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隣に住む 地元と対話模索――第4部〈列島街村〉

2009年5月8日3時10分

写真在日華人の応暁雍さんが経営する保育所には、毛沢東の言葉「好好学習、天天向上(よく学び、日々向上)」が掲げられている=東京都豊島区、上田潤撮影

 東京・池袋。駅から歩いて5分の雑居ビルに「永安日本自動車学校」がある。

 週末、関東一帯の在日華人が運転免許取得の勉強にやって来る。先生が日本語の教本を中国語で説明し、受講生はメモをとっていた。

 日本人と結婚し、昨年、日本国籍を取った遼寧省出身の前田美幸さん(46)が夫と5年前に始めた。自分が自動車学校に通った際、言葉が不自由で免許をなかなかとれない中国人らがいることを知った。運転免許があれば彼らも職に就きやすくなる。数百万円を借りて開校した。

 駅のそばには、日本人と結婚した寧波出身の応暁雍(イン・シャオヨン)さん(38)が経営する24時間対応の保育所「愛嬰幼保学園」もある。中国でも保育士をしていた。97年に来日し、00年に川崎市の自宅で中国人の子どもを預かり始め、04年に池袋に移転。いまは、毎日預かる60人のうち3分の1は両親が日本人。11人のスタッフの半数は中国人だ。

 池袋のある豊島区に暮らす中国人は約9千人。さらに約1万人が通勤、通学でこの街に来るといわれる。

 ここに中国人が集中しだしたのは、80〜90年代に多くの留学生が家賃の安かったこの地域に住んでから。現在、駅周辺に中国系店舗が約200軒あるという。飲食店、不動産屋、美容院、旅行会社、法律事務所、書店、カラオケ店、10を超える新聞社など。

 中国系店舗が軒を連ねる横浜や神戸の中華街と違い、日本の商店と中国系の店が混在しているのが特徴だ。筑波大大学院の山下清海教授(華僑・華人研究)は03年に「池袋チャイナタウン」と呼んだ。「今の中国を知ることができる街だ。日本はもちろん、世界で見ても新しい形のチャイナタウン」という。

 この日本人と中国人が交わる最前線の街でぎくしゃくした動きが表面化している。

 07年11月、池袋に店をもつ中国人ら十数人が「東京中華街」準備委員会を設立した。駅から500メートル以内の中国系施設がネットワークをつくって「東京中華街」のブランドを立ち上げ、ホームページでの各店舗の紹介、会員カードの作成、イベント開催などをしようというものだ。

 委員会側は08年1月に地元商店街の代表らに説明した。地元側は「東京中華街」の名前に違和感を感じた。「街を勝手にかきまわすようなことはしないで」との声も。話し合いを続けることで合意したと、地元側は受け止めた。

 だが、委員会側は4日後に記者会見を開いた。日本の夕刊紙に「行政サイドは計画を大歓迎」という委員会幹部の発言が載った。幹部が豊島区長らと撮影した写真を無断で関連ホームページに掲載していたこともわかり、区は「まるで行政が応援しているかのようだ」などと削除を要求する事態に。半年後、区は委員会に、地元と丁寧な話し合いを重ねるよう求めた。

 池袋西口商店街連合会の三宅満会長は「仲良くやりたいと思うが、唐突なやり方だ。地元の町会や商店街活動に入って汗を流してからではないか」と注文をつける。「治安が悪くならないか」などと不安を口にする人もいる。

 委員会メンバーは最近、商店街主催の祭りへの参加を検討し始めた。来日21年の胡逸飛(フー・イーフェイ)理事長は「反省するところは反省し、コミュニケーションを最優先する。日中の交流の場にしたい。池袋を盛り上げたい気持ちは一緒」と、地元との対話を模索する。

 父親が中国人で、数年前まで中華料理店を開いていた山口泰弘・池袋西口駅前名店街副会長は「日本的にいうと根回しが足りない。ボタンの掛け違いだ」という。

 だが、その後も話し合いの場はもたれていない。

■摩擦の中 続く朝市

 大阪には日曜の朝、大勢の華人が集まる市場がある。大阪市鶴見区と大東市の境界付近の幹線道路沿い。100メートルの間に、段ボールの上に食材や国際電話カードを並べた十数軒の露店が並び、中国語が威勢良く飛び交う。日本人の姿はほとんど見かけない。

 閻麗娜(イエン・リーナー)さん(30)が父とここに来るようになったのは、高校生のとき。祖母が日本人だったため、13歳の時に黒竜江省から一家で来日した。数年後、この近くで華人向けの食料品店を開いていた父が、残留孤児の家族らがこの通りのスーパーを利用しているのに気づき、リヤカーに商品を積んで路上で商売を始めた。

 華人が相次いで露店を出し、「日曜朝市」になった。最盛期の05年ごろは数十店が並んだ。

 だが、違法駐車やゴミの放置などに近隣住民から苦情が出た。道路を管理する大阪市が06年から歩道に花壇やフェンスを設けるなどしたため、露店の数は激減した。住民の苦情は減ったが、交流もない。

 それでも、朝市は絶えることなく、今でも毎週午前6時ごろから集まる。閻さん一家は空き店舗を借りて3年前に引っ越してきた。平日も開く初めての華人向けの店だ。

 在日華人が増え、彼らの市が立ち、街ができる。地元の日本人との摩擦が生じ、人々は思案の中にある。(編集委員・大久保真紀、浅倉拓也)

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