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天下分け目の合戦/宮崎のため霞が関と戦う2009年07月03日 「『県民の声』っていうのはだいたい、僕、(就任から約)3年間そうだったんですけど、同じ人が何回もメール書いている場合がありますから。同じような内容で」(6月26日、記者団の取材に対して。以下同。県庁の「県民の声」に寄せられた意見では、国政転身に反対の声が多いことを問われ) ■ 「マニフェストが結構、もう達成された部分あるんですよ。移住(100世帯)とか、セールスマンとか」「入札改革とか相当、あれは8割ぐらい達成されました、僕の中では。だから、80点をどうするか、それは県民の皆さんが判断されること」「この後、僕が(残り任期の)1年半、宮崎にいることは実を言うと楽なんですよ」「僕の仕事っていうのは来年の2月ぐらい終わるんですね」「僕は(平成)22年度の途中で任期切れますから。22年度はたぶん骨格予算になりますよね」「それで事実上、僕、仕事、終わりなんですよ。それでその時は(次の知事選まで)1年前ですから、出馬するかどうか言わないといけないでしょ。来年2月に。『はい、出馬しません』と」「マニフェストは1期は達成されたという部分は、お約束は守るわけですよね。で、他の数値は現に7〜8割達成されています」「あとは県民の皆様のご理解がいただけるかと」「これから国行って霞が関と戦わないといけない、宮崎のために地方のために戦わないといけない」「こっちの方が大変ですわ。僕、あと1年半ぐらい(知事を)やって、あとは辞めて」「大学でも入って、途中で(大学を)辞めましたから。大学院でも入ってプラーとした方が(衆院選に出るより)楽ですわ」(任期途中の国政転身は、マニフェストを通じて県民と交わした契約を破ることなのでは問われ) ■ 「いつ国にけんか売るか、タイミングを見計らっていたんですよ。最初から(けんか腰で)いきたかったんですよ。最初からいくとですね、(県への)補助金を減らされたりですね、(宮崎に)道路ちょっと造らんでおこうと、そういうことになりますから」「(国にけんか売るのは)カメラをバックに、世論をバックに、そして国民をバックに。ねえ」(同26日、日南市であった政治資金パーティーの講演で) ■ 「(次の衆院選で)自民党が(民主党に)負けるかもしれない」「天下分け目の合戦ですから、今回は。関ケ原ですから。どっちが勝つか負けるか」「あの二つの条件((1)自分を総裁選候補にする(2)地方分権案を政権公約に入れる)をのんでもらわなきゃ、応援しませんから」「あの条件二つをのんでいただいたら、僕は国民の皆さんにこう思われるんじゃないかと思う。『自民党は変わったね』」「関ケ原って、ご存じですか。東軍と西軍ですね。かたや東軍、(徳川)家康ですか。西軍の大将は石田三成。ここでですね、小早川秀秋というのがいたんです」「東軍と西軍が押し合いへし合いしている時に、ずーっと見ちょったんですね」「小早川秀秋ひとつで(勝敗が)決まった。彼が東軍についた」「さあ、小早川秀秋はだれか。まあ、誰とは言いませんけども」(1日、高千穂町であった県民フォーラムで。政権交代の可能性について会場から問われ)
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