July 02, 2009

朝からステーキ

単身赴任先での食事はもっぱら外食。
朝食はいつも近くにある24時間営業のダイナーでたべる。
個人営業の店で「デミトリーズ」という店だが
最初に教えてくれたのはルームメイト。
2年前のサンクスギビングデーの時だったが
「デミトリーズで今晩ターキーディナーがタダなのよ。
一緒に行かない?」と誘ってくれた。

顧客に対する感謝とプロモーションを兼ねた無料ディナー
だったが「さぞかしチンケなものだろう」という予想を
大幅に裏切ってくれた立派なサンクスギビングディナーだった。

「こんな立派なディナーを無料で提供するなんて」と感心し、
それ以来、早番での仕事の時は毎日のように通うようになった。

月曜から金曜は「アーリーバード・スペシャル」というのがあり
玉子2つとベーコンまたはソーセージ、それにトーストがついて
1ドル99セント。円高のいま190円ぐらいなのだ。

私の場合、玉子は気分によりゆで卵か目玉焼きにしてもらうことが多い。
ほかにスクランブルやポーチトエッグなどがある。

ソーセージはパティかリンクを選ぶがほとんどリンク。
トーストはライ麦のパンが好きだ。

今日は朝からステーキが食べたい。

かつてブルーザー・ブロディとよく朝ごはんを食べたが
ブロディーは毎朝ステーキを食べ、夜はいわしの缶詰など
粗食だった。

最近、歳をとったのかこのように昔のことを思い出す。

今朝はステーキ。そしてグリッツ(とうもろこしのお粥)だ。

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赤目便

カリフォルニアに飛びWWEのPPV「The Bash」とRAWサンノゼ大会を
取材してきた。サンノゼ大会はRAW2週分を一気にやった。
午後6時から生放送分2時間、そしてそれを終えると
翌週放送分の録画。

2つ目のRAWが何時に終わるか気がかりだったが
午後10時20分頃に終わってくれたので
急いで会場を出てカーナビたよりでサンフランシスコ空港へ。
午前12時40分発のRED EYE FLIGHTに乗った。

赤目便とはその名のごとく到着すると目が赤くなっているであろう
深夜便。

いまから30年ぐらい前は「NIGHT COACH」というディスカウント料金
が存在し、一般的に昼間乗るより、かなり割安だったものだ。

いまではそのような特別料金は存在しないが、
ホテル代を一泊分浮かせるにはもってこいである。

到着すると例外なく疲れの残る赤目便。
テキサスに帰ることも考えたが翌日の飛行機が
どの便も満席だったので断念。
ついた日は単身赴任先でほとんど一日寝て過ごした。
で、今日も休みを取ってあったのでのんびり。

久々にアメリカでのスエーデン式マッサージ。
チャイニーズのバフェに行き、茹でたカニと
生牡蠣をたらふく食べて、アパートに戻り
赤ワインをグビグビやっている。

今日飲んでいるのはイタリアン。
RUFFINOの
Chianti Classico
RISERVA DUCALE 2005

ルフィーノ・キアンティ・クラシコ・リゼルヴァ・ドゥカーレ[2005]年・DOCGキアンティ・クラシコ・リゼルヴァ Ruffino Chianti Classico Riserva Ducale [2005]ワイン愛好家にその名を知られる「公爵のためのとっておき」という名の高級キアンティ・リゼルヴァ!すみれやジャ
ルフィーノ・キアンティ・クラシコ・リゼルヴァ・ドゥカーレ[2005]年・DOCGキアンティ・クラシコ・リゼルヴァ Ruffino Chianti Classico Riserva Ducale [2005]ワイン愛好家にその名を知られる「公爵のためのとっておき」という名の高級キアンティ・リゼルヴァ!すみれやジャ


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June 27, 2009

今度はマイケル・ジャクソン

昨日空港で仕事をしている時に
パセンジャーの1人からマイケル・ジャクソンが死んだと聞いた。

三沢氏やテッドさんの時のようにネットで色々調べるようなことは
していないので詳しくは知らないが「ハートアタック」ということだけは
耳にした。

超金持ちなのに健康管理してなかったのかとか思うが
人の命のあっけなさと言えるのだろう。

マイケル・ジャクソンの曲は2曲しか知らない。
でそのうちの一曲はAAAのラ・パルカのテーマとして使われた
「スリラー」である。

選曲したのは今は亡きアントニオ・ぺニャ氏。ぺニャ氏は
ヨーロッパのオットー・ワンツ氏とともに
プロレス記者にたいする最も協力的なプロモーターの1人だった。

故人を偲ぶ気持ちというのは
ふっと故人を思い出して、その人のことを考えることなのだと思う。

ぺニャ氏とは何度も一緒に食事をさせていただいたが、
メキシコシティからオリサバに向かう途中で選手全員と
食事に立ち寄った際、知らずに山羊の肉を口に入れてしまった
私がトイレに走り、戻った時に涙目で「チュパカブラの肉に
アレルギーがあるみたいだ」というと氏は笑い転げていた。

それからというものぺニャ氏は私と会うと
「チュパカブラ食いに行くか?」と挨拶代わりに言っていたものだ。

ぺニャ氏が亡くなってからのAAAについて、あまりいい話を聞かないのは
残念なかぎりである。

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June 25, 2009

イバのおじさん

現実の世界に戻り8時間勤務。
なんてことはなかった。
1日が終わった。

単身赴任先のアパートに戻り茨城清志氏のブログを見ると
テッドさんのことが何回かに分かれて書かれていた。
告別式のことも…。

出ていた写真を見て、じわっと涙が出た。
葬式に行けなかった自分だが、
心の中に氏を偲ぶ気持ちが強くあると再確認したというか…。

この頃イバさんのブログをたまに読むが、
業界から何年も消えて、そしてカムバックを果たしたことは
見事だと思う。

茨城さんは若い頃の私にとって羨ましい存在だった。
いまから30年も前、アメリカのプロレスの写真を撮って
フィルム1本3万円の条件で仕事をしていたのだから凄い。
経費は別に出ていたというし、一晩に30万円ぐらい荒稼ぎしていた。

30年前の30万円、いまの貨幣価値にするといくらぐらいだろう?

イバさんのエピソードは当時の先輩たちからたくさん聞いたし
メキシコの女子プロレスラーからも、かなり笑えるのを聞いた。

ファイトの井上さんなど「イバ公」などと呼んではかなり遊んでいた。

もう10年以上前だがイバさんと井上さんと3人、旅先で
行動をともにしたことがある。
ティファナからロサンゼルスに向かう途中、
ドライブインに寄った。

アメリカのレストラン。
箸などあるわけがないが井上さんがウエイトレスを呼んで
「チャプスティックないですか?ここの人チャイニーズなんで
ナイフとフォーク使えないんです」とイバさんを指差す。
イバさんは「まったくうるさいなぁ、もう」とか言いながら
井上さんになめられっぱなし。
調子に乗る井上さんは今度は他のウエイトレスに
「エッグロールありませんか?コイツはチャイニーズだから…」
とおっぱじめた。

イバさんは真っ赤になって恥ずかしそうにしていて
私は笑い転げている。

なつかしいことを思い出した。




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June 24, 2009

今日から現実

長い休み…夢の世界から現実に戻る。
今日から8時間勤務。
それはそれで楽しみだったりする。

休みをエンジョイし
仕事もエンジョイする。

私の定位置は出発ゲートのサービスカウンターでの仕事。


今日私が担当する日本行きのフライトのうち
一本はエコノミークラスが豪快にオーバーしている。

こういったフライトはチャレンジが多い。
家族同士離れ離れになってしまい
我々のいるサービスカウンターに
「席を一緒にしてくれ」の行列が出来る。

一席も空いてない場合、動かしようがないが
昨夜休憩室に立ち寄って2席つながって空いていた席を
いくつかブロックしておいた。
勤務時間外のこうした作業に金がもらえるはずもないが
翌日の仕事をより円滑に運ばせるためである。
その日の仕事は勤務時間になるまで一切考えない
という人が多いが、私は常に先手先手で手を打つのが好き。

大人同士は勘弁だが、3歳の子供とかを一人で座らせるわけにはいかない。
ブロックシートは奥の手だ。

昨日シートをブロックしたおかげで子供の隔離を
救えたら最高に気分がいい。

さて今日は日本行きの便を二本担当。張り切って行くぞ。



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カオルーン(九龍)

ビクトリアピークの次はカオルーン(九龍)。
息子が本で見つけたという「ベスト・ヌードル」の店は
JORDAN駅の近くということで、
エアコンのビッシビシ効いた地下鉄でJORDAN駅へ。

地上に出るとうだるような暑さ。気温は大したことないが
湿気がもの凄い。東京もそうだがドライな暑さのダラスに慣れている
から湿度の高さには参る。

本に出ていたヌードル屋は潰れたのか名前が変わったのか
結局見つからず、家族全員、空腹に加え暑さに参っていたため
「この辺で食べよう」と適当な店に飛び込んだ。

3つ星クラスのホテルにつながっている海鮮レストランでの飲茶は
なかなか美味しかった。

食事を終えてまた歩きはじめるが、とにかく暑い。
風水の店をやっとの思いで見つけるが
売っている本などすべて中国語。即座にあきらめた。

息子は4時に香港在住の友達とWホテルで待ち合わせが
あるのでそれに間に合うように帰らないとならない。

気の毒なのは75歳の母。23歳や16歳のペースで振り回されたら
たまらないだろう。
「老人もいるんだし若者のペースで歩きまわされたらかなわない」
クソ暑さでついに私がぶちきれて「タクシーで帰ろう」となった。

仕切りを任されていたはずが、親父に口出されへそを曲げた息子は
「僕だけ電車で帰るよ」と言い出すが、JORDANからカオルーン駅までは
乗換えが面倒な上にかなりグルっと遠回りしなければならないから
タクシーの方が便利と私が説明するとやっと納得した。

山登りは遅い人間に合わさなければ駄目だ。観光も同じ。

いったんホテルに戻り、今度は息子抜きで出かける。
娘が行きたがっていた花屋街&鳥屋街へタクシーで。
ところが降りてからやたら歩いた。

花屋や鳥屋を見たあとぶらぶらするが、とにかく暑い。
家内が「コーヒーショップに行こう」と言い出す。
すぐに見つけた店は思いっきり貧相。家内が
「こんな店は入れないわ」と駄目出し。
たしかにやばそうなほどボロボロの店。

まともな店がすぐに見つかるかと思いきや
15分ぐらい歩いてまだ見つからず、イライラ絶頂。
そしてやっと見つかったのが甘味屋みたいなところ。
マンゴプリンや香港スタイルのみつ豆みたいなのをいただく。
この店の冷房の寒さは凄まじい。いやー素晴らしい。

甘味屋のあと今度は女人街へ。
私は退屈だが付き合うしかない。

最後はまたタクシーでホテルへ戻り
隣接した「エレメント」というモールの中にある
中国料理屋で今回の香港旅行の最後のディナー。
昼食でたらふく食べたので夜は軽めで
私と家内、母が蝦ワンタン麺。
娘が葉っぱに包まれたスティッキーライス。
それと蒸し鶏をみんなで分けて食べた。

翌朝は8時20分発のフライトとあり5時起き。
ビジネスクラスが3席しかなかったので
私と家内、母がビジネスクラスで成田へ。
そして子供たちはエコノミーということになった。

母と娘は成田どまりで、
息子と家内はそのまま乗り換えてアメリカに行く形。
私はその時点でどっちにするか迷っていた。

長距離に乗るのは家内と息子だから
息子をビジネスに乗せて母がエコノミーという
ことも考えられたが、そこは母に敬意をはらい
母にビジネスクラスに乗ってもらうことにした。
まだ23歳の息子だからこの区間エコノミーだとしても
体力的には問題がない。

ビジネスクラスの食事は
オムレツか飲茶かシリアルの3通り。
で、飲茶を選択。丸2日チャイニーズばかり食べて
また飲茶を食べる私はチャイニーズ大好き。
家内はさすがに疲れたのかオムレツを選択していたようだ。

成田に到着。
娘は東京の母のところに2週間ぐらい滞在するわけだが、
その時点で私は東京に1泊するか家内や息子とともに
アメリカに帰るか迷っていたが、結局東京に一泊を選択。

父の見舞いに行って、それから赤羽で飲みに行った。






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June 23, 2009

香港

さて今回の香港旅行、ホテルに到着したのは5時すぎ。
Wホテルがあるのは九龍サイドだが、
実をいうと私の好きなのは香港島のコーズウェイベイのあたり。

私が初めて香港に行ったのはいまから23年前。1986年のことだった。
ストレスがたまっていてどこかに行きたかったが
「どこにするか」という部分、思いつかなかった。

「とにかく成田に行っちまえ」と
小さめの旅行カバン一つとパスポートを持って成田空港へ。

出発の掲示板を見て「香港」にきめた。

直前購入で日本航空のビジネスクラス片道切符を購入。
「帰りは現地で買った方が安い」ということを聞いていたためだ。

その時機内でフライトアテンダントと話をして
お勧めホテルとして出てきたのが「エクセルシオール」。
とにかくロケーションがいいという。
で、そこにチェックイン。
話の通りロケーションがビンゴ! 素晴らしい。

で、ホテルの周りからコーズウェイベイをぶらぶら。
当時の印象として強く残っているのはビルの増改築のために
竹で出来た工事用の足場があったこと。

多くのビルが増改築中だったが、日本なら鉄でつくる足場が
「香港では竹なんだ」ということに文化の違いを感じた。

初香港の2日目の夜、マカオに行き、ブラックジャックで勝ちまくった。
とりあえずと米ドルの150ドルを香港ドルに替えて、1ベット20香港ドルから
スタートしたら面白いように勝ち始め、じきに掛け金を100香港ドル
200、300、500、1000とあげていきそれでも勝ちまくった。

米ドル換算で6000ドルまで勝ったが、そこから負け始め、
手持ちが5000ドルちょいの時に「引き際」と悟り、やめた。
もう朝方。8時ごろだったが、そのまま香港行きのフェリーに乗って
香港に戻って再びエクセルシオールの周りをぶらぶら。
当時香港でカメラを買うと日本よりも安く買えたため
勝った金でCANONのT90を購入。そして空港へ。
日本航空のチケットカウンターへ行き、これも勝った金で
香港から成田行きの往復のファーストクラスの切符を買った。

当時私は26歳だったが、
その時が私にとって初めての「国際線ファーストクラス」だった。

日本航空のF。パーサーが「本日はヒラメが美味しくなっております」
と勧めてくれたのがいまも忘れられない。

それから6ヶ月毎月香港とマカオに通い、マカオでは5000米ドル
とはいかなかったが6ヶ月連続で勝ち続けた。

その当時から私にとっての香港はコーズウェイベイ。

ということで今回の家族旅行でも最初の晩ご飯は
コーズウェイベイで食べることにした。

行ったのは全然知らない店。もちろんチャイニーズ。

さて、2日目だが、
子供たちが本を買って下調べしていたので
「息子をリーダーにして先導役をやってもらおう」と
いうことになった。(家内のアイディア)

最初に行ったのはビクトリアピーク。
ホテルのシャトルで船着場まで送ってもらい
船で香港島のセントラル(中環)まで行き、
そこから15番のバスに乗ってビクトリアピークの頂上まで行った。
頂上で写真を撮り、今度はケーブルカーで降りて
2階建てバスにのりまた船着場へ。

次の行き先は九龍島だが家内が行きたがっている風水のお店は
電車のほうがよさそうということで、船着場からセントラルの駅まで歩き
電車で行くことにした。船はオープンでエアコンなしだが
地下鉄の駅や電車の中はエアコンがビシビシきいている。
これは本当に素晴らしい。私は夏時期に関して「弱冷房」
とかやっている日本の電車が最悪だと思う。
なぜ香港を見習わないのだろうか。見習ってほしい。

(続く)




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June 22, 2009

仁川〜香港

ソウル仁川空港からは午後1時5分発の大韓航空に乗って
香港へ。香港空港には宿泊先のWホテルの迎えの車。
Wホテルは「おしゃれ」を売り物にする高級ホテルだが
送迎車はアウディのQ7。ウーンなかなか。
ちなみにこのホテル九龍駅と直結している便利なロケーション
にあるのだが家族5人でエアポートエクスプレスの電車に
乗っても500香港ドルがかかるのに対し
アウディの送迎は815ドル(税込)。
ほんの315ドルでの贅沢。
href="http://pics.livedoor.com/u/jimmysuzukiusa/5370739" target="_blank">DSCN0176


ホテルの中は廊下とかにいたるまでものすごいお洒落。
二部屋とも無料滞在を利用したのだが
プラチナVIPの恩恵で
ここでも一部屋は海の見える超デカスイート。
家族5人ならこのスイートだけで
よかったかとおもえるほど。
ちなみに写真はスイートのリビングルームにて。DSCN0179

ん時間がないので(続きということにします)
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バケーション最終日

東京にいる。
アメリカから東京にきて
17日に仕事で関西方面へ行き
18日朝、羽田空港で母を含めた家族と待ち合わせて
大韓航空にてソウル金浦空港へ。
飛行時間は2時間足らず。
家内は「こんなに近いんだ」と驚き。

金浦空港からはジャンボタクシー。
ソウルのタクシーは黒塗りのデラックスタクシーと
シルバーや白の一般タクシーがあり
デラックスの料金は倍ぐらい。
で、車に差があるかといえばそうでもない。
それに気づいてから、私は極力一般タクシーを
利用しているが7人乗りジャンボは
黒塗りデラックス。我々5人なんだからしょうがない。

ホテルはいつものウエスティン・チョースン・ホテル。
「韓国ナンバーワン」のホテルに何度も選ばれている
伝統と格式にあふれる超一流ホテル。

満室に近かったらしく料金がいつもより高い。
一部屋は「航空会社従業員ディスカウント」でとり、
もう一部屋はSPGのポイントを使って無料で取った。

一部屋は超デカなスイート。
そして2部屋ともエグゼクティブラウンジのアクセスつき。
ラウンジではアルコール類や簡単な夕食が無料で出されていた
。翌朝の朝食もラウンジでいただき無料。
すんばらしい。

到着した日は家族で南大門マーケットを散策したあと
夜は会長とのミーティングがあり
罪の意識を感じながらも家族をほっぽらかし。

翌朝は2つの宮殿や民俗村を観光。そして急いで仁川空港へ。Seoul1






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June 19, 2009

Keep on going

Keep on going.

それが私の結論。
もし私が死んだら…といっても実際には本当に死ぬまでわからないが、
周りの人たちにはKeep on goingしてもらいたい。
よりいっそう頑張ってもらいたいと思うのではないか。

テッドさんが亡くなった。

テッドさんは新韓国プロレスに出てくれたし、
また出たいと言ってくれていたし、
前回出られなかった時に残念がっていた。

私は全力でKeep on going.

昨夜会長と色々の話をした。
会長は本気。
凄いアイディアを言っていた。
プロレス以外の人間の登用だが
もちろんいまの時点では業務秘密。

過去3回を上回るメンバーでやる。
いまはこれしか言えない。

Keep on going.
やるっきゃない!!

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June 18, 2009

テッドさん

2ちゃんねるを見た。
テッドさんの葬式に行かないことで批判が書かれている。

夜中に何度も目が覚めた。

こと細かに書かなければいけなかったのかも知れないし、
それでも「ああ言えばこう言う」なのかも知れない。

昨日のお通夜に関して「駆けつけたとすれば平服でも失礼ではない」と
あった。

私もそう思ったが昨日に関しては、服のことは関係なく
間に合わなかった。

会長とのミーティングであれば、それをずらして、
逆に言えば会長を連れて名古屋に行くことも考えられたが
昨夜は会長ではなかった。

仕事の内容は明かせないが、それによって時間的に不可能だった。
変更がきくものであれば、変更していたが昨日は無理だった。

今日の本葬に関しても難しい…というか仕事をぶっ飛ばしてもいいのなら
可能だが、それだと人に迷惑がかかる。

今日はこれから羽田に飛び、家族と合流してソウルに飛ぶ。
夕方6時から大切な会合。家族には明洞をてきとうにブラブラ
してもらいながら私はビジネス。これも内容は明かせないが
家族をほっぽってまで出なければならない会合。
アメリカを出てから急に決まったミーティング…。
韓国へはいつもスーツを着ていくが、今回は無理。

残念ながら私は「吊るし」のスーツを買い、そのまま着ることが出来ない。
ふつうの店にはサイズがないし、サカゼンあたりで買っても
パンツの丈ぐらいはすぐに直せたとしても
袖を10センチとか切らねばならない。
買うたびに「仕上がりは2週間後」とか言われる。


まあ何を書いても批判されるのだろうが、
残念としかいいようがない。





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June 17, 2009

テッドさんを心から偲ぶ

関西空港のラウンジにいる。
午後1時に到着し、午後4時40分に
全日空でソウルから到着する新韓国プロレスの
人たちを待っている。

今日は夜7時から名古屋でテッドさんのお通夜が
ある。仕事を終えたらすっとんで行きたいところだが
仕事を早めに切り上げたとしても
新幹線に乗って名古屋に着くのは夜10時ごろになる。
自分のところにきた案内には夜8時までとあるから完全に遅い。

それに加えジーパンでお通夜は失礼だと思う。

今回は家族旅行で来た。行き先が香港だから
短パンに麻のシャツやポロシャツといった服ばかり
持ってきた。

まあ何を言い訳しても始まらないが
一番大切なのは葬儀に参列するしないではなく
故人を偲ぶ心。すべては心の中だと思う。

昨日人生で初めて弔電を依頼した。

テッドさん貴方は私がブッカーとして
最初に選んだ世界中で最初のレフェリーでした。
いつも素晴らしいレフェリングで安心して任せられた。
人間としても素晴らしかった。
いつも恐縮するぐらい腰が低く、
丁寧な言葉を使っていた。
私は私なりに敬意をもって接したつもりです。

だけど…


テッドさん、申し訳ない。
俺、何もできない。
テッドさんごめんね。
12月の興行にはぜひお願いしたかったんだ。
テッドさん、本当にごめん。
いまの俺、何もできない。



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June 16, 2009

テッドさん

「やるせない気持ち」という言葉はこういう時に使うものなのか…。
ある関係者に連絡をとりお通夜と葬儀に関するインフォメーション
をもらったが、仕事とぶつかり足を運ぶことが出来ない。
それにそれらしい服も持ってきていない。
黒いネクタイぐらいならすぐに用意できるが
ダーク系のスーツとなるとそうもいかない。

せめてもという思いで弔電…。
つらいという一言では収まらない。

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いま赤羽

いま赤羽にいる。
昨夜家族で日本にきた。
昨夜東スポを買い掲載写真にショックを受け
今朝日刊スポーツを買って三沢選手の記事を読んでいたら
左側にテッドさんのことが書かれているのに気がついた。

人が亡くなった場合、
その時の精神状態とそれが誰であるかにより
色々な反応するのが人間だと思うが
本当に毎回違う。
妹のときは60時間寝られず
家族が寝て私一人で妹を見るまで
涙をこらえ、そして一人で泣いた。

今回テッドさんのことを知って
「いい人だった」と
すぐに涙が出てきた。

合掌

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テッドタナベさん

今朝日刊スポーツを買い
テッドタナベさんが亡くなられたことを知った。

三沢選手が亡くなられた時
「何を書いても不謹慎な気がするから書かない」
みたいなことを書いたが、
テッドさんに関しても同じことがいえる。
ただほんの一言だけ多く…というか…

いい言葉なんかありゃしないけど…

テッドさん、韓国ではお世話になりました。
ありがとうございました。

心からご冥福をお祈りいたします。


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June 14, 2009

三沢光晴さんの訃報を聞き

いまミネアポリスのホテルにいる。
日本の某プロレス団体の関係者からのメールで
三沢選手の訃報を知った。

すぐにネットで検索し、それなりの詳細を知った。
いまこの時点で何を書いても不謹慎なような気がする。
だからたった一言だけ。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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June 13, 2009

四苦八苦

いやいや参った。

日本行きの国際線には空席があるのだが
それに乗り継ぐまでの国内線がぎちぎち。
私が働いている航空会社の便はどの便も
不況をまったく感じさせぬ混み具合。

今日私が担当した成田行きの便も403人乗りのうち
空席が10もなかった。

これだけ混んでいると怖くてスタンバイするきにならない。

他社の便はどの便も空席があるのだから
私の働く会社はもの凄く立派だと思う。

問題は…私、家内、娘は他社の便に乗ればいいのだが
21歳以上の扶養家族は乗れない会社が多い。
アメリカン航空しかりキャセイパシフィックしかり
年齢制限は20歳までとのこと。

まいった。どうやって成田にたどり着けるんだ?




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June 11, 2009

ワーオ

ここ何年もなかったような超ド級のカードが実現する。

8月30日、全日本プロレスの両国国技館大会で
なんと武藤敬司&船木誠勝VS.蝶野正洋&鈴木みのるが
行われることになった。

これほどインパクトのあるカードはもう何年もなかった。

ご存知のとおり船木と鈴木は純プロレス(新日本)を離れ
UWF、そしてパンクラスと身を転じた男たちだが、
もともとは若い頃、同じ釜の飯を食った仲間。

武藤、蝶野、船木は同期。そして鈴木みのるは4年後輩。

純プロレスの取材でメシを食っていた私にすれば
Uやパンクラスの存在は「天敵」のような感情を持った
時期があったし、鈴木みのるがプロレスに戻ってきた時
にしても素直に認めたくない自分がいたことも事実。
「プロレスをおちょくりやがって」みたいなことを勝手に考えていた。

ところが、鈴木みのるは、プロレスのリングに上がると
人一倍まじめに取り組んだ。そればかりか
いつの間にかプロレスの達人に化けて
しまった。問答無用。こうなってくると否定できない。

それだけに同じ穴のムジナといえる船木にも期待してしまう。
彼もまたシリアスな格闘技のエッセンスを巧みに盛り込みながら
プロレスの達人に化けてくれるのではないだろうか。

武藤と蝶野、そして船木と鈴木。この4人の絡みは
はっきりいって凄いことになるはずだ。

私が最初に船木選手を取材したのは彼がドイツに修行に行って
いた時、ハノーバーで色々な話をさせてもらった。
その時、船木選手は新日本を辞めるという考えがあり
それを引き止めに藤波さんがハノーバーに来たが
結局船木選手はUに動いた。

あの時船木選手が新日本にとどまったら日本のプロレス
の歴史は違ったものになっていたはず。

歴史の動き、節々、そしてそのカナメを取材してこれたこと
をプロレス記者として、いまあらためて幸せを感じる。

なにはともあれこのカードは超ド級。
いまの日本マット界で考えられる最高のカードというか
発表されるまで考えることすらできなかった素晴らしいカード。

アントニオ猪木VS.ストロング小林
アントニオ猪木VS.大木金太郎
ジャイアント馬場VS.大木金太郎

この3つに匹敵する史上空前のカードである。




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時の流れが速い

時の流れが速い。
明日明後日と働けばもう家族旅行。

香港旅行には母親も来てくれることになった。
母は私が航空会社で働き始めた最初の日から
世界中飛び放題の特典が与えられながら
これまで父の看病のためどこにも行っていない。

今回誘ったところ来てくれることになり
本当に嬉しく思う。
小さな親孝行かもしれないが、
やっとそれが出来るということに感動すらおぼえる。

短い旅だが事情が許す限りの贅沢な旅にしたい。



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June 10, 2009

WWE Extreme Rules

いやぁ参った参った!

WWE Extreme Rules の取材に行ったのだが
レンタルしたレンズのモーターが動かない…。
つまりAF不能の状態。

SIGMAの120mm〜300mm F2.8なのだが
これには参った。

最初にダークマッチをテストで撮ろうとしたら
MFに設定されているのに気付きスイッチをAFにするが
モーターが動かず、接点を拭いたり何度かつけたり
外したりしてみても駄目。

しかたなくマニュアルフォーカスで撮影。

金網の時などは、いまだにマニュアルで撮るが
AFを中心にしてからもう10年以上経つ。
歳もとったし、結果が心配だったが
選択肢がない。

しかしこれは結果オーライで胸をなでおろす。
ホテルで画像を取り込んで見てみると
外したのもあったが8割以上の確率でピンはきてた。
正直びびったのだが、とにかくよかった。

で一難さってまた一難。
ホテルのインターネットがやたら遅い。
写真3枚ずつ添付してメールしようとしたら
普段は2分ぐらいしかかからないのに
15分の表示。
何通か送ったがすぐに朝になってしまい
一睡もする間もなく飛行機に乗る時間になってしまった。

エクストリームな一日になってヘロヘロ。
それから2日経つが疲れが完全に抜けきらない。

jimmysuzukiusa at 12:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!