第3話 愛情



季節は秋。
そろそろ、皆も受験を意識した生活に変わっていく。
この地域には、高校というものはない。
高校へ行くのであれば、皆都会へと移っていかなくてはならなかった。
農業を継ぎたいという意思の強い生徒は、農業高校へ、今時の人のように
大きな夢を持って生活したいという生徒は、都会の有名高校へ行きたいといった
声も聞こえる。



安部家の夕飯での会話である。
「敦君は、東京へ戻るの?」
「戻らない。」
両親への強い恨みをいまだ持ち続ける敦は、高校には行くつもりはないらしい。
「ねぇ、そろそろ進路面談をしたいと思うの。
 ご両親呼んでも、いいかしら?」
さすが安部先生。
進路面談をしたければ、そのまま敦の了解を得なくても
呼び出せばいい事だ。
むしろ、この話を敦にしても、答えは一つしかないはずだ。
それを、あえて聞くのが、安部先生のいいところなのだろう。


「こねぇよ、俺なんかのために。」
敦は、少しいらついた口調で・・・しかし、どことなく寂しげな口調で
そう答えた。

「そう、じゃいちお聞いてみるわね。」
「・・・。」
少し意外だった。
返ってくる答えは、「あんな親になんか来てもらたくねぇ。」
というものだろうと予測していたからだった。
何か、この北国での生活で、少しは敦の気持ちっも何か変化があったのかもしれない。
「そういえば、お姉さんはどうしているの?」
ふと、気になった安部先生の母親が尋ねた。
「あぁ・・・知らない。
 とりあえず、生きてはいるんだろうさ。」
どちらかというと、両親の話をする時よりも、怒気を帯びていたのは、姉の話の時
のように思えた。




次の日、早速安部先生は敦の両親に電話をかけた。
「あ、敦が来てもいいって言っていたんですか?」
終始こちらの言動を伺いながら尋ねてくる敦の母親の態度に、
安部先生は、やはり両親は敦に怯えているのだと確信した。
「あ、来る事に反対はしていませんでしたよ?」
安部先生は、その事だけを伝えた。
「・・・分かりました。あの、三者面談になるのでしょうか・・・?」
恐る恐る尋ねる母に、先生はこう答えた。
「できれば、そうしていただければと思うのですが、
 もし都合がよくないという事でありましたら、別々でも
 構わないと思っています。」
「分かりました。では、別々でも、いいですか?」
「はい、もちろんです。」



その場は、それだけの会話で終わった。
敦の母は、明日の朝早くに来るとの事だった。
「敦君、お母さん明日来るって。」
「・・・。」
聞いているのか聞いていないのか、ちらりと先生の方を見て
すぐに敦はその場を後にした。



「倉田君の、ご両親くるんだね。」
少し歩いたところで、クラスメイトの男子にそう言われた。
「母親が、来るらしいね。」
「君、ここに来た頃、両親に対して激しい恨み持ってた作文書いてたでしょ?
 あの気持ちってまだ変わらないの?」
普通なら、この事を口に出されると激情してしまう性格の敦のはずだったが、
今話をしている生徒、それは転校してきた時に真っ先に話しかけた木島 充だった。
彼は、なぜか他の人間とは違った。
彼が話していると、どうしても怒りの感情が出てこないのだ。



彼は、足に障がいを持っている少年でもあった。
車椅子がなければ前に進む事もできない。
なぜ、そのようになったのかは、この地域の誰もが知っていたが、
誰もその事に関しては、外部の人が話をしても、教えてはくれないのだ。
敦は、その事をたまに思い出しては、クラスメイトに尋ねるが、誰一人口を開く者はない。


「・・・変わらない。俺は、両親だなんて今は思っていない。」
「そう・・・。」
充は、寂し気な顔をするも、すぐ笑顔に戻り、話を続けた。
「でも、紛れもなく育ててくれた人たちなんだから、親には変わりないでしょ?
 どんな事情あるのかはわからないけど、その事情の裏にある人の気持ちを
 君は知ったほうがいいのかも知れないね。」
「何それ・・・。」
「僕の意見だからね、特に理由はないよ。」
終始微笑みながら充は去っていった。
『事情の裏にある・・・人の感情・・・?』
何を言っているのか、敦には全く分からなかった。
事実は事実じゃないか。
人の感情が何に左右されると言うんだ?
敦は、きっと今こう思っているに違いない。




次の日になり、敦の母が東京からやってきた。
「どうぞ、お座りください。」
安部先生は優しく迎え入れた。
「遠くから、わざわざありがとうございました。」
「いえ、こちらこそ、敦を遠くから来させたのに色々とすいませんでした。」
色白の細身の女性であった。
とても優しそうな人である。


話は、本題に入る。
「敦君の進路の話なんですが・・・。」
「はい。」
「この地域には、高校はありませんし、やはりご両親の住んでいる場所が
 東京であれば、東京に戻るのが最良の選択だと思うんです。
 敦君の成績は、そう悪くありませんし、これからの受験時期を
 きちんと勉強していけば、東京の高校でも十分やっていけると思うんです。」
その言葉に少しホッとしているような母親だったが、やがてこう言った。

「敦・・・もう私達の家には、戻ってこない気がするんです・・・。
 だから、敦の行きたいところに行かせてあげようと思うんです。」

養育拒否なのだろうか・・・いや、それとは違う感情のように聞こえた。
「あの・・・もしよろしければ、事情を伺えますか?
 私達も、転校初日に彼が書いた作文を見て、
 ずっと気になってはいたんです・・・。」
安部先生は、母親の様子を細かく見ながら、慎重に質問した。
「別に・・・何でもないんです。」
「敦君、こんな作文書いているんですよ?それでも何もないと?」
優しい口調を崩さず話している先生だが、表情は真剣だった。
先生は、転校初日に敦が書いた作文を母親に見せた。
「・・・。敦がこんな文章を・・・。」
「はい。」


ガラッ。
その時だった。
急に教室のドアが開いて、人が入ってきた。
敦だった。
「あんたが、話せないなら、俺から話そうか?」
どうやら、どこから聞いていたかは定かではないが、
二人の会話を廊下から聞いていたようだ。
「敦・・・。」
「あんたも、常に俺に申し訳ない気持ちで過ごしてきたなんて
 思ってたのかもしれないけど、それなら俺は生んでもらわないほうがよかったんだよ。」
「敦君・・・それって・・・?」




敦が事情を伝えた。
「俺は、この二人の本当の子どもじゃない。
 正確に言うと、俺の祖父が俺の母親を暴漢して、できた子が俺。
 はっきり言って、そんな現状ってありえねぇよ。
 知的障がいを持ってこなかっただけ、まだよかったようなものの、
 この一家全員を呪ったね、その話を聞いたとき。
 何もしらないで、ぬくぬく幸せぶって育ってきた自分が腹立たしかったよ。
 自殺だってしようとしたさ。
 でも、それって自分に負けた事になるだろ?
 それなら、いっそこいつらを殺してやろうと思っていたんだよ!」




あまりにも、通常では理解しがたい現実だった。
それで、これくらいのはみ出し方で生きてきた敦も凄いとも思えるのであった。
「敦君、お姉さんいるって言ってたわよね・・・?」
「あぁ、いるよ。姉は、子どもがなかなかできない両親が
 意を決して作った人工授精の子だそうだよ。
 だから、産んだ母親は、また違う人なようだよ。」
この家庭は、どこまで複雑な事情が絡み合っているのだろう・・・
安部先生は、怖くなった。
でも、教師はそこですくんでしまってはいけない。
そう思うところが、先生の強さだった。
「本当は、顔も見たくなかった。
 影でお金だけ送っていれば、両親面できると思ってんだろ?
 金だけじゃ、両親なわけねぇだろ!?」
そういって、敦は走り去っていった。



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