イナの独り言
国鉄201系電車をこよなく愛する作者が,現在居住する米国ペンシルベニア州の風景も織り交ぜながらご紹介します.
 



嘘であって欲しいと願っていました.

結局鉄道友の会のHPにニュースリリースがあり,万事休すとなりました.

2007年のローレル賞に,201系を廃車に追いこんでいる張本人であるところの,『アレ』が選ばれたそうです.
で,今週アレにヘッドマークがつけられ,ネタ鉄屋さんたちを喜ばせているとのこと.

時は遡って1980年
201系試作車がせめてローレル賞でも取ってくれるかと思って楽しみにしていたのですが,新聞を見たら北総開発の7000系が取ったとのことでした.
これかなり悲しかったです.

吊革を廃したりしたものの,後に吊革を設置したとか.
固定式の側窓も,後の増備車では見栄えの悪いユニット窓へと変更.
(要するに上のような『新しい取り組み』は,結局実用性に乏しく旧来の方式に戻っていったということですよね)
メカ的には何処にでもある,界磁チョッパ.

フツーの界磁チョッパ車が,ゲンコツ顔にしただけでローレル賞かよと思っていました.

当時は201系は『まぁ試作車だからはずされたかな』と思っていましたが(というか,そう思わなかったらやってけないよ),今度は201系量産車が登場した1981年(ローレル賞的には1982年ですね)

今度こそは行けるか201系,と思ったら,結局福岡市交の1000系に持って行かれました.
ちょっと淋しかったです.

ご存じの方もいらっしゃると思いますが,福岡市1000系の計画・設計には国鉄の車輛設計事務所がオフィシャルに関与しており,台車や室内(単色ながら3-1-3に区切られた座席),そして150kW電動機と歯数比5.60の組み合わせなど,201系そのものな仕様があちこちに見られました.

ま,201系の設計思想が入った車両が持っていったんだから,まぁいいか,と思うしかありませんでしたね.

当の201系ですが,量産期間はわずか3年半で終わり,後の新製車輛が205系になった時点で『旧型』と公然と呼ばれるようになりました.
国鉄通勤車の接客レベルをあれだけ飛躍的にアップさせたのは201系.
103系の更新改造が進むにつれ201系と接客設備的に見た目の差が少なくなり,その事実を語られることもほとんどなくなりました.
葬式厨の皆さんは,201系のことをタダのボロ電車だと思っているのではないでしょうか.

ボロだからアボーソされる,だから今のうちに『記録に残すことが大事』 ただそれだけ.

さて話をアレに戻しましょう.
鉄道友の会のニュースリリースを見ると,その選考理由と言うものが以前からJR東日本がリリースで言ってる事と全く同じなのですね.
やれ故障に強いとか言って,聞いただけでも今までどれだけ故障してダイヤを乱したか.

事業者に可愛がられて,言った事(ボク壊れませんよ,とかね)が全て世の中で受け入れられ,結局賞までもらえる.
旧型呼ばわりされそうにもないし.
ほんと,要領のいいやつだなと思います,この電車.

悔し涙が出ましたよ.

以前から時折書いているのですが,自分は人間としてかなり要領悪いです.
で,結局今こんな処に住んでいる.満足してはいますが,結局身銭を切って日本を出ようと思ってしまったところは,素直に要領悪いと言えるでしょう.
そんな自分が,大好きな201系を今まで見てきて,彼女達も相当に要領が悪いよなと思ってきました.
そんなところがさらに自分の201ヲタ熱をヒートアップしてきたのです.

ネタ鉄屋さんには,関係のないお話でした.

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コメント
 
 
 
どうも納得いかない・・・ (taku)
2007-11-16 18:31:35
今、マークつけたアレの横に居ます。
イナさんのおっしゃること、同感です。
アレが機器の二重化を謳い文句にしていたのはびっくりしましたね(逆に一般人から「JRはそんなこともしてなかったのか」という声が多くあがっちゃいました)。もっとも従来とは考え方の違いでしかないのですけどね。でも本当に二重化するなら、トラブルの多いところから対策を打つはずなのですが、そうでもないのが気になります。まず209系の経験から予測できた、しかも初日からアレもやってたことの対策として、8ドア化するとか・・・(?)
自分が一番納得いかないのはコンプレッサですかね。潤滑のことを考えて駆動時間を長くとるために容量を減らしたのではなかったでしたっけ?それなのに予備もあるようですし、その潤滑はどうなるのでしょう?
不器用といえば私は自分の中学時代を思い出してしまいました。私は学校であまりいい子ではなく、それなりに偏差値はあったのですが、通知表は当然の如くいいわけがないですね。でも私より偏差値が10ぐらい低くても先生に気に入られる要領のいいヤツは私より評価が高く、悔しい思いをした記憶があります。やはり要領の悪い私は日本を飛び出して・・・まあアメリカというところは精一杯頑張る人を評価してくれるし、さらに伸ばしてもくれる土壌でもありました。
201系が中央線を駆け抜けた27年。でもアレはその半分もいられないんじゃないか、と思いつつ、ケンタッキー州の州花が咲き乱れる中を201系とともに走ってます。
 
 
 
お怒りですね (元立川、今豊洲)
2007-11-16 19:04:14
イナ@ペンさん、
ずいぶんとお怒りですね(笑)。
まあ、他の分野の賞とかもずいぶん胡散臭いこの世ですからバカらしいもんですよ。
電車のシステムの2重化、アレのコンセプトの比較対照は201じゃなく、209に対してと思えば、「アレの仲間内での当社比ね」と冷静に見れ、、、、ないか(笑)。。。ところで、このページの背景、国鉄が試作車をデビューさせた時のパンフじゃないですか?実は私も持ってますよ〜。
 
 
 
同感です。 (細井忠邦)
2007-11-17 07:56:33
何でまた、変な内装で、窓空けにくく、車内くらいあいつがそんな賞をいただくなんて、絶対変ですよね。201がもらってないのもシンジラレナイ。背景のパンフわたくしも持ってます。二日酔いをおして、原宿に見に行ったのが懐かしいです。
 
 
 
本当に悔しいのです. (イナ@ペン)
2007-11-17 08:03:26
takuさん,元立川、今豊洲さん,こんばんは.いつもコメント有難うございます.

ヘッドマークをつけたアレの写真を,いちとれやら一番のりばで拝見できたのですが,マークをつけてもなお,電車の表情が全く感じられないのはなんででしょう.
ネタ鉄さんの絶好のターゲットとなったそのヘッドマークつき電車はネットのあちこちで見られるのですが,ジャーナリズム風のものじゃなくて,『あぁ嬉しい,この電車大好きだったんだ,ローレル賞取れて,ムチャ嬉しい!』ていう気持ち,心を見せてくれる人が何処にも見当たらないのはなんででしょうね.
以前から申している通り,心からアレを愛している若者がいらしたら,ぜひお知り合いになりたいのです.伝えたいメッセージもいっぱいあるし.

今の自分の気持ちというのは,例えば子供の頃学校のテストで低い点数を取った時の悔しさ,それと似たような感じです.
自分も記憶しております.アレって初日にドア故障やらかしたんですよね.
人身だろうが非常停車ボタンだろうが201系が遅れたら201系のせいにするくせに,アレのドア故障の際に『どんなものでも最初は仕方ない』と妙に訳知り顔で擁護する輩まで出て来たのには正直呆れました.

電車が遅れる要因には色々あり,その全部が電車によるものではないことは明らか.
それなのにやれ2重系とやらで電車が遅れなくなると言うのも,新車を入れたいがためのマヤカシに見えます.

すみません,本当に悔しいのです.この気持ち,コメくださった方には解っていただけると思います.有難うございます.

アレの『JR東のニュースリリース』と『ローレル賞のニュースリリース』を本文であえてつなげたのは,元立川、今豊洲さんがおっしゃったことを自分もひしひしと感じたからです.
やれ乗客のアンケートだなんだって・・・使えそうな電車を解体するという『ちょっと見無駄遣い』を執り行うに当たり,『乗客の気持ち』を担保に取られただけの様な気がします.

ご指摘の通り,ただいま背景に設定してあるのは1979年の春(4月か5月か忘れました)に原宿駅宮廷ホームで行われた,201系の一般公開でもらったものです.
・・ということは,元立川、今豊洲さんもあの場にお出ででしたか?・・・・ナカーマ!!!

当時中学生の自分が繰り返し弄っていたのでボロボロですが,今でも自分の宝物です.

繰り返し愚痴になっちゃってごめんなさい.
これに懲りずに,これからもよろしくお願いいたします.
 
 
 
かぶっちゃいましたw (イナ@ペン)
2007-11-17 08:13:19
細井さん,こんばんは.いつもコメント有難うございます.ゆっくりお返事かいてたら,交差しちゃいました.ごめんなさい.

以前もおっしゃってましたよね,パンフ持っていらっしゃるって.
とても良く晴れた,いい天気の日でしたよね.
原宿の宮廷ホームで新車臭振りまきながら人が乗る度に車体を揺らし,結果数分に1度はコンプレッサーを動かしていたクモハ200-901号が懐かしいです.
そして8月20日の10時41分.記念切符を握りしめて3号車のクモハ200-902号に乗った自分の喜び.
2年後の1981年8月21日,念のため03A運用を狙っただけだったのに,期せずしてやってきた量産車第1編成.
嬉しかったなぁ.

そんな喜びを,アレは次世代の鉄ヲタに与えているのでしょうか.
理屈ぬきにアレを溺愛しているような若者は,どこかにいるのでしょうか.

ほんと,会いたいです.

すみません,愚痴なら何時間でも続けられそうです.
この悔しさを解ってくださる方がいていただけただけでも,ずいぶん気持ちが楽になりました.
有難うございました.

これからも,よろしくお願いいたします.
 
 
 
はい、原宿にいましたよ〜 (元立川、今豊洲)
2007-11-18 08:41:14
イナ@ペンさん、
(現在のところ)生涯只1回、電車のデビューお披露目を見に行った経験です、ハイ。確か当時の新聞にもあの(使用されなくなったとは言え)皇室用のホームを使ってわざわざ通勤電車をお披露目するなんて国鉄の力みが分るとか書かれていて、これは行かなくては!と勇んで行ったですね(笑)。厨房になって世の中の行動範囲が広がった時期&カメラなんぞも生意気にオジのお古を譲って貰ったりしていっぱしになんでも出来るんだぞ〜という恥ずかしい時期でもあります
当時電車通学のワタクシはその通勤経路で派閥というか微妙に格分けされている中央線(つまり101がボロ&冷房が少ないとして私鉄利用者や山の手利用者に蔑視される:笑)グループでしたので。。。。201のデビューでそれも解消!!と喜んでいましたよ。
この黒い前面、その後暫く追随デザインが相次いだことも証明していると思いますが、当時のアニメのガンダムに出てくる通常の3倍早い某
専用機のように当に「中央線」専用〜つう感じで(はっ、いかん当時の妄想が)、今風に言えば「萌えて」いました(笑)。205とか209とか同じチョッパの203にはこの感情出てこない(205はいい車両と思いますが)ですね。これも一目ぼれ&その後のご愛用の効果でしょうか?
 
 
 
すごく似た状況 (イナ@ペン)
2007-11-18 11:03:23
元立川、今豊洲さん,こんばんは.引き続きコメント有難うございます.

ハイ,自分も電車通学していまして,状況はとっても似ていました.
中央線もそうですが,当時は国電利用のステータスが私鉄のそれより低かったですね.

*空気バネ台車が普通にある
*室内の色彩も暖色系

他にもいろいろありますが,そういう『ある種のコンプレックス』を全て払拭してくれ(すみません,鉄道模型趣味1990年5月号の表現をそのまま流用しています)そして夢を与えてくれたのが,自分にとっての201系試作車,201系試作車で見させてくれた夢を本当のものにしてくれたのが,自分にとっての201系量産車でした.
203系電車は201系と兄弟ですので,自分は201系と同列に考えるようにしていますが,それ以降のはちょっと・・・.

こういうことばかり書いてると,『どれだけ昔のこと知っていても,ただの昔話』と思われているのかもしれません.
自分のような者からは,『201系試作車そして量産車が登場してきた時,そしてその前後の時代の様々な事象を体験せずに何が語れるのか』,非常に興味深いです.

これからも時にこんな昔話,したいですね.

この記事にコメくださった皆さん,こんな後ろ向きなネタにお付き合いくださり本当に有難うございます.

これに懲りずに,これからもよろしくお願い致します.
 
 
 
変なローレル賞 (211)
2007-11-20 19:23:40
こんにちは、211と申します

あんなE231系をただ二重系にしただけのオレンジの帯が入った銀色の電車がローレル賞なんて変だと思います。
機器を二重系にすることって、そんなにすごいことなのかな?
なんか会社がローレル賞の判定に関与してそうな気がしてしょうがないです。
アレではなくてE331系あたりが受賞したのならまだわかりますが。
兎に角この判定は、変だと思いました。

私も正直あんな電車のどこがいいんだかわかりません。

最近は、同じ形の電車ばかり走っているにも違和感を感じています。


 
 
 
Unknown (ライトキッス)
2007-11-20 23:04:26
こんばんは。多分他に受賞する車両が見当たらないのでは…て思います。 今、客車は新形式などありませんし。 確かに故障は困りますが、二重にしたのがそんなに斬新なシステムではない気がします。 それより故障といえばT133編成が気になります。あれ以来ずっと豊田電車区で運用についてない模様です。今では貴重な貫通編成で貫通ラストナンバーというだけにもう一度運用について欲しいですね。
 
 
 
賞を上げる側,傍から見てる側 (イナ@ペン)
2007-11-21 08:04:26
211さん,ライトキッスさん,こんばんは.いつもコメント有難うございます.

賞を上げるというのはその主催者が決めることで,自分のような友の会に入ったこともないヲタは,主催者にとっては『どーでもイイ奴等』だということは認識するしかないかもしれません.

ただ,例えばノーベル賞受賞者を決める際に,『業績だけじゃダメで,実はその人柄とかもしっかり見られているようだ』なんて噂話を聞くと,あぁ,権威ある賞というのはそうやって権威を保っているのだなと感じたりもします.

ま,それだけなんですが,ネットを見て回っても,いまだにその受賞を心から喜んでいる『アレが大好きなヲタ』がただのお一人も見当たらないのが哀れです.
少なくともヲタの視点と鉄道事業者の視点は一致していないことは解ります.

211さん,E331系とおっしゃいましたが,登場当時の201系試作車というのは今のE331系とかなり似た境遇にいたと思います.
所要外の両数で(要するに201系を運用しなくても三鷹区の中央線快速運用は全て103系でこなせていた),
時折長期に運用離脱することがあり(精密要検,とかあったのです),
自分のような201ヲタは本当にヤキモキしてたのです.
だから,1980年10月の『201系量産開始ケテーイ』の知らせは,泣きたいくらいに嬉しかったんです.
あまりに嬉しくて,学校で吠えた記憶があります.

自分の前のコメで,『その時代を生きていなかったら分からない』みたいなことを記しましたが,これって実は年代では決まりませんで(自分もそうは書いてないはず),真面目に趣味をこなす事すら出来ないようなオサーンがしたり顔でラクな生き方しているのにも良く遭遇しています.
自分はこのブログ,もしくは他のメディアで,201系が登場した頃,ヲタだった自分がどのように喜びそして心配しながら日々を過ごしていたかを,事実を添えながらなるべくたくさん示すことで,次世代の若者のなかに少しでも真面目なヲタが育ってくれることを願っているのです.
対象は何でも良くて,アレのヲタだっていいんです.でもアレが好きなら,アレを貶されただけで顔を真っ赤にして怒って欲しい.
趣味で汗かける人間になって欲しいなと,こっそり願っています.

まぁ時にオッサンのぼやきも含まれる当ブログですが,これに懲りずにこれからもよろしくお願いいたします.
 
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