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【追跡取材】早期留学させた親たちの思い(下)

 貿易会社を経営するAさん(54)は97年、娘を米国へ留学させた。Aさんは収入の40-50%を娘の留学費用に充てていた。Aさんはアジア通貨危機以降、収入が減ったため、娘には年間1万5000ドル(約143万円)以上送金することができなかった。そのため、ピアノ教室を営んでいた妻がレッスンの時間を1日に2時間ずつ延長した。また、Aさん夫妻はソウル市竜山区漢南洞のマンション(53平方メートル=16坪)を売却し、息子と3人でピアノ教室の小さな部屋で10年間暮らした。

 Aさんは「娘は留学中、食料品店で品物を運んだり、日本料理店で皿をふくなど、あらゆるアルバイトをしていた。ほかの父親のように余裕を持って援助していたわけではないため、つらい思いをすることも少なくなかった」と話した。

 Aさんの娘は最近帰国し、韓国の英字新聞の記者になった。Aさんは「完ぺきな英語力や、それに見合った考え方、社会性を身につけた娘には感心しているが、すっかり米国人のようになってしまったのは時々残念に思う」と語った。

 96年、中学3年と高校1年の息子を米国へ留学させた主婦ユさん(54)は、「生活が苦しかったため、思い通りにトップレベルの大学へ通わせることができなかった」と語った。ユさんは当初、米国で息子たちと一緒に暮らしたが、1年半後に帰国した。「渡り鳥」のような生活が続くうちに、行動的だった夫が人と会うのを避け、引きこもりがちになるほど落ち込んだためだった。

 二人の息子は米国で中堅大学を卒業し、韓国企業に就職した。ユさんは「米国でもっと優秀な大学を出ていれば、もっと良い会社に就職できたのではないか、と残念に思ったこともある。でも、息子たちが“自分がやりたいことを見つけられたので満足している”と話しているため、それだけでも成功だったと思う」と話した。

廉康洙(ヨム・ガンス)記者

イ・ソクホ記者

パク・スンヒョク記者

チェ・ミンギ記者

ハン・ギョンジン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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