いしけりあそび

一言メッセージ :ひとりで石けって遊んでます。いじけて、かも。たまにスペイン語。ラテン音楽は人生です。ああ、人生なんて...

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移民、1000万人受け入れ提言〜自民議連案…賛成してもいいかなぁ

 アファーマティブ・アクションとセットなら。
 たとえば、高校入学試験で、70点とった自分の息子が不合格、40点の外人サマが合格するとか。外国人受け入れをうんぬんする人なら、当然、彼らを人間並みに扱うために、こうした措置が必要なことはわかっていますよね。ガマンしてくれますよね。

 日々つづる〜「子ども格差」
http://blog.livedoor.jp/fabulous_life_330/archives/631359.html
(清らかなひさえちゃんに「階級闘争」なんてわるいコトバをふきこんだのは誰だ?)

 この問題の悲劇(喜劇?)は、このテーマについてしばしばウソをつき、入国管理=外国人とりしまり=以外にこれといった見識がないオピニオンリーダー気取りの人物【注】と、外国人を単なる使い捨ての労働力にしか考えていない財界が、これまで外国人のことなんてまったく考えたこともない政治家の「上げ潮」志向につけこんで、さまざまな情報を吹きこんで、それが、なんらの検証もされないままストレートに「提言」としてぶちあげられていることにあります。
 正直いって自分にとっては「くだらない提言」なのですが、政権党の有力者の提言なのですから、それなりのとりあつかいはされるのでしょう。どんな背景でこんな提言が出てきたのかは、紹介する価値があるとおもってエントリーしました。

【注】
 坂中英徳元東京入管局長です。
 わたしが彼のことを問題視するのは、口あたりのよい発言とうらはらに、外国人に対して残酷な強制送還を命じてきたからではありません(しょせん、彼はとりしまり側の人間なんですから。ちなみに、国籍法違憲判決のきっかけとなった日本人実子に対する異例の強制送還を命じたのは彼です。要するに日本の人口を増やしたいんだか減らしたいんだか、よくわかりませんね。)。自分の希望する結論に世論を誘導するために、平気でウソをついて、ある特定のカテゴリーの外国人に対する憎悪をあおるからなのです。残念なことに、大学の教員のなかにも、現場を知らないがゆえに、彼のウソにだまされている人が相当数います。実例のいくつかは、私の著書で具体的な制度・条文・統計を引用してあきらかにしています。提言なんぞしているヒマがあったら、まずは自分の不始末〜外国人→犯罪者と脊髄反射するひとびとの大量発生には、彼も少なからず貢献しています〜をなんとかすべきでしょう。
 とりしまり以外に見識がないことについては、彼が、この提言をぶちあげた「外国人材交流推進議員連盟」(私はこれから、このあつまりを『トンデモ議連』とよぶことにします)でしたスピーチを引用すればじゅうぶんでしょう。
http://blog.livedoor.jp/jipi/archives/51083946.html
「海外から移民を受け入れなければ、人口激減で地域住民が一人もいなくなって消えてゆく農山村が相次ぎ、人口の減少に比例して経済と社会が縮小してゆくだろう。一方、移民受け入れ政策を採れば、『移民』の地位で入国が認められた外国人は、日本に骨を埋める決意で仕事に励み、人口減の直撃を受けて元気のない日本経済に活を入れるだろう。例えば、第一次産業地帯では定住外国人の力を借りて農林業がよみがえり、荒れる一方であった日本の歴史遺産である水田や山林が守られ、食糧と資源が確保される目途が立つだろう。」
「日本で職人、熟練工、農民などになりたいと思う外国人に対し、三年間かけて日本語をはじめ専門的知識、特殊技能などを教える。次に、第一次産業などの産業現場で一年間の実務研修を実施する。」
「少子高齢化の進展で人材確保が急務となっている介護福祉士の育成についても、外国人専門の養成学校を作ってはどうか。」
(「笑」ってマークは、このブログの賢明な読者が適宜つけてください。)
 彼は、工場で出稼ぎ労働者として外国人を安くこきつかう経済界を批判します。では、彼が「移民」に「日本に骨を埋める決意」でなにをしてもらいたいかというと、「職人、熟練工、農民、介護福祉士」なのです。外国人に、日本人のはたらきたがらない場所ではたらいてもらうことについては、彼と経済界はいっちしているのです。ついでに食料と資源の確保までしちゃうところが坂中提言のチャームポイントでしょうか。ああ、どうしたらここまで楽観的になれるのだろう!


 この件に関して、最近、わたしが共感した発言をいくつか引用しておきます。

・ 濱口桂一郎さん
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_a902.html
「念のため云っておくと、私は移民が1000万人入ってきてもいいと思っているんです。EU諸国におけるEU加盟国同士の国民と同じ様な厳格な差別禁止内国民待遇を完全に実施するつもりがあるのであればね。欧州諸国の『外国人』には、全く異なる二つの概念があります。一つは、EU条約、各指令に基づき各国国内法で厳格に均等待遇が要求されているEU域内国民であり、もう一つはそれ以外の『第三国人』です。フランスのアルジェリア人、ドイツのトルコ人、ベルギーのモロッコ人、英国のパキスタン人など、だいたい都市郊外の移民地区に集中して、いわゆる内政問題としての『移民問題』の原因となっている人々です。
中川氏らは、どういう『移民』を念頭においているのでしょうか。もし前者だというなら、EU諸国がとっているのと同様の法制を完備することが先決ではないでしょうか。」

・ 週刊ダイヤモンド編集部(2008年5月31日号)
「一つには受け入れる日本側の問題がある。そもそも高度人材であれば行く先はいろいろ選べるはず。言葉や文化の障壁だけでなく、よそ者として扱われ、昇進や成功の機会が限られる日本企業や社会にどれだけの魅力を感じるのか。」

・ NPO法人日本フィリピンボランティア協会の網代正孝さん(上記週刊ダイヤモンドより)
「日本は高齢化が進み、国の力が弱まっていることを自覚していない。フィリピン人を雇ってやるのでなく、こちらが助けていただく立場なのだ。彼女たちを『じゃぱゆきさん』扱いしている限り、世界にそっぽを向かれるだろう。」

・ 前浜松市長の北脇保之さん
「(受け入れの前に)まずは現在日本にいる外国人の社会統合政策をしっかりと構築する必要がある。」

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紹介・「忘却症のための記憶」

 佳境にさしかかってきたようなので。ほんとうはブクマとかできたらいいのですけど。

“Memory For Forgetfulness”
http://d.hatena.ne.jp/paleplant/

 『忘却症のための記憶 1982年、ベイルート、8月』 マフムード・ダルウィーシュ。
 

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国籍法最高裁判決雑感 〜 Don de Fluir

 

 フィリピン人母の婚外子10人に日本国籍 最高裁判決
http://www.asahi.com/national/update/0604/TKY200806040187.html

 子どもと母に命じられた強制送還を阻止するために、なにかいい方法ないかな、と考えてはじめた裁判でした。国籍法3条の届出用紙は「父母の婚姻及び父の認知により嫡出子の身分を取得した。」にチェックを入れる形式になっているのだけど、ある日、ふと思いついて、用紙に手書きで「国籍法3条は憲法違反だから」という項目を書き足して、そこにチェックをいれて、スタッフに「とにかく法務局に行って出してこいよ」といいました。その届出は、あたりまえですが、不受理となって、退去強制令書取消訴訟に追加するかたちで、国籍裁判が始まったのでした。
 国籍もたいせつだけど、この国にいること自体がかかっている在留はもっと切実。外国人の滞在なんてどう決めようが国の勝手だ、という暴論が支配するこの国で、強制送還の取消をもとめる裁判を勝ちぬくのは針の目をとおるよりむずかしい。もしも、この事件の裁判中に国が「国籍訴訟の取下げと在特、バーターで」ともちかけてきたら、迷うことなくのっていたでしょうね。強制送還を命じられた事件として受任した自分は、地裁の判決の寸前に在特がでた時点で、この事件のいちばん重い荷物は、すでにおろしたつもりでした。
 ただ、裁判を続けるうちに、だんだん子どもが大きくなってきて、子ども自身が、すこしづつ「ぼくは日本人じゃないの?」って思うようになったり、他方、制度のはざまで悩む子どもが、母の国であるフィリピン国籍に対していだく複雑な感情をみることもあり、退去強制令書取消の提訴から6年、子どもの成長とともに自分自身、別の重みを感じるようになりました。

 もっとも、2年前に上告理由書を書いてから、この事件についてちゃんと考えたことはありません。弁論のうちあわせで、集団訴訟組が当事者席に子ども本人をすわらせたいと希望して、最高裁が「法律上の論点について裁判官から釈明を求められた際に、当事者だと答えられないで困るでしょ」と難色を示した際に、おもわず横から「裁判官、ずっとこの事件の記録を見ていないので、ぼくも答えられないと思うのですが…」といったぐらいだから(裁判官は笑って「先生には聞きませんからだいじょうぶですよ。」といい、集団訴訟組の女の子も結局当事者席にすわることができた。)。
 そもそも憲法違反の話が現実味をおびてからは、ぼくごときがひとりでやって、おかしな判決がでたらまずいので、他の弁護士をさそって、学者の先生のお知恵にすがりっぱなし。ぼくは名前を貸しただけみたいなものです。

 この事件が世間に知られたのは集団訴訟の功績でしょう。ぼくの事件は2年早く始まっていますが、判決以外に報道されたことがないので、一般に認知されているのはそっちの事件だと思う(ちなみに彼らはもともとビザは持っていた人たち。)。彼らが提訴にあわせて記者会見するというので、あわてて司法記者クラブに「実はおなじような事件が来週もう地裁で判決なんですが…」と告げるまで、当時コラムを連載していた音楽雑誌の読者ぐらいにしか紹介したことなかった。わかりやすい絵がないと世間がみてくれないのは、しかたないことです。ぼくの依頼者には「わかりにくい」人が多いし、ぼくも「わかりやすく」整理するの苦手だから。それにせっかくの判決に子どものすてきな笑顔がないのはちょっとねぇ。正美ちゃんジェイサちゃん、ジュリアンちゃん、おめでとう!

 今日の判決が画期的とかいう以前に、これまでの国籍法の差別があまりにもひどすぎました。日本人父の子が日本国籍なんてあたりまえでしょ。胎児認知されるか父母が結婚しないとダメって、なんじゃそりゃ。
 ぼくの事件についていうと、もっともひどいのは入管でしょう。だって「出るところ出たら」日本人になっちゃう子どもを、強制送還しようとしていたのだから。
 最高裁の違憲判決もさることながら、こうした排除のわなを幾重にもはりめぐらせるこの国の特異なありかたの方も議論されるべきだと思います。

 判決そのものは、日本国籍の取得が、基本的人権の保障のために重要であること、現行法の差別的取扱いによって子のこうむる不利益がいちじるしいこと、同じく日本人と親子関係を生じた子であるにもかかわらず非嫡出子についてのみ、父母の婚姻という「子にはどうすることもできない」事情で日本国籍の取得を認めないことは不当であることを正面から認めたものであって、素直によかったと思います。B規約や子どもの権利条約を参照しているあたりは、最高裁判決にはあまりない書きっぷり。ぼくのいっていることは、裁判官にまじめに聞いてもらうことがきわめて少ないのですが、たまにはこういうこともあるんですね。
 15人中、合憲だとしたのは3人。さらに2人が、違憲状態ではあるが法律がそうなっているんだからあらたな立法がされるまでしかたない、としていましたが、これについては今井裁判官の「違憲の法律により本来ならば与えられるべき保護を受けることができない者に対し、その保護を与えることは裁判所の責務である」という補足意見がじゅうぶんに答えてくれました。いや、おれが裁判官の書いたもの読んで感動することってあんまりないんだがな(笑)。

 判決についてもうちょっとコメントすると、国際化の進展に伴う日本人父と外国人母の間に生まれた子どもの増大、外国の立法例や法改正、国際条約を引用して「国内的、国際的な社会的環境の変化」にてらしてみると、現行国籍法に合理性を見いだすことがもはや難しくなっている、とした点が興味をひきました。いっぱんにプロパーの法律家は社会の変化を法解釈に反映させることに慎重で、それにはそれなりの理由はあるのですが、国籍だビザだといってみても、実際に制度の合理性をささえているのは、この判決が指摘する「社会的環境」なんであって、そのうち、「外国人さまを強制送還にするなんてとんでもない!」なんて時代がこないなんて誰もいえないと思いますよ。
 今日、法廷をでたら法務省の役人さんが、ぼくのところに近づいて名刺をわたして「今後連絡します」なんていってました。まさかおれに法律作れっていうわけじゃないだろうけど(作ってもいいけど。笑)、まあ国籍とかビザなんてものは、時代の変化に柔軟に対応できるように、もうちょっとルーズなもの作ったほうがいいと思うよ。あんまり細かいことゴチャゴチャいわないでさ。

 ただ、事件の内容とは関係ないんだけど、ビジネス上のつきあいの人に、こういう仕事していること、あんまり知られたくないんだよねぇ。大学卒業してからもう20年もビジネスマンとサヨクとふたつの人格をカンペキに使い分けて、前者の立場もそれなりのものになってきたので(ただ、外国人事件を熱心にやっている弁護士のほとんどは優しいノンポリです。)。正直人前で話するのは、はぁ〜…とりあえずNHKのニュースには映像が出てこなかったのでほっとしています。

 ということで、明日の新聞には立場上、もっともらしいコメントがでるかもしれませんが、実はぼくはたいしたことしてません。そのわりには今日はつかれた。やっぱり人前でなんかするのは苦手だわ。なんかおなかも痛いし。だから勝訴の報告はぼくにかわってネコがします。ニャー。

イメージ 1


 
 あたらしい国籍法の主役は、日本と外国の両方になんらかのアイデンティティのよりどころ持つ子どもたちだ。自分の母の国、父の国、生まれ育った国のそれぞれに、自然に親しみをもつような国籍法を、そんな国籍法のもとで生き生きとくらす子どもたちをみることができれば、ぼくはそのきっかけになったあの日の思いつきのことを、あらためてうれしく思い出すことだろう。


 


 外にはふたつのスピーカー 音楽はバルコニーに
 そこから小道に 音が泡だってこぼれ落ちている
 ある人はぼくに近づいて 一杯飲めよとコップを差しだし
 ある人はぼくをおしゃべりに誘う
 でもぼくはただ君にぼくのことをみていてもらいたいだけなのさ
 ぼくは君がくるくる踊っているのをみているから

 君はゆわいた髪をといて サンダルをはいて
 そのむらさき色のかわいらしい服は ちいさなクルミにすっぽりはいりそうだ
 ある人はぼくに一杯どうだいと声をかけ
 ある人はぼくにタバコを差しだす
 でもぼくはみんなにいうんだ
 ぼくは君が踊っているのをみていたいだけなのさってね

 僕はただ 君が踊っているのがみていたいのさ
 君がぼくのことをみつめながら くるくるまわって踊っているのを
 ただみていたいだけなんだ
 
 ぼくは無口なインテリをきどって
 こっそり横目で君のことをみつめているようなやつなのさ
 ありがとう でもぼくは踊らないんだよ
 また今度ね ぼくのノロマなひざの動きじゃ
 君のはやいステップについていけないよ

 どうしてそんなにじょうずに
 まるで息をするみたいに踊るんだい
 ちょっとした才能だね
 君はほんとうにかんたんに
 まるで心臓が鼓動をするみたいに踊るんだね

 僕はただ 君が踊っているのがみていたいのさ
 君がぼくのことをみつめながら くるくるまわって踊っているのを
 ただみていたいだけなんだ

“Don de Fluir” por Jorge Drexler, en Montevideo, Uruguay, 2005

(2008年6月5日追記)
 先ほど事務所会議で、昨日の判決で国籍が取れるようになるケースを、依頼者の中から思いつくままにあげていたら、たちまち20人ぐらいになりました。こりゃ、全国ではすごい数になりますね。いかに長年放置していたか、ということです。さっさと法律を整備して、認めるものは速やかに認めないと、国籍課の窓口は大混乱になりそうですね。

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“Todo a pulmón”  くじけそうになったときに聞く歌



Que difícil se me hace, mantenerme en éste viaje この旅を続けることは こんなにもつらいことなのか
sin saber a dónde voy en realidad, si es de ida o de vuelta 自分がほんとうはどこに向かっているのか これが行きなのか帰りなのか
si el furgón es la primera, si volver es una forma de llegar この貨車が一等車なのか 戻ることもたどり着くためのひとつの方法なのか なにひとつわからないまま

Que difícil se me hace, cargar todo éste equipaje この荷物すべてを背負いながら この坂道を歩いていくことは
se hace dura la subida al caminar こんなにもつらいことなのか
esta realidad tirana, que se ríe a carcajadas 暴虐な現実は おおきな声をあげてあざけり笑い
porque espera que me canse de buscar 探し求めるぼくが 疲れ果ててしまうのを待っている

Cada nota, cada idea, cada paso en mi carrera それぞれの歌に それぞれの思いに ぼくの人生のひとつひとつのあゆみに
y la estrofa de mi última canción ぼくの最後の歌の節に連なる
cada fecha postergada, la salida y la llegada これから訪れる日々に 旅立ちと帰還に
y el oxígeno de mi respiración おおきく息を吸って酸素を吸いこもう
Todo a pulmón, todo a pulmón 肺いっぱいに この肺いっぱいに

Que difícil se me hace, mantenerme con coráje 勇気を失わず 節を曲げず 
lejos de la tranza y la prostitución 自分を売ることなくあり続けることは こんなにもつらいことなのか 
defender mi ideología, buena o mala pero mía ぼくのイデオロギーをまもること 良きにつけ悪しきにつけ それはぼくのものだから
tan humana como la contradicción こんなにも人間的な 矛盾に満ちたものだから

Cada nota, cada idea, cada paso en mi carrera それぞれの歌に それぞれの思いに ぼくの人生のひとつひとつのあゆみに
y la estrofa de mi última canción ぼくの最後の歌の節に連なる
cada fecha postergada, la salida y la llegada これから訪れる日々に 旅立ちと帰還に
y el oxígeno de mi respiración おおきく息を吸って酸素を吸いこもう
Todo a pulmón, todo a pulmón 肺いっぱいに この肺いっぱいに


“Todo a pulmón”1983, por Alejandro Lerner, cantan Leo & Víctor


 東京少年鑑別所へ向かう長い坂道を登るとき
 外国人の強制送還の裁判で、裁判官がこちらをいちべつすることもなく判決を言い渡すとき
 収容所で、助けてほしいと涙を流す依頼者の前でかけるコトバすらもみつからないとき
 口を横に強く結ぶと、ぼくの頭の中ではいつもこの歌がなり始める
 肺いっぱいに大きく息を吸おうとして、ちょっと空気が汚いよな、と思いとどまるのだけど。


 3万人の行方不明者をうんだ軍政、マルビナス戦争の敗北、天文学的なインフレ…この歌の背後にはアルゼンティンの社会の「暴虐な現実」が横たわっていた。元duke377さんいわく「キューバ派と反キューバ派の両方が集会のテーマに使う」(※)ラテン・ポップスの別格クラシック。

 スペ語と邦訳を対応するように並べてみました。文法が違うので「できる限り」ですけど。あと、「なるべく」直訳してます。
 歌うには、スペ語は普通にローマ字読みでOKだよ。細かいこというといろいろあるけどさ(たとえば、この歌を歌っている若者ふたりはスペイン人なので、s とc の発音で舌が歯にくっついてる。「コントラディクシオン」(中南米)を「コントラディクスィオン」とか。)、気にしない。でもqueは「ケ」、jeは「へ」、lleは「ジェ」、jaは「ハ」、geは「へ」、joは「ホ」、giは「ヒ」って歌ってね。あとhは発音しないでね。

 元duke377さんの思いを継いで。念のため、彼は元気です。本人に「なんか死んだみたいだな」と言われたので(笑)。



“Todo a pulmón”,toca Rafael Flores


 おさいさん、素敵なひとときをありがとう!

※ 今ならAMLO派反チャベス両方に使われるDiego Torresの“Color Esperanza”でしょうか。歌詞も似ている。こちらも餓死者まで出た経済危機で打ちひしがれたアルゼンティンのひとびとにむけられた歌でした。

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バジェナートの若き王様・クリスティアン・カミーロ・ペーニャ

 第41回バジェナート伝説フェスティバルの若き王様・Chrisitan Camilo Peña(クリスティアン・カミーロ・ペーニャ。)。 いくつかビデオがアップされているので、紹介します。
 ちなみに、クリスティアン君は、わたしが初めてコロンビアに行った数ヶ月前に生まれています。ということはバジェナートを聞き始めたのはわたしの方が早いというわけですか。う〜ん…。


 まずは会場での練習風景。素敵ですね〜。リズムはプージャです。5分ころから、子どもが「ボクにやらせて!」とグァチャラカをひっかき始めます。




 パセオは、“Amalia Vergara”。El Binomio de Oro(ビノミオ・デ・オロ)の演奏でも有名なこの曲は、Alferedo Gutierrez(アルフレード・グティエレス)の“La muerte de Abel Antonio”や、ビノミオ・デ・オロの“El Higuerón”など、数々のクラシコを残した名作曲家・Abel Antonio Villa(アベル・アントニオ・ビジャ,1924〜2006)の作。脱線ですが、ビノミオ教の信者の(元)duke377さんのために、作曲者による“El Higuerón”を紹介しておきます。→ http://jp.youtube.com/watch?v=rG2WtQYou5w



 規定の四つのプレイの中でわたしが最も感銘をうけたのはこれ。曲は“La Gira”。リズムはメレンゲ。わたしが見た中では、まちがいなく今回のフェスで一番のプレイでしょう。力強いアタックというクリスティアンの特徴は、メレンゲ(ドミニカじゃないよ〜)やソン(キューバじゃないよ〜)のようなリズムでよく生きると思います。



 ソンは“Alicia Adorada”。作曲はJuancho Polo Valencia(フアンチョ・ポロ・バレンシア)。今年は、フアンチョが生まれてから90年、第1回の伝説フェスティバルで“Alicia Adorada”が注目されてから40年、フアンチョが失意のうちに亡くなってから30年。クリスティアンが、大舞台で、歌手をさしおいてけっして上手いとはいえない歌を披露したのは、フアンチョと、この歌を大ヒットさせたアレホ・ドゥランに対するオマージュもあったのでしょう(歌手とアコーディオンの分業が確立する70年代までのバジェナートは、自ら歌ってアコーディオンを弾くスタイルでした。)。この曲についてはブログで取り上げたことがありますが、バジェナートのエントリーで、これまで唯一(元)duke377さん以外の人(イチニクスさん)の「はてなブックマーク」がついたものです。よかったら読んでみてください



 ちなみに、マルちゃんというわたしの部下が、一昨年、コロンビアでホルヘ・オニャーテの話をしていたら、地元の口うるさい爺さん、クリスティアン君のことを「今の若いアコも悪くないけどな〜、昔のオニャーテの相棒(コラーチョ・メンドーサ、チチェ・マルティネス、フアンチョ・ロイス、アルバロ・ロペス、コーチャ・モリーナなど凄まじい顔ぶれがならんでいます)にくらべたらイマイチやな〜」と言っていたそうです。これでちょっとは認められるようになったかな?

(参考)
昨年の第40回のフェスティバルのエントリー → http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/archive/2007/05/29

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開設日: 2005/3/12(土)


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