承前
月刊「Views」1997年4月号 岩瀬達哉「株式会社朝日新聞社の正体」

これまでの連載で見てきたように、「日刊新聞紙の発行」自体に様々な問題が生じている。「(それに)付帯する事業」となると、なおさらその疑問は倍加される。とりわけ、いま現在は別法人となっていても、もともと朝日新聞社が始めた関連事業に、その傾向は強い。

一例として、朝日新聞社の関連団体である、財団法人・森林文化協会があげられる。

同協会は、'78年、「朝日新聞社の創刊100年記念事業のひとつとして」設立。活動趣旨は、「失われつつある自然との触れあいを回復し、緑を守り育て、豊かな人間性を育むことを目的」にしている。一見したところ、どこからも文句のつけようがない立派な財団に見える。

しか」森林文化協会の設立経緯をつぶさに検証していくと、実は、朝日新聞社が目論んだレジャーランド開発計画が挫折した後に、設立された団体であることが判明するのだ。その設立趣旨とは、相反する過去をもっているのである。

そもそも朝日新聞社が、滋賀県の朽木(くつき)村に約148hの山林や田圃を購入したのは、森林文化協会設立のためではなかった。'72年の「列島改造ブーム」にのって、ゴルフ場を建設しようとして購入されたものなのだ。もっとも、ゴルフ場建設は、その後、レジャーランド開発に計画変更されている。

ところが、'73年のオイルショックの影響で、計画が頓挫、買収済みの土地の利用方法に困った末、苦肉の策として森林文化協会が設立されることになった。そしてその際いかにも聞こえのいい「環境保全」というコンセブ卜が捻り出されたのである。

最初は、きちんとソロバンを弾いていたにもかかわらず、目論み違いがおこると、まったく正収対の事を言ってのける。驚くばかりの、変わり身の早さといえよう。


しかも、朝日新聞社の求めに応じて、先祖代々の土地を売り渡した朽木村の村民には、計画変更の謝罪は、まったくといってよいほど、なされていない。

当時、村役場の職員として、朝日新聞社との対応に当たった人物が語る。

「朝日新聞社からのお話は、昭和47年('72年)ころからありました。ゴルフ場を作るから、買収に協力してくれと、当時の村長のところに話をもってこられた。村は、年々、過疎化によって廃れていく一方でしたからね。ゴルフ場ができて就労の場が増えればというので、全面協力することにした。その後、計画が変更されて、アーチェリー施設や乗馬施設といったレジャーランドを作ることになった。畳1畳くらいの模型を公民館に選びこんでは、村人ヘの説明会を開いたものです」

そして、村役場の職員数名と竹中工務店不動産部が、村内の地権者約100人の家を一軒、一軒回って、約1年がかりで買収を済ませたという。ところが、買収が完了しても、一向に開発事業がスタートしない。不審に思っていると、数年後、突然、森林文化協会を設立するとの連絡がもたらされた。

「オイルショックの影響で事業計画が変更になったといわれ、いったい何を作るかと思ったら、キャンプ場と研修施設(森林文化協会)でしょう。レジャーランドと研修所じゃ、雲泥の差です。かなり、文句いいましたが、取り合ってもらえなかったですね。村民の気持ちとしては、霞を食って生きていくわけにはいきませんから、ブルドーザーを入れるのも仕方がないと腹をくくって山を売ったわけです。研修所という話ならはじめから、土地なんか売りませんでしたよ。買収価格も、1反当たり平均で約62万円と現在の半分くらいの値段ですからね。私たちはダマされたようなものです」(前出・朽木村の元職員)

その結果、買収工作のために汗をながした村役場の職員たちは、村人から、ずいぶんと責め立てられることになる。

現在の朽木村村長、澤井功氏が語る。

「私なんかも、いまだに言われることがあります。ほとんど山の手人れがなされていないでしょう。だから、潅木がやたら目立ったり、草もぼうぼうとなる。かつて自分の山だった村人にしてみれぱ、それを見るのがつらいというんです。だったら、いっそのこと、ブルドーザーを入れて整地してくれたほうかいいと、自分の山の痕跡が残らないようにしてくれたほうがいいと、文句を言ってくる人がいます」

山で生計を立ててきた村人にとっては、単に、緑が残ればいいというものではない。これでは、朝日新聞社が唱える「緑の保全」とは、観念的なスローガンでしかないということになる。


事実はおそらくこの記述のとおりなのでしょう。系列のゴルフ場や遊園地を持つ読売新聞に対抗しようとでもしたのでしょうか。どうみても新聞社の業務とはかけ離れています。

協会の設立当初「百年事業」を標榜していた朝日新聞社が朽木・朝日の森を三十年足らずで地元自治体に売り払ったのも、はじめから“偽装”だったからであれば納得がいきます。
[PDF] 2005年7月 朽木小川より
朝日の森は、「山と木と人の共生」をテーマに、ここを基地として様々な活動と森林の持つ多様な機能を高め、多目的に活用することを目指し、1979年7月に朝日新聞社の『百年事業』としてオープンした。道作り苗畑作りや木を植え育てる作業を職員ばかりでなく、来訪者・ボランティアも参加して「汗のリレー」として続けてきた。また、森づくりを支えるための「森林環境研究所」が作られ、専門のスタッフによる森林についての研究が行なわれてきた。
〔中略〕
「朝日の森」は100年事業の予定だったはずだが、一昨年、急に閉鎖が決定された。あっという間の決定と、バンガローなどの解体。どうなることか、と心配していたが、高島市への合併直前に、朽木村が土地を購入した。現在は、高島市の財産となり、名称も「朽木の森」と改められ、市はその利用法を現在検討中である。

現在はNPO法人が管理する森林公園“くつきの森”となっています。

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ひとつ引っかかるのは、レジャーランドなどの建設であれば土木工事が主になるはずですが、竹中工務店は建築専業のゼネコンであること(関連会社として竹中土木がある)。まあ、ただの地上げ屋と考えればそれほどの問題ではないのかもしれません。
あと旧朽木村の買収がゴルフ場建設目的だったのなら、群馬・玉原高原の土地も何かの開発を目論んでいたのでしょうか。ただの研修宿泊施設にしては不釣合いに豪華な建物ですよね。

それにしても朝日新聞社の偽善者ぶりには怒りを禁じ得ません。自社の土建事業の破綻は隠蔽しておいて、紙面で行政や企業の乱開発を指弾する資格などないでしょう。
さらに設立趣旨からして不可欠な財産であるはずの玉原・朽木の「朝日の森」を処分した時点で―どうせ維持管理が面倒になって投げ出したのでは?―、森林文化協会の存在意義は失われているはず。
にもかかわらず財団を延命させているのは「天下り先」確保のためではないのか。無駄な外郭団体を再就職先として死守する官僚と、全く同じ体質です。