2009年7月1日
イラスト:阿部昭子
「なんでも子育てといえば許されると思ってさぁ!」
T先生は3杯目の生中ジョッキをドンとテーブルにおいた。勢いで枝豆が皿からこぼれ落ちる。今日は初夏なので待ちきれなく野外ビアホールに来ている。いい加減酔っぱらったT先生は鼻息が荒く不満爆発状態。私とM先生はこぼれた枝豆を拾い集める。
「保育園送っていくから朝のカンファランスには出られません、保育園のお迎えがあるから4時30分に職場を出たい、お熱が出たから保育園が預かってくれないから今日休ませてくれ、ってさぁ、二言目には保育園、保育園って、うちの大学は保育園の付属かよ!」
T先生は大学で内科の医局に所属している。医局内のとりまとめをしているのだが、子育て中の女医さんの仕事ぶりに不満があるようだ。
「そんな風に中途半端な仕事のかかわり方なら要職になんて就かせられないじゃない? そうすると『女性差別だ!』とか言うんだぜ。学会事務局の役割を頼めば、小さい子がいるのでできませんの一点張りでさ、そういう雑用は嫌がるくせに、偉そうな事だけはやりたがるんだもの。結局、子育てを理由にして、『自分のやりたいことだけやらせろ』ってことなんだよ」
「まぁ、そうはいっても医者の人手が足らないのは事実なんだしさあ。医師会だって男女共同参画とかいって女医どころか、女子医大生にまでご機嫌取りしてるじゃん? 猫の手だって借りたいんだから、自分のやりたいことだけでもやってくれたらありがたいんじゃないの? 医療崩壊を防ぐためにはしょうがないんだよ」とM先生。
「自分のやりたいことっていうのは、『私が勤務したいところで、私のしたいことだけをする』って意味だぜ? やれる、やれないじゃなくて、やりたいかやりたくないか、なんだよ。仕事が楽になるから外病院への赴任なんか打診してみろよ。辞めますとか言うんだよ。子供にろくな教育ができないから赴任なんかできない、とさ」
「じゃあ、その病院どうなるの?」
「おれが行くんだよ。誰か行かなきゃ回らない」
「あれ? T先生のお子さんは?」
「それそれ! おれん家の子ってさ、その女医の子と同じ保育園なんだよね。来年はいっしょに小学校入学予定だったんだよ。そいつに言わせれば、おれん家の子はろくな教育受けないってことだよな。そういう意味ならおれだって子育て中なんだぜ」
医療崩壊、医師不足の現在、とりあえず今医師免許を持っている女医さんを現場に留まらせようという動きがある。男女共同参画。病院側は急激に女性医師に対する職場整備を始めた。これまであまりにも女性医師に対しての配慮がなかった事は事実だが、本当に必要な措置がよく吟味されないまま、「不慣れな」女性重用や子育て支援が大あわてに導入されて本末転倒になっているところもある。医師の業態も当直のようにできれば誰もが避けたい部分、外来のように比較的やりやすい部分がある。やりやすい所ばかり子育て中の女医に担当させると…。
「女性医師が増えた分だけ変な逆差別が起こっているところもあるんだよね」
M先生がため息交じりにいう。子育てが理由なら転勤免除。結果、その転勤先には男性医師が派遣される。男性医師ばかりが転勤をさせられて、女性医師は「子育てが一段落するまでは大きな(バックアップがたくさんいるような)市中病院」に勤務。同じ世代なのだから、男性医師だって大きな病院で腰を落ち着けて研さんを積みたい年頃なはずだ。
「子育て中の女医の当直を免除して、男の医者ばっかりで当直を担当していたらものすごい回数になっちゃってさ。ちっとも家に帰ってこないって離婚になっちゃったやつもいるよ。結局、フル勤務できる男性医師の方がキャリア形成にマイナスになるような所へ赴任させられた上に当直業務ばっかり多いっていうので、医局の男性入局者が激減。子育てしながら仕事がしたい女性医師の入局希望者ばかり集まって、結局仕事のやる気も半分くらい。子育てを理由にして当直みたいな仕事は皆できないって言い張るから、実動上の使いやすい人数が増えるわけじゃないんだよ。5時過ぎにはみなさん保育園のお迎えでいなくなっちゃうんだもん。カンファランスなんか閑古鳥、その後おれたち男が当直業務に突入。翌朝、さわやかな顔で出てきて『主婦業も母親業も医師業も頑張っている私。自己実現できて輝いている私』なんて言われても、こちとら睡眠不足で目の下にくま作ってるんだから。馬鹿馬鹿しくてフル勤務する男性医師が辞めたくなるよな」
女性医師の養生、男性医師の不養生? 問題は大きい。
医学博士。医療崩壊の波が押し寄せる市中病院で勤務中。診療、研究、教育と戦いの日々。大学医局から呼び戻しの声があったものの、現場に留まる事を選んだがために青息吐息の不養生。愉快な仲間と必死に戦う現場での愚痴はおしゃべりすることで息抜きとする養生。医療現場の日常をちょっと変わった角度からお伝えします。