。村全体が人質状態に置かれおびえている。村から村に移動できない。トイレに行くにも、子どもをやって様子をさぐってからでないといけない。
 男がいればフィルター・ラーゲリ(テロリストかどうかをフィルターにかける強制収容所)に連れていかれ拷問をされ虐殺されてしまうこともある。
 村の家でじっくり話ができた。@独立についてAイスラム武装勢力についてどう思うか質問した。答えは全員が「独立は当然だ。どうして、ロシアといっしょになれるか」だった。独立派ゲリラについては、「自分たちの故郷を守っていてくれる。ゲリラといっても普通の夫であり、労働者・農民であり全面的に支持している」との答え。しかし、今回の戦争で、外から来ている支援ゲリラについては批判的な意見もあった。
 第一次戦争の時は、助け合って独立したいということでエネルギッシュで明るかったが今回は疲弊して元気がない。いまは自分と家族のことを優先してしまう傾向が強いという。前回は自己犠牲精神が強かったが、今回は精神的打撃がすごい、ジワジワと人の心が変わってゆく。ロシア軍のある大佐が一人5千ドルで請け負って敵(チェチェン兵士)を運んだということでつかまった。このようにロシア軍の腐敗が進んでいる。ロシア軍の未来は明るくない。
 最後に、日本に住んでいるわれわれはどうやって役立つか。まずはおカネであり、物資のカンパだろう。南東部の3つの地区がロシア軍に完全に封鎖されている。ここはかなり集落が多いところであり、ここをなんとか支援することが最重要課題だ。援助物資では薬が役立っている。チェチェンの活動家とつながって、それを支援することが重要だ。ヨーロッパやアメリカではチェチェンの支援のためにチェチェン委員会が作られている。日本でもそうした幅広い支援委員会ができればいいのだが。(文責編集部)

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