それから1週間ほど経ってもまどかは学校へは姿を現さなかった。
私はまどかの家を尋ねたかったが、場所を教えてもらった事がなかった為、
行く事はできなかった。
ただ、家で心配をしている事しかできなかったのだ。
これだけ休むなんて、何かよくない事でもあったのだろうか・・・。
いつも、笑顔で接してくれていたまどかだけに何かあった時の
彼女の精神力というものにはとても心配するものがあった。
よく考えてみたら、最近の彼女には、笑顔の中に憂いも混ざっていたように
思えた。
何か心配事ふがあるなら言ってくれたらよかったのに…。
私は、自分のふがいなさにいらついていた。
一方で私にはもう一つ、解決したい悩みがあった。
そう、それは私をいじめていた棟崎さんの事だった。
棟崎さんも、あれ以来休学ということで学校には来ていない。
いじめを受けていたときは勿論悲惨な毎日であったし、何度も
殺されるといった恐怖を感じたものか・・・。
でも、今となって考えると、彼女にもそれなりの悩みがあったに違いない。
今なら、彼女を受け入れられるのかもしれない…そう思っていたのだ。
私と棟崎さんは、いじめっ子/いじめられっ子の間柄ではあったものの、
クラスは今まで違えたことはなく、言ってみれば一緒に成長してきたのだ。
お人よしと言われればそれで終わってしまうだろうし、私も言い返しようがない。
棟崎さんは、もしかすると何度も私を本気で殺したいと思ったのかもしれない。
そんな彼女の事を思う事自体間違っているのかもしれない。
でも私には、今思うこの気持ちをそのまま胸に秘めておく事はとてもできない。
ある日、私は気持ちを抑えきれず、ある決意の元棟崎さんの自宅の前に出向いた。
いじめられていた人間がこんなところに来て、家に招き入れてもらえるだろうか。
棟崎さんの家は、豪邸。
突然お邪魔してもよいものだろうか…。
自宅前でいくつもの悩みをかかえながら私は考え込んでいた。
その時だった。
私の目の前に棟崎さんの姿があった。
彼女は私を見つけたとたん、逃げ出した。
ここで話をしなければ、絶対に後悔してしまう…そう感じた私はすぐに後を追った。
どれぐらい走っただろうか。
お互いに余力を使い果たし、足元がふらついていた。
しばらく走った後、私が初めて如月さんと出会ったあの私の大好きな河原で倒れこんだ。
棟崎さんは黙ったままだった。
「ねぇ、いつ来るの?学校。」
私が尋ねると、棟崎さんは凍りついた目で鋭く私を睨みつけた。
「あんた、何が言いたいわけ?私にお情け?」
久しぶりの声だった。
相変わらずの憎まれ口だが、とても嬉しかった。
棟崎さんは、以前に比べ、やせ細って体調も悪そうだった。
「あんた、何なの?私が休学になって、私の落ちぶれた顔でも見に来たの?
よかったわよね。私が休学になれば、私についていた仲間もきっと私から離れているでしょうよ。
もういいでしょ?もうどうせ学校になんて行かないだろうし、いくとしてもあんたと一緒の学校に
なんてもう行けっこないんだから。」
「どうして?どうして来れないの?」私は、行けないという意味が今いち理解できなかった。
「あんた、ホント馬鹿ね。呆れるわ。」そう言って、彼女は詳しく説明してくれたのだ。
「なんで、あんたに説明しなきゃいけないのよ!分かるでしょ?あんたをいつもいじめていた事を
クラスで知らない人なんて誰一人としていないのよ!?」
棟崎さんの目には涙のようなものが浮かび上がってきていた。
「突然の休学なんて、明らかに私のいじめに対する処置としか捉えないでしょ!?
それで、復学してどう生活していけると思う?」
普通に考えると、自業自得だ・・・あんたがいじめさえしなければ、そんな自分を追い込めてしまう事も
なかっただろう?そう思われてしまうだろう。
でも、私の答えはこうだった。
「私ね、ずっといじめられ続けてきたけど、棟崎さんの事どうしても嫌いになれないし、恨めない。」
「?」棟崎さんの顔には明らかに困惑の表情が出ていた。
「知ってる?私たちって、幼稚園の時からずっとクラスが一緒なんだよ?
いじめが始まったのはすぐ1年もしないうちからすぐだったよね?でも、私は恨むどころか
棟崎さんのこと、好きだったよ。」
「あ、あんた正気なの?どこの世の中に自分をいじめる人が好きだって言うのさ・・・。」
今にでも倒れてしまいそうな華奢な体になっていた棟崎さんの言葉には、いじめの全盛の時のような力がない。
「そう。普通は、いじめていた人を好きになんてなるはずない。私でもおかしいと思うもん。
でもね、これは本当の気持ちなの。だって棟崎さんも、私と同じなんでしょ?」
ふいをつかれて、棟崎さんはたじろいた。
「え?」
「棟崎さんも、いつも一人だったんだよね?孤独だったんじゃない?」
「・・・。私は一人じゃない!」急に口調が強くなる。
「棟崎さんの今のお父さん、本当のお父さんじゃないんでしょ?それをクラスのみんなが
知っていたのを分かっていた。みんなの冷たい視線を感じて自分の殻に閉じこもっていたんだよね?」
これは以前、卒業した幼稚園の先生が当時を振り返って私にふと喋ってくれた時に知った事だった。
そこから、私の棟崎さんへの感情の変化があったのだ。
「私も、ずっと孤独だった。どこにいても私を認めてくれる人がいない。
その事に絶望感を感じていた頃に、棟崎さんが私に目をかけるようになった。
それでいじめが始まったんだよね。小学生の前半まではそれがとても苦痛で、何度も死のうと思った。
誰にも悩みを話せなくて、ただ毎日いじめられる為に学校へ行って・・・。
小学生の時には、自分の過ちで親を苦しめた事もあった。
そういったこともあって、追い詰められていたの。けど、ある時ふと思ったの。
いじめという非情な場ではあるけれど、私の存在を確立させてくれるのは、棟崎さんだけなんだって。
棟崎さんだけが、私に対して話をするし、いつも私に目を向けていた。
それがいじめであっても、生きていると思えるのであれば、それはそれにすがるしかないんじゃないかって。
もちろん、常識からずれた認識だと言う事は承知の上で、ある日をさかえに思うようになったの。
それからは、棟崎さんという人はどういう人なんだろう・・・とか考えてしまうほどにまで、
棟崎さんの事を気にしてた。
だから、私、棟崎さんを責めにきたわけでもなんでもないの。ただ、今度は普通のクラスメイトとして、
一緒にいたいなって思って・・・。」
棟崎さんは、しばらく考えていた。
「棟崎さん、学校に戻ってきて。」
「できるわけ・・・ないでしょ?私が何をしていたか、それで何でこうなっているのか分かるでしょ?」
彼女は私に背を向けながら話を進めた。肩の動きから見て、彼女は泣いているのだろう。
「だからウザイって言ってるのよ…あんたは。」おもむろに彼女は今までの心境を語ってくれた。
「藤埜と一緒になって、確かに私もあんたと同じ感情だったかもしれない。
大好きだった父親が、実は実の父親ではないという事が分かって、しかも私が
捨て子だったという事、あの事を知った時にはひどく失望したわ。
自分の気持ちをどうぶつけていいのかわからなかった。でも、父親に対してはなにも言えなかった。
そんな時、あんたが私と同じように孤独そうにしているのを見つけたわ。
私は、始めはあんたにただ声をかけて話相手になってもらいたいだけだった。
けど、私にはそれができなかった・・・。」
棟崎さんは続けて語る。
「その内にあんたが、私に目を向けている事に気づいた。そして、私も同じようにあんたに
目をつけるようになった。
あんたは、孤独だったけど、何でも一人でできる人で、親もきちんと本当の両親だった。
でも、私は周りの非難の目に遭い、幼稚園の園児全体に私が通ればその声が聞こえてくるほど
噂が広まってしまった。
絶えられなかったわ。それで、あんたに一回気持ちを暴力としてぶつけたの。
そしたら、あんたは何も抵抗もしないで、泣きもしなかった。
声もあげない。ただ虚ろな目で、私を見つめていた。
それが無性に腹立たしかった。
声を上げて欲しかった。私の代わりに、大声で泣き叫んでほしかった。
でも、あんたは必死にそれに耐えているというよりも、抵抗する気力というものさえ感じられなかった。
それが何年経っても同じだから、私もその気持ちを止められなくなって続けてしまったのよ・・・。」
「棟崎さん・・・。」
「何度も、あんたには悪いと思ったわ。
私も、いつまでこんな生活しているんだろうと何度も思った。けれど、捨てられなかった。
私も、あんたをいじめる事で、いじめのトップにいる事で、自分というものを確立させてきたのかもしれない。
あんたとは逆の立場で、私はこの世に存在するんだって思えていたのかもしれない・・・。」
棟崎さんの気持ちを初めて知った。
そして、棟崎さんがこういう人だという事がわかり、
今まで心に引っかかっていた事が全て解消された気がした。
「いじめって、誰もいじめたくていじめるわけじゃないと思うの。
いじめる人にも、いじめられる人にも何かしらの"思い"があって起こる事だと思うんだ。
だから、いじめはそんなに簡単な心の世界じゃないんだって事だと思うの。」
棟崎さんは、相変わらず私に背を向けたまま黙って話を聞いていた。
「実際、棟崎さんにも棟崎さんなりの"思い"があった。私にも、私の"思い"があった。
私たちって、やっぱり似たもの同士なんだよ。
でも、人生に遅いって言葉はないと思う。これから、一緒に新しく生活しようよ。」
暫く私と棟崎さんは、ただ黙って草を布団にしながら寝転び、空を見上げていた。
「戻って来れない?やっぱり。」
「・・・自信がない。」
「一緒に頑張ろうって言ったじゃない。大丈夫。」
「・・・。」
「休学ってどうしてそうなったの?」
「自主的に・・・。」
「校長先生は何て?」
「十分反省してくださいって・・・。
お父さんは、ただ黙って泣いてたわ。」
「今度、私林先生にこの事伝えて、事情を説明してもらう。」
「藤埜・・・。ごめんね。」
棟崎さんは、やっとこちら側を振り返ってくれたかと思うと、顔をしわくちゃにして、
大粒の涙を何粒も流していた。
「さっきも言ったけど、私は貴女の事憎んだりなんかしていない。気にしないで。」
「あんた、変わったね。今の藤埜は、強いよ。」
自分でも、不思議だった。
こんなに熱く人に自分の気持ちをぶつける事が自主的にできるだなんて…。
でも、とても心地よかった。その日の風もとても気持ちがよいものだった。