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記者を辞め記録映画「台湾人生」制作…酒井充子さん

酒井充子さん(クリックで拡大)

 酒井充子さん(39)が記者生活の休暇にふと訪れた台湾。バス停で老人が話し掛けてきた。日本統治下で身に着けた流暢(りゅうちょう)な日本語で「公学校(小学校)の時の日本人の先生に会いたい。手掛かりを探している」。帰国後気になってしようがない。「50年以上たって、なぜ日本人の先生を思い続けるのだろう」

 温暖な気候とおいしい食べ物が魅力の島に住む老人たちにとって日本時代とは何だったのか。関心のあった映画づくりで「日本語世代」に迫りたい。2年間考え、2000年に新聞社を退職。映画製作の手伝いで技術を学び、02年に制作をスタートした。

 金も語学力もなく、すべて体当たり。あれこれ質問したい気持ちをこらえ、老人たちの話にひたすら耳を傾ける。「撮影というより対話。思いの丈を引き出す魅力のある人」というのが、カメラマンを務めた松根広隆さん(39)の評。

 本人は「日本人って何だろう」と考えていた。老人が「今でもぼくは日本人のつもり」という。「男だったら特攻隊に志願していた」と話す女性、「日本はわれわれを捨てた」と怒る人もいる。

 「彼らは冷静。戦後、大陸から来た国民党の軍事独裁より良かったという判断もあるだろう。長い間、外来政権の下で生きてきた歴史を考えざるを得ない。日本統治が良かったとか最悪だったとか簡単に言えない」

 時々、無性に台湾に「帰りたく」なる。強烈なにおいの名物「臭豆腐」は大好きなのに、台湾料理に欠かせない香菜は苦手。山口県出身。

ZAKZAK 2009/07/01

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