先日は「文語」の話をしましたが、今回は「歴史的仮名遣い」。
この2つが同じものだと思つてゐる人がゐるので、びつくりしてしまひます。
「文語」といふのは、「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」といふやうに、現代語とは違ふ、平安初期の文法体系に則つた文章のことです。単語などは新しいものを使つてもよいのですが、文法は、源氏物語などと同じものなのです。
文語の反対語は「口語」です。
それに対して、「歴史的仮名遣ひ」(旧仮名遣ひ)といふのは、表記の問題です。
日本国憲法は、歴史的仮名遣ひで書かれてゐる、と言つたら、「大日本帝国憲法の間違ひぢやないの」と思ふでせうが、さうぢやないんですよ。
大日本帝国憲法は、「文語で歴史的仮名遣ひ」(よつぽどひねくれた人を除いては、文語は今でも歴史的仮名遣ひで書くのがふつうです)ですが、日本国憲法は、「口語で歴史的仮名遣ひ」なのです。
第3条は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」となつてゐますが、最後の所が「負う」でなく「負ふ」となつてゐるでせう。これが、歴史的仮名遣ひなのです。
今日のブログだけ、歴史的仮名遣ひで書いてゐます。
戦前は、文語も口語もみんな、歴史的仮名遣ひで書いてゐたのですが、発音どほりでないのは不便だ、民主的でない、などといふ主張をする人が昔からゐました。
さういふ進歩的な人々が、戦後のどさくさにまぎれ、占領軍の力を借りて、深い考へもなしに国語の表記法を変へてしまつたのが、現代仮名遣ひ(新仮名遣ひ)であり、同時に成立した「当用漢字」(現在の常用漢字の前身)なのです。
日本国憲法ができたのは、現代仮名遣ひ制定の直前だつたので、まだ歴史的仮名遣ひを使ふしかなかつたのです。
文語は平安初期の文法に準拠してゐる、と述べましたが、歴史的仮名遣ひは、平安時代の発音に準拠してゐます。
たとへば、「言ふ」は平安時代には本当に「イフ」といふ発音だつたのです。
その、ifuのfが脱落して、iuになりました。しかし、ふつう、イデオロギーに捉はれないで素直に考へれば、「イウ」もしくは「ユウ」と発音してゐても、文字は「いふ」でいいぢやないか、と思ふものです。文化を守らうといふ人間の自然の意識が、発音が変つても、表記はなるべくもとのままにしておかう、といふ気持ちにさせるものなのです。
英語だつて、takeは古くは「ターケ」に近い発音をしてゐました。
発音が変化して、「テイク」に変つたのだから、taikとかteikとか書けばいいぢやないか、と思ふのは、文化の伝統的なつながりを大切に思はない人なのです。
古典との連携を忘れないやうにするためには、古いスペリングを無理のない範囲で維持する必要があります。
「食ふ」の過去は「食つた」ですが、これは「食ひたり」が語源です。
過去の助動詞「た」は「たり」の成れの果てなんですよ。
さう教へたら、「『た』は過去で『たり』は完了なんだから、『たり』が『た』になつたはずはない」と反論した人がゐました。
時代が変はり、語形が変はつたのですから、そりやあ、意味だつて変はりますよ。
いや、本当のことを言へば、「た」が「過去」だといふのは、最近の学者がさう言つてゐるだけの話なのです。
ちよつと考へてごらんなさい。
「お父さんが帰つて来たら、ご飯にしませう」
この文の「来たら」の「たら」は「た」の未然形なのですが、どうしてこれが過去なのでせう。どう考へても、過去ぢやないでせう。
ほんとは完了なんですよ。学者が勝手に過去にしちやつただけ。
「食ひたり」が促音便で「食つたり」になり、「り」が脱落して、「食つた」が生まれました。
これを、語源を大切に思ふあまりに、「食ひたり」のままで、「食つた」と読ませたら、それは無理のある表記になつてしまひます。
しかし、「食ひませう」を「食いましょう」と読ませるレベルなら、無理のない範囲に収まつてゐるのです。
たいていの言語の表記法は、この「無理のない範囲」で、語源を保存してゐるのですが、戦後の日本だけが、「発音どほりでなければいけない」といふイデオロギーに屈服して、発音記号と変はらない、伝統を無視した仮名遣ひを作り上げてしまつたのです。
戦後60年経ちました。
いい加減に、戦争に負けた劣等感を払拭して、日本文化の見直しをしてもよい時期になつてゐるのではないでせうか。
最後に、上の最後の所にある「でせうか」を研究してみませう。
「です」の連用形「でせ」に、意志推量の助動詞「む」が接続して、「でせむ」ができました。そのdesemuのmが脱落して、deseuとなりました。
eu「エウ」は英語では「ユー」(neutral「ニュートラル」)、ドイツ語では「オイ」(neun「ノイン」[英語のnine])となり、日本語では「ヨー」となります。これは、各言語に内在的に備わった変化の類型なのです。
そこで、deseu(でせう)が「デショー」と発音されるのは、それこそ、「無理のない」音韻変化なのです。
「でしょう」なんて書く方がよつぽど無理をしてゐるんですよ。
一つ追加しておきますと、文字言語の文化的伝統の深い国の言語の中では、日本語(現代仮名遣ひ)だけが、異様な「発音どほりのスペリング」を持つてゐます。
英語でも、ドイツ語でも、フランス語でも、スペリングと発音とは相当に乖離してゐるのです。
それに対して、固有の文字を持たず、近世になつてから、アルファベットを借用した新興国は、たいてい発音どほりのスペリングです。
それは、まだ、スペリングがこなれるだけの伝統の蓄積がないからです。
わざわざ、その方向に逆行したのが、日本の戦後の国語改革なのです。
イデオロギーって、恐ろしいと思いますよ。
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この2つが同じものだと思つてゐる人がゐるので、びつくりしてしまひます。
「文語」といふのは、「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」といふやうに、現代語とは違ふ、平安初期の文法体系に則つた文章のことです。単語などは新しいものを使つてもよいのですが、文法は、源氏物語などと同じものなのです。
文語の反対語は「口語」です。
それに対して、「歴史的仮名遣ひ」(旧仮名遣ひ)といふのは、表記の問題です。
日本国憲法は、歴史的仮名遣ひで書かれてゐる、と言つたら、「大日本帝国憲法の間違ひぢやないの」と思ふでせうが、さうぢやないんですよ。
大日本帝国憲法は、「文語で歴史的仮名遣ひ」(よつぽどひねくれた人を除いては、文語は今でも歴史的仮名遣ひで書くのがふつうです)ですが、日本国憲法は、「口語で歴史的仮名遣ひ」なのです。
第3条は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」となつてゐますが、最後の所が「負う」でなく「負ふ」となつてゐるでせう。これが、歴史的仮名遣ひなのです。
今日のブログだけ、歴史的仮名遣ひで書いてゐます。
戦前は、文語も口語もみんな、歴史的仮名遣ひで書いてゐたのですが、発音どほりでないのは不便だ、民主的でない、などといふ主張をする人が昔からゐました。
さういふ進歩的な人々が、戦後のどさくさにまぎれ、占領軍の力を借りて、深い考へもなしに国語の表記法を変へてしまつたのが、現代仮名遣ひ(新仮名遣ひ)であり、同時に成立した「当用漢字」(現在の常用漢字の前身)なのです。
日本国憲法ができたのは、現代仮名遣ひ制定の直前だつたので、まだ歴史的仮名遣ひを使ふしかなかつたのです。
文語は平安初期の文法に準拠してゐる、と述べましたが、歴史的仮名遣ひは、平安時代の発音に準拠してゐます。
たとへば、「言ふ」は平安時代には本当に「イフ」といふ発音だつたのです。
その、ifuのfが脱落して、iuになりました。しかし、ふつう、イデオロギーに捉はれないで素直に考へれば、「イウ」もしくは「ユウ」と発音してゐても、文字は「いふ」でいいぢやないか、と思ふものです。文化を守らうといふ人間の自然の意識が、発音が変つても、表記はなるべくもとのままにしておかう、といふ気持ちにさせるものなのです。
英語だつて、takeは古くは「ターケ」に近い発音をしてゐました。
発音が変化して、「テイク」に変つたのだから、taikとかteikとか書けばいいぢやないか、と思ふのは、文化の伝統的なつながりを大切に思はない人なのです。
古典との連携を忘れないやうにするためには、古いスペリングを無理のない範囲で維持する必要があります。
「食ふ」の過去は「食つた」ですが、これは「食ひたり」が語源です。
過去の助動詞「た」は「たり」の成れの果てなんですよ。
さう教へたら、「『た』は過去で『たり』は完了なんだから、『たり』が『た』になつたはずはない」と反論した人がゐました。
時代が変はり、語形が変はつたのですから、そりやあ、意味だつて変はりますよ。
いや、本当のことを言へば、「た」が「過去」だといふのは、最近の学者がさう言つてゐるだけの話なのです。
ちよつと考へてごらんなさい。
「お父さんが帰つて来たら、ご飯にしませう」
この文の「来たら」の「たら」は「た」の未然形なのですが、どうしてこれが過去なのでせう。どう考へても、過去ぢやないでせう。
ほんとは完了なんですよ。学者が勝手に過去にしちやつただけ。
「食ひたり」が促音便で「食つたり」になり、「り」が脱落して、「食つた」が生まれました。
これを、語源を大切に思ふあまりに、「食ひたり」のままで、「食つた」と読ませたら、それは無理のある表記になつてしまひます。
しかし、「食ひませう」を「食いましょう」と読ませるレベルなら、無理のない範囲に収まつてゐるのです。
たいていの言語の表記法は、この「無理のない範囲」で、語源を保存してゐるのですが、戦後の日本だけが、「発音どほりでなければいけない」といふイデオロギーに屈服して、発音記号と変はらない、伝統を無視した仮名遣ひを作り上げてしまつたのです。
戦後60年経ちました。
いい加減に、戦争に負けた劣等感を払拭して、日本文化の見直しをしてもよい時期になつてゐるのではないでせうか。
最後に、上の最後の所にある「でせうか」を研究してみませう。
「です」の連用形「でせ」に、意志推量の助動詞「む」が接続して、「でせむ」ができました。そのdesemuのmが脱落して、deseuとなりました。
eu「エウ」は英語では「ユー」(neutral「ニュートラル」)、ドイツ語では「オイ」(neun「ノイン」[英語のnine])となり、日本語では「ヨー」となります。これは、各言語に内在的に備わった変化の類型なのです。
そこで、deseu(でせう)が「デショー」と発音されるのは、それこそ、「無理のない」音韻変化なのです。
「でしょう」なんて書く方がよつぽど無理をしてゐるんですよ。
一つ追加しておきますと、文字言語の文化的伝統の深い国の言語の中では、日本語(現代仮名遣ひ)だけが、異様な「発音どほりのスペリング」を持つてゐます。
英語でも、ドイツ語でも、フランス語でも、スペリングと発音とは相当に乖離してゐるのです。
それに対して、固有の文字を持たず、近世になつてから、アルファベットを借用した新興国は、たいてい発音どほりのスペリングです。
それは、まだ、スペリングがこなれるだけの伝統の蓄積がないからです。
わざわざ、その方向に逆行したのが、日本の戦後の国語改革なのです。
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