いしけりあそび

一言メッセージ :ひとりで石けって遊んでます。いじけて、かも。たまにスペイン語。ラテン音楽は人生です。ああ、人生なんて...

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テレノベラ “Oye Bonita”

 「にがにが日記」でコロンビアのテレノベラ“El Cartel de los sapos”(「カエルたちのカルテル」。“sapo”はコロンビアのスラングで「裏切り者」「密告屋」)についてちょっとふれられていましたが、もうひとつ、今シーズンの話題作をご紹介。

“Oye Bonita”

 

 コロンビアのテレノベラというと、ちょっと古いものだと“Escalona”、最近だったら“Nadie es etreno en el mundo”や“La Hija de Mariachi”など、世界一の音楽大国らしく、ミュージカルなみに歌いまくるドラマがよくあるのですが、これもそのひとつ。以前から、“カシーケ”ことディオメデス・ディアスのテレノベラができるらしい、と聞いていたので、こりゃ「カエルたちのカルテル」以上のピカレスクになるかとおもってワクワクしていたのですが、あの問題人物の伝記ではなくて、彼の歌にインスピレーションを得た作品でした。まあ、カシーケ物語なんてテレビじゃムリですよねぇ。タイトルは、1981年にカシーケ&コラーチョ・メンドーサのコンビでヒットした“Bonita”から。

Diomedes Diaz & Nicolas“Colacho”Mendoza “Bonita”
 

 テレノベラは日本でもネットでみれます。http://www.tvenlatino.com/

 で、めし食いながらパラパラながめているだけですし、まだあちらでも始まったばかりなのですが(あとコスタ弁ということもあって、ボクのスペイン語能力だと聴き取りにくい)、あらすじをいうと、カロル・マルケスが演じるモンチーって男の子が、貧乏人の子せがれで、パドリーノがアコーディオンの名手で、夢はバジェナートを歌って有名になって3人の妹の学費を払って親に家を建ててあげることで、お母さんとかはそりゃ無理よっておもってて、でもスニルダとかいうやたらに色っぽい人妻に「あなたならなれるわよ」とかいう感じでキスされたりして(この人妻の名前もカシーケの歌からとったんだよね?)、イササ・ムルガ家とかいう有力者がいて、その息子がアレハンドロ・パラシオで、おなじくバジェナート歌手を目指している高校生で(ちなみにアレホは現実世界ではビノミオの歌手、これがテレビ初出演だそうです。)、歌と恋で対決したりして、そうこうしているうちにバランキージャからディアナというカワイコちゃんが引っ越してきて、例によって「恋愛スクランブル発動せよ!」で、こいつがあの子が好きで、あいつはこの子が好きでどうしたこうしたになって、ボクも例によってみんなカワイコちゃんにしかみえないうえに、ディアナの母方の苗字も“ムルガ”とかややこしくて、時間がないのでとばしてみていることもあって、あらすじがよくわからなくなって(テレノベラ独特の恋愛複雑系というのはある部分実際のラテンの人間関係をうつしているところがあって、ボクもお客さんの親族事件を処理していて、相関図や時系列表を書かないと誰と誰がどうなっているのかわからなくなることがある。)…とまあそんな話です。バジェナートなだけに“Los pliegues de amor”(pliegue=ひだ状のもの。アコーディオンの蛇腹とか。amor=愛)…ねえ、オレに座布団ちょうだい!
 ポップス歌手のカロルですが、カルタヘナ出身だけあって、ちゃんとバジェナート歌っています。ヤギとか連れて歩いていますけど(ちなみに“Escalona”ではカルロス・ビベスがアルマジロ連れて歩いてました。)。ただアレハンドロ・パラシオが高校生って言うのは無理があるだろ…。
 学校にアコーディオンとカハを持ちこんで、カシーケの歌を歌いまくっているので、バジェナート好き、カシーケ好きな人はどうぞ。熱心のファンのためにこのエントリーのみコメント欄を開放いたしますので、どうぞ熱く語ってください。ちなみに「バジェナートもいいね」といってくれる数少ない日本人も、なぜかたいはんの人はカシーケには拒絶反応を起こすのですが、ニコニコ動画にカシーケの動画(youtubeではみれないやつ)をアップしたところ「うp主愛してる!」との書き込みがあったので、少なくとも一名は物好き、じゃない、ファンがいるはずです。

 おまけですが、タイトル曲は、コロンビア音楽界でもっとも憎まれ、もっとも愛されている男の代表曲のひとつですので、ジャンルを問わず、さまざまなミュージシャンが歌っています。
 ちょっとだけだけど、フアたんがバジェナート歌っているの初めてみた。こりゃいけるね!

 

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また住宅ローン減税ですか…

追加経済対策:財界首脳は歓迎
「政府・与党がまとめた追加経済対策に対し、経済界からは歓迎する声が相次いだ。日本経団連の御手洗冨士夫会長は『個人消費の喚起や金融市場安定化など内容は非常に幅広く、景気の下支え効果が期待できる』とコメント。」
http://mainichi.jp/select/biz/news/20081031k0000m020142000c.html

追加経済対策 専門家どう見る
「多くのエコノミストが景気浮揚効果を期待するのが、過去最大規模の住宅ローン減税だ。三菱総合研究所の後藤康雄主席研究員は『住宅投資は減税に敏感に反応する』と評価する。住宅投資の拡大は家電といった耐久消費財の需要喚起などにも広く波及するため、効果は大きいとみる。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000065-san-bus_all

 備忘のために書いておくけど、麻生首相がこだわった「過去最大規模の住宅ローン減税」は、へたすると将来「詐欺の片棒をかついだ」なんてことになりかねない危険な政策。
 住宅ローンは不動産が右肩上がりで雇用が安定していることが大前提。2015年ごろから世帯数が減少していくなかで(不動産業界に片足突っ込んでいる立場からいうと、業界はこの問題を甘く考えすぎている。)住宅の資産価値があがることはないし、労働者の給与があがらないのは誰もが覚悟しているとおり。それでも住宅ローンは相対的に不履行になる率は低いし、素人相手にぬくだけなので、投資下手で事業リスクの管理もできない邦銀からするとおいしい商品(リテールで儲かっているのは住宅ローンぐらいでしょう。)。住宅ローン減税は、政府からみても不動産業者・銀行・一般市民に同時にいい顔ができるので、景気対策が議論されるたびにとりあげられる。サブプライム問題がアメリカだけの問題と思ったらおおまちがい。
 以上、破綻した業者のかかえるレジの処分に四苦八苦のヘボ弁護士のつぶやきでした。

 

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赤い資本家

 都心の某一等地の大規模開発。LTV50、エクイティ50でもローンがつかない。プロジェクトの目鼻がつかないと、というので、どうしたら目鼻がついたことになるの?ときくと、ハコができて仮契約のめどがたったらとのこと。そんときはわざわざ貸してくれって頼まんわ。

 今の日本は、野球にたとえれば相手がエラーを連発して何にもしないのにノーアウト満塁になったようなもの。真ん中に打ちごろの直球が来ているのに、なんで振らないのかねぇ。どこも横並び、トラぶったときの弁解(どうせ、その弁解だって「みんながそうしてたから」に決まってるのだ)のことだけ心配している。メガバンクを3つにしたのは、ほんとうに失敗だった。

 そんなにみんながもうけたくないのであれば、勝手にもうけさせてもらう。日経平均8000円割れ、5年5か月ぶり。自分にはちっとも悪いニュースじゃない。

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“El Testamento”&“El Hambre del Liceo”por Rafael Escalona

Guillermo Buitrago “El Testamento”

 

 歌詞の翻訳は気がむいて時間があったら。
 歌ででてくるLiceoは、サンタマルタにあるリセオ・セレドンのこと。バジェドゥパルからサンタマルタにあるリセオ・セレドンに進学するラファエル・エスカローナが当時の恋人・ヘノベバ・マンハレスにささげた別れの曲。文字の読める人すらほとんどいなかった同世代のバジェナートのミュージシャンのなかで、高校まで進学したエスカローナは異色の存在だった。バジェドゥパルからサンタマルタなら隣の県だからたいした距離ではないけれど、本人は決死の覚悟だったみたい。
 歌はギジェルモ・ブイトラゴ。1948年の作品だが、今でもよく演奏される。


Carlos Vives “El Hambre del Liceo”

 

 “遺言”なんて歌まで歌って旅立ったエスカローナだが、その高校では金にこまって飢えに苦しみ、結局1年もたたないうちに退学してバジェドゥパルに帰っている。もっともPilar Tafur著の“Rafael Escalona”だと、“腹ペコ高校”のほうが1年はやい1947年の作曲。歌はカルロス・ビベス、アコーディオンはエヒディオ・クアドゥラード。こちらも翻訳は気がむいたら(“El Testamento”とつづけて聴くとおもしろいよ)。いつになるかわからないけど。

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大阪芋畑闘争 疑問におこたえします

 たくさんのご訪問&はてなユーザーのみなさまのブクマありがとうございました。
 ご賛同と同時に、いくつか疑問をいただきました。執行停止という派生的な手続に関するものでしたので、わかりにくい面があったと思います。
 そこで、可能な限りわかりやすく、追記させていただきます。なお、これ以上の説明は専門書を読んでください(あんまりこういう言い方したくないのですが、普段は金もらって書いている身なので、ご理解ください)。

(疑問)
 収用裁決によってもはや保育園側に土地の所有権はありません。したがって本来すぐに明け渡さなければならないはずです。それなのに明渡しの期限を過ぎてからサツマイモを植え付けているのですから、むしろ子どもがどうの、という話になるのがおかしいのではないでしょうか。

(回答)
 この事件の本案は、収用裁決の取消しです。原告の主張が認められれば裁決は無効になりますから、原告の土地の所有権は認められます。明渡義務もなくなります。いま、まさにそれを裁判で争っているのです。
 しかしながら、本案訴訟の提起には執行停止効がありませんから、このままでは収用裁決=所有権喪失=不法占拠というロジックのもと、明渡を強制されてしまいます。でも、明渡期限までに本案で勝訴をするのは無理です。
 だから執行停止を申立てるのです。法律上正当な不服申立ての手段に訴えている最中ですので、サツマイモを植えつけて悪いことはありません。
 なお、なんの利用もしていないと、裁判官は「原告(申立人)は、いろいろ言っているけど、使ってないじゃん。損害なんてないだろうから、あっさり却下してやれ」と思うでしょう(この申立人が必要もないのにイモを植えたという意味ではありません。)。

(疑問)
 日本の行政法は執行不停止原則をとっているのですから、執行するはずです。
 たとえば公共工事に対して執行停止の申立てがなされるたびに工事を中断していれば、それこそ永遠に工事はできなくなります。

(回答)
 執行不停止原則とは、本案訴訟にともなう不停止原則であって、執行停止にともなう原則ではありません。行政事件訴訟法25条1項をご参照。
 執行停止にともなう不停止は、誰も論じていません。ふつうは執行停止の裁判中に執行しちゃうなんてしないからです。

 すでに着手された処分の中断と未着手処分の停止は別です。退去強制令書だって停止申立で収容をとくわけではありません。本件の停止の対象は公共工事そのものではなくて、裁決に基づく代執行です。
 ところで、取消訴訟の原告適格には制限があります。処分の相手方以外にも認めらないことはないのですが、取消について法律上の利益を有する者に限られます。行政処分が気に入らないなら誰でも提起できるわけではないのです(この点については、伊達火力発電所訴訟、小田急線連続立体交差事業訴訟など、重要な判例があります。本件には関係ないけど興味があればご参照ください。)。
 工事全体=事業認定そのものの取消について、訴えを提起するのは極めてハードルが高いのです。執行停止もとなるとさらにでしょう。この事件の申立人は国を被告に事業認定の取消も別訴で求めていますが、これについては執行停止は求めていません。
 それでは、取消訴訟の原告適格もないのに、自分には法律上の利益があると思い込んだ人から、デンパな取消訴訟と執行停止が申立てられたら、工事に着手しないのか。しない場合もあるかも知れませんね。ただ、デンパな主張であれば、さっさと却下されるから(最短なら2週間程度で可能でしょう。)工事を待つかもしれません。いずれにせよ、こういう事例が、議論に値しないのはお分かりですよね。わたしも仮にそうした事案で執行停止が無視されても、「裁判を受ける権利が侵害された!」なんて無粋なことはいいません。

 本件は、収用裁決の相手方が、取消と未着手の代執行停止を求めているのであって、工事の停止を求めているのではありません。どうみても、代執行の当事者の申立にもとづいて、裁判で停止が争われている最中に代執行するのが、きわめて乱暴な措置であることはあきらかでしょう。
 参考までに、圏央道あきる土地収用事件の執行停止の経過と比較していただければと思います。あの石原慎太郎も、今度のようなことはやりませんでした。
2002年9月30日 権利取得裁決・明渡裁決(東京都収用委員会)
2003年1月31日 住民が代執行手続の執行停止申立
2003年6月27日 代執行請求(起業者から東京都知事)
2003年8月4日、13日 戒告書の送付(東京都知事から義務者)
2003年9月15日、24日 戒告の期限 → 都はこれ以後しようと思えばできたが、執行せず。
2003年10月3日 執行停止決定 → 都が即時抗告
2003年12月15日 執行停止決定が覆り、代執行が容認 → 住民が特別&許可抗告 → 都はこれ以後しようと思えばできたが、執行せず。
2004年年3月9日 戒告書の送付
2004年3月16日 最高裁が特別抗告等を棄却
2004年4月1日 代執行令書の送付 → その後、住民は自主退去、代執行はなかったようです。

 代執行の停止にともなう永遠の工事停止は、どういう事案を想定するかですが、机上の議論ならともかく、実際はないです。もちろん、土地買収の見通しもないまま工事を強行し、任意の買収や立退きがうまくいかず、次々に収用裁決をして、地権者から取消訴訟と執行停止がバンバン申立てられて(裁判を起こすのって金もかかるし、行政訴訟ってそんなにカンタンじゃないですよ)、結果として工事がとどこおって永遠にできなくなることもあるかもしれません。周辺住民に深刻な被害を広範囲にばらまくのがあきらかな公共事業なら、次から次へと執行停止が申立てられるかも知れません。でも、そんなにみんなに嫌われる工事を、稚拙なやり方ですすめるのであれば、そもそも事業計画自体がおかしいのですから、工事ができなくってもかまわないと思いませんか?

(疑問)
 外国人の強制送還の場合、執行停止の申立てがされている間に入管が強制送還を自主的にやめても、ほとんど公益に損失は生じません。
 しかし今回の工事の場合、完成の遅れが即通行料の収入減につながります。
 したがって、外国人の例は今回の件には当てはまらないのではないのではないでしょうか。
 芋畑の人はサヨクであなたは外国人専門なので、あてになりません。

(回答)
 ほんとうに即通行料の収入源になるのか、それが国の主張しているような金額になるのか、申立人が重大な損害を受ける危険があるのか、その損害は金銭で事後的に賠償するのではダメなのか、それを判断するのが裁判所なのです。
 なお、「公共の福祉」(条文では「公益」ではなくてこちらですが、まあ同じです。)とは、金銭損害のことだけをいうのではありません。したがって「強制送還ならやめても公益に関係ない」(そのセリフ、わたしは入管に言ってやりたい!)、土地の明渡しだから公益に関係ある、と定型的に決まるものではありません。個々の事案について、申立人の受ける損害の重大性、緊急性、本案の勝訴の見込み、公共の福祉を総合的に考慮して決めます。その結果、外国人の強制送還については止まる、収用について止まりにくいということが生じる可能性はあるでしょう。
 あと、土地収用なら公益に損失が生じるとアプリオリに想定してはいけません。それも裁判で議論をするべき内容です。さらにつけくわえるなら、公益もしょせんは個人の利益の積み重ねです。個人だから全体の利益に屈するべきという考え方があるとしたら、賛成できません。そして、収用の執行停止が認められた件は(わたしの知る限り)、過去にあきる野一審決定のほかに3件あることにも注目してください。
 なお、くわしい事情は知らないので、個人的な感想ですが、本件の執行停止の場合、イモホリをする園児には収用裁決について法律上の利益は認められないでしょう(イモホリを軽視するわけではありませんが、他所で可能な経験であり、不可能でも一時的な不快感と切りすてられるでしょう)。とすると、自ら営農していない申立人の「イモホリをさせる権利」も小さく扱われます。さらに、申立人自身、相続税の問題があるにせよ、そこに居住しているわけではないようなので、仮に本案で後に収用が違法とされても、金銭賠償が事後的に可能でないとはいいにくい面があります。したがって、強制送還にくらべると、執行停止は通りにくいように思います(大阪地裁で却下されているでしょう。なお、わたしは外国人事件が多いとはいっても、いちおうプロなので、事案の違いに応じた分析ぐらいはできますよ。あと、サヨクですが、法律は飯の種なので、解釈は冷静にやっているつもりです。)。
 ちなみに、外国人の退令の執行停止についても、送還はたいてい止まりますが、収容の執行停止はめったにでません。収容によって食事代や人件費、場合によっては医療費など金がかかっているのに。裁判官が、質問者のようなノリだと、わたしの仕事ももっとうまくいくのですけどね。

(疑問)
 執行停止の申立てをしているのにそのまま執行してしまえば、申立ての意味がなくなります。しかし日本の行政法はそうなることを前提とした制度設計をしている(執行不停止原則をとっている)のですから、執行してしまっても仕方ないというのが日本の法律の基本的な考え方なのではないでしょうか。
 また、実際に裁判は受けているのですから、裁判を受ける権利を奪うとは言えません。

(回答)
 不停止原則とは、本案提起にともなう不停止原則であって、執行停止申立のことではありませんので前提がまちがいです。
 そして、裁判を受ける権利は形式的に保証されればよいものではありません。裁判で勝ってもその内容を実現できないのでは、「必ずしも」裁判を受ける権利を保障したことにはなりません。必ずしも、としたのは、きちんとした裁判手続の結果、執行停止が認められず、でもその後裁決は違法だったぞ、でもイモ畑はもう道路になっちまった、執行停止を却下しやがって、裁判を受ける権利をどうしてくれるんだ!という場合があるからです。その場合は、国家賠償請求訴訟で勝って金銭賠償で満足してもらうしかありません。なお本案で処分違法=国賠勝訴ではありません。国賠に勝つには公務員の故意過失の証明という高いハードルがあります。残念ながら裁判を受ける権利の実質的保障もその限度です。だからこそ金銭賠償では償えない損害が生じる場合は、停止をしなければ裁判を受ける権利が侵害されるのだ、そして、それを主張する機会も奪うのはおかしい、ということです。
 なお、代執行が終了すれば停止の緊急性などありませんから、本件の執行停止申立は却下で終わるでしょう。

(疑問)
 つかこれ法律の穴じゃんか。「法の精神」とか曖昧なものに頼るからあんなタイミングで代執行できちゃうんだろ、なんとかならんのか。

(回答)
 すべての法律には穴があります。穴をふさぐと、かえって不都合が生じる場合があります。たとえばデンパな執行停止→即工事ストップとなると、濫訴のおそれもあるでしょう。
 裁判手続にのった以上は、当事者が「法の精神」を尊重すべきとするほかないのです。どうしても日程どおりにやりたければ、裁判所を説得して早く決定してもらうべきです。

(疑問)
 イモも大事だよ。イモこそが、ここで擁護される権利そのもの。

(回答)
 そのとおりだと思います。事業全体を判断するうえでたいせつなのは、イモでしょう。
 ただし、わたしのエントリーは、収用裁決、公共工事そのものを問題にせず(検討材料がありませんし、その議論だとわたしのレベルは床屋談義なので)、執行停止申立係属中の執行という論点に限ることにしたので、イモはパスしました。

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