年間300万本! 三菱鉛筆「技ありシャーペン」開発秘話プレジデント6月30日(火) 14時15分配信 / 経済 - 経済総合
さらに、少子化という厳しい環境で、 三菱鉛筆は、なぜヒット商品を生み出せたのか。 「機械屋さん」と「マーケッター」の 妥協なき商品開発の現場をレポートする。 --------------------------------------------- ■ニーズの萎えた成熟市場で大ヒットを出すには 成熟市場においてヒット商品を出すのは難しい。生活に必要な商品はすでに出そろっているので、消費者自身、「こんなモノがあればいいのに」と、強く求める「欠乏感」がなくなっているからだ。日本の消費市場は現在、総じてこのような「ニーズの萎えた」状態にある。 文具業界もこの例に漏れない。伝統産業の筆記具の市場規模(国内)は、約1000億円といわれるが、近年頭打ち状態が続いている。そして今後、少子化の影響をモロに受け、さらなる先細りが懸念されているのだ。 ところが、こんな厳しい環境に置かれながらも大ヒット商品を世に送り出した企業がある。シャープペンシルの「クルトガ」を開発した三菱鉛筆だ。同社は2008年3月にこの新しいシャープペンを発売し、わずか1年で300万本以上を売り切るという快挙を成し遂げた。 なぜこのようなことが可能だったのだろうか。 上記の通り、文具業界は成熟産業であり、シャープペンはまさに「成熟商品」である。この種の商品の場合、書き味など、本質的な機能はすでに開発し尽くされており、いきおい戦略の重点は外装面・補助機能面に置かれやすい。事実、この分野の成功事例であるパイロットのドクターグリップや三菱鉛筆のユニ アルファゲルなどは、グリップの握りやすさを改善し、それをアピールポイントにした商品だった。 無論、これらは消費者のニーズをつかむ優れた改良商品だ。だが単なる外装の変更といった類の「周辺戦略」は通常、すぐに壁に突き当たってしまう。マイナーチェンジは、「目先の変更」でしかないからだ。流行が変われば、すぐにフェードアウトしてしまう危うさをもっている。本質的な機能の改善がない以上、インフラにはなりえず、業界スタンダードとして長期間の存続は不可能なのである。 三菱鉛筆では、00年前後からシャープペン事業の弱体化ということが問題になっていた。これを危惧したトップが、技術面でまだやるべきことがあるはずだとの認識に立ったという。そして命令一下、シャープペンの原点に立ち返り、周辺ではなく、中身・基本機能のところで画期的な新技術の開発を試み、「新しい機能」を搭載した製品をつくろうということになった。今から8年前、その開発チームの設計者に任命されたのが、横浜研究開発センター課長の中山協氏である。 開発チームはまず、以前から気づいていたものの、消費者にとって必要性が高いかどうか半信半疑だった「偏減り」という現象に注目した。これはシャープペンで書き続けていると、芯が一方向に偏って減るため、文字が太くなって薄くなる状態を意味する。これによって明らかに書き味が落ちてくるのだ。またこの偏減りのせいで芯のかどが崩れて粉が多く出たり、芯のかどが紙に引っかかったりというトラブルもある。このような問題を解消するための商品をつくろうと、動き出した。 とりあえず社内で「機械屋さん」と呼ばれる開発チームにより、芯を回転させるという機構の土台となるアイデアは出た。だが、それの実際の商品への落とし込みが容易ではなく、苦心惨憺の日々だったという。長期間、具体的な企画が出せないままで、この開発を手がける機械屋さんたちの「解体」論まで浮上する始末。 難渋の末、なんとか筆圧の力を使って歯車を上下させることで芯を回転させるという現在のクルトガエンジンの原型ができたのが開発スタートから4年後の05年秋のことだった。 芯が回転することで常にとがった状態を維持できるクルトガエンジンの開発は確かに素晴らしい。優秀な研究スタッフによる血と汗と涙があったからこそできた偉業だ。だが、さらに特筆されるべきはこの後、商品の市場化に至るまでに同社が実施した商品改良のプロセスだ。 05年11月の社内提案以降は、研究開発センターと主にマーケティングを担当する商品開発部が一体となって商品開発に取り組んでいる。その当時の状況を中山氏はこう語る。「スペックの積み上げについては、商品開発部と研究開発センターが本当に二人三脚で取り組みました。漢字一画当たり何度回せばいいのか。はじめての商品なので、指標がありませんでした。15度ぐらいがいいのか、もっと細かいほうがいいのか。それがわからないので、商品開発部と一緒に相当細かく連携をとりながらやりました」。 ■マーケティング担当がモノづくりにもの申す柔軟な組織 三菱鉛筆の優れている点はこのようにセクションにとらわれない柔軟な組織構造と自由度の高い組織運営にある。 往々にして、モノづくりはモノづくりのプロ、研究開発は研究開発のプロがいて、専門知識をひけらかし、他部門の人間が発言しにくい状況をつくり上げているのが普通である。分業関係といえば聞こえはいいが、埒外の輩がモノづくりにまで口を挟むのはまかりならんといった重苦しい空気が蔓延する。現在でもこのような組織は多く、これらの組織は根本的にマーケティングを実践できない。時々刻々変化する消費者のニーズをきちんと商品に反映することができないからだ。 とりわけ、R&D部門が充実している同社ではその種のセクショナリズムが強くはたらきそうな気がする。 ところが実態はその正反対だ。消費トレンドや消費者の購買パターンなどを知悉した商品開発部の要員が、対等の立場で商品の基本スペックの改良に意見を述べ、両者のベストミックスとして商品を誕生させているのである。 重要なのは、商品開発で一体化し、自由に意見を言える組織風土であり、このような組織面の柔構造は容易に組織内の叡智を結集させることができ、とりわけ現代のような変化の激しい時代に創造的な適応を可能にする。 ヒット商品を生み出すうえで、同社の傑出した点は、研究開発力や柔軟な組織構造だけにとどまらない。その評価のプロセスでも真価を発揮している。実はクルトガの初期バージョンは発売より2年さかのぼる06年春にはすでに出来上がっていた。 このとき、同社は社員を対象にクルトガの社内アンケートを実施している。実際に紙の上に字を書いてもらって、使用感を答えてもらったのだ。この結果は、中山氏が「ボロボロ」と言う通り、惨憺たるものだった。紙一枚分書いてもらえれば、従来のものより字がきれいに書けることを実感してもらえるはずと、同氏は意気揚々と社内アンケートに臨んだ。 ところが被験者たちからは書き終えてみて「違い」を見てもらえるどころか、書いている段階ですでに書き味が悪いとブーイングを食らったというのだ。確かに、筆者自身、この初期バージョンを使わせていただいたが、歯車独特のグシャグシャするような抵抗感があって、お世辞にも書き心地のいい筆記具とはいえなかった。 ■商品評価のためにつくられたサンプル数5000本以上 当然、このような結果が出れば、つくり直しになる。今度は「書き心地のよさ」を求めて改良作業に取り組むことになった。そしてようやく06年末のアンケート調査で良好な結果を得ることができたのだ。しかし、これでもまだ市場化は行われない。量産を見こしたモデルの再設計、部品の耐久試験など、いくつものハードルを越えて最終型が練り上げられていった。 実際、同社の入念な評価体制には舌を巻く。商品評価の段階でつくり出されたサンプルの数は5000〜6000本にも上るという。そして、08年3月の初回出荷分の数十万本に関しては、歯車がきちんと回転するかどうか、なんと全数検査を行っている。 またこの評価の過程で、消費者を対象とする調査も行っている。商品開発部商品第二グループ係長の斉藤拓郎氏は、次のように話す。 「シャープペンの芯が斜めに減ってきて嫌だ。だから回してずっととがった状態ならば書きやすいはずというのは、あくまで仮説です。この特徴は言ってしまえば、非常にマニアックなものなので、本当にユーザーである中高生に受け入れられるかどうかわからない。それを立証するためにコンセプト調査を行いました」 この調査は、外部の調査機関に委託し、シャープペンのヘビーユーザーである中高生を対象に実施された。商品開発に莫大なお金と時間をかけたまさに戦略的商品であったため、一般論が導けるような定量的な把握が必要だったからだ。 クルトガは消費者の顕在的ニーズを具現化したいわゆるマーケットイン・タイプの商品ではない。社長室広報担当の飯野尋子氏が「シーズ型商品と言い切ってしまっていいと思います」と言う通り、技術畑の発想からスタートした商品だ。であるからこそ、この商品が本当に消費者に受け入れられるのかという不安が常につきまとい、それを払拭するためにヘビーユーザーに向けた大規模な調査を実施したのだ。そしてこの調査の結果がクルトガ発売の一つの原動力になったのである。 ヘビーユーザーは調査結果通りの行動を見せた。この商品は多くの中高生に受け入れられ、大ヒットしたのである。現代のヤングは、古来からの日本人の繊細さをDNAにもっており、単に書ければよいというのではなく、常にきれいに書けるということを望んだのだった。 またクルトガの大ヒットに、巧みなコミュニケーション活動が少なからず寄与している。例えば、商品のネーミングである「クルトガ」は中高生に覚えてもらえるような機能面のわかりやすさを訴えたものだ。実際、命名に携わった斉藤氏によると、「歯車が回るはクルリ、芯がとがるはトガル。特徴を表すにはこれら二つを合わせるしかないということで商品名を決めました」とのことだ。 一見単純な命名法といえそうだが、ここに至るまでには非常に難航し、500〜600の案が俎上に載せられたという。この機能的な特徴をわかりやすく表現したネーミングのお陰で、小売店頭ではブランド指名買いが行われるようになったそうだ。 さらに小売店頭での情報発信にも余念がなかった。同社では画期的な新製品の中身を理解してもらうために、サンプル商品を配布し、専用什器をつくり、ホームページで発信している動画をDVDで流し、商品の特徴を説明した手のひらサイズの小冊子を並べた。 このうち専用什器はクルトガエンジンをモチーフにしてつくられたもので、実際、模型のエンジン部分が太陽電池で回転するようになっていた。これはアピール性の高いもので、エンドに置いてもらうことを意図して5000セットを全国の文具店に配ったという。なんと1年以上経過した現在でもこれを設置したままの店もあるとのことで、その効果の高さがうかがえる。 成熟産業、成熟商品であることを嘆いてはいけない。今回のケースは、商品開発の原点に立ち返り、研究開発、組織づくり、マーケティング活動に入念に取り組めば必ず「活路」があることを示してくれているのだから。 -------------------------------------- 早稲田大学社会科学総合学術院教授 野口智雄=文 ●のぐち・ともお 1956年、東京都生まれ。84年、一橋大学大学院博士課程単位修得。94年から現職。昨年3月まで2年間、客員研究員としてスタンフォード大学経済学部で研究を行う。主書に『マーケティングの先端知識』。 【関連記事】 ・ 意外と多い独身自炊派向けビジネスに脚光 ・ ネット媒体がカタログを上回った通販市場 ・ 「安い・近い・短い」で人気高まる都内観光 ・ 危機打開の武器「ジャパンクール」とは
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