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ちょっと前に、文学作品の完璧な翻訳は不可能と書いたことがありました。だけど翻訳が不可能なのは、格調高い文章だけではありません。
アメリカで大当たりしてシリーズ化されたブッシュ語録もその例です。あの人の発言は文法も内容も支離滅裂で、そのまま引用しただけでパロディ本になってしまいます。だけど、あの滅茶苦茶な英語を日本語に訳すのは絶対に無理。 今週のTime Out New Yorkに出てるBrunoというオーストリア人(実物はイギリス人の俳優)の発言もすごい。この人の場合、わざと変なドイツ訛りの英語を話し、言ってることも滅茶苦茶おかしいです。意味がわかれば爆笑だけど、これを日本語にするのは絶対に無理。以下は引用。 (質問)...what are your beauty tips to keep you looking so good? (答え) Ich put ein pillow in front of ze toilet und sing "Bulimian Rhapsody." (質問)Where do you stand on fur? (答え)Personally Ich don't like it, but if waxing is too painful ich understand. ちなみに「Where do you stand on fur?」は「あなたは毛皮のどこに立ちますか」じゃないですよ。たまに本気でそういうことをやる翻訳者がいますけど、それは別種の悪い冗談。「Where do you stand」は標準英語なので、意味がわからない人は辞書を引いてください。 本当は解説なんかしたら面白くも何ともないけど、翻訳不可能な例として挙げているので一応… Ich→I ein→a ze→the und→and bulimia→過食症 Bulimian Rhapsody→Bohemian Rhapsody fur→毛皮(つまり毛の密集した皮膚) waxing→この場合はビキニラインのワックス あと、ボヘミアン・ラプソディを知らない人は、クイーンの音楽をお勉強してください。 原語だと簡単なことを、これだけ解説しなければ日本では通じないんだから、翻訳なんて本当に不可能な作業なんです。技術と努力ですべて克服できると信じている翻訳者は、考えが甘いだけだと私は思ってます。
ちょっと前、取引先の弁護士の事務所で色々と揉め事がありました。結構新聞や雑誌のネタになって、私の連絡先だった人が他所に引き抜かれたなんていう話も出てました。その分野ではやり手で有名でしたから、まあ引く手あまただとは思うけど。
しかし、引き抜きの時に提示された年収が私の10倍を軽く超えてたのは当然というべきなのか、釈然としないと言うべきなのか。私から見ればすごい額なんだけど、金融関係の長者番付と比べたら、ずっと少ない額でした。この人がこの額ということは、この分野の上限はこのぐらいなのかなあと思ったり。 私は今まで色んな弁護士の通訳をやりましたが、この人の頭の良さは抜きん出てました。余計なことは言わない、絶対に取り乱さない、言ってることがわかりやすくて無駄がない。しかも、通訳者が訳しやすいようにうまく話してくれました。弁護士がみんなあんな人ばっかりだったら、私は喜んで裁判の仕事します。 最初に仕事をもらった当時の私は、その人がそこの法律事務所の看板しょってる有名人なんて知りませんでしたから、裁判書類のコピー取りとか頼んじゃいました。さすがにムッとしてましたけど、仕方ないじゃん。その人が翻訳を頼んできた資料なんだし、あそこのコピー機は内部の人でないと使えない仕組みになってたんだから。 だけど世の中には、その人の10倍とか100倍とか、滅茶苦茶な額を稼いでる人たちがいるんです。お客さんの一人は、孫の結婚式にフランスの宮殿を3日間借り切って、ニューヨークに来た時は、某大統領に貸したことがあるという自家用飛行機で飛んできましたから。 やっぱり実質的な仕事の内容と収入って比例はしてないんですよね。お金のことだけを考えて仕事を選んだら、何をやっても後悔するでしょうね。
「女性と自立の関係」について取材に応えている人がいました。けっこう有名な女性の「経済評論家」です。彼女によると…
年収は600万円必要。それだけあれば離婚しても都内で家を買って子供を育てられる。 年収600万の女性にふさわしいのは年収1000万の男性。 子供を産むのは若いうちが良い。その理由は、自分が若いうちに産んで色々学んだから。 ひとつの例として出すんなら「自分もある程度稼いで、自分よりずっと稼ぎの良い男性と結婚して、若いうちに子供を産みたい」という女性が存在したって別にかまわないと思います。だけど、こんな特殊な目標に一体どれだけ普遍性があるのか、私はものすごく疑問です。 根拠として色々と統計値なんかも使ってましたけど、私は正直言って、経済の専門家も評論家も苦手です。単純な算数と理屈で人生設計ができたら、そんなに楽なことはありません。私なんか30をとっくに過ぎても貯金ゼロだったけど、今はいちおう不動産を2件持ってますよ。この状態がいつまで続くのかは知らないけど。 年収600万あれば確かにいいけどさ。平均的な子持ち・所帯持ち女性が、一体どうやってそれだけ稼げるのか、具体的な方法を教えてよ。600万もらえたら、上司にいびられて自殺したくなるような職場でも我慢できるわけ?なんで女の年収は男の60%なのよ。そんなこと言われたら、年収1000万未満の男はどうしたら良いのよ。その比率で探したら、年収1000万以上の女は、結婚相手になりそうな男なんてほとんど見つからないよ。子供を産むのに適した時期なんていうのも、人によって違うでしょ。未熟な母親に迷惑する子供だって大勢いるんだから(たとえば私とか)。 簡単でわかりやすいことを言う人はメディアで話題になりますけど、私の過去を振り返ってみると、こういう意見て全然現実味がないんですよね。20代ぐらいの女性を相手に、もっと役に立つことを言ってくれる人って、どこかにいないんでしょうか。
パコ・デ・ルシアの面白い記事を見つけました。
この人は2年前にロンドンで行われた観光フェアで、バレアレス諸島の宣伝に登場したそうです。観光用のパンフレットを持って来年の芸術・文化行事の紹介を行い、「皆さんよろしく」で終われば普通のイベントだったのでしょうが、そうは行かないところがパコ・デ・ルシアのすばらしさ。 (引用)but then, speaking in English went on to say ‘It’s fundamental that we look after the island. The massive building seems barbaric to me’. この人は少し英語を話します。この時も英語でスピーチを行い、だからイギリス人相手に通訳なしで、「まずは、この島を大事にしなければいけません。あの巨大な建物は野蛮な感じがします」と発言したんだそうです。主催者はびっくりしたでしょうね。スペインでは観光が重要な産業になっていますが、おかげでもちろん乱開発も行われています。 実は私、最近まで南米の楽園にあるリゾートのパンフレットを訳しながら「こんな秘境にまで、こんな醜悪な巨大ホテルを建てて環境破壊しやがって」などと散々憤慨していたのです。お金がもらえないと困るから黙ってましたけど。そんなわけで、私の代わりに彼が言ってくれたと勝手に思っているのです。 私はずっと前から、パコ・デ・ルシアのインタビューを読むのが楽しみでした。ギターのコレクションについて尋ねられた時は「たくさん持ってるけど、使うギターはいつも同じ。あとはハーレムみたいに飾って眺めてるだけ」とか、毎回笑わせてくれます。プロフィールによると、ろくに学校も通ってないし楽譜も読めないということですが、それでもクラシックの長大な難曲をあっさり弾いちゃったりする人ですから、やっぱり頭は冴えてるんだろうと思います。
再び仕事が溜まってきて、何がなんだかわからない状態です。とりあえず片付いたのが2件。月曜までに締め切りが3つあるはずなんだけど、どこから何を仕上げて良いのかわかりません。また週末も仕事。何故なんでしょう。
マイケル・ジャクソンとファラ・フォーセットが亡くなりましたね。二人ともまさに一世を風靡したスターだったけど。「ファラの髪」が日本で「サーファーカット」になって流行ったのは、すでに30年ぐらい前でしょうか。私はあの頃からテレビ見なかったけど。 マイケル・ジャクソンに関して言うと、アメリカのミュージシャンは若いうちに危ない状態になって死ぬ人が多いですね。エルビス、ブリトニー、マイケルというのが、なんとなくつながってしまいます。中間のブリトニー・スピアーズは生きてるけど、だいぶ精神状態がまずそうだし。やっぱり音楽業界って、すごく不健康な所なんだろうと思います。 パフォーマーとしての才能はマイケル・ジャクソンが抜きん出ていたと思うけど、80年代までの絶頂期を超えたら、ずいぶん惨めな姿になってましたね。人間の表現活動を、株や債券と同じように儲けのために動かしたら、どうしても人間の中身が置き去りにされるんでしょうね。
今年のニューヨークは寒いです。夏のドレスを買いこんで楽しみにしてるのに、まだ長袖を着ないと外に出られない。最近また通訳業務が復活しているので、スーツを着ても汗をかかないのは良いんだけど…夏に寒いと損した気分になります。
不景気の今は、買物に最適な時期だと思います。何を見ても値段が下がってますから。
パコ・デ・ルシアが上昇中。嬉しいです。アメリカでやったスーパーギタートリオは忘れてもいいから、みんなEntre dos Aguas (1976) 見てね。
1976年といえば、ロックバンドのギタリストが冗長なギターソロを延々と続けてた時代です。あの人たち、録音だと上手そうに聞こえるけど、ライブの演奏は比較にならないほど雑な人が圧倒的に多かったんですよね。単調なドラムに乗った早弾きなんて、音楽的にはカスみたいなもんだったし。 彼らと大きな差をつけて、33年経っても聴き応え充分のパコ、あんたは偉い。ボンゴやエレキベースをフラメンコに取り入れても、安直な折衷でない質の高さを保っているところは立派です。 ビセンテ・アミーゴは…若い時の映像を見ると、やっぱり綺麗過ぎ。中性的な雰囲気の人なので、女の私でも「ずるいずるい」と思ってしまう。こんな写真を見て、こんなに弾けるなんて想像する人はいないはず。美形のダンサーと張り合うほど色っぽいギタリストなんて、他に見たことないですよ。
カタカナの羅列と英単語の濫用。見てるとイライラしてきます。今日も某ミュージカルの題名で、ものすごく嫌なものを発見してしまいました。
洋画や翻訳小説の邦題もひどいのが多い。言葉だけでなく、カタカナと中黒(・)がズラズラ並んでいるのは見た目にも良くないし。日本語の中に英単語を挟むのは「私の英語はこの程度です」「私には日本語の表現力が全然ありません」と言ってるのと同じです。あれをかっこいいと思うのは、日本語も英語もなっとらん証拠。 語感の歪みは、文化全体の歪みに直結すると私は思ってます。どんな方法で何を表現するにも、言葉は何らかの方法でついて回るし、言葉による表現は、他の分野にも多大な影響がありますから。そういう意味で、他人の目に付く文章を書くのはすごく責任が重い仕事のはずなんです。 なんだけど、翻訳者を含めた英語業者の過半数は、日本語を乱す方に貢献してるとしか思えないことがあります。自分で訳した日本語の横にカタカナ英語でフリガナを付ける文芸翻訳者なんかもいますけど、あれは日本語の表記としても論外な上に、悪質な手抜きでもあります。一体誰が始めたんだ、あんな変なこと。
昔は派手好きの与太者を「カブキ者」と呼んだそうです。それを念頭に置いて見ると、なんともすごい、17世中村勘三郎のパフォーマンス。
これを見たら、日本人は侘や寂を大切にするとか、抑えた表現を好むとか、誰も信じませんよ。まさに「more is better」の美学。生首を掲げて悲嘆に暮れてたと思ったら、その直後に赤い扇子を振り回して見得を切っちゃうんだから、スペイン語放送の臭くて恥ずかしいドラマにも勝てますね。 こういう感覚って、素朴な蜜豆だけでは飽き足らず、餡子とアイスクリームを乗せてもまだ足りず、色とりどりの缶詰の果物をゴテゴテ足してしまう節操のなさに通じてますね。だけどおいしいんですよね、クリームあんみつ。 歌舞伎役者は顔が大きい方が良いんだと聞いたことがあります。あの化粧で大げさな表情を見せるには、大きい顔の方が引き立つためらしいです。たしかに17世中村勘三郎、眉の動きがものすごい。目ヂカラならぬ眉ヂカラ。ついでに頬もふくらまし、ガマガエルも怖がって逃げ出しそうな大迫力。ここまで極めていただくと、ついついニヤケながら最後まで見続けてしまいます。 卑俗で下品なものにしか存在しない威力。それを独特の方法で高度に洗練させてしまったところは、歌舞伎の舞台の不思議さだと思います。衣装は文句なしにきれいですけどね。
最近毎日フラメンコを聴いていたら、なんか日本に似たものがあるような気がして探ってみました。それで見つけたのが娘道成寺のお囃子と、平家物語の弾き語り。
中村獅堂の決めポーズとかも、フラメンコダンサーと似てます。この人、素顔は特別ハンサムでもないと思ってましたけど、舞台に上るとさすがにきれいですね。 過去のインタビューで、ビセンテ・アミーゴも「日本人はどういうわけか感覚が似てる」「なんでだろう」と言ってました。たしかに見た目は全然似てないし、地理的に見ると、スペインと日本は地球のほぼ反対側だし。 だけど琵琶や三味線の音の出し方とか、歌舞伎の大見得や合いの手とか、フラメンコとよく似てるんですよね。邦楽の方がテンポは遅いけど。だから日本人は、アメリカ人みたいにフラメンコに違和感を持たないのかもしれません。 歌舞伎の伴奏の基本的な編成は、撥弦楽器と打楽器と人間の声。これも伝統的なフラメンコと同じです。一般的な西洋音楽にない音程の揺れ方や、音楽が盛り上がると音の数が増えるところも似ています。伝統的な西洋音楽では音程のブレは欠点とされますが、邦楽やフラメンコだと、名人の演奏には絶妙な揺れが入ります。琵琶や三味線の名人は音締めが良いのが特徴ですが、フラメンコギタリストも、上手な人ほど音の立ち上がりが良いんです。 撥弦楽器はもともと、シルクロードを伝わって日本に入ったとされています。スペインにフラメンコを持ちこんだのも、アジア方面から歩いてきたジプシーらしいです。それならばどっちにも、中央アジアの影響が強く残っているはず。音程が揺れるのは、たぶんインドやアラブの影響でしょう(演歌や民謡のコブシなんかは、完璧にアラブっぽいですね)。 伝統芸能のフラメンコが老人の楽しみに陥らなかったのは、新しいスタイルをどんどん試していったパコ・デ・ルシアの功績じゃないかと私は思ってます。日本の伝統芸能にも、こんな人が出てくるといいんだけど…邦楽の場合はあまりにも体質が古すぎるし、すでに完成したものに手を入れるのは難しい仕事でしょうね。
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