私は、米国にもいる「パパ」のような人たちのことを考え始めた。彼らは「日独市民を200万人以上、空襲で殺害したのは残念だが、もともと日独が始めた戦争に勝つには必要だった」と言うだろう。多くの米国人は、政府がこれらの行為を謝罪するとしたら激怒するだろう。実際、退役軍人たちや議会は、95年にスミソニアン博物館が原爆の悲惨な状況の展示を提案した時には、非難した。
多くのほかの国でも同様だ。多くのオーストリア人は、第2次大戦やホロコーストでの自国の罪と向き合うのをいやがっていた。英国でも、アイルランドへの謝罪などへの提案に対し、多くの人が怒るのを私は見た。
過去を悔いることへの反動は予見できる。それは日本だけではなく、世界中どこででも起きている。ただここで解明されるべき問いは、「日本になぜ反動が存在するのか」ではなく、「ドイツになぜ存在しないのか」なのだ。
西独が幅広く過去を悔いて謝罪する「過去の克服モデル」をとり始めたのは、60年代半ば以降だ。保守層は沈黙を保たねばならぬ強い理由があった。ドイツ再統一、再軍備、ソ連からの防衛などの外交利益のためには北大西洋条約機構(NATO)を安心させる必要があり、NATOはナチの過去の明確な否定を求めていた。
しかし、こうした西独型の「過去の克服モデル」に日本が倣っても、国内での反動は抑えられそうになく、歴史問題を解決できる見込みはない。
日本には、ほかのモデルがある。それはやはりドイツのものだ。戦後間もなく、アデナウアー首相のもとで追求された戦略だ。謝罪はしないが、過去の歴史をきちんと認める。これを「アデナウアーモデル」と呼んでみたい。
50年代、西独は過去の罪を認めた。指導者たちは誰も、ホロコーストや侵略を否定せず、政府はイスラエルや世界中の被害者に賠償金を支払った。同時に、非常に深く罪を悔いているわけでもなかった。歴史家や教科書は、過去の誤りをうまくごまかしていた。
しかし、西独は50年代にフランスと和解。60年代初めまでには、フランスは西独を最も親しい同盟国と見ていた。しかし、西独が幅広く罪を悔いる必要がなかったのは明らかだ。ほかの多くの国々(特に米国と日本)も同様に、双方の過去の暴力についてそれほど悔いることなく、和解している。
もし日本が歴史問題を緩和したいなら、謝罪と反動の中道ともいえる「アデナウアーモデル」に倣うのが有望だ。日本は公式の謝罪や国会決議などで国内の空気が両極化することは避けるべきで、国際関係を悪化させる保守層の暴発も減らすことだ。
同時に、日本は軍国主義を強く拒絶していることを示さねばならない。
指導者は靖国神社参拝を控えるべきだ。戦没者は千鳥ケ淵共同墓地や新しい無宗教の記念館で追悼してはどうか。
同様に、日本は過去の認識について、広く受け入れられる線をきちんと引き、それを守るべきだ。過去の侵略や虐殺を否定したり、賛美を黙認したりしないということを示すとよい。
保守層は、この処方箋は愛国心を傷つけると抵抗するかもしれない。しかしそうではない。アデナウアー時代、西独は過去の暴力を認めたが、戦後の功績も強調した。日本も、誇れるものをたくさん持っている。ママやパパのようによく働く人々が、世界でも有数の豊かで、安定し、技術的に洗練された国に引き上げた。
日本は平和を好み、惜しみなく国際援助を行い、環境保全面のリーダー的存在だ。指導者が国民の誇りを涵養したいのなら、言えることはたくさんある。
「アデナウアーの方法は近隣諸国が進んで仲間になったから機能した」との批判もあるだろう。重要な点だ。中韓が反日愛国主義を促進したこともある。しかし、韓国の民主的な指導者たちはもはや、みずからの正統性を(反日的言動で)不当に強める必要はない。中国政府は、日中貿易の発展が中断しないよう、両国の関係の維持に進んで努めている。
日本が早く過去を後景に退かせられれば、それだけ早く地域や地球規模のリーダーシップを引き受けられる。それは世界の利益でもある。
(寄稿の抄訳。原文は次項)