気がつくと、そこはとても消毒臭い寝心地の悪い場所だった。
「あ!…すいません!気がつきました!!」
慌てて呼び出しボタンを押す少女。「大丈夫だらかね、ここは病院だから。」
目を真っ赤に腫らして笑顔で語る彼女。
そんな彼女の優しさがとてもよく伝わってきた。
「どう?調子。」
大丈夫・・・と口に出して言いたかったが、口に出せず、ただこくんとうなずくだけであった。
「よかった…本当によかった…。」
その後暫く、彼女はその言葉だけを発していた。
「藤埜さん、大丈夫?」その後すぐ保健の先生も顔を出した。
「はい…。すいませんでした。」
「本当、一時はどうなるかと思った。もう少し早く見つけてあげられればよかったんだけど…ごめんね。」
先生の目も少し泣いた後のようになっていた。
私のために二人の人間が泣いている…私にとってはとても不思議で奇妙な光景だった。
なぜ、私なんかのために…。
やがて、病院の先生がやってきて私は軽い検査をする事になった。
しかし、結果は特に異常がなく、少し体力が低下していて衰弱しているという理由から
3日間大事をとって入院する事になった。
如月さんは、私が目を覚ましてホッとしたのか、今までの疲れを癒すかのように病室で寝てしまった。
病室は保健の先生と私の二人となった。
「藤埜さん、ちょっといいかしら。」保健の林先生が私に尋ねた。
「はい。」
「藤埜さん、いつからかしら。こんな状態…。」
先生は私を気遣っているのか、直接"いじめ"という言葉は発しなかった。
「・・・。」
「言いたくなかったらいいのよ。でも、こんなになるまで気づいてあげられなかったのは、私たち教師の
責任でもあるから、もし話してもらえるなら話してもらえないかしら?
もちろん、私たちも教師であり、人間であるので表面的なところは救ってあげられるかもしれないけど、
心の中までは全て助けてあげられないかもしれないけどね・・・。」
初めてだった。
母親も、力になりたいと言ってくれた事はあった。
けれど、力になれない事もあるかもしれない、けども聞かせてもらえるかと私の場所を与えてくれている…。
変な感覚だった。
私はおもむろに語り始めた・・・。
「・・・いじめは、今に始まった事じゃないんです・・・。
私自身もいつからがいじめにあたるのかもよく分かっていないんです・・・。」
「何となく、自覚し始めたのは?」
「・・・多分、小3頃だと・・・。」
「そうなの・・・。ずっと耐えてきたのね。誰にも相談は?」
「・・・していません。両親も関係は疎遠なので、何も話はしていません。」
「そうなのね…。よくここまで耐えたわね…。」
「私、いつも一人だったんです…。だから、私いじめという環境を自分の居場所と思っていたんです。
ここが私が存在していると感じれる唯一の場所なんだ。
ここでしか生きられないんだって。」
「…今も、そう思う?」
「…え?」
「今も、あなたは一人?」
林先生は優しく私に問いかけた。
「あなたは、勘違いしているんじゃないかしら?これからは自分を大事にして、
もっとよく自分のことを考えていくべきだと思いますよ?」
先生に諭され、自分というものを見つめなおさなくてはならないのか…その辺りから疑問を持った。
「貴女はまだまだこれからの人よ。だから、今からでも全然大丈夫。
ゆっくり自分の足で一歩一歩前を向いて歩いていきなさい。
どこかにつまづいても大丈夫だから。」
とても、私のことを考えてくれている…その気持ちがよく伝わってきた。
「先生?」
「…ん?」
「なんで・・・。」
「なんで、私の事でそんなに考えてくれるんですか?私は…。」
「シッ!それ以上は言わない事!自分で考えてみて。
答えが出たとき、きっと貴女の今までの生き方は180度変わってくると思うわ。」
「先生・・・。」
私はもうそれ以上は何も聞かなかった。
「よく見ると、あなた可愛いじゃない。
もったいないわよ。もっとたくさん笑いなさい。きっと素敵な女性になるわよ♪」
「そんな事・・・ありませんよ。」
「あ、笑った♪」
「あら、如月さん。」
「藤埜さんの笑顔見ちゃったもんね♪ヒイロに嫉妬されちゃうかも〜。」
「ヒイロ?」林先生だけがきょとんとした顔でいた。
私と、如月さんは顔を見合わせて笑っていた。
久しぶりだ…こんなに笑えたのは。いつ以来なんだろう…。
その日は、消灯時間だと看護士さんに怒られてしまうまで、3人で話題に花を咲かせていたのだった…。
4日程経ち、私は退院の日を迎えた。
丁度学校は休みの日でだったので、如月さんが迎えに来てくれた。
「家まで送るよ〜。」そんな優しさがとてもありがたかった。
「ありがとう。」
「ねぇ、藤埜さんって言うの何か言いづらいからさ、何か別な呼び方してもいい?」
「うん。」
「じゃ〜…瑞穂でいい?」
「いいよ。」
「じゃ、私の事もまどかでいいよ♪」
「まどか…?」
何だか照れくさかった。
初めて会話を気軽にできる人。
相手を名前で呼ぶような間柄になる事なんてなかった。
「これで、私たちトモダチだね♪」
「え…?トモダチ…?」
「うん、そうだよ?どうしたの?」私の表情を見て、まどかが不思議に思って尋ねた。
「そんな言葉、私は一生聞けないと思ってたから…。」
「瑞穂…。じゃ、私が記念すべき第1号だね☆よろしく!」
そう言って、まどかは私に握手を求めた。
一瞬躊躇したが、初めてこの人ならずっと信頼できると思えた。
これが、トモダチというものなのだろうか。
でも、この気持ちにかけてみたいと思った。
何かが変われるような気がする、そんな気がしたからだ。
私は、快く握手をした。
二人はそのまま手をつないで歩いていった。
「瑞穂ちゃん!」ふと、私の名前を叫ぶ声があった。 それは、私の母親だった。
「あ、お母さん?」
「う、うん…。」
「じゃ、私また後で来るね、聞きたい事あるから。じゃあまたね♪」
「…あ、ありがと。」
まどかはその場を笑顔で去ってしまった。
気まずい…。何を話したらよいのだろう…。
「瑞穂ちゃん、お帰りなさい。」
「え…?」
私は、耳を疑った。
「お帰りなさい…。」そう口に出した母親の目からはあふれんばかりの涙がこぼれていた。
暫く私と母親はその場で立ち尽くしていた。
普段、学校に帰ってきてからもお帰りなんて言葉を耳にした事はなかった。
むしろ、顔さえあわせていなかったのだから…。
ひとまず、そのまま距離をおきながら自宅まで帰った。
その後、すぐまどかから電話があり、私は林先生に呼ばれ、お宅に伺う事になった。
「あ、どうぞ〜いらっしゃい☆」
林先生の家庭は、旦那さんと4歳になる女の子の3人暮らしだった。
よく見る幸せな家庭だった。
しかし、林先生の子どもは心臓病を抱えた子で、外出は一切禁止されているらしい。
「あぁやって見てると普通の子なんだけどね。」と、笑ってみせる先生の顔が痛々しい。
「あ、君が藤埜さんかい?先生からよく聞いているよ。」
「あ…。」私は、先生が私の事をどう言っているのかが分からないので、会話に躊躇した。
「とても、一生懸命で素敵な女の子だって聞いているよ。」
全部先生は旦那さんに伝えているに違いない。
けれど、その人はそんな事は一切語らず、笑顔で迎え入れてくれた。
私もそんな家庭に始めは緊張していたが、次第にほぐれていった。
「退院、おめでとう♪」
「ありがとうございます。」
「瑞穂、硬いよぉ?」
私は笑いながら涙がこみ上げてきた。
「みずほ・・・?」
「あ、ごめんなさい。何かこんな事初めてで・・・。」
「いいのよ。あ、じゃちょっと二人ともお食事してて。
私、女同士で秘密のお話してくるから。」
「あ〜なんだぁ?コソコソいやらしいなぁ。」旦那さんがわざと茶化す。
「もう〜。じゃ、まどかちゃんも、ゆっくりね。」
「はい!」
先生は、私を気遣い、寝室にと連れて行ってくれた。
「ごめんね、私の家庭うるさいでしょ?」
「いえ、そんな事ないんです。とても幸せそうでいいと思います。」
先生は黙って笑顔でいた。
「こんな環境嫌…?」先生は相変わらず、ものの聞き方がうまかった。
「いえ…。」
「そ・・・。人の家庭の話だから、無理には聞かないけど、会話をするのは悪くはないわよ?」
「・・・。」先生は何かを悟っているのかもしれない。
「おねいちゃん。」
ん…?誰かが私の服を引っ張っていた。
「あら、有希。お姉ちゃんと遊びたいの?」
「ゆき、おねいちゃんと遊びたい〜!」
「あらぁ、お気に入り?お母さんは〜?」
「お母さんも、だいすき。」
「よし!許してあげる!」そういった先生は私にこういった。
「小さい子は正直よ。よく学びなさい♪」
私は、何を言わんとしているのかがわかっていなかった。
でも、この有希ちゃんという女の子に遊んでもらいたいと思われてる事だけはわかった。
「有希、おままごとしたい〜。」
暫く私と有希ちゃんはおままごと遊びをしていた。
「有希があんな笑顔をみせるのは、久しぶりだなぁ。」
「瑞穂は、とっても優しい子なんです。私が保証します。
だから、あの有希ちゃんもすぐ懐いたんじゃないですかね?」
「そうね、私の家族も有希の心臓病で随分気を遣ってきて、有希にはとても不自由な思いを
させているからね。一緒に遊ぶ人も限られちゃうから、お友達もいないから嬉しいのよきっと。」
「ねぇ、おねいちゃん。有希のこと、好き?」
ふと、有希ちゃんに尋ねられ、返答に困った。
『子どもは正直ふだから…』
その言葉が少し分かってきた気がする。
「大好きだよ。」私が自然に口からでたのはこの言葉だった。
「有希も、お父さんとお母さんの次にみずほおねいちゃんがすきぃ♪」
「え…?」
時間はもう夕方5時になっていた。
「今日は復帰祝いだったのに、ごめんなさいね、遊んでもらっちゃって。」
「いえ、楽しかったですから。」
「そう?」林先生はいつもと変わらず笑顔で見送ってくれた。
「気をつけてね。」
「はい!」私とまどかは声を揃えて返事をした。
ここ数日、自分の中で整理しきれない何かがあった。
今まで生きてきた中で一番心が動いた数日間だった。
何かが変わろうとしている…私も変わらなきゃいけない。
こう思える自分に、自分自身も驚いている。
今まで何て無駄な生き方をしてきたんだろう…この時、初めて自分の今までの人生に後悔というものを感じた。
『これからは、もう少し強く生きよう』そう決意した日だった…。