第2話 哀愁

安部先生は、あの当番の日からずっと馬小屋の異様な整理された後が
気にかかっていた。
他の先生方に聞いても、その日は誰一人として馬小屋には立ち寄って
いないとの事で、クラスの生徒は誰一人として、あの馬と接触を図りたいと
思っている人はいなさそうだ。
でも、確かにあの馬小屋はきれいに整頓されていて、まるで馬と共に生活をしているか
のような状態に収まっていたのだ。



「絶対何かある・・・。」
そう確信した先生は、馬小屋の一日監視をする事にした。
いつもは遅くまで残る先生だったが、その日だけは早めに仕事を切り上げ、
馬小屋が良く見える教室に立てこもって監視を開始した。




監視を開始してから、数時間が経過した。
その間、特別変わった様子もなく、諦めかけていた時、事実は明るみに出た。


誰かが馬小屋に入っていった。
安部先生は、すぐさま馬小屋の戸に隠れて、その隙間から
誰が入ったのかを確認する。

「!」

その中の人物とは・・・。





「よしよし、今日もきたぞ。」
敦だった。
安部先生は、思わず声を上げそうになったが、かろうじてこらえた。
そして、その様子を暫く見てみようと思った。


「おまえ、こんなにかわいいやつなのに、なんで嫌われるんだろうな。
 おれは、おまえの見方だからな。安心しろ。
 面倒だってきちんとみてやるし、身体がなまっているなら、一緒に走ってやるから。」
馬の身体を洗いながら敦は馬に話しかけていた。
当の馬の方も、すっかり敦に心を許している様子で、
とても敦に忠実な眼差しを向けている。
「おまえは、俺ににているところ、あるよな。」
・・・。敦は、いつになく優しい表情だった。
暗くてよく分からないが、その表情は笑顔が混ざっているのであろうと
安部先生は思っていた。
あんなに優しい顔もできるんだ。 やっぱり、私達は少なからず、あの子をこの馬と同じ、
偏見の目で見ていたんだ・・・。
改めてそう感じる先生は、とても自分が腹立たしくなった。



その感情をこらえるのに必死になるあまり、物音をたててしまった。
「ヤバ・・・。」加えて思わず声を出してしまった。
「誰・・・?」表情は一変し、いつもの無愛想な顔に変えて彼は言った。


「あ、ごめんなさい。私。」
「あ・・・。」
暫く二人に沈黙が流れる。
「いつからいたの?」
「あ・・・えと・・・昨日、当番に来たときにね、ここの馬小屋がとても
 綺麗に整っていたから凄く気になって、誰かが来ているんだと思って・・・。」
「それで、監視を続けていたと?」
敦は鋭い。
「あ・・・えと、まぁ・・・そうね。」
安部先生はしどろもどろだ。
「あ、でもね、ただ気になったわけじゃないの。
 片付け方がね、世話をした人がこの馬小屋で一緒に暮らしているような感じが
する片付け方になっているから、もしかしたら馬小屋に誰か住みついている
人がいるんじゃないかっていう不安もあったのよ。」
「・・・。」


「ねぇ、聞いてもいいかしら?」
突然、思いついたように先生は敦に尋ねた。
「・・・なに?」
「倉田君って、いつも日記であれをした、これをしたっていう報告だけを
 綴ってくれているわよね?
 あれって、本当にいつも行っている事?」
「・・・なんで?」敦の表情が変わる。
「ん〜なんて言うのかしら、勘違いならごめんなさいね。
 凄く生活観はあると思うの。あの文章には。
 でも、何ていうのかしら、事実を綴っているようには感じられないのよ。」
「・・・。」
「ね、あの生活って本当の生活?」
暫く敦は黙っていたが、先生も答えが出るまで待ち続けた。




30分ほど経って、ようやく敦は重い口を開いた。
「俺、親元から出てきたら誰も親戚なんていない。
 だから、こんな場所にきたって、住む場所なんてないんだ。
 お金だけは困らない程度に貰ってはいるけど、それだって俺みたいな
 中学生じゃ、こんなお金があっても住む場所なんてない。
 暫くは野宿していたけど、この馬がきてから馬小屋ができたから、ここですんでたんだ。
 俺は動物嫌いじゃないし、この馬も俺の事信じていてくれてるみたいだから・・・。」

「そう・・・。ありがとね、話してくれて。」
先生は微笑んでそう言った。
「ここから出ろって言われたって、住む場所ないんだから移る気ないから。」



敦のその答えを待っていたかのように、先生は続けてこう言った。
「ねぇ、とりあえずすむ場所ほしいんじゃない?」
敦には、これが何を意味しているのか分からない。
「それなら、私の家に来ない?
 私の家は実家だし、一人分の部屋くらいは空いているわ。
 ちょっとうるさい家庭だけど、いちお人が住む家だから、普通の生活はできるはずよ?」
「本気で言ってんの?」
敦は目を丸くした。
自分の判断で即答なんてしてもいいものなのか?
しかも、赤の他人なのに・・・。
そう思っているのだろう。


「貴方、この地域ってどんな地域か分かる?
 東京みたいにせっせかしていないのよ。いつもゆっくりと時間が流れていく。
 春は、小川の流れる音をゆっくり聞けるくらい気持ちに余裕があるし、
 夏には、むさくるしいほどセミの音が聞こえる。
 秋になれば、紅葉名所と言ってもおかしくないほど自然の雄大さに感動できるし、
 冬になれば、雪も降る。
 ここは、東京ではない。
 だから、人と人の繋がりも、単なる他人では済ませないの。」



安部先生は、この地域の代表とでも言わんばかりの代弁だった。
でも、確かにこの地域住民はみんな先生と同じような共通概念を
自然に持っていた。
みんなで一つの地域に住んでいるんだという気持ちが強いのだ。
たまたまそれぞれの家庭というものがあるので、家が別々になっている
だけ・・・とでも言うべきか。
「さ、遠慮しないで。行こ。」
何の返事もしてない敦だったが、返答を待たずして先生は自宅へ誘導したのだった。
敦も、ひとまず今の環境よりはましか・・・というくらいの気持ちで ついて行ったのだった。



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