佐高ファンさんの疑問に答える1 朝鮮総連を支持するかしないかは関係ない [2009-06-28 00:00 by kollwitz2000]
差別発言への注意は「非常識」――岡本厚『世界』編集長の私への怒り [2009-06-25 00:00 by kollwitz2000] 岡本厚『世界』編集長の「逆ギレ」 [2009-06-24 00:00 by kollwitz2000] 日本の「二大政党制」についての覚え書(下) [2009-06-23 00:00 by kollwitz2000] 日本の「二大政党制」についての覚え書(上) [2009-06-22 00:00 by kollwitz2000] 日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 7 [2009-06-20 00:00 by kollwitz2000] 日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 6 [2009-06-19 00:00 by kollwitz2000] 日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 5 「戦後社会」の擁護 [2009-06-17 00:00 by kollwitz2000] 日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 4 [2009-06-16 00:00 by kollwitz2000] 日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 3 [2009-06-15 00:00 by kollwitz2000] 新潮社・早川清『週刊新潮』前編集長・佐藤優氏を提訴しました [2009-06-13 00:00 by kollwitz2000] 日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 2 日本の右派勢力をどう認識するか [2009-06-13 00:00 by kollwitz2000] 日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 1 日本は右傾化しているのか? [2009-06-13 00:00 by kollwitz2000] 論評:佐高信「佐藤優という思想」 ②――本文批判(付記:佐藤優と小林よしのりと「パチンコ問題」) [2009-06-06 00:00 by kollwitz2000] 論評:佐高信「佐藤優という思想」 ①――佐藤優を使うことの社会的悪影響という観点の欠落 [2009-06-04 00:00 by kollwitz2000] 以前書いた、「論評:佐高信『佐藤優という思想』」の「①」および「②」について、ブログ「一撃筆殺仕事人:佐高信先生追っかけブログ」の佐高ファンさん(ichigeki氏)が、紹介と感想を書かかれていた。同ブログについては、すでに「②」でも触れている。
http://ameblo.jp/sataka/entry-10276965232.html http://ameblo.jp/sataka/entry-10279998781.html ichigeki氏によれば、「①」と「②」は、「もう佐高ファンが立ち上がれないほどの衝撃で佐高信さんの週刊金曜日コラム、風速計の「佐藤優という思想」を真っ二つ」しており、「この金さんの佐高批判はほぼ妥当なものが多くてファンとしてもまいったなぁと脱帽しています」と、高く評価(?)して下さっている。紹介下さったこととあわせて、御礼をしておく。 だが、ichigeki氏の(「①」「②」にとどまらない)感想に関しては、私の主張についてのいくつかの誤解が含まれている、と考える。私の立場を明らかにしておくよい機会でもあるので、ichigeki氏の疑問の主なものに対して答えておきたい。ただし、時間の関係と、ブログという性格上、何回かに分けて書く。その点は諒とされたい。 実は、ichigeki氏の感想の中では、直接「①」「②」とは関係のないものの方が本質的な論点なのである。したがって、まず、そこから答えておく。Ichigeki氏の文章を引用しよう。 「ここからは余談になります。私は思うのですが、この国家主義的なファシズムのようなものに批判的な金さんも実際は「ナショナル」なものからの桎梏からは離れられないのではないかと思っています。 それは朝鮮総連に対する「弾圧」に対してのかなり激しい対応というものに見られます。例をあげれば金賛灯氏の「朝鮮総連」という本に対して 「『すでに在日は朝鮮総連の必要性を認めていないだけでなく、朝鮮民族が日本で生活していく上で有害な組織と認識し始めている』」(金賛汀『朝鮮総連』新潮新書、二〇〇四年五月、二〇〇頁)などという言説が大手を振ってまかり通っている」 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html とか 総連に対してはもう1人在日韓国人の激しい批判者がいます。辛淑玉さんです。ろくに本を読まないネット右翼から見れば信じられないことでしょうが、辛さんは民族学校に在学中、日本の学校から転校してきたことで物凄い虐めにあったことを書かれており、また総連が在日企業の経営している遊技場の近くに総連系列の企業の同様な遊技場を進出させて潰してしまう、ということを激しく批判しています。 真の共生社会をめざしている辛淑玉さんらしい記述です。」 http://ameblo.jp/sataka/entry-10279998781.html 「ナショナル」の定義はいろいろあるが、ここでのichigeki氏の用法から、それをあまり厳密にせずに「民族主義的なもの」とでもするならば、そもそも私は、人間は「「ナショナル」なものからの桎梏からは離れられない」と考えており、自分はそうした桎梏から離れている、というのは単なる錯覚であると思っている。私は自分をことさらに民族主義者であるとも考えないが、「ナショナリズム」がそれ自体で悪であると否定したことはなく(例えば、この記事を参照)、「ナショナリティの脱構築」といった類のポストコロニアリズムには、亜インテリの観念遊戯という認識しか持っておらず、例えば、日本人がナショナリストとして、自国の侵略と植民地支配責任を果たすべきであるとする運動や主張があれば、それこそ全面的に支持したいと考えている(注)。 それはさておき、私が違和感を持つのは、ichigeki氏が、私が「朝鮮総連に対する「弾圧」に対してのかなり激しい対応」をしているとし、そのことを問題視していることである。 この件に関する私の主張は、「朝鮮総連の資産凍結について」で書いたので、詳しくはそちらを参照していただきたいのだが、ichigeki氏が、私の主張を批判するのであれば、私が取り上げているような日本政府の朝鮮総連に対する措置が弾圧ではないのか、または、弾圧であったとしても(一定の)正当性があるのかを、論点にすべきだと思う。 ところが、ichigeki氏の主張は、そうではなく、あたかも私が朝鮮総連の支持者やシンパであるとの印象を読者に与えるものとなっている。これは、ichigeki氏が仮に意識的にやっているのだとすれば印象操作と言われても仕方がないし、そうでなかったとしても、以下の理由で疑問とせざるを得ない。 「朝鮮総連の資産凍結について」でも、「<佐藤優現象>批判」でも書いているが、私はそもそも朝鮮総連を支持していないのであるから、日本の市民や左派の間から、こうした弾圧に批判の声が強く上がっているのならば、この件に関してあえて発言する気は特になかったし、今もないのである。 ところが、そうした批判の声は、市民や左派からは、目に見えるレベルではほぼ全くといっていいほど起こらなかったのであって、だからこそ私は声を上げているのである。 「朝鮮総連の資産凍結について」でも書いたが、私が言っているのは、朝鮮総連を支持するとかそういったことではなく、外交関係上の「国益」の観点という理由のみで、多数の構成員を持つ民族団体に対して、政府が意のままに強制捜査をしたり資産凍結したりができるというのはおかしい、ということだ。 こうした、対象の「人権」を全く考慮に入れない、「国益」の観点からのみの弾圧は、外国人一般に対しても許されるべきでないと思うが、ましてや、在日朝鮮人は、日本の植民地支配による朝鮮の農村経済の崩壊、朝鮮の近代国家化の挫折の結果、日本で食べていかざるを得なくなった朝鮮人およびその子孫なのだから、日本に定住する権利を持つ(「日本で生まれて日本で育ったから」、「地域社会の住民だから」定住する権利を持つ、と言っているのではない)。 だから、「国益」の観点からのみで、強制捜査や資産凍結を国家ができるのであれば、在日朝鮮人は日本国民と同等の基本的人権は享受できない、と言っているに等しいではないか。仮にこうした、在日朝鮮人への「国益」の観点からのみの弾圧が認められるのであれば、韓国国籍の在日朝鮮人の日本での生活も、「権利」ではなく、日本国家(日本人)が与える「恩恵」に過ぎないものということになる。これは、裏を返せば、民族差別等の社会的な不遇は甘受せよ、ということと同じではないか。 したがって、私が「朝鮮総連に対する「弾圧」に対してのかなり激しい対応」をしているなどと、私の態度の異常性(?)をあげつらっているのは、本末転倒としか思えない。私からすれば、日本政府の弾圧と、それに対する日本の市民や左派の沈黙の方が異常事態であって、ichigeki氏もその沈黙の加担者なのである。したがって、ichigeki氏から、異常に見えることそれ自体を問題にされることには、怒りを覚えざるを得ない。 上でも述べたように、私の主張に異論があるのならば、異常に見える云々ではなく、日本政府の朝鮮総連に対する措置が弾圧と言えるものではないこと、または、弾圧であったとしても(一定の)正当性があることを示すべきだと思う。 また、ichigeki氏は、辛淑玉の民族学校体験や朝鮮総連批判を引いている。だが、こうした事例は、個別で日本の国内法で裁かれればよいだけの話であって、日本政府による弾圧を正当化することにはならないだろう。辛の語るような話は私もいろいろ聞いているが、「朝鮮総連の資産凍結について」でも示唆したように、ある民族団体がそのマイノリティ集団にとって有益であるとか有害であるとかを、マジョリティの側が判断する権利はないのであり、それこそマイノリティの自己決定権の侵害であろう。 朝鮮総連弾圧は、国籍を問わず、在日朝鮮人が本来もっと批判の声を挙げるべき問題である。極めて皮肉なことに、元公安調査官の右翼である菅沼光弘は、「在日朝鮮人が不当に弾圧を受けているということになれば、比較的よく日本社会に溶け込んでいる中道穏健な在日朝鮮人も、総連と行動を共にするようになる可能性もある」と、「朝鮮総連潰しの動き」がもたらす影響を警戒し、懸念を表明している(菅沼光弘「アメリカは北朝鮮の核保有を容認した」『月刊日本』2007年8月号。強調は引用者)。私は「総連と行動を共にする」気はないが、菅沼はある意味で私と認識を共有しているのである。 ところが、2002年の小泉訪朝以来の日本の世論に接して、在日朝鮮人側は怯えきっているので、こと北朝鮮・朝鮮総連関連の問題に関しては、言論人のレベルでは、沈黙するか、朝鮮総連への「怒り」を表明して、自分たちは健全な(?)「在日」だと日本社会に必死にアピールするかのどちらかだけだ(例えば梁石日。また、この記事の民団の行動も、その典型である)。 こうした構図において、日本社会に過剰適応しようとする在日朝鮮人(ichigeki氏の文章では辛淑玉。辛については、「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 4」 でも簡単に言及したが、また別の機会に述べる。辛は、多分善意でやっているからこそ、却って厄介なのである)を引き合いに出して、別の在日朝鮮人を批判するというのは、あまりフェアではないのではないか。ichigeki氏が、私の所論を批判するのであれば、ichigeki氏自身の言葉で語って欲しい。 (注)念のために言っておくが、最近、労働問題関係で流行の「ナショナリズム」復興論(「リベラル・ナショナリズム」)は別である。あれは、ナショナリストとしては肝心要のはずの、日本の侵略と植民地支配の歴史をどう引き受けるかという議論を回避した、ナショナリストと言うよりはレイシストと言ったほうが的確な主張である。この点は後日論じる。 新潮社、早川清氏(『週刊新潮』前編集長)、佐藤優氏への訴訟提訴の件だが、訴状はいったん受理されたものの、後日、地裁から電話があった。
地裁によれば、私の訴状では佐藤氏は現在外務省を休職中となっているから、佐藤氏の連絡先は、私が訴状で記載した外務省よりも、直接連絡がとれる場所(住所)の方が望ましいとのことである。したがって、私は、佐藤氏に直接連絡がとれる場所の所在地を調べ、調査結果を地裁に報告しなければならない。 6月19日に外務省に聞いたところ、個人情報で教えられないとのことだったので、6月22日昼、佐藤氏と交流の深い、岡本厚『世界』編集長に、以下のメールを送った。 ------------------------------------------------------- 岡本厚様 金光翔です。 お疲れ様です。 さて、私は、さる6月12日に、東京地方裁判所民事部に、株式会社新潮社(代表取締役:佐藤隆信)、早川清氏(『週刊新潮』前編集長)、佐藤優氏(外務省職員)を被告とする、600万円の損害賠償・謝罪広告等の請求を目的とした訴状を、提出いたしました。 ただ、後日、地裁民事部から連絡があり、佐藤氏の現在の直接の文書郵送先を、私の方で調査した上で、その結果を報告してほしいと言われました。 私は、訴状で佐藤氏の住所を、外務省気付として提出したのですが、佐藤氏は休職中なので、地裁によれば、勤務先(外務省)よりも、地裁から郵送された文書をそのまま受け取れる場所に訂正するのが望ましい、とのことです。 そこで、6月19日に外務省に電話して、上記の趣旨を説明して、佐藤氏の現住所または文書郵送先を教えてほしい旨を述べました。ところが、佐藤氏の個人情報に当たるため、それは教えられないとのことでした。また、この件は佐藤氏の私事にあたるので、郵送された文書の転送も、外務省としては行えないとのことでした。 したがって、私としては、佐藤氏と仕事上のおつきあいのある岡本さんに、佐藤氏の現住所または、郵送された文書をそのまま受け取れる場所(事務所など)を、教えていただきたく思い、今回、このメールを送る次第です。 もし、そうした場所は、個人情報なので教えられないということであれば、私の依頼の趣旨を佐藤氏にお伝えいただき、現住所または文書郵送先について、佐藤氏から岡本さんに伝えていただいてそれを岡本さんからまた私に教えていただくか、佐藤氏から、直接私のこのメールアドレスにメールでご伝達いただくか、どちらかをお願いしていただけないでしょうか。 ご多忙のところ、大変恐縮ですが、なにとぞ宜しくお願いいたします。 ----------------------------------------------- ところが、返事をもらえないので、翌日6月23日の昼休みに、『世界』編集部に電話した。岡本編集長は席を外しているとのことだったので、代わりに出た編集部員に、岡本編集長あての伝言として、送ったメールに返事を欲しい旨を伝えておいた。 それでもやはり返事が来ないため、同日夕方に改めて『世界』編集部の岡本編集長の席に改めて電話した。以下がそのやりとりである。 (岡本)もしもし。 (金)岡本さんですか。 (岡本)はい。 (金)キムですが。 (岡本)いや、あなたとは話したくないんだよ。 (金)メールの件なんですけど。 (岡本)いや、切ります。 <岡本編集長、電話を切る> というわけで、私のメールでの依頼内容については、言及すらされなかったのである。 岡本編集長と直接話すのは、私が『世界』編集部を離れて以来だから、2年ぶりである。それにしても、これは、岡本編集長の私への憎悪を大変よく示すよい例だと思う。 私は、編集者または元上司として、佐藤氏へ私の要望をメールで伝える程度の対応はしてくれるだろうと思っていた。岡本編集長の性格を忘れていたのである。 岡本氏の憎悪は、当然、私の「<佐藤優現象>批判」その他の一連の言動によるところが大きいだろうが、これは、「逆ギレ」とでも言うほかあるまい。 岡本編集長は、雑誌『世界』が社会的に持つ意味から目をそらし、熱心に佐藤氏を使い続け、そのことが日本社会という<外部>に与える悪影響について、放置してきており、批判に対しても黙殺で応じてきている。佐藤氏を使い続けるという既成事実づくりにいそしんでいるかのようにすら見える。 岡本編集長は、「新潮社・早川清『週刊新潮』前編集長・佐藤優氏への訴訟提起にあたって」 でも述べたが、排外主義的主張や国権主義的主張、「言論の自由」への挑戦と言うべき発言を数多くの媒体で展開している佐藤氏を使うことの社会的責任についてどう認識しているのか、公的に明らかにすべきであろう。 そもそも、『世界』は、ホームページで、以下のように自称しているのである(強調は引用者)。 「『世界』は、良質な情報と深い学識に支えられた評論によって、戦後史を切り拓いてきた雑誌です。創刊以来60年、すでに日本唯一のクオリティマガジンとして、読者の圧倒的な信頼を確立しています。」 http://www.iwanami.co.jp/sekai/ 『世界』が実際に「日本唯一のクオリティマガジン」かどうかはさておき、ここまで自身を誇っているのであれば、佐藤氏を使うことの社会的責任をどう認識しているのか、公的に明らかにすべきなのは、なおさらではないのか。 3.
ところで、「政治改革」以降、二大政党制は「自民党対民主党」が初めてではない。「政治改革」以降の最初の二大政党制は、これまた対立軸が不明であった、自民党対新進党である。新進党は、村山政権の誕生で下野した諸政党が合併して発足したわけだが、1996年の衆議院選挙の敗北をきっかけに、公明が離脱し、1997年末に消滅した。面白いことに、この後、1999年1月に自自連立政権ができ、10月には自自公連立政権ができる。小沢は新進党時代から自民党との連立である保保連合を唱えていたが、結局、この自自公政権というのは、実質的には自民党と新進党の「大連立」政権である。 この自自公政権の誕生後、『世界』は、「ストップ!自自公暴走 日本の民主主義の再生のために」というタイトルの緊急増刊号を出している(1999年11月発行)。当時の雰囲気を伝えるよい資料だと思うので、冒頭の文章から引用しておこう。 「1999年は、どのような年として歴史に記録されることになるのでしょうか。 長く続く経済の低迷とグローバル化による激変。生活と将来への不安。その中で生まれた、自民・自由・公明の巨大与党――。 今年、その自自公の数の力によって、噛み合った議論もないまま次々と成立した法律は、どれも戦後日本の基盤を揺るがすものでした。日米新ガイドライン関連法、通信傍受法、国旗・国家法、改正住民基本台帳法。 (中略) 暴走国会は、この憲法の改正を念頭においた、憲法調査会の設置も決めています。 この戦後史の画期を、私たちはどのように捉えたらいいのでしょうか。」 もう一つ、同号に掲載されている、ガバン・マコーマック「1999年の地殻変動」の次の一節も引用しておこう。 「何と言っても、99年の最たる一大事は5月のガイドライン関連法の成立でしょう。昨年8月のテポドン発射と今年3月の不審船事件の後は、特に世論は大きく揺れ、北朝鮮に対する恐れと敵意が異常なほど高まりました。いや高められたというべきかもしれません。周辺事態法への支持は66%という驚くべき高さで、反対はわずか22.7%でした。」 まとめると、新進党結党から自自公政権への過程というのは、以下のようにモデル化できる。 政権からの一部利権集団の排除(自社さ政権の成立)→ 排除された利権集団による連合、「二大政党制」の成立(新進党結党)→ 一方の勢力の大敗(1996年衆議院選、新進党解党)→ 利害調整→ 北朝鮮との緊迫関係(テポドン発射、不審船事件)→ 利害調和(自自公政権)→ 安全保障政策の抜本的な整備(ガイドライン関連法の成立等) なお、このモデルのうち、「一方の勢力の大敗」は、「大連立」を促進するものの、必ずしも必須ではないと思う。仮にこれがなかったとしても、小沢はもともと保保連合構想を主張していたから、「北朝鮮との緊迫関係」の後、いずれ「大連立」に走っていたと思う。 現在の自民党対民主党という対立も、上のモデルを、より大がかりな形で反復している、ということなのではないか。次の衆議院選挙で、民主党が圧勝すれば、 一方の勢力の大敗(自民党大敗)→ 利害調整→ 北朝鮮との緊迫関係→ 利害調和(大連立)→ 安全保障政策の抜本的な整備(集団的自衛権行使容認、非核三原則見直し、その後に憲法改正) となるだろう。 要するに、今回のケースは、自民党と旧新進党勢力の「大連立」当時は外にあった民主党系・社民党系の利益集団(労働組合、人権団体、宗教団体等)や、マスコミまで組み込むことによって、90年代の利益集団相互の抗争→利害調和を、より大掛かりな形で反復している、ということなのではないか。左派ジャーナリズムも、少なくとも当初は、「官僚支配を打破するためには民主党だけでは不十分」とか「まっとうな「保守対リベラル」という対立軸を作るため、一度融合する必要がある」とか適当な理屈をつけて、民主党から捨てられないように、支持するはずである。 4. これまでの主張の欠陥として、なぜ利害集団間の利害の「調和」が成立するかの説明が不十分だ、という批判がありえよう。以下は「陰謀論」になってしまうので、妄想の一つとして読み捨ててもらってよいし、他人を説得する性格のものでもないのだが、アメリカの介入なんじゃないか、と私は思っている。 多分、諸利権集団やその代理人たる政治家たちは、自らの主張とは裏腹に、「国益」のことなど考えておらず、利権闘争のことしか考えていないと思う。放っておけば、延々と利権闘争を展開しているだろう。ところが、それではいつまでたっても「 安全保障政策の抜本的な整備」まで辿り着かないから、アメリカが困る。だから、朝鮮半島情勢の緊迫化を契機に、アメリカが日本の「国益」(もちろんアメリカの「国益」でもある)のために、諸利害集団を恫喝して調整させ、「調和」まで持ち込む。大雑把な図式としては、こんなところではないか。 このところ、読売新聞が、鳩山邦夫を持ち上げるなど「大連立」世論づくりに積極的だが(もちろん、2007年の大連立騒動の仕掛け人もナベツネであった)、これは、要するにアメリカが、「お前らいい加減にしろよ」と諸利権集団に恫喝しているということではないか。民主党が勝とうが、意外に接戦になろうが、衆議院選挙後、割と早い時期に大連立(前段階としては、民主+公明のような、その変奏も含めて)になる可能性が高いと思う。 1.
それにしても、日本の「二大政党制」というのはいったい何なのだろうか。私はここで、二大政党制を批判しているのではなく、もっと単純に、自民党と民主党の対立というのはいったい何なのか、不思議なのである。 繰り返すが、私は、自民党との政策の違いがないということで民主党を批判しているのではない。自民党と民主党は、確かに対立している。だが、なぜ対立しているのかはさっぱりわからない。少なくとも「政策」ではない。では、この対立の性格はいったい何なのか。 左派系の政治学者の主な説明としては、2つのものが挙げられよう。 一つは、山口二郎説である。大雑把に説明すると、二大政党制の下で、イギリスのような「政権交代可能な政党システム」が実現することは望ましいことだ。今の自民党と民主党の争いは、そうした段階まで達していないが、政策の違いは一応ある。だから、とりあえず民主党に勝たせて「政権交代」を実現させて、政界再編も視野に入れて、「保守対リベラル」のまっとうな二大政党制に近づけていかなければならない、といったものである。 もう一つは、渡辺治説である。渡辺も最近は混迷している(民主党評価が揺れている)ようなのだが、少なくとも少し前(小沢一郎の党首就任以前)までの渡辺の主張を大雑把に説明すると、日本の二大政党制というのは、保守二大政党であって、新自由主義政策推進政党であることには何の違いもない。新自由主義政策では日本社会の疲弊が必然的に亢進するから、その不満が共産党や市民運動に流れないために、その保守側の受け手が必要となる。それが民主党だ。 民主党が新自由主義政策の緩和を唱えて政権を握り、社会統合の破綻をある程度彌縫しながらも新自由主義を推進し、また世論の不満が高まれば、今度は自民党が、新自由主義政策の緩和を唱えて政権を握り、社会統合の破綻をある程度彌縫しながらも新自由主義を推進し・・・といった具合に、両方の保守政党が政権を半永久的にキャッチボールするのである。自民党や民主党という看板は政界再編の名のもとで変わるかもしれないが、財界をはじめとした日本の支配層こそが、二大政党制を必要としている、といったものだ。 私は、少し前までは渡辺説を支持していたが、最近、どちらも根本的な欠陥があると思うようになっている。 まず、山口説では、そもそも自民党と民主党の政策がなぜこれほど似ているのか、という単純な事実が説明できない。そのコロラリーであるが、両党の有力議員たちが、しばしば大連立に向けた動きを見せるのはなぜかも説明できない。山口の主張は、あってほしい「二大政党制」の願望を現実に投影しているだけなのではないか。 また、渡辺説では、今度は、自民党と民主党がなぜこれほど対立しているのかがうまく説明できない。渡辺理論は、少なくとも2005年のある時期までは、「自民党=新自由主義漸進派、民主党=新自由主義急進派」という図式であり、一応対立の構図は示せていたのである。ところが、2005年衆議院選挙においては、小泉自民党こそが、新自由主義急進派として圧勝したのだった。渡辺はこの選挙結果について、自民党が新自由主義急進派政党に脱皮した、と説明していたが、この時期以降、渡辺は、両党がなぜ対立しているかの説得的な図式を提示し得てないように思う。 また、渡辺説でも大連立の動きはうまく説明できない。最近の渡辺は、大連立成立の危険性を繰り返し警告しているが、渡辺の前記の理論から言えば、大連立は支配層の方策としては得策ではない、ということになるからである。この立場では、昔の左翼の「恐慌待望論」に似てきてしまい(実際に、「大連立成立は、共産党や市民運動の勢力拡大のチャンス」といった類の主張も出てくるだろう)、大連立の危険性が正当に認識できなくなってしまう。 2. では、お前はどう考えているのか、という話になるが、実証的・学問的に説明する用意があるわけではない。ただ、最近ようやく考えがまとまったので、思いつきとして笑われるのは甘受するとして、以下、仮説というか、一つの覚え書として示しておきたい。 自民党と民主党の対立とは何か。それは、何らかの政治的な争点や政策の違いによるものではなく、利権集団である諸アクターによる、利権をめぐる権力闘争である、というのが私の見方である。 ここでいう利権集団であるアクターとは、業界団体や経済集団、宗教団体、労働組合、人権団体などであり、行動様式としてはヤクザと大して変わらない、と私は見ている。 自民党対民主党という二大政党制が確立したのは、2003年の自由党の吸収合併、衆議院選挙を経た後の、2004年の参議院選挙だろう。この時期から現在に至るまでの期間を、私たちは、自民党対民主党の二大政党制時代として見ているわけである。 だが、事態を利権集団の諸アクターによる利害闘争として考えると、別の見方ができると思う。諸利権集団の同盟としての自民党からはじかれた利権集団が、巻き返しのために肩入れして拡大させてきたのが民主党であり、2005年の衆議院選挙で自民党内の「抵抗勢力」が大々的に放逐されたことで、「抵抗勢力」が民主党に肩入れすることで、ますますその傾向が強まった、と。 要するに、利権集団相互の対立で、「構造改革」推進という名の利権収奪戦に敗れた利権集団を中心として、諸利権集団が、捲土重来を企図してテコ入れしてきたのが民主党であって、その利権集団相互の戦争を、われわれはたまたま「二大政党制」と呼んでいるに過ぎないのではないか、と思う。 松岡利勝元農林水産大臣の死や、厚労省元事務次官殺害など、ここ数年で起こっている政治上の奇妙な事件も、こうした、利害集団間の闘争(多分、自民対民主、という図式を超えたものだろう)と関係があるように思う。 もう少し言うと、利害集団間の闘争は、絶えず妥協の方向性を孕み、特に、一方の敗北が明らかになるか、強力な外部からの介入によって、本格的な利害調整に入るだろう。そして、その調整が終われば、大連立が現れると思う。 つまり、私たちが今見ているのは、二大政党制の「健全な」政権交代劇というよりも、利権集団相互の「抗争→調整→連合」という、一連のプロセスの一部なのではないか。 山口説も渡辺説も、安定した二大政党制が成立しうると考えている点で、二人とも間違っていると思う。この二大政党制は、何らかの形で大連立に向かい、そこでまた利害集団間の抗争が激化してまた抗争期に入り、抗争を経て調整期、大連立に至り・・・・・・といったプロセスを繰り返していくと思う。その間に何度か「政界再編」が行われているだろうが、このプロセス自体と利益集団間の抗争という性格は、何ら変わらないと思う。 安部政権末期から、改憲の声は後景に退いてきているが、これは、日本国民の改憲反対の声が強くなったからというよりも、むしろ、利権集団相互の抗争が激化していた(いる)ことも大きな要因なのではないか。小沢党首時の民主党が「左傾化」したというのは、「保守」としては利害が一致するはずの「憲法改正」まで放り出して、利権獲得ゲームに邁進していたということだと思う。 こうした認識に対して、「欧米諸国の二大政党制も事情は似たり寄ったりで、日本の事例は特殊なものではない」という反論もあり得よう。私は、日本以外の国の二大政党制の実態についてよく知らないので、日本の二大政党制が世界的に見て特殊だと主張するつもりはない。ただ、現実に日本で展開されている二大政党制は、90年代初頭の「政治改革」論議で謳われた、理念を軸とした政権交代可能な政治システム、といったものとは異質であるということは言えるだろう。そして、前述したように、「政界再編」が何度起ころうがそのことは変わらないだろう。 (※この連載は、全9回の予定です)
7 左派が右派勢力を封じ込める?②――和田春樹 左派による右派勢力の封じ込め、または妥協のもう一例として、和田春樹のケースを取り上げよう。 和田春樹は、周知のように、「国民基金」の主導者であるが、これがこうした妥協策の典型であることは詳述するまでもあるまい(本人も認めている)。ここではもう一つ、和田と佐藤優との提携について考えたい。 和田と佐藤の提携については、既に何度も書いてきたが、これほど珍妙な組み合わせも珍しいだろう。和田と佐藤は、日本政府の対北朝鮮外交や朝鮮総連への処遇についてほとんど180度逆のことを言ってきたのであるから。 この提携の理由はいろいろあろうが(注1)、最も大きな点は、まさに両者が180度逆のことを言っているからだと思われる。 佐藤は、下の文章で、和田と、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博を持ち上げている。 http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200806110006o.nwc 荒木は、拉致被害者救出のためには、自衛隊の出動が必要であると主張している人物であり、拉致被害者救出運動の中では最右派の立場にあると言ってよいだろう。 http://araki.way-nifty.com/araki/2008/02/post_989d.html 検索すればいろいろ出てくるが、佐藤は、この荒木と交流している。荒木のような極右とつきあう佐藤と、「良心的知識人」の和田が付き合うのはやはり奇妙に見えるだろう。では、なぜ付き合うのか?その鍵となるのが、下の佐藤の文章であると思われる。 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/236475/ ここで佐藤は、今年3月の北朝鮮のロケット発射に対して、以下のように述べている。 「「平壌宣言」を無視するというのは、北朝鮮が日本国家と日本国民をナメているということだ。こういう状況で、自民党、民主党は国家的見地から団結して、毅然(きぜん)たる姿勢で北朝鮮の暴挙を弾劾しなくてはならなのだが、それができていない。 この機会に「平壌宣言」に反する長距離弾道ミサイルの発射などということをすると、どれだけ面倒になるかということを北朝鮮に教えなくてはならない。」 佐藤の語調は勇ましい。荒木からすれば、佐藤は対北朝鮮強硬論の「同志」に映っているだろう。荒木の場合、「救う会」とのいざこざがあるから、佐藤の人気と、外務省官僚という地位や要人との人脈に頼らざるを得ない構図になっているように思われる。 そして、ここにこそ和田が佐藤と提携する理由がある、と私は思う。事態を和田から眺めてみよう。荒木が佐藤と提携することによって、荒木のような最右派の対北朝鮮強硬論は、外務省のライン、すなわち、和田が支持する平壌宣言のラインに回収される(と和田には映る)ようになるのである。 現に荒木は、上で佐藤が持ち上げている文章(荒木和博「拉致救出活動は政府と一体化すべきではない」『諸君』2008年7月号)の結論部分で、拉致被害者救出には「自衛隊が様々な形で重要な役割を果たすことは必要不可欠であり、すべては政治の決断にかかっている」としながらも、以下のように述べている(強調、下線、斜体は引用者)。 「第一次小泉訪朝以前のように「北朝鮮は拉致をしていない」という勢力が存在していたときと異なり、拉致問題について一定の世論形成ができている現在、拉致被害者を救出すべきという点においては左右を問わず大きな違いはない。強硬に取り返すか、あるいは話し合いで、国交正常化を通じて取り返すかだけの違いである。今「拉致はなかった」とか「拉致被害者は北朝鮮で死んでいくべきだ」などという人間はいないのであって、本音はともかく基本的には方法論の違いの範囲であると言える。 したがって、現在望ましいのは運動の無理な一体化ではなく、多様性をフルに活かすことである。中央集権的な指示によるのではなく、最終的な方向に向かってそれぞれが活動しながら、可能な範囲で横の連携をとり、必要であれば共同行動を呼びかけていくことが望ましい。小泉訪朝のときも、一方に拉致を許さないという世論があり、もう一方で国交正常化を目指した小泉総理・福田官房長官・田中均アジア大洋州局長のラインがあったから、結果的にではあるが北朝鮮を欺き拉致を認めさせ五人を取り返すことができた。 もちろん前述した「宣告」など許せない面は様々あるのだが、国交正常化への動きがなければ北朝鮮は今も拉致を認めていなかったかもしれない。国民が拉致問題の本質をより理解し、その解決が自らの安全を守ることだと認識していればできるだけ様々な方法でアプローチすることにより画一的、硬直化した北朝鮮の体制にくさびを打ち込み拉致被害者救出を実現することができるはずだ。今は自由主義社会の優位性を徹底的に活用するときである。私自身それに向かって行動していくつもりだ。」 この引用箇所の太字部分は、一目瞭然であろうが、荒木が平壌宣言のラインに立ったこと(少なくともそれを容認していること)を示している。興味深いのは、こうした言明と同時に、「本音はともかく」「結果的にではあるが」「かもしれない」などと、留保的な表現も発せられていることである(下線+斜体の部分)。もっと言うと、この下線+斜体の部分こそが、太字部分で示されている平壌宣言のラインの容認の表明が、荒木にとって大きな決断であったことを示しているのである。 和田からすれば、これによって、自身の悲願の日朝国交正常化における、最大の足かせの一つである、「右バネ」のうちの大きな部分を回収できた、ということになるだろう。この「右バネ」の影響力の大きさについては、佐藤が証言している。 「日本の外務官僚には「右バネ」に対する過剰な恐れがある。右翼的潮流に迎合するか、逃げ回るかのいずれかである。外務官僚に右翼の人々と誠実に話をするという腹が欠けているからだ。外務官僚が表面上、勇ましいことを言っているときは、右翼対策であることが多い。 」 http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200809240009o.nwc 私から見れば、「ロシアのスパイ」などと糾弾されてきた佐藤こそが「右翼対策」として、右翼になっているように見えるのだが(もちろんそれが「本気」か「演技」か、「ネタ」か「ベタ」かはどうでもよい)、それはさておき、和田からすれば、佐藤は、右翼に送られたトロイの木馬と映っているのではないか。多分、佐藤も和田にそう思わせているのだと思う。 だが、事態を今度は荒木から眺めてみよう。 和田が佐藤と付き合っているということは、和田は、対北朝鮮外交に関しては、外務省のラインを支持するということである。佐藤は外務省のラインから基本的に出ていないから。そして、和田は、「共同提言 対北政策の転換を」(『世界』2008年7月号。ほぼ間違いなく、中心的な執筆者は和田であろう)において、拉致被害者への「補償」の必要性を謳う一方で、植民地支配の被害者へは、「個別的措置」の実施が必要だと述べている。「個人補償」ではないのである。 だから、荒木からすれば、上記の引用箇所でも示唆されているが、和田ら左派は、佐藤との付き合いを通じて、日朝交渉に関して、恐らく荒木らにとっては最大の懸念事項の植民地支配の清算の問題は曖昧にし、「拉致問題」を最重要課題とするようになった、と映っているだろう(佐藤の影響は多分ないが、この共同提言の性格は、このようなものである)。<佐藤優現象>という右傾化現象に慣らされることで、「左翼」が「反日」を捨てて「サヨク」になったのだ、と。 荒木からすれば、これは大きな勝利であろう。それは、植民地支配に起因する、北朝鮮へのなけなしの日本世論の躊躇を弱めることを意味するから、拉致被害者救出の主張を日本政府がより強硬に北朝鮮政府にぶつけられるようになること、将来の軍事介入へのハードルを下げること(言うまでもないが、国交正常化したとしても、軍事介入は起こりうる)を、荒木にとっては意味するだろうからである。 したがって、荒木からすれば、佐藤は、左派に送られたトロイの木馬と映っていると思われる。佐藤は、右翼の集会では、「右が左を包み込む」と言っているらしいので、似たようなことは、荒木にも言っているだろう。 では、結局、ここでの勝者は誰なのか?和田か荒木か?和田・佐藤か荒木・佐藤か?和田・佐藤・荒木か? (注1)和田からすれば、佐藤が自分を褒めれば「北朝鮮の手先」なるレッテルから脱却できるし、佐藤からすれば、和田が自分を褒めれば左派論壇で登場できるのである。私は、『世界』の岡本厚編集長から佐藤を使う理由の一つは「和田さんも付き合っているから」だと言われたことがある。 (つづく) 6 左派が右派勢力を封じ込める?①――山口二郎
厄介かつ重要なことは、この「戦後レジームの擁護」という価値観においては、自分たちが右傾化の推進者であるなどとは、恐らく誰も露ほども考えていない、ということである。「ウヨク」や「サヨク」は自分たちは「平和国家」の担い手だと考えているだろうし、右派勢力の中のより右の層は、自らが勢力後退しているとして切歯扼腕しているだろう。そして、特に左派である「サヨク」は、自分たちこそが、小林や田母神のような右派勢力と戦って日本の右傾化を阻止しているのだ、とすら考えているだろう。 ただし、こうした「ウヨク」または「サヨク」は、「大東亜戦争」を擁護するような右派勢力を切り捨てるわけではない。むしろ、左派は、そうした右派勢力を封じ込めるという名目で、それを部分的に取り込む、あるいは妥協することを志向する。 例えば、山口二郎は前述の本(山口二郎編『政治を語る言葉、2008年7月、七つ森書館)で、以下のように述べている。加藤典洋の『敗戦後論』の劣化コピー(原本自体がまがいものだが)であり、長い引用で恐縮だが、少し丁寧に見てみよう。 A 「日本は戦争責任について十分な総括ができていないという話は、何十年も繰り返されてきた。小泉純一郎が首相のときには、靖国神社に参拝し、大きな外交問題にもなった。日本は常に正しいと主張する観念的な右翼は論外としても、普通の人々の間にも首相の靖国参拝を支持する声が結構あることを、私たちは直視しなければならないと思う。 もちろん私は、戦後啓蒙知識人の末端に連なるという自己規定をもって今まで政治学を研究し、発言してきた。しかし、戦後啓蒙の社会科学者は、戦後日本の来歴、成り立ちについて、普通の人々にわかるような言葉と論理構成で、説明できていなかったのではないかという不満がわだかまっているのである。 私のとらえ方を単純な図式にすれば、次のようになる。 1 満州事変以後のアジア太平洋戦争は、他国との関係においては日本の侵略であり、誤った戦争であった。 2 戦争に敗北し、戦前の国家体制が瓦解したことによって、民主主義体制が生まれた。その意味で、戦後民主主義は戦争の犠牲者のうえに成立している。 3 戦後民主主義を守り、育て、国民自身が国の運営の主人公となり、再び誤った路線に進まないようにすることこそ、戦争犠牲者に報いる道である。 このような枠組みは、きわめて常識的なものであり、少なくとも認識のうえでは、多くの人々と共有可能であると私は考えている。しかし、とくに2の論点については、認識だけではなく、犠牲者の死をいかに意味づけ、弔うかという感情の問題が入ってくることは避けられない。この点について、敗戦を解放と言祝ぐ側にも、犠牲者に対する一定の敬意や悲しみの共有が必要だと思う。」(32頁) B 「敗戦を祝福する、敗戦を肯定的に受け入れることと、戦争によって犠牲になった人々を悼むことをどのように聞連づけるかは、なかなか難しい作業です。家族、親しい人を戦争で失った人たちは、侵略戦争に加担して犠牲になったとは思いたくない。もっと崇高な意味づけをしたいという欲求をもつ。それはそれで自然なことなんだろうと思います。この戦争による犠牲者をどのように悼むかという作業を、戦後民主主義を擁護する側が必ずしも十分的確に行ってこなかったという不満が、私にはあります。靖国神社とはもっと違った形で、多くの日本人がこぞって、違和感なく、死者を悼む機会、場所があれば、戦後日本の政治はもっと違った展開になったかもしれないという思いがあるわけです。」(49頁) 山口は何を言おうとしているのだろうか。 まず注目すべきは、Aにおいて、なぜこんなに山口は慎重なもの言いをしているのか、ということである。なにゆえに、「戦後啓蒙知識人の末端に連なるという自己規定」、「きわめて常識的なもの」といった、自己防御の言葉をはりめぐらせているのか。 Aの1~3を見て気づくのは、山口は、1で、「侵略」と明言しておきながら(ただし、朝鮮・台湾の植民地支配、「満州事変」以前の中国への軍事侵攻は視野に入っていない)、「侵略」を意識しているようには思えない点である。「侵略」ならば、被害者としてまず考慮されるべきは、中国で殺された中国人たちである。だが、山口がここで挙げている「戦争犠牲者」は、文脈上明らかに、中国人ではなく日本人(兵士)である。 山口は恐らく、だいたいこういうことを言いたいのだと思われる。首相の靖国参拝を支持する人々を取り込まないと、左派(「サヨク」)は勝てない。だから、日本人の「戦争犠牲者」(兵士)に対して、犬死ではなく、何らかの「崇高な意味づけ」が必要だ。「東亜解放」のために死んだとも言えないから、「戦後日本」の繁栄のために彼らは死んだ、ということにしよう。そのためには、15年戦争については、対外的には「国益」上、仕方がないとしても、少なくとも日本国内では侵略戦争だと見なすのはやめよう。加害の事実を強調(指摘)するのはやめて、(兵士であったとしても)被害者であることの悲劇性を強調すべきだ、と。 そのことを示唆するのは、Aの1における「他国との関係においては」なる意味不明な一節である。Aの1で、山口は恐らく、「他国との関係においては」侵略戦争だと見なされても仕方がないが、日本国内においては、そう見なすべきではない、と言いたいのではないか。AとBの引用文全体から考えれば、そう解釈するのが妥当だと思う。 かくして、山口は以下のように述べる。 C 「彼(注・中野重治)は左翼の人ではありましたが、日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだという薄っぺらな歴史観をもっていたわけではないんですね。戦争で倒れた、戦争で苦しんだ普通の人々に対して限りない共感と愛着を持っていた、戦争で倒れた人々とともに戦後民主主義を何とかつくりだしていこう、庶民の感覚に根を下ろした民主主義をつくりだしたいという問題意識を彼はもっていたと、私は理解しています。」(50頁。強調は引用者) 私はこの一節を読んで、驚いてしまった。「日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだ」という認識は、「薄っぺらな歴史観」なんだそうだ。なぜ山口が「左派」ということになっているのだろう?まあ「サヨク」だから仕方がないが。 それはさておき、山口はBで、「敗戦を祝福する、敗戦を肯定的に受け入れることと、戦争によって犠牲になった人々を悼むことをどのように聞連づけるかは、なかなか難しい作業」だとしているが、このCにおいては、山口自らが、「敗戦を祝福する、敗戦を肯定的に受け入れること」を拒否しているわけである。 ここまで見れば、山口がAで、何に警戒していたかが分かるだろう。日本人が、15年戦争を日本の侵略戦争と見なし、日本に侵略されたアジア諸国の民衆と同じように、日本の「敗戦を祝福する、敗戦を肯定的に受け入れること」、そのような歴史観をこそ、山口は警戒しているのである。なぜならば、山口が15年戦争について定見を持っていないというのもあろうが、そのような歴史観があれば、日本の左派が右派勢力と妥協することができないからだ。 (つづく) もうお分かりだと思うが、私が、日本の右傾化を進めており、支持している中心的な層として考えているのは、こうした、戦後日本社会を「平和国家」および「平等社会」としての一つの達成として擁護する、「ウヨク」または「サヨク」である(従来型の右派勢力を軽視しているわけではない。これについては後述する)。特にマスコミ関係者はほとんど全員これだ、と私は思っている。もちろん、日本政府は一貫してこの立場であり、外務省官僚たる佐藤優も、このラインからは基本的に外れていない。自らが「ソーシャルなウヨク」であることを否定しないであろう、厚生労働省官僚の濱口桂一郎が、『世界』その他の左派系メディアで活躍したり「連合」と関係を持っていたりすることも、なかなか示唆的である。
こうした戦後社会を擁護する「ウヨク」または「サヨク」の支持を中心とした右傾化は、特に安部政権崩壊以後、顕著になっていると思う。 安部政権は、周知のように、「戦後レジームからの脱却」を唱えた。こうした安部の主張や、「小泉・安部政権の新自由主義」に対して、左派は、「戦後社会の肯定」という形で対抗した(これが<佐藤優現象>の基盤である)。そこにおいては、そうした大義名分の影で、「戦後社会」を肯定したいという欲望がだだ漏れしている、ということは、既に指摘した。大雑把に言えば、左派において対抗戦略上、「戦後社会」の肯定が解禁されたことで、「戦後社会」の肯定に歯止めがかからなくなり、そうした「戦後社会」の肯定は、左派のイデオロギーの「国益」論的再編に当然ながら帰結した、と私は思う。 また、右派においては、安部政権を支持しなければならない手前、従来は「戦後レジーム」に否定的だった論者の一部が、安部政権の「現実主義」外交を支持せざるを得なくなり、「戦後レジーム」に取り込まれてしまったのだと思う。これが、小林を、右派知識人たちの変節として激怒させた事態である。「戦後レジームからの脱却」という虚像の下で、左派と右派のかなりの部分と、「現実主義」外交を進めざるを得なかった当の安部政権が、「戦後レジーム」に取り込まれたのである。 こうした流れは、安部政権とのカラーの違いを出さざるを得ない福田政権下で、さらに進んだと思う。安部政権下あたりから大手紙でも取り上げられるようになった「格差社会論」も、「戦後社会」の擁護に帰結したから、こうした動きをますます強めただろう。 念のために言うが、大多数の左派にも右派にも、少し前までは、戦後社会の肯定はそれほど大っぴらに語られるものではなかったのである。ところが、反対者だった人々が、わずかの期間で、推進者に変わったのだ。要するに、左右の大多数の知識人やマスコミ人は、「戦後」への批判すなわち、押し付け憲法論も沖縄への米軍基地の集中への批判も被害者中心主義史観批判も東京裁判史観批判もアメリカナイゼーション批判も消費社会文化批判も、本気では信じていなかったのである。安部政権以降の言説および政治状況は、左右の知識人やマスコミ人を、戦後批判(というタテマエ)の呪縛から解放した、と言えると思う。 この「戦後レジームの擁護」という枠組みは、左右のかつての反対者すらその擁護者として組み込んでいる。自民党も民主党も、この「戦後レジームの擁護」の枠組みの下でしか物を語れなくなっているはずである。自民党は、「戦後社会」の政権政党としての実績を売り物にして、民主党の統治能力が欠如していると叩いており、民主党は、自民党政治が「戦後社会」の安定性を崩したと批判しているのである。この枠組みにおいては、「改憲」か「護憲」かは、大した問題ではないのだ。「ウヨク」も「サヨク」も、「日本国憲法の精神」を尊重し、「平和国家」として日本を位置づけるという点では一致しており、「豊かな社会」(国民の間での「平等」性を担保し得る富を持った社会)を維持していくためには、対テロ戦争への協力は不可欠という認識でも本音では一致しているのだから。 現在の日本の右傾化の基盤は、こうした「戦後レジーム」または「戦後社会」の擁護という認識によって支えられている。もちろんこれは、一つの開き直りであり、かつて左右が「生活保守主義」とか「「金、物欲、私益」優先主義」とか、さんざん批判した大衆像そのものである。実際にはそうではないと思うのだが、「ウヨク」または「サヨク」は、大衆は「戦後社会」を丸ごと肯定していると決め付けている(吉本隆明のようだ)から、自分たちは大衆的基盤に依拠するようになった、と自信を持っていることだろう。だからこれは1930年代の日本の左翼知識人たちの「転向」過程と似ているのである。 (つづく) 4 「サヨク」または「ウヨク」の思想②――山口二郎
「ウヨク」の福田に登場してもらったので、今度は、「サヨク」の山口二郎に登場してもらおう。 山口は、ある講演(山口二郎「岐路に立つ戦後日本」山口編『政治を語る言葉、2008年7月、七つ森書館)の中で、60年安保以降、本格的な「戦後レジーム」が完成したのであり、その「戦後レジーム」は、「内における経済的な繁栄と平等、外におけるそれなりの平和国家路線、この二つの柱をもっていた」と述べている。その上で山口は、この「戦後レジーム」を継承すべきであると主張し、「平和国家路線における解釈改憲は護憲である」としている。 そして、この講演の中で山口は、以下のようにも述べている。 「戦後日本は基本的には、平和と豊かさを達成し、かなり平等な社会を築いたという意味では成功したという評価があるわけです。そのなかでもちろん、そのような平和や豊かさは日本人だけで、そこからはじかれたマイノリティー、少数派がいたという問題があります。」(同書、58頁) あまり物事がわかっていない人からすれば、この発言は、「良心的」に見えるだろう(山口も、自分でそう思っていると思う)。現に、同書には別の講演者として辛淑玉が登場しており、辛は司会の山口にエールを送っている(注1)。 だがこれは、誇張抜きに、恐るべき発言である。その意味が分からなければ、例えば、山口とは反対に、「日本社会には「在日」に対する差別なんてない」と言い張るネット右翼の例を考えてみればよい。こうしたネット右翼にとっては、日本社会の健全さを示す上で、在日朝鮮人に対する差別が存在している、ということであってはならないのである。その意味では、このネット右翼の場合、在日朝鮮人は、それなりの大きさがあるものとして捉えられているのであって、在日朝鮮人の処遇が、日本社会全体への評価を左右し得るものと見なされている。 ところが、山口の場合は、このネット右翼とは逆で、日本社会の健全さを示す上で在日朝鮮人への差別があるかないかは関係ないのである。つまり、山口においては、上のネット右翼とは異なり、在日朝鮮人の存在の大きさが極小化されているのだ。在日朝鮮人の処遇は、日本社会全体への評価とは基本的に無関係なのである。 山口は、「マイノリティー、少数派」について言及するだけマシではないか、という人もいるだろう。マシではないのである。例えば、ネット右翼ではない保守派が、戦後社会を肯定する際に、在日朝鮮人に言及しないということは大いにあり得るだろう。だがそれは大抵の場合、在日朝鮮人の処遇が、戦後社会の肯定という目的にとって都合が悪いからこそ、言及されないのである。山口の場合、都合が悪いという認識すら欠けているのである。それだけ、在日朝鮮人の存在の大きさが、山口にとっては極端に小さいのだ。だから、山口が、朝鮮総連弾圧の扇動者である佐藤優と極めて密接な関係にあるのは、不思議なことではないのである。 「ウヨク」の福田と「サヨク」の山口は、「平和」と「平等」の戦後社会を肯定しながら、同時に、排外主義とも親和的なのである。 (注1)それにしても、今のリベラル・左派ジャーナリズムに登場する在日朝鮮人の言論人は、こんなのばかりである。同書には、佐藤優も講演者として登場しているから、リベラル・左派からすれば、佐藤と辛で「バランス」がとれているわけである。これら在日朝鮮人の言論人連中は、リベラル・左派の「国益」中心主義への変質に気づいているからこそ、その「国益」を享受する層から在日朝鮮人を落とさないでほしいとして、もう少し言うと、リベラル・左派のアリバイ役、たいこもちの役割を果たすという形で、尻尾を振っているわけである。「大東亜戦争」の旗を振った朝鮮人みたいなものだ。 彼ら・彼女らは、日本社会批判の役割を演じつつも、「自分たちの日本社会批判は、外国人によるものではなく、沖縄の人々の日本社会批判と同じように、日本人「同胞」によるものとして受け止めてほしい」と思っているはずである。そこでは日本社会批判が同化の一形式になっている。 (つづく) 3 「サヨク」または「ウヨク」の思想①――福田和也
小林のこの、朝日も産経も文春も一緒にする十把一絡げぶりを見て、笑う人もいるだろう。だが、私はこの認識は的確だと思う。私からすれば、十把一絡げにされた「サヨク」は、そのまま「ウヨク」と言うべき存在である。この「サヨク」であり「ウヨク」である人々の信条の最大公約数は、以下の言説に端的に示されている。 「日本国憲法には、戦争から日本人が得た実感がこめられていることも否定できない。 このことは、日本国憲法を批判的にみて、改めるべきだと考えている改憲派の人たちにこそ、真面目に考えてほしいと思う。 僕も、個人的には、今の憲法を変えるべきだと思っている。だからこそ、このことは深刻に受けとめているよ。 もしも憲法を変えるのならば、そこに一定の内実のごときものを与えてきた、戦後日本人の、平和への意志をどのように受けとめるのか、憲法が担ってきた、祈りのごときものを、どのように自分たちで担えるのか、真剣に考えなければならない。」(福田和也『魂の昭和史』小学館文庫、2002年237頁。単行本初版は1997年。強調は引用者、以下同じ) 「経済成長がすすむにつれて、かつて日本社会を悩ませていたいろいろな問題が解決していった。 農村の貧困、労働者の失業、地方と都会の格差、医療、教育の機会不平等、封建的な家庭の抑圧といった、近代日本がずっとかかえてきた課題が少しずつ解消されていく。 これは、戦後日本のたいへんな達成だ。たしかに日本は、国際的に見ればあいまいな位置にいたし、戦前の日本人がもっていたような理想をなくしてしまったけれど、このようにバランスのとれた社会を実現した民族は世界中どこにもない。その点は誇るべきだと思う。」(同書、264頁) 今の『世界』や『金曜日』に載っていても何の違和感もない文章である。戦後日本は、「憲法9条」(の精神の)下で、平和的な経済発展をとげ、誇るべき豊かな社会を築きあげた「平和国家」であるという認識。 こうした認識が虚偽であることを示すには、前にも引用したが、「日本が本格的な軍隊を保有しなくても「平和体制」を維持できた理由は、アメリカの対アジア戦略に組み込まれ、米軍基地の75パーセントを沖縄に駐屯させ、また韓国が日本の戦闘基地あるいは「バンパー」としての役割を引き受けたからである。言い換えれば、周辺諸国が軍事的リスクを負担することによって、戦後「平和体制」が維持できたのである。わかりやすくいえば、韓国の厳しい「徴兵制」は日本の「軍隊に行かなくともいい若者の当たり前の権利」と関連しあっているということである。」(権赫泰「日韓関係と「連帯」の問題」『現代思想』2005年6月)という言葉だけで十分だろう。ついでに言えば、渡辺治らが言う、1960年代以降の日本の、企業社会的統合に基づいた小国主義路線なるものも、韓国の軍事独裁政権成立(1962年)とワンセットであって、それを再評価するのは馬鹿げている。 上の福田の文章で語られている「平和への意志」「祈りのごときもの」は、日本の加害責任には思いが及ばないものであり、安保体制の一角を占めることによって周辺諸国への軍事的脅威となることや、朝鮮戦争・ベトナム戦争等に荷担したこと、周辺の軍事独裁政権を支援してきたことを問い直す姿勢とも無縁のものである。それら抜きでは「戦後日本のたいへんな達成」はありえなかったのだから。 福田は、上のような文章を一方で書きながら、周知のように、右派の代表的な論者であり、以下のような発言までしている。 「べつにオレは、特別にというか本質的な理由で(注・首相の靖国参拝に関して)八月十五日にこだわっているわけではないですけれどね。でも、○ャンコロがいやがって騒ぐから、大事なわけだ、政治的に。/いずれにせよ、何日にであろうと、日本の総理大臣が、靖国神社に行けば、チャンさんは騒ぐんだから。」(『俺の大東亜代理戦争』ハルキ文庫、2006年8月、65頁。単行本初版は2005年9月) 「この間、サッカーのアジアカップで、日本チームに失礼なことをしたチ○ンコロがだいぶ沸いたけれど、あれも、結局は政府に踊らされているわけだ。」(同書、69頁) こうした文章は、上のような「サヨク」的認識と「二枚舌」なのではないと思う。共存可能なものなのである。 (つづく)
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