2009年4月17日9時53分
物質・材料研究機構で、光触媒の研究装置を操作する葉金花さん(手前)。奥は韓礼元さん=茨城県つくば市、関口聡撮影
北京の国家大劇院の前に立つ中国科学院化学研究所の江雷教授=関口聡撮影
茨城県つくば市の中心部にある独立行政法人、物質・材料研究機構(物材機構)。文部科学省が選んだ国内5カ所の「世界トップレベル研究拠点」の一つだ。ここに3月、「次世代太陽電池センター」ができた。トップは在日華人の韓礼元(ハン・リーユワン)さん(52)だ。
韓さんは次世代の太陽電池といわれる色素増感型の第一人者。太陽電池生産量で大きなシェアをもつシャープの研究所で15年間働き、室長を務めていたが、物材機構の岸輝雄理事長にスカウトされた。
韓さんは上海出身。元々は紡績の研究者だった。染料・染色を学ぶため、82年に京都工芸繊維大に国費留学。大阪府立大で博士号を取り、89年1月、故郷の大学講師になるため上海に戻った。
直後に転機が来た。大阪府大の教官から学会に招かれ、6月3日に大阪到着。翌日、テレビをつけると、北京で軍隊が発砲していた。天安門事件だ。中国の混乱を心配する教官から「あんた、戻らん方がええ。仕事紹介したるわ」と言われた。妻が留学生として日本に残っていたこともあり、とどまる決意をした。
関東の企業の研究部門で働き、93年にシャープへ。「新技術の開発を」と促され、得意の染色と関連がある色素増感型太陽電池を選んだ。1人で研究を始め、06年には同僚と太陽光エネルギーを電力に変換する効率で11.1%の世界記録を達成。発明者別の特許出願件数でも世界一になった(05年度、特許庁調べ)。
実は物材機構がスカウトしたころ、中国の大学も破格の待遇で誘っていた。迷いもあったが、今の自分を育ててくれたのは日本だと思った。「ずっと日本に住んで、もう一つ成果を出したい。エネルギー問題を解決できれば、祖国への恩返しにもなる」
韓さんの移籍には、もう一人の在日華人が一役買った。物材機構の葉金花(イエ・チンホワ)・光触媒材料センター長(46)。学会で顔見知りで、橋渡しをした。
中国浙江省出身。文化大革命の混乱で16歳で浙江大に入学した。84年に国費で日本へ留学。東京大で結晶の構造解析を研究した。
博士号を取る1年前、天安門事件が起きた。だが、民主化運動は弾圧され、葉さんには失望と不安が残った。日本にとどまることを決めた。
今は光触媒の専門家だ。太陽光で水から水素を取り出す技術や、表面の汚染物質が太陽光で自然に分解される材料の開発をする。30人の研究者を束ね、うち10人は中国人研究者。「日本は研究者としてのすべてを築いた『祖国』。研究者でいる限り日本にいるでしょう」
■共に学ぶ 中国の教え子と、世界標準めざす
北京市の中心部、人民大会堂の隣に金色に輝く卵形のドームがある。07年にできた国家大劇院だ。
6千平方メートルのガラス屋根には中国科学院化学研究所の江雷(チアン・レイ)教授(44)が開発した光触媒材料が塗られている。太陽光の紫外線と可視光に反応し、汚れが浮き出す。江さんは「雨が降れば、ちょっとしたホコリなら洗い流せる」と胸を張る。
92年から7年間、日本に留学した。「今の私があるのはボスのおかげ」と話す。ボスとは藤嶋昭・神奈川科学技術アカデミー理事長(67)。67年、光触媒反応を世界で初めて見つけた。将来のノーベル賞候補の一人と目される。
藤嶋さんは77年以来、計30人近い中国人研究員を受け入れている。「日本の学生と競うことで、研究レベルが上がる」と相乗効果を期待した。
だが、多くの留学生は中国に帰している。「日本はまだ外国人が活躍できるポストが少ない。早く帰って偉くなった方がいい」と言う。帰国した研究者は中国化学界をリードし、「藤嶋閥」と呼ばれるほどの存在感をもつ。江さんも99年に帰国した。
光触媒の市場規模は1千億円とも言われる。日本発の技術だが、製品化が進むにつれ、国際標準化機構(ISO)の規格策定が重要になってきた。「光触媒」と銘打ったさまざまな製品が出回っているが、統一規格がないため、まがい物が出てもわかりにくいためだ。
しかも自国の技術に有利な規格を得れば、世界市場をリードできる。これまで日本には、技術は優れていたのに、他国との連携が取れず世界標準にならなかった携帯電話やハイビジョンテレビなどの苦い例もある。
日本の標準化調査委員会の委員長を務めた藤嶋さんは、中国の教え子たちとの連携に期待する。ISOに対し、一部の規格を中国と共同提案することも考えている。「日中が共同すれば、アジアをまとめることができる」。中国の標準化委員会の委員長を務めた江さんも呼応する。「標準化で協力することは、中国のためにもなるし、日本のためにもなる。そして世界の発展にもつながる」
■優秀な人材の活用「当然」
日本の著名な教授のもとには、中国や台湾から多くの学生たちが集まる。指導教授にとって、研究レベルを上げる目的が大きいが、ネットワークづくりや日本企業への人材提供など様々な効果がある。
北九州市にある早稲田大大学院情報生産システム研究科の後藤敏教授(64)はシステム集積回路(LSI)の自動設計の権威だ。研究室31人のうち30人が中国人だ。
後藤さんは31年間、NECの研究部門で働き、02年まで半導体の国際競争の中にいた。中国人学生との研究について、「『敵に塩を送る』と言われるが、科学技術分野の発展に優秀な人材を使うのは当然のことだ」と語る。
中国の清華大など名門校から学生を招く。修了後、帰国せずに残る学生も多い。これまでに修了した中国人20人のうち、12人はNEC、東芝、ソニー、富士通など半導体大手で活躍している。
東京大の柴崎正勝教授(62)は06年、新型インフルエンザの切り札とされる薬タミフルの人工合成に世界で初めて成功した。研究室では、45人のうち9人が中国、台湾出身者だ。「中国はベストの人間を送ってくる」と柴崎さんは語る。
■受け入れ研究者、外国人中最多に
文部科学省によると、06年度に日本の大学など862機関が受け入れた中国人研究者は6851人。外国人としては米国人や韓国人を抑えて最も多く、全体の2割近くを占める。
論文の共著相手国としても、中国の存在感が増している。科学技術振興機構の08年の報告書によると、91〜95年は6位だったが、01〜05年は米国に次ぐ2位に上昇した。
物質・材料研究機構の場合、全研究者1600人のうち290人が外国人で、その半数が中国からだ。日本国籍を取った人も5人いる。「中国人がいないと成りたたない」と岸輝雄理事長は話す。
一方、産業界を中心に、技術や研究成果の流出への懸念も広がっている。07年、大手自動車部品メーカー「デンソー」(愛知県刈谷市)にいた中国人技術者が設計図面データ入りパソコンを社外に持ち出したとして、横領容疑で逮捕された(起訴猶予)。この事件をきっかけに、経済産業省が研究会をつくり、情報管理に関する報告書を08年7月に出した。海外からの人材の必要性を認めつつ、国費研究の成果の流出防止や、日本への優先的な特許出願の検討などを提言した。(香取啓介)
<光触媒>光のエネルギーを利用して抗菌や脱臭、汚れ防止などの効果を得るための技術。67年、東京大大学院生だった藤嶋昭氏が、酸化チタン電極に紫外線を当てることで水を水素と酸素に分解できることを発見したのが最初。本多健一・東大名誉教授と共同発表したため「ホンダ・フジシマ効果」と呼ばれる。
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日本で中国人研究者が存在感を強めている。第3部「白衣群像」では、白衣をまとって先端科学技術や医療などに取り組む華人研究者や医師の姿と社会の変化を伝える。