自分の一生涯にとって最大の難関は「自分」だと思ったことはありますか?
誰よりも一番分かっているようで、もしかしたら誰よりも分かっていない。
そう思わされることもしばしばありませんか?
私もそうでした。
絶対にそうだと勝手に決めつけていたのかもしれません…。
いつも日課のように聞く声。それは、私にあてた挨拶のような言葉。
私は、毎日のように執拗ないじめにあっていた。
もちろん、その日々を救ってくれる仲間もいない。
むしろ、自分としては、このいじめられる毎日を少し快感にさえ思っていた。
なぜかというと、私は生まれてから一度も、友人というものに恵まれたことがない。
というよりも、まともにクラスメートと話をした事がないのだ。
今、私は中学2年の立場だが、こんな年になってもまともに人と話せない日々が続いていたのだった。
いじめの朝は、予鈴と共に一旦終息。
担任の先生が来ると、クラスはごく普通の何のへんとつもないクラスへと様変わりする。
担任の先生は、とてもよい先生だとは思う。
しかし、真面目に生きてきて、よそ見をする事が一切できないような不器用そうな人間のようだった。
クラスの生徒はそんな先生を「石っころ」と呼んでいた。
世の中の何物にも興味がないのではないかと思われてしまう私だが、そんな私にも好きな教科はあった。
それは、音楽だった。
音だけは、私を裏切らなかった。
音に囲まれていれば、私には何もいらない・・・そう思えた。
ただ、引っ込み思案な性格が災いして、思うようには楽しめないのが事実・・・。
今日もそんな音楽の授業があった。
だが、音楽の授業でも、執拗ないじめは繰り返された。
「今日は、こいつがお亡くなりになられる日で〜す。」
「可愛そうな藤埜(ふじの)の為にみんなでレクイエムでも演奏しましょう〜。」
そう言い、ひとまず私は殴りけられしながら、廊下に追い出された。
そして、締め出しをくらい、おまけに私が持ってきた楽器で演奏を始めた。
妙に上手にリコーダーでレクイエムを吹いていたのだ。
これほどの屈辱はなかったが、抵抗をする気力が私にはなかったので、そのまま教室から離れていった。
「なんだ〜。抵抗もできないでやんの。くっだらない生き方してんな〜。」
クラスのリーダー格の女子は棟崎 有里(とうざき ゆり)といった。
私は、実は棟崎さんとは幼稚園の時代からずっと同じクラスなのだ。
昔から、彼女も一人で過ごす日々が多かった。
その孤独な気持ちがいつしか孤高の強さを持ち、その内にいじめのセンスを磨き始めるようになった。
その矛先が私というわけ。
いくら私でも、いじめられて本当に気持ちがよいわけではない。
むしろ、毎日耐えている日々…。
でも、棟崎さんとは張り合う気はなかった。
いじめられて怖いから・・・というわけではなく、何となく彼女の気持ちも理解できるから…。
私はいじめられて当然の人間だと思う。
いじめられる人間にはそれ相当の「問題」が必ずある。
私は、自分という存在をこの世で感じたことがない。
悲しい事に「いじめ」を通じて、自分の存在というものを認識している日々なのだ。
この毎日を変えたいと思ったこともない。
誰かを守りたいと思ったこともないし、家族のぬくもりというものも知らない。
そんな私に何を糧に生きていけと言うのであろう。
それこそが酷というものではないだろうか。むしろ、このいじめの空間で育っている自分の方が
よっぽど可愛いと思えるのだ…。
「藤埜さん、いつもあんなにいじめられて自殺とかしちゃわないのかなぁ?」
「私だったらとっくに死んでるか、転校しちゃうかもしれない。」
たまに同情の声もきこえてくるが、それも棟崎さんを目の前にして対抗できるほど強いものではない。
いじめに関わってしまうと、いじめる側か、いじめられる側に入ってしまう可能性が強いから…。
私は、こうやっていつも一人で生涯を終えるんだ…そう思うと、その時だけ少し悲しくなる。
少しは平和な生活というものもしてみたいな…。正直な気持ちはこうだった。
「ただいま・・・。」
私の家庭についても少し説明しようと思う。
私の家庭は、いるかいないかも分からない専業主婦の母親と、いつも仕事仕事で顔を見るのは半年に一度
位に多忙な父親の3人暮らしである。
私と、母親の関係も奇妙なものであった。
顔は毎日合せているし、ご飯もいつも一緒には食べている。
でも、会話というものは一切しなく、代わりに私と母親の間では、交換日記を日課としていた。
母親は、やや心身症を患っていて、自閉症気味とでもいうか、本当に幸薄そうに見えてしまう位
いつも部屋の隅に引きこもっていた。
以前は、ここまでひどくはなかったが、私が母親を追い込めてしまったのかもしれない。
それは、3年前のことである。
当時、私は小6の小学生であった。
母親はその時から、他の人より後ろ向きな性格を持ち、今ほどではないが
父親不在によるストレスから、引きこもり気味であった。
私はと言うと、当時から相変わらずいじめられっ子。
母親もその事はうすうす感じてはいたのではないだろうか。
「瑞穂ちゃん、今日はどうだった?」
いつも、帰宅した母親から発する言葉はこれだった。
「別に、いつもと同じ。何にもないよ。」
「そう・・・。」
この会話が日課であった。
だが、その日はなぜか母親はよくしゃべった。
「瑞穂ちゃん、あのね、もし何か私にできる事があれば、何でも言って。
いつもいつも家でじっとしているだけの母親なんて、あなたも嫌でしょう?
私もね、もっと前向きに考えなくちゃいけないとは思うのよ。
でも、なぜかいつも後ろを向いてしまうのね・・・。」
「・・・そう。」
私は、いつもの静かな生活に慣れていたせいか、珍しく口を開いてくれた
母親に、本当は嬉しさを感じるところだったはずが、静けさを乱した母親に
苛立ちさえ覚えてしまったのだ。
「だから、結局何なの?」私の声は、怒気が混ざっていた。
「え…えと…。だから…ね?」
「なに!?はっきりしてくれない!?私も暇じゃないんだけど!」
段々と声が荒くなってしまう。
「あの…その…。」
「うっとおしいのよ!何なの!?病気だかなんだか知らないけど、今のお母さんにお母さんらしい事
できているっていったら、家事くらいじゃない!家事なんて誰でもやろうと思えばできるんだから!!
私にいちいち指図しないで!
何が私にできることがあれば言ってよ。お母さんに何ができるっていうの!?
私の何が分かっているって言うの!?
自分の子どもの毎日だって知ろうとしていないくせに
いきなり何よ!突然親ぶるのもいい加減にしてよ!馬鹿じゃないの!?」
よく、ここまで言えるものだと今でも思う。
でも、正直な気持ちだった。
日々のいじめの毎日。
小学生のころは今みたいに腹をくくって過ごせる程持久力はさほどなかった。
母親の辛い気持ちを少しはみているつもりではあったが、
それ以上に毎日が生きていられるのかと不安におびえる自分の方が今は大事だった。
助けを求めるという考えなど、思い浮かびもしなかった。
ただただ必死に生きていたから・・・。
「・・・ごめんね、ごめんね・・・。」
母親はそう言って、自分の部屋に泣きながら走り去って閉じこもってしまった。
「バカ・・・。」
自分の言葉にかなりの後悔を残した。
でも、後戻りはできなかった。
元々母親なんて自分にはいないんだ…そう思うことで自分の心を擁護した。
それきりだ。母親は、顔は合わし、家事もいつも通りしているが、
肝心の親子の会話は一声たりともしていない。
家にいればなにかしらの要望もあるので、私からメモ書き程度に始めたメッセージから、
今に至るまで、交換日記だけは欠かさず続けている。そういう関係なのだ。
今日は母親は体調が悪いらしく、私のただいまという声にも姿を現さず、
代わりに夕飯がおいてあった。
『体調が優れないので、ご飯だけ用意しておきます。好きに食べて下さい。』
さりげなく、メモ書きが置いてあった。
「あ、そ。」
ひとまず私は夕食をとり、すぐに自分の部屋に入った。
自分の部屋は一番落ち着く。
誰にも縛られることのない空間。
私の居場所はここにしかなかった。
この場所で私が欠かさず行っていること・・・それは、やはり『音楽』だった。
私は、小さな頃に父親に買ってもらったハーモニカを今でもずっと吹き続けていた。
今ではそれだけが私の味方。
一番大好きなものであった。
私はお父さんっ子で、お父さんは私の願いを何でも聞いてくれた。
でも、仕事一筋なところは幼少の頃から変わらず、仕事は最優先となる人間だった。
私はその為、母親には一切なつかず、家庭と呼ばれる関係は崩壊間近。
肝心の父親は、仕事で家に戻るのも1年に一度程までになっていて、それも
私が学校に行っている間に帰ってきてすぐまた次の仕事へ飛んでいくという始末のため、
私は数年父親に会っていない。
代わりにいつもプレゼントを残していってくれるのではあるが・・・。
そんな間違いだらけの自分であり、家族である。
そんな人生を今は送っている…。