国際政治における戦争の記憶について本を書こうと研究している間、最も重要な会話は、日本の親友宅で生まれた。私は彼女の両親を「ママ」「パパ」と呼ぶほど、一家と親しかった。
東アジアでは、頻繁に歴史論争が起こる。中国や韓国が日本の歴史教科書や首相の靖国神社参拝などに抗議すると、世界中の新聞に紋切り型の論説があふれた。「戦後、ドイツは幅広く謝罪し、西欧は和解に成功した。日本もそれに倣って謝罪し、犠牲者に賠償すべきだ」と。私はこうした議論を検証しようと思った。
こうしたお決まりの見方を疑い始めたのは、日本の指導者たちが実際に何度も謝罪していると知った時だ。1993年の細川護熙の韓国への謝罪や、95年の村山富市の画期的な声明のように、非常に感銘的なものもあった。
実感したのは、日本の歴史問題の本質は、日本が謝罪していないということではなく、謝罪が引き起こす国内の論争から生まれる、ということだった。毎回、ある高官が謝罪すれば別の政治家はそれを非難し、時には日本の過去の残虐行為さえ否定する。より詳細な歴史教科書が出ると、保守層は刺激され、残虐行為を言い紛らす本を書く。友達や同僚に、そうした反動のパターンを話すと、彼らは私に尋ねた。「日本はどうしてしまったのだ?」
この質問は、ママとパパとの朝食の時に答えられることになった。パパは温かく目を細め、私に聞いた。「きょうは誰に取材するんだい?」。私は、「新しい歴史教科書をつくる会」の話を聞くと答えた。するとママが「あら、パパはあの人たちをとても称賛しているよ」。パパは力強く頷いた。
私はパパを見つめた。脳内のギアがゴツンと音を立ててうまく入らない。こんなに親切で紳士的で上品な人が、私が読んだところ熱狂的右派で、歴史を偽る人々をどうしたら支持できるのか、理解に苦しんだ。これ以降、私は新しい考え方を持つようになった。
日本の論争は、謝罪に反対する右派と謝罪したがるリベラルの闘いとして欧米紙でよく戯画化される。私を含む分析者たちは、その間に広がる中間地帯を無視していた。パパ、つまりごく普通の保守層を無視していた。彼らは愛する者が死んだら英雄として追憶するのであり、戦争犯罪人と位置づける政策を支持する気にはなれない。
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マサチューセッツ工科大で政治学博士。
国際政治、東アジア国際関係論などが専門。
著書に"Sorry States:Apologies in
International Politics"
(Cornell University Press, 2008)がある。