熊棲む地なり/Arakida




そもそも良子皇后が、蚕の世話をするのが嫌だと言ったことから始まった。

皇居内の斎服殿でのことだ。神前に供える絹を織るための

茅葺の小さな農家に似た建物だった・・・




これより暫く前に、我が家に宮内庁から使いの者が来て

曾祖父が暗い座敷で書を開いていた。

荒木田神主家(明治期より地方で百姓をしている)というわけで、

戦後の「祭祀」についての意見を求められたのだ。

その奈良時代の書には

織機で絹を織るのは身分の高い女性もしくは女児と限定されていた。

曾祖父が上京する時、

案内役として親族数人が付き添って行ったが、

その中に四歳の私もいた。

そして、二度目からは私一人で行くことになった。

・・・・・・・











皇后は和服を着て、草履を履いていた。

現代では周知のことだが、倭錦は邪馬台国時代には中国へも朝貢された貴重品である。

その為にこの蚕を宮殿内では「神子」と呼んでいた。

それを皇后は「これがか?」と言って、

摘まんだ虫を足下に放り投げ、草履で踏み潰したのだった。





私は叫びそうになるのを堪え、後ずさりに戸口を出た。

外に居た侍従が「どうかしましたか」と尋ねた。

だが、狭い小屋だ。

セメントの床に虫の残骸がこびり付いているのも、

またそれを皇后が慌てて棚の下に隠そうと足で蹴ったのも見えたはずだ。





侍従は慇懃にお辞儀をし、それから私に言った。

「あなたが踏んだのですよ。皇后様に、謝りなさい。」











私は謝らなかった。 こうごうさまが、ふんだのだ。_
























































天皇が居なくなった途端、侍従の顔が険しくなった。

「強情」の張り紙とともに、私は護衛の皇宮警察官に催眠剤を打たれた。

荷物のように帰りの車に放り込まれ、疲労で意識が失せた。





しかし、薬の効果は途中で薄れた。

まだ車が走っている道中で、朝から絶食だった私を吐き気が襲った。

泣き声を立てると、助手席の男が振り返って、二本目の注射を私に打った。

私は恐怖で一層声を上げた。その口にも針が刺さった。





家に着いた時、私は玄関にうつ伏せに置かれたのだったが、

床に押し潰された鼻が痛くて、意識が戻ると、漸くわずかに横を向いた。

家の者に、「注射をされたのだ」と言おうとして、

自分の口が開いたまま、そこから舌が出ているのに気が付いた。

涎が止まらなかった。











私は二度と皇居へは行かない、と言い、曾祖父もまた行かなくて良いと言った。

しかし、選択の自由は我々には無かった。「迎えの車」が来たのだ。

皇后が、謝罪に来いと言うのだった。





障子を閉てた母屋から、女の声で

「いったい、祭祀をどうなさるおつもりですか。これでは済みませんよ。」

と朝から金切り声が絶えなかった。

とうとう窮した曾祖父が、紋付を着て出掛けて行った。

だが、宮内庁からの帰送車が戻って来た時、車から降りた曾祖父は

五、六歩よろよろ歩いて、庭に倒れた。

今度は自分が謝りに行く、と私は言った。











そうしてまた一枚きりの着物を着せられて、私は公用車に乗せられた。

事態はすでに私が蚕を踏み潰したことになっており、

正殿に通された私は

先祖神が祀られている祭壇の前で懺悔するように命ぜられた。





信仰心ではなかったが、先祖と教えられた祭神の前で嘘を言うのは嫌だった。

考えた末に、祭壇の正面まで進み出てお辞儀だけしようと決めた。

ところが、和服を着せられた子供の腹には帯が堅く締められていたのだ。

本来は頭を腰の位置より下げて平伏せねばならないのだが、

筒状になった帯は私の体をくの字にしただけだった。





すると、

すぐ後ろに付いていた皇宮警察官が、私の腰の辺りに針を刺した。

もっと曲げろと言うのだ。二度曲げたが、二度刺された。





祭壇に背を向けることは禁じられていたが、私は振り返って戸口へ走った。

廊下に出たところで捉って、今度は注射を打たれた。

やはり麻酔に似た催眠剤だった。私は失神した。





何故、私がこんな目に合わなければならないのか。

まるで家畜を殴るように、まだ言葉も未発達な幼児を虐待するこの男の、名前さえ私は知らなかった。

気が遠のく間に、ふと、自分が男に何か悪いことをしたのだろうかと考えた。否。

では、この男は命令だけに忠実な兵隊なのだろうか。

和服を着た子供の足は不自由にもつれた。

それを男は面白そうに嗤っていた。





誰かに抱きかかえられて、客間へ入れられた。

苦悶する私が吐くと思ったのか、担いでいた者は私をベッドではなく床に転がした。

そしてそれっきり何時まで待っても助人は来なかった。

放ったらかしにされた私はあきらめて、

猛烈な吐き気を堪えながら、浴室まで這って行った。

かろうじて浴槽の縁に掴まり、蛇口をひねって体を洗った。

タオルは頭上に掛けられてあったが、

手が届かなかった。

私が小さいからだった。





ずぶ濡れのまま、また箪笥まで這って戻り

どうにかブラウスとスカートを穿いた。

しかしそれが限界だった。そのまま仰向けに床に倒れた。

疲労で、

憤怒は体を抜けていき、冷ややかな怨恨が私の身に降りて来た。





いつの間にか頭上に女官の顔が現れて、脱ぎ捨てた着物と私を見下ろしていた。

女は「起きなさい」と命じたが、できるはずもない。

別の女が「お着物はどうなさいますか?」と覗き込んだ。

「持って帰るから、風呂敷に包んで欲しい。」と答えた。

当たり前だ、私の着物なのだから。











うちに帰った私が真っ先にしたことは、

曾祖父に、皇后の血統を尋ねることだった。

久邇宮だ、とあっさり曾祖父は教えてくれた。我が家と天皇家とは

すでに六世も離れていたが、辿れば同じ血だというのが信じられなかった。

私がそう言うと、

薬剤によって赤黒い斑点状になった私の顔を曾祖父は見すえて

「島津だ」と付け加えた。





翌日、狭い座敷に、親族の男等が集められた。

私の身に起こった事態を、

曾祖父は総領として伝えておかなくてはならないと考えたのだろう。 

話の後で奥から、一本の瓶が持ち出された。 

『青酸カリ入りワイン』だという。敗戦時に天皇が血縁者に配ったものだそうだ。

 「何で、うちに?」 おおかた百姓のせがれで、

せいぜい牛車の車輪を直せるのが自慢な男等は、日に焼けた黒い顔を歪めた。

 「なんだあ・・・。 自分で飲めばええがな。」











着物を汚したために代わりに着て帰った洋服は

捨ててやろうかと一時怒りがこみ上げたが、結局、洗濯して仕舞っておいた。

案の定、一週間も経った頃、女官が取りに来た。

洗濯機の無い時代であるから、上質のブラウスは乾いた時しわしわになっていた。

 「これじゃあ、もう使えないわ。」 落胆する女の声は柔らかだった。

こういう場合には、汚さないように

「綺麗な布」に包んでそのまま返してくれと、女は母に言っていた。

・・・・・・・











昭和天皇については、もう一つ書いて置かねばならない。





或る日、蚕に餌をやった後、舞踏殿という広間へ連れて行かれた。

そこでは様々な民族衣装を着た者が、それぞれの国の民族舞踊を練習していたが

ちょうどその時は、辮髪の男が五、六人、素早く回転しながら踊っていた。

昭和天皇は、正面の祭壇の、さらに奥の間から出て来たようだった。

すると、突然、辮髪の男等が平伏した。





体の柔らかい彼等は板間に紙のように折れて

床を舐めるように這いつくばった。そして、そのまま天皇の足に額づいたのだった。

(この時私は、彼等が天皇の靴に接吻するのではないかと思ったのだが、

後ろに立っていた私にはよく見えなかった。)





天皇は愉快そうに笑みを浮かべた。

「これ等はいつもこうなんだよ。 ・・・」



平伏した男等は土偶のように動かなかった。











別の機会に、密かに訊いてみた。「おじさんたちは、何処の国の人ですか?」

すると、満州族だと彼等は答えた。また違う一組に訊いてみると、モンゴル人だと答えた。

天皇は自分が支配した国の人々を、奴婢として飼っているのだった。

その中に隼人舞いをしている人たちもいたので、

同じ事を訊いてみると、こちらは宮内庁の職員だと答えた。

天皇が出て来たら平伏するのか、という質問には、することもあるという答えだった。













皇后が蚕の世話をしないので

二ヶ月もすると虫は全部干からびて死んでしまった。

そして、さらに驚いたことには

天皇までもがこれに同調して祭祀を放棄したせいで、

神田はひび割れ、雑草がはびこって、わずかばかりの稲も全部枯れてしまった。

現在、祭祀に使っている蚕や稲は、

その後、何処かで、

品種改良されたものである。


















    付記1  頭が良くなる薬

 付記2  鳥の玩具

   付記3  貴方の先祖は

       付記4  侍女が替わりました。

        付記5  おや、まだ居たのかい?

  付記6  跳ぶんだ!

            付記7  ダイヤモンド、見たいでしょう?










注) ここで言うところの「我が家」とは、本来の荒木田であり
現在の伊勢神宮神官ではありません。


系図は他者のHPながら「社家の姓氏・荒木田氏」また「度会氏」に
載っているものが我が家の家系図です。










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倭国王の宝物/Arakida荒木田




言い張っているところへ・・・

男が一人来て、のんきに「何があったんだい?」と訊いた。

これが東久邇だった。

期待はしていなかったが、私はとりあえずこの男に

事情を訴えてみた。

洒落たタイを首に巻いたその男は、男子禁制の神殿を覗き込んで

「そりゃあ大変だ」と言ったきり、どこかへ行ってしまった。



次に来たのは、昭和天皇だった。

宮内庁という所は「何事も無いのが良い」のであるから、

わざわざ知らせたとは思えなかった。天皇が自ら

見物に来ていたのだろう。



時代ドラマで、道端に土下座していた町人がいきなり

殿様の行列の前へ身を挺するように、私は天皇に駆け寄った。

「こうごうさまが、かいこをふんだのです。

わたしは何もしておりません。」

天皇は信じられないといった顔で

「良子がかね? ・・・」

と妻の名を口に出したが、

すぐに側近ともどもその場から消えてしまった。

「その祟りは出雲の大~の御心なりき。 __古事記より」

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