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経験活用、水俣から伝える――第3部〈白衣群像〉

2009年4月17日9時53分

写真手の感覚障害を持つ水俣病患者のリハビリ作業を手伝う劉暁潔さん(左から2人目)=熊本県水俣市、香取写す

 田んぼの土は黒くなり、その中を、汚れて泡立った小川が流れる。「考えられない」。劉暁潔(リウ・シアオチエ)さん(48)は絶句した。国立水俣病総合研究センター(国水研、熊本県水俣市)の主任研究員。02年、中国・貴州省貴陽市の農村を訪れた時のことだ。

 この村では、肥料やプラスチック製品の原料となるアセトアルデヒドをつくる化学工場が30年以上操業していた。触媒として水銀を使う工程は、50年前の熊本で水俣病を引き起こした新日本窒素肥料(現チッソ)と同じだ。

 汚染した田畑は180ヘクタール以上。川の流域には7万人が住む。農民から渡されたコメは黒ずんでいた。「我々は食べない。炊くと、廃水のようなにおいがするから。でも生活のために、山奥の人たちに売っている」と農民は言う。劉さんは「日本も経済発展を優先し、公害が広がった。中国は日本の経験を生かして欲しい」と思う。「水俣で培った水銀測定や土壌改良の技術を生かしたい」

 中国東北部の瀋陽出身。大学で環境生物学を学んだ。国の研究機関でカドミウム汚染を研究していた95年、日本に留学していた眼科医の夫を追って来日。弁当屋や小料理屋でアルバイトしながら、私費留学生として長崎大で研究を続けた。

 国水研との共同研究で、水俣病患者の話を聞き、本で学んだよりも悲惨な実態に胸が締め付けられた。01年に国水研に移り、高齢化する胎児性患者の生活調査に乗り出した。過去の差別や補償金問題などで、地元の人々の立場は複雑に分かれている。調査が難しく誰も取り組んでいないテーマだった。

 「何で今さら」「孫たちには黙っておいて」。患者や家族にそう断られることも多かった。劉さんはリハビリセンターに通って手足の訓練を助けたり、公民館活動を手伝ったりして、しだいに患者と親しくなっていった。ある女性患者(49)は「最初はボランティアの方と思っていた。まさか研究者とは思わんかった」。今ではカラオケ仲間だ。調査した患者は60人以上になる。

 授産施設「ほっとはうす」の加藤タケ子施設長(58)は「外から来た中国人ということが、かえって患者さんの警戒感を取り除いたのでは」と語る。

 劉さんは07年、日本国籍を取った。患者に寄り添っていきたいという。6月には、貴陽市で開かれる国際水銀会議に参加する。母国に日本の経験を伝えることも自分の使命だと思っている。

■黄砂の解明「私がつなぎ役」

 中国は公害大国だ。公害病らしい患者が集中する「がん村」が多数出現している。日本の経験を役立てたいという在日華人が現れてきた。

 昨年10月、新潟市で開いた東アジア環境市民会議。日中韓の環境NGO21団体と新潟水俣病の患者ら約150人が集まった。中国で「がん村」の実態を告発する元記者の報告に会場がどよめいた。巨大な泡が覆う川。病気に侵され骨と皮ばかりの老人……。

 主催した日本のNGO「東アジア環境情報発伝所」スタッフの朴梅花さん(29)は中国吉林省出身の朝鮮民族。05年に夫の転勤で来日した。「発伝所」のホームページを見て「語学が生かせそう」と軽い気持ちで参加した。

 昨年、中国で廃家電から金属を取り出す村を見た。山積みの部品が焼かれ、プラスチックなどが溶ける異臭で頭が痛くなった。「私に何ができるのか」。自問が始まった。

 新潟の会議で、中国の参加者は被害者認定の難しさなどに関心を寄せた。朴さんは翻訳会社を辞め、1月から「発伝所」の専従職員になった。まず日本の経験を伝えることに力を尽くす。

 日中をまたぐ「越境汚染」に取り組む華人もいる。

 07年11月、中国甘粛省蘭州市で行われた黄砂に関する日中共同研究の会議。農業環境技術研究所(茨城県つくば市)上席研究員の杜明遠(トゥー・ミンユワン)さん(49)は硬い表情の中国側の研究者らにやんわりと呼びかけた。「結果が出ないうちから研究を放棄するのは科学的態度といえない」

 杜さんは黄砂に付着するアレルギー原因物質やウイルスを探し、人への影響を測る日本の研究チームに加わっている。中国側は、結果次第では日中摩擦の種になりかねないとひるんだが、杜さんは説き伏せた。

 農業気候学の研究者として88年に来日。00年から黄砂発生の仕組みの解明に取り組んでいる。動機を「科学者としての興味に尽きる」といいつつも、「日中が共同で当たるべき課題。つなぎ役が自分の仕事だ」と話す。

 2年前、北京の日中友好環境保全センターから日本に送られていた黄砂の飛散データが途絶えた。その年、中国気象局が「国家の安全と利益を守るため」として気象データの海外流出を禁じていた。日本政府の要求で2〜5月だけは情報提供が認められたが、「共同研究の環境は悪化している」との懸念も強まる。

 杜さんらと同じチームで、黄砂に付着するウイルスなどの探索と分析を担う筑波大北アフリカ研究センター研究員、山田パリーダさん(47)は新疆ウイグル自治区の出身。86年に来日した時、高速道路から眺めた「永遠に続くような緑」に息をのみ、砂漠化が進む古里の再生に生かしたいと思った。だが研究が深まるほど、中国のため、日本のため、といったこだわりは薄れた。研究が進めば両国関係を刺激しかねないとのジレンマは抱えつつ、「国の枠を超えた人類共通の課題」との信念で顕微鏡をのぞいている。(林望、香取啓介)

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