外国人支援活動をしている団体や同業者で、たちいかなくなるところが、ふえてきています。
やはり、同時多発テロ以後の、外国人に対するフォーマル・インフォーマルなシメツケの影響で、とくに弱いたちばの外国人の経済状況がきびしくなっているところに、景気が減速してきたのがきいていますね。いま、ちゃんとコストをかけて大量に外国人の厄介ごとにおつきあいしているところって、ほとんどないんじゃないですかね。
それにしても、20年ちかくにわたって、ひたむきに、(ボクの立場からみれば)ほんとうに人道にとって意義のある仕事をしてきたひとたちが、世間にとくに惜しまれることもないまま、こうした支援の現場から後退させられていくのをみると、なんとも切なく、すこし腹だたしい気持ちになります。
かくいうボクの会社も、微妙なところにさしかかっています。外国人事件を大量にあつかい、そこで生じた赤字を他のもうかる仕事でファイナンスする、という経営方針でやってきたわけですが、前者の赤字は拡大し、後者の売り上げが減る傾向にあります。
なんどかこのブログでも触れたとおり、金融と不動産の破綻そのものは、2006年からの不動産市場の異常な取引をみて、予想はしていました。ただ、相場にかかわるようになって二度目のバブル崩壊ですが、メチャクチャやってもトップから末端までほとんど責任をとらない大企業(だって、バブルの崩壊で首つったり夜逃げした大手証券会社の幹部っていないでしょ)の平社員で経験するのと、会社の破綻イコール従業員と自分の個人生活の破綻につながりかねない従業員10人の零細企業の社長で経験するのは、やはりぜんぜんちがいますね(笑)。
かぎられた選択肢のなかで、うつべき手はうっていますが、来年以後も、お金持ち事件と貧乏人事件の極端なコンビネーションというおなじビジネスモデルでできるかどうかは、運次第ですね。まあなんとかなる確率のほうがちょっとだけ高いと思いますが。そう、あとは、運を天とオバマにまかせて(このまえ、アメリカの不動産にくわしい人に聞いたのですが、アメリカの不動産もサブプライム問題がある住宅地以外は、ホテルにしてもオフィスビルにしても、それほどひどくは値下がりしていないそうです。日本のバブル崩壊直後を思いおこせばわかりますが、業者は受注残をかかえているので、すぐに大不況になるわけではく、この間に資産デフレを防ぐような手立てをするかでしょうね。)、たまにお客さんの笑顔がみられることを楽しみにしながら、やれるところまで、この仕事をつづけていこうと思います。
Dicen que para amar hay que sufrir en la vida 愛するためには人生の苦しみを知らなければならないという
Dicen que para amar hay que sentir la leve herida del amor 愛するためには苦い愛の味を知ることも必要だというという
Yo, no creo que es así でも ボクはちっともそうは思わないよ
Porque estando contigo de todo lo malo me olvido y me siento feliz だってキミといっしょにいると いやなことは全部わすれて とてもしあわせな気持ちになれるのだから
Y puedo vivir del amor, ボクは愛に生きることができる
Sin pena, ni dolor 苦しみも、悲しみも感じることなく
Y puedo vivir sin pensar que voy a llorar いつか泣くことになる、なんて考えずに 生きていくことができる
Por el amor aprendí que todo es alegría ボクは キミの愛によって すべてが楽しいってことを学んだ
Porque llegaste tu y alumbraste la al alma mía con tu luz キミはボクのところにやってきて、ボクの心を光でてらしてくれた
Y ahora me siento dichoso, そしていま ボクはとっても幸せなんだ
todo me parece hermoso,Si estás junto a mi すべてが美しくみえる キミがボクの近くにいる
Hoy sé que es así いまそんなふうにかんじている
Por ti puedo vivir del amor y cantar ボクは キミへの愛に生き そして歌うことができる
Willie Colón & Rubén Blades “Yo puedo vivir del amor”1982
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