美大生のネットワークウォークマンの中

エレクトロニカ、アンビエント、ポストロックなどを中心に

利己心をコントロールすること

人間って感情的な生き物だと思う、本当に。それに、人は責任を負いたがる生き物でもない。

某氏が以前、ブログで高速道路を運転しているときにトラック運転手から煽りや危険運転によって迷惑を被ったそうである。

「トラック運転手としてのプロ意識が全く感じられない」と発言していた。

これは誤りである。危険運転を平然とするような悪質トラック運転手はただ単に金が欲しくてトラックを運転しているに過ぎない(善良なドライバーはその範疇ではありません)。彼ら(全てのトラック運転手ではなく、その中にいる危険運転をしているものたち)に「プロ意識」や「与えられた仕事における責任」などという概念を持ち出して説教しても反省など全くしないだろう。

なぜか?自分は痛くも痒くもないからだ。

だから、トラックをはじめとした商業目的の車に適応される特別な法律を作り、全ての商業トラックに前後左右に視認可能な大きさの文字で運転手の名前と所属している会社の名前の掲示を義務付ければいいのである。そうすれば、被害にあった一般ドライバーが会社や警察に容易に苦情や被害を訴えられるだろう。

当然、煽りや危険運転をする商業ドライバーに対する法律も制定し、煽りや危険運転に対する、注意や勧告、厳しい罰金や免許取り消しなどの処罰を設ければいい。

そうすれば、問題は激減するはずである。では、これまた、なぜか?法律や罰則によって、人に迷惑をかける行為をすることで、自分自身が処罰され、自分が痛い目にあうからだ。

つまり、他人の迷惑になる行為をする=自分が痛い目にあう、という利己心をうまく利用し、社会の秩序を形成するのである。

もう一度言う。人は責任を負いたがらない。それどころか、自分には何の問題も責任もないと開き直るものさえいる。

だからこそ、責任はどこまでが当人の責任であるのかを明示した上で、無理やりにでも責任を負わせられるように、強制力があるシステムの中に組み込むしか術がないのである。

利己心は世界最強の本能である。利己心をコントロールすることが何より社会の秩序をもたらす最大の方法である。
  1. 2008/07/10(木) 20:33:23|
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  3. | コメント:13
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コメント

こんにちは。

フジイHさんのお話だと、トラックドライバーは、社会性に欠けた、規範意識のない、利己的な人がなるものという前提が生じてしまいます。

確かに人の行動原理を極限まで追い詰めていけば、利己で解釈できてしまうのかもしれません。しかし、人は虫けらではないのです。「単に金が欲しくてトラックを運転しているに過ぎない」などというのは、トラックドライバーに対して、あまりに失礼だと思います。プロとして、社会人としての期待があればこそ、プロ意識を問えるのではないでしょうか。またそのような期待があるからこそ、安心して暮らせるのではないでしょうか。

確かフジイHさんは、途中でおやめになったとはいえ、法学を学んだ経験がおありでしたね。だのにこのような意見を書かれるかかれるということは、そもそも法学や政治経済には向かなかったということかもしれません。

それはともかく、社会規範については、もう少しお考えになったほうがいいと思います。
  1. 2008/07/10(木) 21:18:37 |
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  3. A-WING #eBcs6aYE
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A-WING さん

>(全てのトラック運転手ではなく、その中にいる危険運転をしているものたち)という言葉をきちんと読まれましたか。

あなたに対する返答はこの言葉で全て解決します。

以前、報道番組で見たことがありますが、飲酒運転ですら、何の罪の意識も持たずにしているトラック運転手がいるわけです。当然のことながら、善良な運転手は批判の対象ではありません。

一般道での速度違反や煽り、信号無視、窓から顔を出して一般ドライバーを恫喝するような運転手なども取り上げられていました。僕自身、自分の経験からそのような運転手を見かけたことが多々あります。
これもあくまで問題のあるドライバーに対する意見であり、善良なドライバーを非難するものではありません。

僕の法律上の提案は当然のことながら、善良な運転手が何かしらの被害を受けるようなものでもありません。

とは言え、少し言葉足らずだったからかもしれませんので、修正しときます。

ちなみに僕は法律が専門ではなく、政治経済が専門でした。

一つ気になることがあるのですが、あなたが考える社会規範とは何でしょうか?思うに、それだけで十分白熱した議論が成り立つように思います。 そうではありませんか。「社会規範とは何か」という題で論文が書けそうですよね。

僕は件の報道番組で取り上げたようなドライバーにプロ意識を問うたり、期待するよりもそのようなドライバーがいなくなることが最善だと思っています。

期待することで悪質ドライバーがいなくなる論理的根拠を述べてください。そうでなければ、議論にはなりませんからね。

そのようなドライバーのせいで命を失った人たちもいるんですが、そのご遺族も納得できるようなご回答を聞かせてもらいたいものです。

それについての僕が提案する改善策はすでに書きましたから、もう一度読んでください。非常に現実的な方法を提案しました。

過去の失敗から、あらかじめ、言っておきますが、論理的な根拠をきちんと述べること。論旨を逸脱した人格攻撃や個人攻撃はしないこと。これは、議論の重要なルールです。それを守っていただいて、ご返答していただかなければなりません。

そんなルールなんて知らないとおっしゃられるなら、議論上のルールについて書かれたサイトをいくつか紹介します。

これは僕の主観的な印象かもしれませんが、A-WINGは少々感情的になっておりませんか。単純な読み落しもしているし。もしかしたら、僕に対して生理的嫌悪感を抱いていらっしゃるかもしれません(そこに至る経緯を勝手に推測することもできますが)。冷静になって、「なぜ」、と問いかけるように対話すれば、有益な会話ができるはずだと思います。

言葉足らずだったことは認めますし、ご指摘、感謝しています。
ただ、受け手の感想ですが、A-WINGももう少し言葉を選んで発言できたかもしれません。

例えば、<そもそも法学や政治経済には向かなかったということかもしれません。>という発言は完全に問題ありとは言えないかもしれませんが、論旨とは関係のない個人的な事柄を言及しているという点で議論上ではイエローカードです。

<それはともかく、社会規範については、もう少しお考えになったほうがいいと思います。>という発言も肝心の社会規範の定義について全く触れていませんし、社会規範について考えることが、この議論上で何の意味を成すのか、説明が不足しています。これもあまり好ましい表現ではありません。

「相互理解」。僕はこの言葉に強く引かれています。議論である以上、言うべきことは言わなければなりません。でも、その果てにいがみ合うというのは悲しいことですよね。

ネット上で、ある人物同士が汚い言葉を使って、いがみ合っているのをあなたも見たことがあるでしょう。それが、もし、民族紛争やテロリズムの縮図のようなものであるならば、僕はそこから手を引きたいと思っています。あなたもそう思いませんか。
  1. 2008/07/10(木) 23:34:00 |
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  3. フジイ #-
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こんにちは。

まず、「社会規範」は、正しくは「社会規範意識」ですね。ことば足らずですみません。

>>(全てのトラック運転手ではなく、その中にいる危険運転をしているものたち)という言葉をきちんと読まれましたか。

しかしフジイさんは、
>問題は激減するはずである
と書かれていますよね。なので私は、フジイさんが、「その中にいる危険運転をしているものたち」の数は激しく多いとお考えなのだろうと解釈しました。しかし、そうではないとのことでしたら、それは了解です。

>期待することで悪質ドライバーがいなくなる論理的根拠

根拠はありません。私が言っているのは、法はどう作られるべきかというお話だからです。

社会規範意識のお話と言うのは、簡単に言えば、「このような社会でありたい」と願う気持ちのことです。今回の例でいうと、「他のドライバーが怖いと思うような運転はすべきでない」という、トラックドライバーとしてのプライド、つまりプロ意識です。社会は、そうした人の善意に期待し、また善意を啓蒙することで形成していくのが理想です。

確かに、罰が世抑止力として働くという面はあります。しかし、「罰せられるからやらない」というような、エゴイスティックな価値観を法に組み込んでしまうのは、まずいと思います。法は「どのような社会であったらよいか」をうたう物であろうし、そうでなくてはならないと私は思います。

>例えば、<そもそも法学や政治経済には向かなかったということかもしれません。>という発言は

これは失言だったかもしれません。

ただ(これは老婆心からなのですが)、社会に出ると「君は向いてない」と言われることはしょっちゅうあります。特に創作系の仕事では、お約束のように言われます。私も何度言われたかわかりません。きっとフジイさんも、これから何度も出会うと思います。でも、自我を捨てて、相手に沿ってみると、意外と見えてきたりするものです。我の世界である芸術で忘我とは矛盾していると思われるかもしれませんが、そのうちおわかりになると思います。というか、そのようなチャンスが訪れることを、お祈りします。

>民族紛争やテロリズムの縮図のようなものであるならば

私はそうは思いません。具体的にどの例をさしているのか解りませんが、ネット上の喧嘩は、ただの喧嘩だと思います。民族紛争やテロリズムとは、背景事情がかなり異なると思います。
  1. 2008/07/11(金) 12:20:33 |
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  3. A-WING #dSu94uJM
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>問題が激減する

というのは、トラックの危険運転に起因する事故の件数が例年の割合から比べ、十分な減少を見込めるはずだという意味です。

規範意識についてのお話ですが、あなたが何がおっしゃりたかったのか、よく分かりました。
ただ、誤解されているみたいですが、大前提として法律は明文化された社会規範だと僕は思っています。

法律で「してはいけないこと」と定められたことは、社会的に、倫理的に、道徳的に悪いことだからしてはいけないことだという、大前提があるわけです(悪法というものもありますが、ここでは例外とします)。

トラック運転手には大きく分けて3種類の人間がいます。善良なドライバー、悪質なドライバー、その中間のグレーゾーンのドライバー。

僕が提案した法が施行されれば、法として明文化されているが故に、善良ドライバーは自分の仕事に対するプロ意識や責任にさらに自覚的になってくれるはずです。

白に近いグレーゾーンのドライバーもまた、法律として明文化されることで、プロ意識や責任に対して自覚的になり意識が改善されていくでしょう。

問題なのはブラックゾーンの悪質ドライバーです。彼らは子供ではありません。社会人です。
危険運転が悪いことであるというのは、当然分かっています。それでも、危険運転をやめないのは、ブログで書いたように「自分は痛くも痒くもないから」です。
彼らを意識改革していくのはとても困難であったり、実質不可能に近い場合が多いでしょう。

だから、エゴイスティックな価値観などではなく、「人に迷惑になる行為をすると、それは必ず、自分自身に跳ね返ってくる」ように、法律で彼らを取り締まり、規範意識に気づかせるわけです。
僕の言う利己心をコントロールするということはそういうことです。

それでも、改善の見込みがないものは、最終的に免許を剥奪されるというシステムも組み込んであります。
理論的には、割れ窓理論と厳罰化を応用したようなものです。

最終的に悪質ドライバーが一般人が死亡するような大事故を引き起こす前に、食い止めようとすることで、被害者も加害者も減らすことができます。十分、社会秩序とも社会規範意識とも同調するものだと思いますが。

>社会に出ると「君は向いてない」と言われることはしょっちゅうあります

ですが、手短に言いますと、あなたの推測と異なり、僕自身、これまで色んな人から否定的な発言をされてきました。
その人が言っていることが正しいのか間違っているのか、自分で考えて精査すればいいだけの話です。鵜呑みにするのが一番危険です。

僕がブログで紹介した、スティーヴ・ジョブズの演説は見ましたか。彼は他人の発言を「ノイズ」と言っていました。自分の直感や信念を従うことが何より重要と説いています。

いずれにせよ、議論の場において、公共性にも乏しく、普遍的な答えがあるというものでもなく、望ましい話題ではありません。個人がそれぞれ自分で判断すればいいだけですから。

>ネット上の喧嘩は、ただの喧嘩だと思います。

これも論旨とはあまり関係のない話題ですから、手短に。

ただの口論がエスカレートして殺人に至るケースもある。
人間には攻撃本能や闘争本能のようなものがあり、人が罵り合っている様子が種火や煙のようなものだとすると、戦争はその末路のようなものだと感じています。

ただの口論も戦争も共に人間の攻撃本能や闘争本能に根ざしており、僕はそこから距離をおきたいと思っているという、個人的な見解を述べたまでです。
  1. 2008/07/12(土) 13:16:40 |
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  3. フジイ #-
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>問題なのはブラックゾーンの悪質ドライバーです。

「捕まるのは運が悪いから」とか「たまたまだ」って平気で言っちゃうような人達による事故をどうやって防ぐかは、難しい問題ですね。
それこそ、運悪くそういう人に出会わないように、被害者になる立場のほうが気をつけるしかないような状況が、なんともやるせないですね。

>スティーヴ・ジョブズの演説は見ましたか。

あれは有名な演説なので私も知っていますが、私にはあまり響きませんでした。というのは、彼は、事の半分しか語っていないからです。

自分の信じた道を追いつづけろというメッセージは、万人の心に響くものですが、本当は彼も、緻密な計算を行っていたはずです。
世の中が何を必要としていて、そこにどんな石をなげれば、波を起こすことができるか。
それをしっかり見極めたからこそ、あの斬新なインターフェイス設計があり、業界で長くデザインリーダーのような立場を続けることが出来たはずです。

結局、彼の信念も直感も、他者の声を踏まえた上でのもののはずです。マーケティングをおろそかにして作ったものが、一度ぐらいはまぐれ当たりで成功しても、次も同じ手で成功するとは限りません。才能と運だけでやっていけるほどビジネスの世界は甘くないし、そんな会社に投資するような投資家はいませんから。「ローマは一日にして成らず」です。

戦争とテロについて。

現代の戦争は、喧嘩のような感情とは別の理由で発生するものです。国際法上も戦争は「外交手段の一つ」と位置付けられています。現代の戦争は、わりと冷めた理由で始まるものなので、喧嘩の延長で考えようとすると、かえって原因が解りにくくなります。

テロはさらに事情が複雑で、信念に基づいている者もいれば、内面に問題を抱えていて破滅的行動に走っているもの、テロ組織を商売としてやっているもの、食い物がもらえるから入っている者など、さまざまのようです。とくに最近は、感化されやすい未熟な少年を引き入れる例が増えていて、国際的に問題になっているようです。またそれに絡んだ人身売買もあると、なにかの記事で読んだことがあります。
  1. 2008/07/12(土) 15:27:02 |
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  3. A-WING #eBcs6aYE
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論旨以外の話題については、僕は元々議論するつもりがありませんので、ご意見の一つとして受け止めておきましょう。

ただし、議論においては、なじみやすい議題となじみづらい議題、または避けるべき議題というものがあります。

そのことについて、時間があれば、今後、記事で取り上げることにします。
  1. 2008/07/13(日) 18:08:22 |
  2. URL |
  3. フジイ #-
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何度か読み直しましたが、やはり議論として、いくつか問題があると感じましたので、追記しておきます。

既に書きましたが、ブログでは論旨とは関係のない個人的な事柄を言及して批判することは健全な議論の進行を阻害してしまいます。

<法学や政治経済には向かなかったということかもしれません>は失言だったと認められましたが、その後で「老婆心」や「社会に出ると」という言葉を使われ、また論旨と関係のない個人的な思想や考え方について再び言及してしまっています。これは第三者から見ると、反省をせずに、また同じ発言を繰り返しているように見えてしまいます。

A-WINGさんに悪気はないでしょうし、善意で発言されていらっしゃるのでしょうが、人によっては、この手法を悪用して、何かしらの理由付けをして、議論上での個人攻撃を正当化して、批判してくる人物が現れる可能性があります。

ですので、今後は基本的に理由の如何に関わらず、論旨と関係のない個人的な事柄を言及することは「認めない」方向でブログを運営したいと思います。

ちなみに、教師とか政治家といった社会的な責任が生じるような職にある人の発言の場合は、職責や教員倫理といった別の概念で、個人的な事柄を言及することが議論上、妥当なケースもあります。ただし、特別な事情がない限り、基本的には論旨についてのみ、議論しあうというが、鉄則です。

議論は基本的に、年齢や職業の如何に関わらず、皆平等に扱われなければなりません。

上からの目線で、「向いてないと言われた時は私に言われたとおりにしなさい。そのうち言っていることの意味が分かるよ」的な発言はこれもやはり、例え、善意で発言していても、言われた側は不信感を抱きます。ネット上の場合、相手の顔も見えずに、相手が誰なのかも分からないわけです。そのような人が安易に個人的な事柄について助言すべきではないかもしれません(長年、やり取りがある信頼関係に基づいた間柄なら別でしょうが)。それに、万人が納得できるような論理的な根拠がありません。やはり、議論では避けるべき発言です。

憲法で規定されている「自由権」はご存知ですか。自由権の中には思想、良心の自由があります。さらに細分化すると、それは、個人の考え方、信条、人生観などに対する自由でもあるわけです。

「人に向いていない」と言われたときに個人がどう考えるかは、憲法によって自由であるべきだと保障されている個人の自由意志であり、そのことについてどちらが正しいかどうか、議論するということは、議論になじまないのです。つまり、人権に抵触する行為、または、人権に対する干渉行為でもあるでしょう。

例外として、公共の福祉に反する場合、つまり、権利同士がバッティングする場合は、権利が制約されても良いとされています。
いくら、言論の自由が認められていると言っても、「殺す」とか、名誉毀損に当たる発言をすれば、罰せられますね。そのようなケースが例外に当たります。

そもそも、「人に向いていない」と言われて、どう考えるかは、100人いれば、100通りの考え方があるというのが、当然だと思います。

その他に、気になっていることとして、こちらの主張を読み落としていることから生じる発言が、いくつもあったということ。どこまでが僕の説明不足でどこまでが読み手の読解力不足であるのか、判断するのは難しいですが、

<フジイHさんのお話だと、トラックドライバーは、社会性に欠けた、規範意識のない、利己的な人がなるものという前提が・・・>はやはり、読み落としが原因で発言されているとしか思えないのです。他にも、こちらの主張をきちんと読んでいただけているのだろうかと、疑問に思うような記述がいくつかありました。

相互理解について、例として挙げた、争いごとから距離をおきたいという発言も、こちらの意図を全く理解していただけてないため、後でかなり長ったらしい文章で、噛み砕いて説明する必要があるようです。

論理破綻について、

「人に向いてない」と言われて従うことと、スティーヴ・ジョブズがマーケティング戦略を立てることは全く別のことだと思います。

ちなみに、僕は人に何かを言われたときにどう考えるかは人それぞれであるという例として、スティーヴ・ジョブズを引き合いに出したのです。

「向いていない」と言われてどう考えるかの例として、言及するならば、マーケティング戦略を例に挙げるより、ジョヴズが事業を始めたときに人から「君は事業に向いてないから、やめたほうがいい」と言われたときに彼がどう考えるか、とか、彼の場合、一度会社を首になっており、役員とトラぶったことがありますよね。その時に「お前は経営者に向いていないから、この会社から去れ」と役員から言われたことがあるかもしれません。その時に彼がどう考えたということを引き合いに出すほうが妥当だと思います。

最初、人に向いてないと言われて従うことが良いといってらっしゃったのに、途中から「他者の声を踏まえたうえで」と主張が都合よく、すり替わっていて、ちょっとずるいんじゃないかと思いました。

最後に肝心の論旨ですが、よくよく考えると、僕に対して反論はされていますが、現実的な代替理論を一つも提示していないし、結局、僕の主張の論理的根拠の整合性を証明しただけのように思います。
果たして、建設的な議論だったのだろうか、という疑問が残ります。反論、反証は決して悪いことではありませんが、僕が発言するたびに、間違っているとかおかしいと主張するだけというのは、公正さに欠けるのではないでしょうか。僕にだけ負担がかかり、批判する側はとても楽なだけな気がします。

理論を批判するなら、代替理論を最低一つは提示するのが、反論、反証する側の人物の責任ではないでしょうか。
  1. 2008/07/17(木) 19:49:52 |
  2. URL |
  3. フジイ #-
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記事と関係のない話はするなとのこですので、危険運転の防止についてのみ書きます。

>こちらの主張を読み落としていることから生じる発言

ですから、「激減」という表現から類推したと申しました。そして「そうではない」とのことですので、数の問題についてはそれで終わりだと思ったのですが。

>現実的な代替理論を一つも提示していない

これについても既に書きましたが、私は、法はどう作られるのがよいかというお話をしています。

フジイさんの主張には、乱暴な運転をしてしまう人への啓蒙や教育といった意義は含まれていませんよね。端的にに言えば、そういう人達を見限って、啓蒙や教育の環から排除してしまうお話になっています。私は、そのような排他的な考え方に基づいて法を作るのはどうなのかなと思ったので、そのことを書きました。

すこし引いた話をすると、フジイさんの主張は、法学で言うところのいわゆる「(荀子のではなく、誤用のほうの)性悪説」です。私の主張は「性善説」です。アメリカの法は「性悪説」に基づいているようですが、日本の法律は、罰則のない禁止事項や努力目標的な条文が多数あることから解るように、「性善説」が前提になっています。
かといって法律は、ベストではなくベターを求める話なので、どちらが良いという話にはならないと思いますが、少なくとも性悪説原理主義的な作り方は、良くないかなと私は思います。
  1. 2008/07/20(日) 13:03:33 |
  2. URL |
  3. A-WING #eBcs6aYE
  4. [ 編集]

>ですから、「激減」という表現・・・

読み落としまたは、都合が悪い主張の読み飛ばしから生じる発言がいくつもあったものの、それらをいちいち取り上げるのが面倒だっただけです。

運転免許の概念について

運転免許とは、交通ルールに基づく運転技能と学科試験をクリアしたものだけに特別に政府から許可されたものです。つまり、特別に認められた以外のものは運転してはいけないものなのです。

危険運転は、当然、現行法の「減点」の対象となります。減点による免停、免許取り消しは、現行法でも普通に行なわれています。
ですので、僕の主張がおかしいと言われても、既に現行法で実施されているやり方で、世界中の国で導入されていますから、「僕の主張」という括り方は理解しかねます。僕の主張はその従来の手法を少し変えたやり方でしかありませんからね。

言語矛盾について

啓蒙とは、無知な人々に、これまで知らなかった概念や思想を教え、諭すことを言います。
危険運転が悪いことだと知らずに運転しているものなどいませんから、言語矛盾します。

教育するという発言も使われていますが、これもおかしいです。免許取得者は既に、自動車学校で教育を受けています。教育されていないことが問題ではなく、その反社会的な性格、人間性が問題なのです。

啓蒙、教育という言葉を使うより、更生という言葉を使うべきだと思います。

排他的という言葉も使われていますが、既に書いたとおり、運転免許の概念が、特別に許可されたものにだけ、というものですから、排他的という言葉は論拠にはなりません。

僕は文中で性善説も性悪説もあなたの言う意味不明な間違った性悪説も一切主張していませんので、、性悪説原理主義などと言われても困ります。おそらく、運転免許の概念を理解していないから、このような発言をされたのでしょう。

僕の考えは、一時期、社会問題として、クローズアップされ、問題視された、危険運転をしているトラック運転手による交通事故被害をどのように防ぐか、自分が政治家の立場になったとして、論じたものです。
別に、倫理上問題があるような法律を提案したわけでもありません。

現代社会では、法律は、何より、実質的な効力というものを求められます。また、法律を制定する政治家も、成果においてのみ、評価されるものです。

法律を作るにあたっても、社会心理学や社会科学理論、集団力学など様々な理論に基づいて考え出され、提案されたものが、優れた効果をあげています。

僕の考えが間違っている、おかしいと言うならば、あなたが正しいと思っている考えに基づいて、具体的にどうやって、行政上、法律上、危険運転者を啓蒙、教育(?)し、例年の事故件数からの明確な削減を数値目標にもかなうように実現するのか、その具体的な手段、理論を提示してください。

それができなければ、ただ、人の主張の批判をしているだけで何も考えてないのと一緒だと思いますが。このやり取りを見ている第三者を説得することもできませんよ。

最後の一言。

このような社会問題について論じる場合、最優先されるべきは事件・事故の被害者の命、ご遺族の永遠に消えることのない苦しみ、悲しみです。

なぜ、あなたが、運転免許の概念に背く危険運転者を過剰に擁護し、被害者を蔑視するのか理解しかねます。

あなたは正しいとか間違っているという価値判断をする際に、天秤のはかりの上に必ず、被害者の命とご遺族の苦痛、悲しみを乗せなければなりません。
それをしないから、自分が正しいと思い込んでしまうのです。
よくよく考えてみると、あなたは被害者やご遺族の立場から、この問題を言及していることが全くありませんよね。

傷つく人や悲しむ人、傷つける人、悲しませる人がいなければ、法律なんて必要ないんです。

罰則は抑止力としてだけでなく、被害者やご遺族の苦痛、悲しみ、怒りを静めるためにもどうしても必要なものなのです。
彼らは一様にこう言います。「自分たちと同じような苦しみを味わうような人が少しでも減って欲しい」と。

そのために、法を定めるものがどうすべきかの責任、義務について真剣に考える必要があるのです。

これでもまだ、僕に反論したいというのであれば、代替の具体的な解決策を提示してください。
それ以外のやり取りは、どうせ、堂々巡りのような不毛なやり取りにしかなりませんので、あなたが何か反論を書き込まれても、返答を拒否します。
  1. 2008/07/23(水) 03:33:32 |
  2. URL |
  3. フジイ #-
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お久しぶりです。

まずはじめに、corvoさんのブログからこられた方の件は、この話とは関係ありませんよね。当人を通り越して、この件と関係の無い第三者を批判するのは、非常に失礼ではないかと思います。

次に、corvoさんと私のやり取りは、その全てがあなたの目につくところで行われているわけではありません。時に激しい意見交換もあります。例えば著作権とその利潤に関しては、立場を異にしています。彼はクリエイターであり、私は商売人ですから、当然のことです。しかしお互いの立場は認め合っています。

また、corvoさんは「大学中退は根性なし」とはおっしゃっていないと思います。フジイさんの現在までの経緯説明について、言い訳になっていると思われたから、あのように書かれたのではないでしょうか。というのは、私もそのように感じたからです。
この件についてもはや多く語ることはしませんが、一つ言っておくと、自分にとって得るものががないと思ったら、黙って部屋を出ればいいのです。そこに得るべきものを見出し、積極的に掴み取ろうとしている人や、なにかを得た人達を否定してしまうような批判は、するべきではありません。

さて、本題ですが、結論から申しますと、私は、フジイさんとすべきやり取りは、もうないと思っています。理由は以下のとおりです。

まず、数の誤解の件は、お互いに表現と読み方にミスがあったことを認めた時点で、終わっています。この点で私の謝罪が足りないとお考えなのであれば、改めて、私の誤読を認めるものです。

次に具体案の件について。私が批判したのは、フジイさんの考える、法を作る際の心構えについてであって、具体案の話ではありませんでした。そしてそのことは、フジイさんも理解されました。さらにフジイさんから、論旨以外の議論をするつもりはないと言われましたので、この件もそれで終わりです。

最後に、その他の件については、上でも書きましたように、フジイさんは、論旨以外の議論をするつもりはないとおっしゃったし、さらに、

>これでもまだ、僕に反論したいというのであれば、代替の具体的な解決策を提示してください。
>それ以外のやり取りは、どうせ、堂々巡りのような不毛なやり取りにしかなりませんので、あなたが何か反論を書き込まれても、返答を拒否します。

と、拒否宣言までされました。よって冒頭に書きましたように、私がフジイさんとすべきやり取りは、もうないと思います。

以上です。

  1. 2008/08/20(水) 22:00:58 |
  2. URL |
  3. AーWING #-
  4. [ 編集]

取り急ぎ、失礼します。議論は成立しない。これが今のところの結論です。

議論をしている以上、議題の他に、議論のルールやモラル、「姿勢」は議論で取り上げるべき内容に含まれるというのが自然ではないですか。
cさんのブログがその温床になっている可能性があるということで、彼について言及するのも妥当とそのときは判断しました。

とは言え、問題があったと反省し、該当の部分を削除しておきました。つい、感情的になってしまったと思います。すいません。

>また、cさんは「大学中退は根性なし」とはおっしゃっていないと思います。

http://www.studio-corvo.com/blog/karasu/archives/2007/08/post_338.html#comments

言ってますよ。ただ、「大学」ではなく「学校」という表現でしたが。学校に大学は含まれるはずだし。それに「言い訳」発言は何度もしてますよね。

cさんへ

あなたが頻繁に僕のブログへアクセスしているのは知っています。

どなたかのブログで僕についてのあなたの感想をお読みしました。少しは反省されているのかもしれないと思っていただけに、大変失望しました。

どうやら、これは数十年に及ぶ確執になるかもしれませんね。

一連のやり取りに関する僕の疑問は進路が決定したら書かせていただきます。

その後のやり取りは、僕が実際にプロの画家になってから始めたほうが良いようです。そうでなければ、とても公正なやり取りはできない。

僕が誰かや学校のせいにして、「美術教育批判をしている?」あきれてものが言えない。第一、僕は画家になる気満々ですよ。 僕が学校や人のせいにして「そのせいで自分が画家になれない」なんて発言は一度もしていません。旧ブログを読み直してください。

荒木慎也さんや山下裕二さんもあなたが考える、僕と同じ理由(言い訳)で美術教育の批判を書かれているんでしょうかね。

さて、最後に一言言わせてください。自分の発言には必ず責任を持ってください。
僕がプロの画家になって一定の影響力、発言力を持ってから、あなたの発言を公の場で必ず取り上げます。その時、議論しましょう。

それと、僕はあなたを「イラストレーター」と認識しています。同じ美術とは言っても、「ジャンル」が全く違う。
あなたが、東京藝術大学、大学院で「油絵科」に在籍し、今と全く異なるコンテンポラリー系の作品を制作していることも考慮し、あくまでイラストレーターと認識しています。

そのことを批判するつもりは毛頭ありませんし、イラストレーターを目指している学生からすれば憧れの存在でしょう。
ただし、ジャンルが違うという認識は「油絵科」出身の方なら理解してくださるはずです。
  1. 2008/08/20(水) 22:01:58 |
  2. URL |
  3. フジイ #-
  4. [ 編集]

追記します。異論、反論があれば書き込まれてもかまいませんが、返答を強要はしません。

>数の誤解の件

一番最初の誤読の件は無視ですか。

>次に具体案の件について。私が批判したのは、フジイさんの考える、法を作る際の心構えについてであって、具体案の話ではありませんでした。そしてそのことは、フジイさんも理解されました。さらにフジイさんから、論旨以外の議論をするつもりはないと言われましたので、この件もそれで終わりです。

「フジイさんの主張には、乱暴な運転をしてしまう人への啓蒙や教育といった意義は含まれていませんよね。」とあなたは書かれています。これは具体的な方策に対する批判です。「法を作る際の心構えについてであって、具体案の話ではありませんでした。」というのは明らかに矛盾しますし、言い訳だと思います。

それに僕は旧ブログで、考え方を異とする方や思想の異なる方の反論はお受けしないと書いてましたよね。そのルールにも反しますよ。

「フジイさんも理解されました。」とおっしゃってますが、誤謬があまりに多すぎるため、それら全てを取り上げていないだけで、同意はしていません。

啓蒙、教育すべきと発言しているため、その発言に対する具体案を書かれるのが、僕は発言者の責任だと認識しています。

はっきり言って、今回のやり取りは本当に疲れました。

基本的な見解を異としている人とは「議論は成立しない」とつくづく実感しました。
今回の失敗から学ぶ点も大いにありましたが、疲れましたよ、本当。

また、後で記事として考えをまとめます。後、反論は受け付けないとブログに明記しておきます
  1. 2008/08/20(水) 22:02:45 |
  2. URL |
  3. フジイ #-
  4. [ 編集]

>考え方を異とする方や思想の異なる方の反論はお受けしないと書いてましたよね。そのルールにも反しますよ。

そうですか。ではなおさら、これ以上あなたとやり取りする意味はありませんね。私はあなたではありませんから。

  1. 2008/08/20(水) 22:03:33 |
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  3. AーWING #-
  4. [ 編集]

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