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2009年7月 1日 (水)

2009年旭川駐屯地開放:見たまま聞いたまま

大雨の中、2009年の旭川駐屯地開放に参加して来ました。

朝9時30分、車で入場した頃はまだ雲行きは怪しいものの、それまで降っていた小雨も止んでいました。撮影のためのビデオカメラやカメラバックなどを持つ関係から傘は持たず、ついでにレインコートも忘れてしまいましたが、そのことが後日響くことになります。全体として小雨日和なせいか、参加の市民は例年よりも少なめ。半分か3分の2程度でしょうか。もちろん山菜目当てのご近所さんはこの時点で購入し、すでに退場済み。市価よりお得だということでしょうか。

観閲式が始まると再び雨が降り出し、佐藤師団長が式辞を述べる頃には本降りに。同行のA君が傘をさしてくれたのでビデオカメラは水没を免れましたが、危ういところでした。それでも雨天の中、カメラの出し入れはできず、ビデオだけの撮影となりました。よって今年の映像には日時の記載があります。

師団長式辞と市長・今津衆議の挨拶については前投稿に書きましたので、ここでは省きます。

Sn3d0444 ■「国旗」に敬礼…

以下、今年の特徴を中心に紹介しますが、観閲行進では各部隊の行進は例年と比し大きく変わった様子は感じませんでしたが、戦車部隊の後にヘリコプターの観閲飛行がありましたが、これは例年行っていたでしょうか?あまり記憶に無いのですが「今年初めて」と言うには記憶が曖昧です。

Sn3d0456 ■観閲飛行

観閲行進の後、本来ならば空挺降下が行われるはずでした。過日の記事にあるとおり、当会はじめ4団体は空挺降下の中止を申し入れていましたが、今回の空挺降下は天候不良のため中止になりました。結果的に危険な訓練が行われなかったのはよいのですが、一方で6月10日に行われたという予行演習の際は空挺降下が行われたという視認情報も届いています。

余談ついでに書きますと、2009年6月28日に行われた島松駐屯地の記念行事では空挺降下が行われ、1200メートル上空から降りてきた一人が降下地点を誤り立ち木に降下。行事が一段楽するまで暫くの間救助されない、という事故がありました。

Img_4s ■提供:道平和委Y氏

Img640_0069 ■提供:道平和委Y氏

現地調査中だった北海道平和委員会関係者によれば、降下隊員が無事であることが確認されると、行事終了後までそのまま放置されたようです。誤降下地点はすぐフェンスがあり、その向こうは民有地で年輩の方々がパークゴルフをしていたそうです。

今年は6月21日の名寄駐屯地開放でも空挺降下が計画されたそうですが、当日はどうだったのでしょうか?それにしてもなぜ急に空挺降下流行なのか?と。空挺降下については要請して来てもらうとの事ですので(2師団広報室長談)、島松はわかりませんが、旭川・名寄については第2師団のどなたかの発想なのでしょうか?

続いて特科部隊と音楽隊の共同演奏が行われました。音楽隊は第2音楽隊のみならず、北部方面音楽隊、第11音楽隊も出演。大音楽隊による演奏となりました。しかしながら、その演奏は来賓の座る観覧席の真正面ですから屋根の無い飛行場芝生の上。時折強く雨が降るなか、楽器を雨ざらしにしての演奏です。いくら「さすが」(今津衆議談)と褒められても、楽器は相当傷んだのではないでしょうか。雨脚があまりに強く、遠く私の耳元まで雨でティンパニの音が鳴るような気持ちがしました。

Sn3d0458 ■雨の中の音楽隊

音楽隊の「不幸」に、さらに追い討ちをかけたのは特科部隊の出場場面です。アナウンスでは「世界初、自走りゅう弾砲との共同演奏」と紹介していました。確かにユーチューブなどで紹介している同様演奏では固定された大砲がタイミングにあわせて発射しています。ところが今回、演奏の途中で10数台の自走りゅう弾砲が爆音を響かせてエンジン始動(!)。さらに演奏中、爆音を響かせて入場してきます。

Sn3d0459_2 

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Sn3d0464

定位置につくまでの間、演奏はまったく聞こえず…(汗)。音楽隊のみなさんは、演奏者としてこれでいいのでしょうか?忸怩たる思いは全く無いというなら、それは演奏者ではなく、やはり戦闘者なのでしょう。目指すはミュージシャンでは無く、木口小平(日清戦争に従軍、戦死したラッパ手)なのでしょうか?

■尋常小学校修身書より
キグチコヘイハ テキノ タマニ
アタリマシタガ、 シンデモ ラッパヲ
クチカラ ハナシマセンデシタ

余談ついでですが、留萌市議・村山ゆかり氏(=FMるもいボランティアパーソナリティー「青島なつき」氏)もその場に来賓として参加していたらしく、自身のブログで音楽隊のその様子を紹介しています。氏もまた今津衆議と同じく、雨中の不安感は「どんな過酷な条件でも計画通りに執行する厳しい姿勢に深い敬意の気持ちとなっていた」と述べ、音楽隊の演奏を「降り続く雨の中始まった音楽隊の演奏に不安の色を隠せませんでしたが」と書きつつ「爆音にかき消されることのない音楽隊の演奏は何かを思い、何かを信じ、何かを追いかけているかのように情熱的な静寂と激しさがピークに達していました。すごい。すごすぎる。今まで見たことも聞いたこともない体験でした。」と賞賛しています。いえいえ、爆音にかき消されていましたから…。冷静に事実に基づいて書きましょうよ。
http://blog.livedoor.jp/aoshima89/archives/51651353.html#comments

訓練展示では例年と同じ設定で模擬戦闘が展開されましたが、99式自走りゅう弾砲は「自家用車の警戒装置が誤作動をしてしまう」との理由から発射せず、またRecsを活用と説明がありましたが、どの場面でどういう風に活用したのかは見ていただけでは全然わかりませんでした。これまで気づかなかっただけかもしれませんが、火炎放射器が2台使用され、「敵部隊」に対して使用されていましたが、あれは異様な雰囲気をかもし出していました。

Sn3d0471

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模擬戦闘とはいえ、戦闘力は圧倒的な差がありました。仮想「敵部隊」は戦車と装甲車、歩兵だけでしたが、自衛隊サイドは航空戦力にりゅう弾砲、戦車、装甲車、火炎放射器にRecsまで使って、武器の見本市です。圧倒的な武力で対することこそ戦術の基本とはいえ、そういう設定で「完勝」するさまばかり見ていても…と少々変わり映えしない光景に「ごちそうさま」気分でした。

訓練展示終了後、ゾロゾロとパーティー会場へ向かう来賓をのせるバスの車列は空虚な印象しかうけませんでした。ほんの少し先の宴会場なのだから歩けばいいのに、とも。

Sn3d0488

来賓といえば、例年ちゃんと聞いていなかっただけと思いますが、今年来賓参加した政治家に民主党の議員名が印象深かったのは私だけでしょうか。例えば、「イラク戦争反対」のピースウォークに参加していた女性民主党系道議の名前などもあり「市長が参加すりゃ誰も彼もなびくのかー」と残念に思いました。

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