1メートルほどのスペースで、場所代を払い、揃いの制服や衛生帽を被って商売をする
公設市場の食品売り場の「店主」たち。  (関連記事
平壌郊外の江東郡にて リムジンガン記者・張(チャン)正(ジョン)吉(ギル)氏撮影

                C O N T E N T S

   全脱北者の受け入れが拉致問題解決に必要 ………   加藤 博
  北朝鮮の人権と難民に関する第9回国際会議 ………  衆議院議員 中川正春
  李明博政権の脱北者政策とラオス状況  ……………  会津千里
  5度目の脱北の果てに もう行くところはない  ………  南 相南
  跋扈するブローカーと利用される脱北日本人妻 …… 野口孝行
  アジアの難民と人権に関するセミナー   ……………  大河鹿史峻
  資料紹介 NK知識人連帯「北韓社会」 ………………  大宅京平
  北朝鮮内部からの通信・リムジンガン第3号が発刊 … 石丸次郎
  財政危機の北朝鮮難民救援基金  …………………  山下千津子
  おしらせ  

 

   拉致、北朝鮮への「帰国者」問題解決への意思を問う
 
                全脱北者の受け入れが拉致問題解決に必要  
           加藤 博

 

 3月韓国の釜山で、21年前に起きた大韓航空爆破事件の実行犯、金賢姫元死刑囚と拉致被害者の田口八重子さんの家族が面会、感激の抱擁を交わし、思い出を分かち合った。

 私が衝撃をうけたのは、テレビ画面から伝わってくる長男の飯塚耕一郎さん(32歳)の冷静な表情と発せられた言葉だ。

 「5年越しの念願がかなった。はっきり八重子さんが生きていると証言していただき、うれしかった」

 自分の母親を、素直に「お母さん」と呼びたくても呼べない、「八重子さん」と三人称でしか母親をよべない冷静さが、かえって人々に拉致の傷の深さ、悲しみを感じさせる。

 長男の飯田耕一郎さんは、1歳の時に、自分の母親の田口八重子さんを拉致されている。母親に触れた記憶も、見た記憶もないだろう。母親像を結ぼうとしても結べないのではないか。

北朝鮮によって人生を狂わされた人々

 拉致被害者とその家族、声を上げることのできない拉致被害が濃厚な特定失踪者とその家族、そして1959年から始まった北朝鮮への「帰還運動」で渡った在日朝鮮人や日本人配偶者の93,000人、その家族までを含めれば10万人を超える人々が嘆き、悲しみ、憎しみを抱き、絶望している。

 問題がこれほど深刻になるまで放置してきた日本という国は、一体どうなっているのか。どうして自国民の生命や財産を守る責務を果たしていないのか。

有効な解決手段を講じたか

 拉致問題を含む北朝鮮による人権侵害問題の解決を放置し、有効な解決手段を講じたのか、日本政府の態度は、理解できない。

 私は日本政府の拉致被害者問題、「帰還事業」で北朝鮮にわたった「帰国者」や日本人配偶者の日本への帰還の自由、日本への定住を望む脱北者への対応などの対北朝鮮政策に希望が持てない。

 横田めぐみさん、田口八重子さんらが行方不明になって31年、その他の拉致被害者も未解決のまま、現在にいたっている。

 日本政府が、解決に対して「対話と圧力」の方針で臨む基本方針は理解している。現在は「圧力」を前面に押し出した方針であることも分かる。経済制裁や北朝鮮船舶の日本への寄港禁止、人事交流の停止など、圧力を強めている。これらがボディーブローのように北朝鮮を苦しめていることも分かる。しかしこの程度の措置で北朝鮮が折れて、拉致被害者を返してくるとは、政府関係者も、拉致被害者を取り戻すことを目的に活動する民間団体の幹部たちも、国会議員も信じていないだろう。一般の国民だって、北朝鮮はけしからんと思っても、この程度の制裁で北朝鮮が頭を下げてくるなどとは信じていまい。相手は軍事優先の独裁国家である。
 
情報収集は不可欠ではないのか

 不可解な例は、制裁措置として人と物の流れを止めていることだ。それは拉致関係、北朝鮮当局者の考えなどを知る術を封じる。

 しかし問題解決のためには、情報収集は不可欠ではないのか。政府は制裁によって失う情報源に代わる情報収集の方策を講じているのかという疑問である。

 拉致被害者の情報は、韓国に定住した脱北者に依存している。日韓関係が良い時は必要な最低の情報は共有できるが、過去10年間親北政策をとる金大中、盧武鉉大統領時代には、それはできなかった。

自国民の安全を他国に依存する危うさ

 自国民の安全に関する情報を外国に依存するということは、自らの運命を、他国に委ねる危うさを感じる。行政府の政策決定責任者たちは、どれだけ失われたものの大きさを感じているだろうか。国会議員たちは、問題解決のためにどれだけ効果的な活動をしているだろうか。青空色のシンボルバッジをつけているだけではアリバイ工作にしか映らない。

 日本は拉致情報を他国に依存して、必要な協力が得られなかった。これを教訓にすべきである。

 苦し紛れに、警察の外事課、内閣情報調査室、公安調査庁、防衛省陸幕調査隊、防衛研究所などが、有力な情報を持つ脱北者に個別に聞き取り調査をする手法がとられてきた。

 韓国と日本の利益が一致しなければ相互に恩恵を受けることはできないのは当然のことである。

 また、日本政府は貴重な情報源である脱北者の情報を自ら拒否しているのは不思議なことだ。日本政府が北朝鮮からの脱北者を受け入れるのは、1959年から始まった「帰還運動」で北朝鮮に移住した在日朝鮮人の特別永住者と日本人配偶者の孫までの3世代に限っている。これでは、拉致情報は集まらない。

 なぜなら、日本から北朝鮮に移住した人たちは、「腐敗堕落したブルジョア思想の持主」として耐えがたい差別、抑圧を受けている立場だ。

 北朝鮮国内は人々が、「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」という身分制度に分類され、「帰国者」が支配階層に分類されることはないからだ。

 したがって日本から渡った人が、北朝鮮国家の機密に属する「工作員」「工作教育関係者」「拉致者」などの情報に接する立場にはなりえないのである。

すべての脱北者の受け入れ必要

 現在、北朝鮮国内で進行している支配層である核心階層内部の権力闘争の敗者、忌避者、労働党、人民軍幹部の脱北者は、国家機密にかぎりなく近い人々である。これらの人たちを日本政府は受け入れない。韓国政府は受け入れる。日本は自ら、必要な情報を遮断している。

 日本から「帰還運動」で渡った人だけに日本への定住の道を開いても、北朝鮮の政治を動かす核心階層の情報は得られないのは自明の理だ。

 本当に必要な情報を得るためには、日本へ定住を希望する北朝鮮の高位、高官などすべての脱北者に日本定住の道を大胆に開くことが不可欠だ。その政治判断が求められる。

シグナルを送り続ける

 北朝鮮に拉致問題の解決や強制収容所などの人権侵害問題の解決を迫るためには、さまざまな圧力が必要だ。北朝鮮は、圧力がなければ、交渉しようとする意志さえ見せない独裁国家であることは、今やだれの目にも明らかだ。

 拉致問題を解決するための確固たる姿勢を知らせる必要がある。そのためには、日本は、問題解決のためには大胆な政策の転換も辞さない、必要な情報収集のために新しい体制を考えている、というようなシグナルを断続的に送り続ける必要がある。

 たとえば、「日本定住を望む脱北者を原則受け入れる体制を検討中」、「入管法の改定も視野に入れて議論する」とか、まだまだ打つ手はある。

 国会議員であれば「北朝鮮難民を受け入れるために人権法の改定を目指す」あるいは「日本人配偶者の安否調査に着手する」でもいいだろう。

 立法府、行政府に働く人は何をしなければならないかを理解しているはずである。分かっていても、その障害を取り除く努力をしないのは国民に対する背信である。

 それが分かっていて、立法府や行政に働きかけないNGOは怠慢である。政府とは違った視点で、あるいは民間だからできる具体的な提案を、国民は待っているのではないだろうか。

 政府は、情報収集のための組織の効率的な制度の創出、運用を真剣に考えなければ、情報収集で後れをとり、国益を損なう。

 北朝鮮による深刻な人権侵害を取り除くために大胆な政策の転換を求める。新しい発想と決断、行動を求めたい。

 

   北朝鮮人権会議報告  北朝鮮の人権と難民に関する第9回国際会議
                                             衆議院議員 中川正春  

 

 2009年3月20日から(金)〜21日(土)まで、オーストラリア メルボルン、グランドハイアットホテル会議場で、北朝鮮の人権と難民に関する第9回国際会議(The 9th International Conference on North Korean Human Rights & Refugees)が開催されました。会議に出席された中川正春衆議院議員から詳しい報告がありましたので、ここに掲載させていただきます。                      (編集部)

1.会議の主催者及び関係機関

主催:オーストラリア北朝鮮人権委員会(The Australian Committee for Human Rights in North Korea)
共催:韓国の北韓人権市民連合
(Citizens’ Alliance for North Korean Human Rights)
後援:アメリカのNational Endowment for Democracy

2.内容

<1日目>

 基調になる発言は、日本の上田人権人道担当大使、韓国のチェ・ソンホ人権大使、さらにムンタボーン(Vitit Muntarbhorn)国連人権調査官(Rapporteur)が、それぞれの立場から拉致問題、脱北者問題、離散家族や強制収容所を含む北朝鮮国内の人権抑圧問題を提起。日本は、上田大使の拉致問題の背景説明に加えて、オーストラリア国立大学のTeresa Morris-Suzuki教授によって、帰還運動で北朝鮮に渡った在日朝鮮人や日本人妻とその家族の問題が取り上げられ、韓国との協調の必要性が問題提起されたことが印象的であった。

専門家や政府関係者の発言と共に、朝鮮日報による脱北者の逃避行のドキュメンタリー映画「On the Border」(日本でもTBS等で一部放送)や「Yodok Stories」(強制収容所のミュージカル)制作にいたるドキュメンタリーなどが上映されて出席者の心情に訴えた。また、北朝鮮の集団催眠統治を子供の絵を通じて鋭く表現する脱北絵師や、才能溢れる脱北ピアニストなどの直接の証言があった。彼らは、強制収容所のなかで生まれ育った子供が脱北して、途中、両親の処刑にあいながら韓国にたどり着いて、才能を開花させ、韓国社会で北朝鮮の一日も早い正常化を訴えている。現地のマスコミ報道は、主にこれら脱北者の活動を大きく取り上げることで、今回のフォーラムの意義を報道していた。

<2日目>

 オーストラリアの議員を中心に日韓の国会議員、韓国の前統一省次官や大使など政府関係者、大学や研究所の専門家、この会議を共催した主なNGO関係者が参加して、ラウンドテーブル方式の討論会が行われた。

私は、具体的に次の項目について発言し、協力を要請した。

@日本の北朝鮮人権法をさらに進めて、拉致問題を中心に人権侵害に対する戦いを続けていく。加えて、脱北者の問題についても、韓国が真剣に取り組んでいるように北朝鮮社会の崩壊の可能性にも配慮しながら、まさかの時にも備えることが必要だと思う。

A拉致問題の交渉を日朝二国間の作業部会から、韓国やその他関係国を交えたマルチの交渉舞台に格上げすべきだ。六カ国協議では拉致問題を日朝二国間の作業部会で扱い、進展が見られないことは耐えられない。この問題は、韓国にも存在して、拉致と言う定義ではなく離散家族として、これも二国間で交渉されてきた。この会で指摘されたごとく、拉致問題に限らず人権問題は深刻な広がりを持つ。中国北東部には20万人以上といわれる脱北者が過酷な人権侵害の対象となっている。その他、戦時中の行方不明者、北の政治犯収容所で拷問と強制労働に苦しむ人々などの問題は、周辺関係国が共同して北朝鮮に対峙していくべき問題だ。日本の拉致問題も含み、人権問題を多国間の交渉ベースに格上げして、北朝鮮政府に強くその解決を求めていくべきだ。

B関係国の国会議員の間で監視チームを作り、中国の北朝鮮国境周辺地域に現地視察を実現したい。その際、北京にあるUNHCRも共に参加するよう促したい。オーストラリアの議員にも参加を要請する。

C今年は、北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟(IPCNKR)の総会をタイのバンコクで開催する予定だ。タイには拉致被害者のアノーチェさんの問題があり、脱北者の逃避ルートであると同時に、隣国のミャンマーで迫害された少数民族の避難民を抱え、人権問題が大きな政治課題となりつつある。オーストラリアを含む周辺国の国会議員の皆さんにも、参加を要請したい。

3.成果と課題

 日本の上田人権大使の拉致問題に関する総括的な説明と同時に、今回は、オーストラリア国立大学のスズキ教授によって、北朝鮮の意を受けて朝鮮総連に主導された帰還運動で北朝鮮に渡った在日朝鮮人や日本人妻の問題、その係累にあたる人々が、脱北者として日本に帰還してきている現状を歴史的な背景を持って説明されたことは、日本の立場の理解を深める上で大きな効果があった。
 北朝鮮の金正日軍事独裁体制に立ち向かっていくためには、各国が二国間ベースで取り組むより、むしろ、人権という普遍的な課題で、周辺各国が充分に協力し合い、国際的な世論を喚起しながら交渉していくことが何よりも大切だと、出席者の間で確認された。
 オーストラリアの人権や北朝鮮の専門家はもちろん、外交委員会委員長を中心に何人かの議員が北朝鮮問題にオーストラリアとしても何らかのコミットをしていくべきだと言う姿勢を引き出せたこと、さらに、こうした議員たちとの人的ネットワークが大きく広がって、今後の多国間連携の輪が確実に広がったことは、大きな成果であった。


参考のために、上田人権人道担当大使の発言要旨、ムンタボーン国連人権状況特別報告官の演説も紹介します。 (編集部)

上田秀明人権人道担当大使の発言要旨
拷問、強制収容所、思想の自由の制限、女性、障害者の権利侵害などに国際社会が関心を持つべきだ。

Vitit Muntharborn(ヴィチット・ムンタボーン)国連人権状況特別報告官の演説

 870万人余りの北朝鮮住民が食糧不安状態に置かれている。昨年は天候が比較的良好であったが、肥料と燃料の不足で稲作が増えなかったようだ。
 また北朝鮮では法により拷問が禁じられているにもかかわらず、広範囲に実行されている。収監者は苦痛を緩和するために賄賂を使うこともある。
 北朝鮮で発生している広範囲かつ体系的で、非難されるべき人権侵害は、長期的に続く水面下のもので、今こそ国際社会が北朝鮮の食糧および人権問題などを取り上げる適切な時期である。

 北朝鮮は、即刻に援助を必要としている住民のために、食料と基本的な生活必需品を提供すると同時に、効率的な供給を保証すべきである。

 公開処刑など個人の安全及び権利と自由に対する人権侵害をただちに中断するよう求める。長期的には国家体制を改革し、国際人権規範を順守し、「住民優先政策」に基盤を置いた正当な発展政策を立て、国防費を含む国家予算を社会部門に振り分けるよう促す。国際社会は北朝鮮の人権侵害予防と効果的な保護、接近可能で責任ある方法での保護と援助などにただちに乗り出すべきである。

 

   李明博政権の脱北者政策とラオス状況
 
    前政権とどこが違う? 大使館に到着できなければ、介入しない?!!  
       会津千里  

 

 金大中、盧武鉉政権の親北朝鮮政策である「太陽政策」と「関与政策」によって、北朝鮮住民と脱北者は、さまざまな人権侵害と苦難に喘いだ。

 新たに出発した李明博政権は、これまでの両政権と異なる対北政策のため、北朝鮮人権団体からの期待が高かった。

 ところが、李明博政権の脱北者政策は、既存の政策と別に目新しいものはない。違うものがないと言ってもよい。

 新政権の脱北者政策は「脱北者が滞在している国の政府と政治的、外交的に、問題を起こさない範囲で脱北者を支援する」というものだ。

 これが目新しいと感じるのは、これまでの政策がいかに、北の政権を思いやるばかりに、民主主義の基本理念である人権をないがしろにしてきたかということの証明でもある。

 新政権の名誉のために少し言葉を付け加えるなら、「普通の国」に戻りかけたということだろう。

 だから、ラオスで、脱北者支援もあまり変化がない。

 脱北者をラオスからタイに密入国

 つい最近までの間、2008年の初めまで、在ラオス韓国大使館は脱北者がラオスに入国し、韓国大使館まで着くと、非公式的な方法で、脱北者をラオスからタイに密入国させる支援をしていたことは、関係者の間ではよく知られている。

 脱北者によって、ラオス政府と外交的問題が発生する素地があるとして、隣国のタイに密入国させるという馬鹿馬鹿しい方式を選択してきたのだ。

 これについて、NGOらは、韓国大使館が脱北者を密入国させることに関与するのは、「不法である」とともに、「職務放棄」に匹敵するとして、抗議していた。

韓国大使館の職務放棄

 2007年4月、10代の脱北者青少年らがラオス刑務所に収監されていたことがあった。その時、在ラオス韓国大使館の関係者は一回も面会に行かなかった。それで、北朝鮮大使館員が来て、脱北者少年少女らを北朝鮮に送還しようとした事件もあった。

 また、2007年12月に脱北者女性2人が在ラオス韓国大使館に駆け込んだ事件があった。その時、ラオス武装警察が在ラオス韓国大使館内まで入って、脱北者女性2人の身柄を拘束し連行した。韓国大使館側はラオス当局に抗議もしなかった。むしろ、「身元不明な人が大使館に駆け込んだので、ラオス武装警察が捕まえて行くのは当たり前のことだ」という大使の答弁を聞くに至っては、あいた口がふさがらない。

外国大使館への駆け込みが道を開く

 2008年は、韓国のNGOが協力した結果、在ラオスのスウェーデン大使館などの在ラオス外国大使館に脱北者らが駆け込んだ。すると彼らは一週間内に韓国に入国することができたのだ。

 ラオスー韓国ルートを使って脱北者の負担を軽くして安全圏に運ぶことは可能だったのだ。

 在ラオス外国大使館に脱北者らが駆け込んだ事件がきっかけになって、2008年10月からは、在ラオス韓国大使館が、ラオスから直接韓国へ行く道を開いた。

 しかし、今も、在ラオス韓国大使館まで到着できない脱北者に対して、韓国大使館は介入しないということに変わりはない。 

 ラオス政府と政治的、外交的問題を起こすことを嫌って、自己規制しているのだろう。

500ドル払えなければ強制送還

 2008年12月に、ラオス・中国の国境地域のボテンで捕まった脱北者3人の中、女性一人は腸の破裂で死亡し、他の脱北者夫婦は自殺を企図した事件があった。

 ラオス公安当局が、脱北者らに罰金として一人500ドルずつ払えなければ強制送還すると言ったので、両者の揉み合いが起きた。そこで、女性一人が死亡した。その状況を見た二人は自殺を図り、鉄類を食べたのだ。強制送還され、苦しむことを考えると、その場で死んだほうが楽だと思ったからに違いない。

 死んだ女性の死因について、韓国大使館は究明する努力を怠っている。ラオス当局が埋葬するに任せ、どこに埋葬されたかも確認していない。

国境から助けて、返答なし

 2009年2月1日、脱北者女性3人がラオス中国国境の町ルアンナムタで検挙され、収監された。彼女らは在ラオス韓国大使館の在外国民担当領事に電話を掛けて、助けを求めたが、返事はなかったそうだ。

 その結果、ラオス公安当局は2月15日に女性3人を中国に強制送還することにした。女性3人は自ら所持している指輪、ネックレスなど貴金属を全部ラオス公安員に渡し、「私たちを絶対中国公安に渡さないで下さい」と哀願した。彼女たちに同行したラオスの出入国管理公安は国境を離れてから、「中国側に向かって行きなさい」と言って途中から引き返してしまった。それで運良く山に隠れることができたのだ。

 彼女らは山から中国に入って、知り合いと連絡を取って、助けを求め、ちょうど韓国にいるNGOと連絡を取ることができたのだ。

 2月27日に中国にいる信頼できる人の助けを借りて、彼女らを中国から救出し、ラオスで活動するNGOに解決を依頼した。3人の女性は在ラオス韓国大使館がある場所に到着してようやく保護される運びとなった。

19人が勾留、7000ドルの罰金

 脱北者たちのラオスへの流入は今も続いている。脱北者19人がウドムサイ警察署に拘留されたままだ。19人全員の罰金として7,000ドルを要求されている。しかし、韓国大使館は介入しないとしている。脱北者が置かれている状況は劣悪で、苦しんでいる。

慈悲を施す善きサマリア人を探している

 韓国政府が助けないのであれば、心ある人々の力を集めて、この問題を解決したいと思っている。脱北者たちには、私たちのようなNGOの活動と助けを必要としている。

 脱北者らに慈悲を施す善きサマリア人(びと)※1を探している。
 私たちが脱北者たちの善き隣人※2になればどうだろう?

※1)B.C.722年、イスラエルのサマリアを陥落させたアッシリア帝国は、サマリアのユダヤ人を虜囚としてメディア(イラクの一地域)などに移し、代わりに征服した他国民をサマリアに住まわせた。サマリア人とは、移住してきた外国人と結婚して残留したユダヤ人の子孫といわれている。そのため、ユダヤ人は歴史的、人種的にサマリア人を憎み、蔑んできた。

※2)イェスを律法学的に試すために、ユダヤ教の律法学者が質問した。(ユダヤ教はイスラム教と同様に、すべての日常生活、道徳などが律法によって定められている。)
それに対し、「強盗に襲われ、傷つき倒れたユダヤ人を、同族のユダヤ人祭祀長たちや正当なユダヤ人と自負する人々が見て見ぬふりをして通り過ぎたのに、通りがかったサマリア人が献身的に彼を介抱し助けた。誰が彼の本当の隣り人になったのか、すなわち誰が本当に律法を守ったのか」とイェスがこの例え話で反問した。新約聖書「ルカによる福音書」10章25−37節に書かれた有名な逸話。

   祖国を裏切った反逆者は出ていけ!
 
   5度目の脱北の果てに  もう行くところはない
                 南 相南  


 「今度は2008年11月27日、中国に脱出して来ました。7度目の脱出です。もう行くところはありません。ここで死なせて下さい。さもなければなんとか助けてください」

 もうすでに外は零下10℃になっている。これからは温度がどんどん下がってくる。聞き取りをする調査員に涙を流して訴える。訴えているのは65歳になる老人の洪宋満(ホン・ソンマン)。話を聞くと、最初は吉林省延辺朝鮮族自治州和龍市の東城鎮と言う村で助けをもらっていた。 
  
 しかし、そこでも長くいることが出来ず、山の中に行って作業小屋を見つけて泊まり、山から下りてきて、あちらこちらの農家の納屋を見つけ、積まれている稲わらの中に潜り込んで寝泊りしている。見ると靴下もなかったし、穴のあいた靴のために右足は凍傷にかかっていた。少し痛いと訴えているが、歩くのに問題はないと言う。今日までいく場所もないまま2ヶ月間もずっと路上で暮していた。そのうちに、3年前に一回助けてくれた龍井市にあるキリスト教会に辿り着いたのだった。

 この教会の責任者は、「今日から数日間はここに泊まってもよい」と言っているが、公安局から「泊めたり、食事を与えてはいけない」と警告を受けていると苦しい心中を語る。

 2月の第3週には自治州の宗教局の担当者たちが観察にやってくるから、このままここに置いておくわけにはいかないと言うのだ。

 この脱北者は咸鏡北道穏成郡からやって来た。これから先、行く場所がどこにもない。私をここで死なせてください。でなければなんとか助けてください、と何度も同じことを繰り返す。助けると言わなければ、いつまでも同じことを繰り返す気配だ。ようやく「なんとか助けるから」と説得して落ち着かせ、話を聞いた。

じゃがいもの皮は高級な食材

 北朝鮮では「苦難の行軍」の1997年〜1998年2年間で、私の故郷では半数ぐらいの人たちが餓死しました。

 その時は村の誰もが、松の木の皮、トウモロコシの粒がなくなった芯を粉にして食べ飢えをしのいでいました。じゃがいもの皮は高級な食材でした。私の記憶では私も毎日食べ物を探して歩き回るうちに平野に生えているあらゆる草を全部食べていました。白菜の根が見つかったらそれは高級な食べものでした。

このままでは死ぬしかない

 このままだと死ぬしかないと思い、死を覚悟して2000年6月25日初めて豆満江を渡って中国の地に脱出しました。

 しかし、中国には私のような脱北者たちがいっぱいいて、脱北者の取り締まりも厳しかった。農村で納屋や牛小屋に隠れて生活しながら毎日の生活をして行くしかありませんでした。1年のうち6〜7ヶ月は泊まる家もないまま、路上での生活で過ごしました。

 特に辛かったのは冬でした。−30℃にもなる外で夜を明かすと次の日には足指から全身が凍ってしまい、まるで鉄棒のようでした。

 自力でまともに立つことも出来なく道端に倒れていても誰一人私のこと心配する人はいませんでした。私は、乞食のような薄汚れた服装で毎日を涙で暮らしていました。それでも私は、死に切れなくて今まで生きて来ました。

強制送還、拷問、労働鍛錬隊

 そのような生活の中、2001年4月25日、私は龍井市で中国公安に拘束され北朝鮮へ強制送還されました。北朝鮮に引き渡されたのは会寧でした。

 北朝鮮に送還されると最初は取り調べを受けます。取り調では本当に動物のような扱いを受けるのです。拷問は勿論のことです。調べが終わると収容所(集結所)に移されるのですが、その中でも同じ待遇でした。2ヶ月後やっと自分の故郷の延社郡に移されましたが、私を待ち受けていたのは労働鍛錬隊でした。

 北朝鮮での取り調べ、収容所(集結所)、労働鍛錬隊で受けた扱いを言葉や、文章の力で表現することができないほど想像を絶します。本当に想像もつかない酷いことです。

2度目の脱出、強制送還、会寧保衛部

 7ヶ月後の労働鍛錬隊での労働鍛錬を終えて釈放された後、私は2002年5月に再び中国に脱北しました。詳しい日にちは覚えていません。

 その後2004年10月、龍井市の病院の廊下で中国公安に拘束され北朝鮮へ強制送還されました。その時は会寧の保衛部で取り調べを受けた後、そのまま清津市咸鏡北道道収容所に送られました。その中での生活はもっと酷く、毎日のように飢餓状態だったその状況は言葉では表現できません。 又、その収容所の中では毎日のように青年たちが死体で外に運ばれていました。毎日のご飯は、小石がいっぱい混じっているトウモロコシの皮のお粥でした。

 真冬でも全く暖房のない部屋の中で収容されていた人たちの殆どが中国から強制送還されて来た人でした。部屋の中で聞こえるのは苦しくて泣いているうめき声ばかりでした。ちょっと体を動かしたり、うめき声が大きくなると看守が皮靴で繰り返し蹴るのです。この収容所の中での生活を暴露するには本一冊では全部書けないでしょう。

150人のうち9人しか生き残れない

 道収容所から釈放された後、2004年12月私は、中国和龍市崇善に三度目の脱北をしました。しかし2006年8月に中国汪清で中国公安に拘束され強制送還されました。保衛部の調べが終わり今度は咸鏡南道栄光(ヨングァン)郡漁郎(オロ)55号労働鍛錬隊に送られました。

 私が労働鍛錬隊に入る当時は150人が働いていました。7ヶ月後の2007年3月には、かろうじて命が残っている人は、9人しかいませんでした。他の人は皆、毎日のように死体で外に運ばれていたのです。私もその生き残った9人のなかの一人です。生き残った9人もそのままだと死んでしまうと感じたのか3月の20日に私たちを全部釈放したのです。

息子が私を反逆者だと追い出す

 軍隊に服務していた息子が除隊して戻ってきました。私がすでに3度も脱北し、労働鍛連隊に服役したことを知った息子が、私を家から追い出しました。

 私は、「祖国を裏切った反逆者」だと言うのです。息子が私を「反逆者」にして追い出さなければ、息子は反逆者となってしまい、その土地では暮らせなくなってしまいます。息子が少しでも幸せに暮らすためには、私が追い出されなければならなかったのです。私が北朝鮮で生きる場所はないのです。

中国に行くしか生きる道はない

 2008年3月23日、私は又食料を求めて中国和龍崇善に脱北しました。北朝鮮にそのまま残ると死を待つのと同じなのです。取り締まりがいくら厳しくても食べて生きるためには中国に行くしかないのです。

 ’08年は中国ではオリンピックの年で例年より脱北者の取り締まりが厳しくなりました。結局私は、2008年6月20日に延辺朝鮮族自治州の汪清市で中国公安に拘束され強制送還されました。

 北朝鮮に戻れない。中国にもいられない人がまた一人私の目の前に現れた。自分の息子にも捨てられたこのあわれな老人は、果たして安全な第3国までたどり着けるだろうか、気になって仕方がない。 

   跋扈するブローカーと利用される脱北日本人妻
 
                  NO!と言える選択肢はなかった
         野口孝行  


 今年3月8日、北朝鮮から帰国した日本人妻の斉藤博子さんが、中国人らと共に大阪府警に出入国管理法違反の容疑で逮捕されるという事件が発生した。容疑の具体的な内容は、中国人の男女を自らの親族だと偽り、不法に入国させたというものだ。

 報道などによると、斉藤さんは2000年にブローカーの助けを借りて中国に脱北。翌年8月、中国人ブローカーの指示に従い、彼女の長女になりすました中国人女性と共に日本に帰国した。さらにその後、次男、姪、長女の夫を北朝鮮から呼び寄せたと偽り、自分とはまったく血縁関係のない中国人の不法入国を幇助したという。

 今回の事件を受け、私が感じたことは、この事件は起こるべくして起きた事件だったということである。それではなぜ、事件は起こるべくして起きたのか。この点をしっかりと検証し、対策を立てていかなければ、今後も同様の事件が続発する可能性がある。そこで、事件の発生経過を追いながら、事件について考察してみたいと思う。
 
ブローカーの手引きで中国へ

 斉藤さんが脱北することになったのは、日本人妻である斉藤さんの存在をかぎつけた脱北ブローカーが北朝鮮の斉藤さんの家にまで現れ、中国に来て日本の親族と電話で話をしてみないかと持ちかけたことだった。当初、彼女は日本に帰ろうとは思っていなかったらしく、日本の親族と連絡を取りたいとだけ考え、ブローカーと共に中国へと向かった。

 ところが中国に到着すると、ブローカーは日本に帰ることもできると彼女に告げる。だが、それを実現されるためには、自分とはつながりのない中国人を実子であると偽り、日本へ入国させることが条件だった。相手の言うことに従わなければ、中国の公安に差し出されたり、別のところへ売られてしまう危険性もある。実際に斉藤さんもそうしたことを恐れていたという。ブローカーに身柄を匿われている状況で、斉藤さんにはノーと言える選択肢はなかった。

日本人妻のより積極的な保護を求める

 斉藤さんが直面した状況は、中朝国境で繰り広げられる典型的なケースである。新たな日本人妻が逃げてきても同じような問題に直面することは十分にありえる。

だが、彼女たちを速やかに保護する体制は十分に整えられていないのが現実だ。寄る辺のない彼女たちは今後も現地のプローカーの手に落ちてしまうことになるだろう。そして、日本国籍者の身柄を確保したブローカーたちは、身柄明け渡しの条件として法外な額を日本の在外公館に要求したり、今回のようになりすましによって日本への不法入国を試みるに違いない。

 こうした事態を避けるためにも、政府はしっかりとした対策を立て、日本人妻を速やかに保護できる体制を整えるべきだ。日本人妻の身柄がブローカーの手に渡る前に保護することができなければ、今回のような事件が再び起こる可能性は非常に高い。

 生まれ故郷の日本に帰るための条件として、祖国の法律を犯さなくてはならないというのでは、あまりにも残酷な話だ。こうした事態を避けるためであれば、帰国した日本人妻たちや元在日の脱北者は情報の提供を惜しまないだろう。また、当基金も求められれば、いつでも協力したい。

日本政府には、日本人妻の保護に消極的になるのではなく、むしろ積極的な方法に打って出ることでこの問題に対応していってほしい。

   「アジアの難民と人権に関するセミナー」に参加して         
 
                        大河鹿 史峻(おおかじか・ししゅん)

 

 3月14日、東京JICA地球ひろばで標記セミナーが開催された。

 主催者である「北朝鮮難民救援基金」と「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の外、報告者として、「在タイ・カチン女性協会」、「中国民主陣戦日本支部」、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京」及び「難民支援協会」からの参加を得た。人身売買犠牲の証言者のコーナーでは、北朝鮮を脱出して来た2人の日本人女性と、人身売買に遭った娘の母親としてビルマ・カチン族女性1人から、それぞれの苛酷且つ辛い証言を拝聴することとなった。

 更に、以上の証言者と報告者を網羅した「アジアの難民と人権に関するパネル・ディスカッション」が続開された。参加者からの質疑応答セッションでは、「拉致被害者家族会」や「NO FENCE」等の関係団体の参加者のみならず、この日初めてこの問題に興味を抱いて参加した、という若者の姿も散見された。

 尚、日本政府のODA拠出や日本企業の進出が目立つ国からの難民認定希望者に対しては、良好な政府間関係への外交的配慮から、難民認定が低調であるようだとの「難民支援協会」からのコメントがあった。

 これに対して、一般聴衆として参加の難民認定業務を主管する入管OBから、特に選別的な国別外交圧力が優先されるのではなく、一般的に国益を擁護する観点から、長期定住者となる難民乃至実質的難民の流入に政府として非常に慎重・消極となるようだ、という日本政府の基本的スタンスが指摘された。

 日常活動として北朝鮮難民の救援に特化している団体の構成員からは、セミナーの進行と共に、北朝鮮のみならず、ミャンマー、ヴェトナム、カンボディア、スリランカ、更にこれらの後背地として中国そのものにも、深刻且つ無視し難い難民問題や人権問題が多々存在するという事実に、目からうろこが落ちる思いだ、との感想が聞かれた。

 同時に、国内外を問わず、現場の第一線で北朝鮮難民の実際の救援に当たっている諸NGOにおいて、全く文化の異なる難民の扱いに困窮している事実が指摘された。例えば、生存の為には遵法精神なぞ真っ先に捨てざるを得なかった彼らにおける法的文化の欠如、責任感の欠落、また女性に対する激しいDVの跋扈、児童期における基礎教育の不在、同じく両親による庇護の放棄とその余波、幼少期の極端な栄養不良から来る子供達に対する身体的・精神的悪影響等々といった問題も、等しく参加者に共有された模様である。

 ところで、脱北難民問題にせよ、拉致問題にせよ、北朝鮮に関わる問題の最終的な解決は金正日体制の変更、即ち同総書記の退場無くしてはあり得ない。
そのような根本的解決のカギを握っているのは、誰しもが考えるとおり、同体制の強力無比の後ろ盾となっている中国政府である。

 中朝友好60周年を迎えて、その血の同盟関係は鉄壁で全く揺るぎの無いものに見える。核兵器とミサイルで全世界を恫喝しつつ、実は国家経済の破綻状態に瀕し、今にも自壊しそうな北朝鮮ではあるが、そうであればこそ、危急存亡の秋を共感する兄弟国家として、中国の一層の肩入れさえ予見されるのである。

 しかしながら、北朝鮮における悲惨な人権状況を些かなりとも知る者として、また人類共同体の一員として、私は引き続き考えられるありとあらゆる方法で、中国政府に人権の覚醒を促し、人道的立場に時として立ち帰るべきだと、その説得に努めて行く。

 アジアで唯一の国連常任理事国として、現実に世界政治を動かす政治大国の一つとして、延いては2050年、ゴールドマン・サックスや世界銀行のエコノミスト達に拠ると、米国をも優に凌駕する世界随一の政治・経済超大国として、我々は人類の平和と繁栄の為に、21世紀の中国に期待せざるを得ないからである。

 「アジアの難民と人権に関するセミナー」が今後も続開され、状況の好転に少しでも貢献出来ることを、心から望む次第である。

   資料紹介  NK知識人連帯が季刊誌「北韓社会」を刊行
 
   北朝鮮民主化と改革戦略、統一政策をめざす  NO!と言える選択肢はなかった
    大宅京平  


 昨年10月24日、韓国で“脱北知識人たちが語る「北韓社会」”という季刊誌が創刊(1800冊)されたとの新聞記事を目にし、早速韓国ソウルのNK知識人連帯に連絡し、手に入れました。


 NK知識人連帯は、昨年6月26日に発足した団体で、北朝鮮で大学を卒業した専門家たちが中心で、その中には碩士や博士号を取得している人も少なくない。同連帯は北朝鮮の真の姿をそのまま知らせる事が、北朝鮮の理解と研究を促し、北朝鮮の民主化と改革戦略樹立、統一政策樹立に寄与する歴史的使命としてこの季刊誌を発刊する事にしたという。
  
               


                 「北韓社会」創刊号

 創刊号は、創刊の辞のほか、特集記事が興味を引くが、季刊誌という制約上、時事的なテーマはそぐわないので、その点は編集上の考慮がほしい。北朝鮮を知る上で貴重な資料となるので、続巻が期待される。

 創刊号の内容を簡単に報告する。
特集:北韓食料難/対北食糧支援の光と影/北韓の実質的食糧需要はどれ位か/8月北韓物価動向
・北韓診断(座談)北韓急変事態と対処方 案
・北韓世相/北韓を揺する資本主義の“汚水”/国家保衛部の好奇心
・北韓研究/総合市場進化と女性の役割(清津スナム総合市場を中心に)/北韓のインターネット開放準備と現況
・北韓制度---機関紹介/朝鮮中央放送/北韓の教育制度/北韓の総参謀部
・北韓幹部との対話--統一次世代に譲れ
・北韓秘史--人間の運命(金日成・金恵順・金貞叔)
・北韓現実--死の収容所
・南側に送る手紙--オットゥギへ
・脱北者の適応と活動/北韓改革放送紹介/自由の重さ
・最新北韓消息
・ 断片--民間療法

 内容が多岐にわたり、北朝鮮知識人の目線が興味深い。とくに「北韓(北朝鮮)の実質的食糧需要はどれ位か」は、食料問題に対する厳密なアプローチがいい。また指摘も参考に値する。

 全文がハングル文字なので、韓国語が理解できない向きには翻訳が必要で、せっかく特徴ある記事が理解されないのは残念だ。そこで、編集部が、興味深いと思った記事は、NK知識人連帯の許可を得て逐次紹介しようと思う。

 そこで今回は、「国際機関(FAO※1)・韓国は正確な食糧需要見積もりを」を抜粋し、紹介する。                    (※1)国連食糧農業機関



国際機関(FAO)・韓国は正確な食糧需要見積もりを

1日当たり食糧消費量は、北朝鮮の一般人も脱北者も1万トン程度と見ているが、国際機構(FAO・ WFP※2)や韓国側は過剰見積で対北食糧援助を行い、援助要請をしている。正確な食糧需要見積が必要である。           (※2)国連世界食糧計画


北朝鮮政府の名目食糧供給量と実質供給量は、次の通りである。

     

年齢・職業   名目供給量   実質供給量  
0〜1歳    100g     75g
2〜5歳    300g    225g
6〜9歳    400g    300g
10〜14歳    500g    375g
15〜17歳    600g    450g
一般労働者    700g 490〜520g
重労働・軍人    800g    600g
専業主婦・60歳以上養老保証者    300g    225g


 実質食糧供給量とは、名目食糧供給量から戦闘米、戦時貯蓄米、節約米などの名目で25%程度控除された後の供給量である。

 大雑把に見て勤労年齢人口を1,300万人(@700g)、その他を1,100万人(@400g)とした場合、年間約493万トンだが、実際はその75%で約370万トンである。

 一方、FAO(国連食糧農業機関)や韓国側は従来の北朝鮮食糧生産量統計を基礎にして、2004年360万トン、2005年390万トン、2006年280万トン、2007年250万トンと推定し、餓死者が発生するとして食糧援助の必要性を強調している。

 しかし、北朝鮮では農民の副業農業生産が認められているという。耕作面積は国家農地面積の4分の1から5分の1程度の面積であり、面積あたり生産量は国家農地の約2倍というが、副業農地食糧生産量は北朝鮮当局の食糧生産量統計には全く含まれていないという。その統計外副業食糧生産量は少なく見積もっても130万トン以上あり、ほぼ自給できる量だという。

 では何故大量餓死者が発生したのか?
 致命的だったのは1988年のソウルオリンピックに対抗して平壌で開催した第13次世界青年学生祝典で戦略物資の蕩尽だという。

 それ以外にも1992年、東欧共産圏国家崩壊による援助中断による原料・燃料、肥料・営農物資不足、金日成が死亡した年である1994年の大洪水と旱魃。80年代初、後継者問題で金正日のイメージアップを狙った4大自然改造事業への莫大な人的、物的投資が何らの経済的効果もなく、経済破綻をもたらした。さらに、外部からの食糧支援は一般国民には配給されず、特定階層と戦争予備物資備蓄に当てられたためだ。(*北朝鮮は朝鮮戦争の経験から、総ての戦争予備物資3年分の備蓄をするとの原則があり、特に弾薬、燃料、米の備蓄に全力を入れているという。)

 北朝鮮は去年から今年にかけて、韓国政府からの大量食糧援助申し入れを拒絶し、民間食糧援助は受け入れている。これは「苦難の行軍」と言って、多数の国民を犠牲にし、餓死させながら、3年分の戦争予備食糧備蓄をほぼ終了したということだろう。
まさに「強盛大国」である。

   「北朝鮮内部からの通信・リムジンガン」第3号が発刊
 
   北朝鮮にジャーナリズムを芽吹かせるために
                          石丸次郎(アジアプレス/リムジンガン編集発行人)   

 

 ミサイル発射実験、後継者問題でますます注目される北朝鮮ですが、こんなときだからこそ、北朝鮮内部はいったいどうなっているのか、北朝鮮の民衆はどんな思いで暮らしているのかを知る必要があります。ミサイル発射に過剰に反応したり、北の公式発表の引用が目立つマスメディアの報道からは、実は兵士をまともに食べさせられないほど金正日政権の力が衰えていることや、北朝鮮の一般民衆の大多数が、金正日総書記の政治を失敗したものと評価していることは伝わってきません。過大視も過小評価もせず、実像をしっかり見ることが、北朝鮮に向き合う際にますます重要になってくると思います。

 北朝鮮は重い重い病気にかかっています。東アジアの周辺国も米国も、その病気が相当な重症であることは分かっており、早く治して健康な普通の国家になることを望んでいてそのために手を差し伸べてもよいと考えています。けれど、いったいその病気の原因は何で、病巣はどこにあり、どのような治療が必要なのか、的確な診断を下せないでいます。診察をしたくても、服は脱がないし、脈も取らせてもらえないからです。

 自ら穴の中に入って出てこようとせず孤立した北朝鮮政権に、病を自力で治癒することは困難だと思われます。この難儀な隣人の病気を治すために今必要なことは、まず何より病の的確な診断でしょう。そのためには、確度の高い信頼おける情報が安定的に外部社会に提供されることが必要です。病の診断が、間違った情報、不足した情報に基づいて行われると、それは誤診を招き、治癒を遅らせる、あるいは、さらに病状を悪化させることにつながりかねません。私が北朝鮮にジャーナリズムの芽を育てようと考えたのは、このような問題意識からでした。

 北朝鮮の内部は今、大変化のただ中にあります。国家の経済破綻によって民衆が始めた商行為は、この15年で爆発的に活発化して市場経済を急成長させました。それにともない、民衆は自立して暮らしいくことを志向し始めており、自分の頭で考え、判断し行動する人々が増えました。そして人々の考え方、社会の価値観も大きく変わりつつあります。

 北朝鮮の地下に潜むリムジンガンの記者たちが取材してくる北朝鮮民衆の声に耳を傾けていただければ、圧政にさらされている民衆の「世論」が聞こえてくると思います。その「世論」の中から、北朝鮮社会が患っている病気を診断するための材料を探してもらえたら幸いだと思うのです。

リムジンガン第3号のおもな内容
●特集 金正日「異変発生」後の北朝鮮
・拡散する金正日重病説 北の民衆はどう受け取ったか
・黄海道平壌江東郡取材紀行 やせ細る兵士 混乱する人民生活
・拡大する市場に大統制が始まる
・三代世襲はありえない?「後継問題」に直面する北朝鮮政権 
●北朝鮮経済官僚秘密インタビュー3
 「でたらめな政府の経済指導」
●検証 脱北難民は北朝鮮送還後どのように扱われるか
●10代女性のホンネに迫る 新世代インタビュー 
●シリーズ・連載 教育は今/事件事故/不動産取引の怪/新世代は語る ほか

取材:北朝鮮内部のジャーナリストたち
値段:2980円(税込・送料別) 224ページ 写真約100点(モノクロ)

ご注文は
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Aインターネット
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Bおもに都市部の大規模書店でも取り扱っています。

   活動規模の現状維持か、縮小かの瀬戸際
 
   財政危機の北朝鮮難民救援基金─給料の欠配続く
                               監事 山下知津子  

 今、多くのNGOが財政危機に直面しています。規模も大きくて著名な、公的資金援助を受けているところ以外は、どこも厳しい財政事情を抱え大変苦労していると聞きます。

 北朝鮮難民救援基金も例外ではありません。非営利活動法人として、活動資金を募金に頼って活動しているので、募金の減少はたちどころに活動に打撃を与えます。

 当基金はこれまで、一人でも多くの北朝鮮難民や、北朝鮮国内で飢餓に苦しむ人々を助けようと、懸命に努力してきました。昨年は年間で米換算にして30トン以上の穀物を、北朝鮮で最も切実に、真に食糧を必要としている人たちに自前のネットワークを通じて届けました。

 また、当基金は教育里親制度や募金によって、現在およそ30名の子どもたちを保護、養育しています。脱北してきた孤児や、中国朝鮮族と脱北女性の間に生まれ、その後母親が北朝鮮に送還されてしまい保護者のいなくなった子どもたちを養育し、学校に通わせています。

 さらに、北朝鮮に帰ることも中国に留まることもできず、生命の危険が差し迫っている脱北者を、緊急度に応じて第三国に出国させ、彼らの望む定住地に送り届けるという仕事もしてきました。当基金発足以来およそ300人の人々を、韓国、日本、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどに、当該国やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)との協同作業で、送り届けたのです。

 これらの活動と成果は、ひとえに人道主義と人権活動に深い理解と積極的な協力を示してくださっている皆様方の募金によって支えられているのです。

 難民はほとんどが無一物で母国を捨てざるをえなかった人たちで、それぞれが苛酷な運命を背負い、日々命懸けで生きています。当基金はその人々からの救援要請に応じることを第一に考えて、基金自体の組織運営費を後回しにしてでも救援を優先してきました。具体的に言うと、常勤者に支払う給与が一時滞っても、救援の現地に急遽出向いたり、私たちの保護下にある難民の人々が決して飢えることのないよう手を尽くしたりしてきました。

 私たちのこのような活動が広く知られるようになると、救援要請もますます増え、その費用も増大してきます。けれども一方で常勤者への給料の欠配は深刻な状態になってきました。私は当基金の監事として会計監査をする立場にある者ですが、率直なところ当基金の常勤者に対し、過去15か月分の給料が支払われていません。今年8月の年度末には、未払い総額が450万円を越える見込みです。これは非常に憂うべき、大変な問題です。常勤者がどれほどボランティア精神に溢れていても、高邁な人権意識を抱いているとしても、これでは常勤者自身の人間としての最低限度の生活が保障されません。

 当基金は今では海外の人権、人道団体、いろいろな国際機関などにも広く知られる存在になりました。国内的にも2008年度東京弁護士会人権賞を受賞するなどの評価をいただいています。しかし、内実は、これまでの活動規模を維持できるか、それとも縮小を余儀なくされるかという瀬戸際に現在追い込まれているのです。このままでは今年9月からの新年度には、活動縮小の決断を下さなければならないでしょう。

 世界的な経済不況の今、本当に心苦しいことですが、皆様方には周囲の心ある友人や知人の方々に当基金の話をしていただき、募金支援者を一人でも増やしていただきたいのです。財政の健全化を図り、少なくともこれまでのような活動を持続してゆきたいと強く願っています。

 皆様方のいっそうのご理解と温かいご支援をお願い申し上げます。

郵便振替口座番号:
   00160-7-116613
他銀行からの郵便振込口座番号:
   店番号 019 (当)0116613

   
  
お知らせ  


北朝鮮難民救援基金が「イーココロ!」に登録
「イーココロ!」とは、無料で慈善活動を行うNGOやNPOに募金ができるというサイトです。
「イーココロ!」からクリックやお買いもの、資料請求などを行うと、金銭の負担なく、あなたが支援したいNGOやNPOに募金できます。
まずはアクセス。http://www.ekokoro.jp/

韓国語=日本語のバイリンガルのボランティア募集
基金は脱北者の保護の過程で人権侵害の実態を聞き取りしています。インタビュー中に、副次的に朝鮮戦争で北朝鮮に捕虜になった「国軍捕虜」、北朝鮮によって誘引拉致された被害者、拉致被害者などの情報を得ることがあります。時間の制約で聞き洩らした情報もあり、情報自体が玉石混交ですが、今後聞き取り調査をさらに綿密に進めます。

調査活動で、韓国語=日本語のバイリンガルでの調査ボランティアを募集します。調査員となる方の個人情報は、厳密に保護されます。またこのプログラムを財政的に支援くださる方も募ります。

中朝国境で拘束されたUS人ジャーナリストの余波
国境の豆満江、鴨緑江の国境も溶けはじめ、3月も終わりになると脱北者の数も減るだろうと予想していた矢先、USの女性ジャーナリスト二人が中国側から、北朝鮮の治安要員によって拘束、拉致されたとのニュースに驚かされた。二人は平壌に連行されスパイ容疑での取り調べを受けていることから、問題はそんなに簡単には解決しまい。

 この二人は、韓国系、中国系だと言うが、アメリカで育ち、アメリカ式の民主主義の基準で考え、行動したのだろう。そもそもこの国境取材のために脱北支援事業で冒険的な行動と実績で著名な韓国のC牧師の紹介だというのだから、その経験も知識もない2人は能力以上の仕事だったと想像する。二人を案内した中国朝鮮族のキリスト教伝道師のK師は、C牧師とも関係が深いとされ、中国安全局(諜報機関)の取り調べを受けている。案内役をするに至った経過、背後関係や金銭授受などについて詳しく調査されるという。当局は今回のケースを刑事事件として処理する意向と聞く。延辺朝鮮族自治州宗教局周辺からは「終身刑」になる模様だとの話も聞こえてくる。

 基金にも外国のメディアから協力依頼が頻繁に来るが、このような事件が起きればなおさらだが、信頼関係ができていないメディアとの取材関係は慎重でなければならないと肝に銘じる事件だった。