2009年06月29日

◆ 朝日の論壇時評

 朝日の「論壇時評」で、豚インフルエンザ騒ぎが論評されている。しかし、ピンボケだ。

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 朝日の「論壇時評」で、豚インフルエンザ騒ぎが論評されている。(朝日・朝刊 2009-06-29 )
 ここでは、政府への批判がある。その意味で、先の朝日・読売の自社検証よりはマシである。ただし、基本的には、おかしい記述だ。

 (1)

 「豚インフルエンザの正しい評価」という形で、藤代裕之(ジャーナリスト)、外岡立人(元・保健所長)、菅谷憲夫(医師)の見解が、それぞれ簡単に紹介されている。いずれも、政府の方針を批判している。
 しかし、彼らはいずれも、当時、自分自身の見解をまともに表明していなかった。威張れるほどじゃないのだ。
 個別に見よう。
 藤代裕之は、もともとジャーナリストであり、彼のブログでも、豚インフルエンザについては何も言及していない。
 外岡立人は、自分のサイトで精力的に海外ニュースを紹介してきたが、自分の見解はほとんど発信していない。
 菅谷憲夫は、感染症の専門家だけあって、唯一、正しい情報を発信したが、それは、テレビ番組や講演会など、ごく限られた場に過ぎなかった。だから国民のほとんどはそれを知る機会がなかった。今でもその見解を知ることはできない。(テレビ番組も講演会も、すぐに消えてしまう。紹介者がネット上で複製している場合のみ、ようやくがわかるだけ。)

 結局、これらのうちの誰一人として、国民に向けては「豚インフルエンザの正しい情報」を広報してこなかった。正しい知恵はあったのかもしれないが、それを伝えようとしなかった。ホームページやブログという力があるのに、それを利用しなかった。
 いくら正しい知識があっても、それを語らずに黙っていれば、何も言わなかったのと同じことだ。
 はっきり言って、語ったのは、木村もりよ と私だけだろう。それ以外に誰かいるのだったら、そのサイトを教えてもらいたいものだ。
 以上の意味で、朝日の「論壇時評」は、豚インフルエンザについてはまともに書いていないことになる。騒ぎの最中は黙っているくせに、騒ぎが収まったあとで「自分は正しいことを思っていた」と語るだけだ。思うだけじゃダメなんですけどね。そんなことなら、多くの素人だってできる。「私だってそう思っていたぞ」という素人は、無数にいるはずだ。

 (2)

 論壇時評であるならば、報道機関の「豚インフルエンザ報道」について語らねばならない。とすれば、「マスコミの報道がいかに狂っていたか」を、はっきり記述する必要がある。
 そして、それは、ここ数日、私が本サイトで書いていることだ。
 結局、記事は「論壇時評」にはなっていない。「論壇時評」ならば、ここ数日の本サイトの方が妥当だ。ちゃんとマスコミ論が書いてある。

 まとめ。

 この論壇時評に登場した識者たちは、ちょっとは まとも ではあるが、結局は、「騒ぎのあとで自慢したがる」という例にすぎない。騒ぎの最中は身をひそめていて、騒ぎが済んだあとで自慢したがるだけだ。
 論壇時評を書くのであれば、「どうして自分たちは沈黙していたか」を書いた方がいい。「政府も自分たちも同じ穴のムジナだった」と反省する方がいい。自己反省のない論壇時評など、有害無益だ。
 とにかく、「政府はダメだ」と書くより、「マスコミはみんなダメだった」と書くべきだった。そうしてこそ、論壇時評になっただろう。
 
( ※ ついでだが、外岡立人は、著作を出している。そして、「政府の対策は穴だらけ」と批判している。しかし、Amazon の読者批評によると、「その穴とは何か」が具体的に何も書いていないそうだ。……さもありなん。結局、騒ぎの最中に具体的に言葉を発信したのは、木村もりよ と私だけだったのだ。)



 [ 付記1 ]
 政府はどうするべきだったか? 
 「検疫をやめて、治療を充実させるべきだった」

 という意見が紹介されている。だが、これは、完全な間違いだ。

 第1に、検疫をやめても、治療は増えない。検疫官が治療をするわけではないからだ。両者は代替関係にない。一方を減らしても、他方を増やす効果はない。
 検疫をやめるべきなのは、(やる余裕がないからではなくて)、やること自体が有害だからだ。ものものしい服装で検疫をするということは、「これは危険な疫病です」という誤ったメッセージを発することになり、社会をパニックに陥れる。……これが問題なのだ。それゆえ、検疫をしてはならない。この点をはっきり理解する必要がある。
 検疫をする必要がないというのは、医学的な判断だが、検疫をしてはならないというのは、社会政治的な判断だ。両者を混同してはならない。

 第2に、(豚インフルエンザの患者の)治療を増やす必要はない。それどころか、治療をしてはならない。この件は、「医者は何もするな」という項目で記したとおり。
  ・ 軽症者には、治療は不要である。
  ・ 軽症者全員を治療する能力は、ない。
  ・ 軽症者を多大に治療すれば、他の診療科が圧迫される。
  ・ 軽症者が戸外を通ることで、ウイルスが拡大する。
  ・ 無駄に抗ウィルス薬を施せば、ウイルスが耐性化する。

 こういう問題があるから、軽症者には治療は必要ないのだ。「治療は重症者のみ」というのが必要なことであり、そして、それは、特に大がかりな措置は必要ない。
 陰圧室がどうのこうの、というのは、院内感染を防ぐための措置だ。だが、それは、重症者自身には、あまり関係ない。(重症者はすでに感染しているから、今さら感染防止の必要性はない。)
 また、院内感染を防ぐためであれば、重症者からであれ、軽症者からであれ、同じことだ。とすれば、特に重症者に限って陰圧室で処置する必要はない。(それを言い出したら、軽症者の診察も陰圧室で行なうことになる。馬鹿げている。ま、換気扇ぐらいならともかく。)

 豚インフルエンザの患者については、治療方針について、外部の人間がいちいち大騒ぎする必要はない。「陰圧室を」「集中治療室を」などと、大騒ぎすることはない。それは各病院が自発的にやればいいことだ。また、普通の人は、重症化することはないのだから、気にしないでいい。
 どうも、「季節性インフルエンザ並みの扱いでいい」ということを、いまだによくわかっていない専門家が多いようだ。
 はっきり言っておこう。治療は医者に任せておけばいい。医者がなし得る範囲で、最適のことをやってくれる。やれることはやるし、やれないことはやらない。それだけでいい。当の医者でもない人間が、治療方針に、あれこれと口を挟む必要はないのだ。
 「政治家などの素人は、治療については黙っていろ」

 と語るのが、マスコミのなすべきことだ。あれこれ騒ぐべきではない。論壇や政府がなすべきことは、「治療をこうしろ」と指図することではなくて、「騒ぎすぎるな」と警告することだけだ。なぜか? 騒げば騒ぐほど、ただでさえ足りない医療資源を奪われて、他の診療科でどんどん死者が増えるからだ。
 「豚インフルエンザの死者を 10人減らそうとして、他の診療科の死者を 100人増やす」
 というハメになる。頭隠して、尻隠さず。……それがパニックの問題であり、だからこそ、それを阻止することが必要なのだ。

( ※ 本サイトの趣旨が一貫して「パニックを防げ」であることに着目してほしい。専門家でさえ、パニックにとらわれて、正常な判断ができなくなっている。それが問題なのだ。)
 
 [ 付記2 ]
 基本的には、専門家の多くは、方針を根本的に間違えている。ここでは、目的は、「目前の患者を死なせないこと」ではなく、「死者の数を最小化すること」なのだ。
 こういう判断は、「トリアージ」という発想に似ている。( → サイト内検索
 だから、豚インフルエンザの問題は、医学の問題というよりは、公衆衛生の問題なのだ。木村もりよ は、そのことを理解している。私も理解している。しかし、多くの専門家は、そのことを理解できていない。だからいまだに「最大限の治療を」などと言い出している。そのせいで豚インフルエンザのウイルスが耐性を持ったらどうなるか、ということなど、まったく念頭にない。
 日本は公衆衛生の後進国だ、と述べた木村もりよ の見解は、まったく正しい。

 [ 余談 ]
 余談だが、この論壇時評には、どうして木村もりよ の名前がないのかな? 彼女の名前があれば、インパクトもあったのに。
 「木村もりよ の意見を無視した論壇の論客や政府」
 という指摘。そうすれば、日本の論壇の馬鹿さ加減もわかるはずだ。ところが逆に、「政府は馬鹿だが、論壇は正しい」という趣旨。くだらん論壇時評だ。この評者も自己反省ができていない。



 【 追記 】
 よく考えると、この「論壇時評」は、根源的に狂っている。
 そもそも、論壇は、医学専門家の議論の場ではない。「正しい医学的対処は何か?」なんてことを論じる必要はない。その意味で、保健所長や感染症専門医の見解は、論壇の場では取り上げる必要がない。(それらは医学の場では取り上げるべきではあっても、論壇の場で取り上げる必要はない。)
 論壇が論じるべきことは、何だったか? 医学的な問題ではなくて、社会評論的な問題だ。それは、こうだ。
 「豚インフルエンザのとき、なぜ、社会はパニック状態になったか?」
 「正しい方針がちゃんと示されていたのに、なぜ誰もが間違いを信じたのか?」
 「『王様は裸だ』という指摘を聞いても、どうして誰もが虚構を信じたのか?」

 このような社会現象的な問題を扱うのが、論壇だ。

 わかりやすく言おう。
 医学専門家の見解が一致しているときには、論壇が口を挟む必要はない。専門領域のことは専門家に任せておけばいい。
 しかし、医学専門家の見解が一致しないことがある。特に、木村もりよ が参院で「政府の方針はまったくの間違いだ」と断罪したときだ。この時点において、社会の見解は、真っ二つに分かれたはずだ。
  ・ 政府は正しい。このまま最大限の抑止措置を取れ。
  ・ 政府は間違いだ。最小限の措置(季節性インフルエンザ同様)を取れ。

 この二つの見解があった。前者は大騒ぎをもたらして、社会をパニック状態にさせた。後者は、そのようなパニック状態を是正しようとした。(最終的には後者に収束した。)
 ここでは、二つの見解があった。とすれば、論壇としては、専門家の話を聞いて、どちらか(特に後者)を取ればよかった。特に、ネットで検索すれば、当時、次の一群の見解が見つかったはずだ。
  ・ WHO
  ・ 海外ニュースサイトによる紹介(オーストラリアなどの対処)
  ・ 木村もりよ
  ・ 本サイト

 これらはいずれも、「季節性インフルエンザと同様で」と唱えた。しかるに、日本の政府と専門家だけは、「最大限の抑止措置を取れ」と唱えた。マスコミもそれに「右にならえ」だった。(当時)

 ここでは、論壇は、二つの見解から、正しい見解を選択できた。にもかかわらず、論壇は沈黙し続けた。ようやく、6月19日になって、政府が全面的に方針を転換すると、その後追いで、マスコミや論壇も方針を転換した。
 だから、話題にするならば、「なぜ論壇は6月19日まで沈黙していたか」なのだ。

 そして、「どちらが正しいか?」ということを論議するのであれば、それは、1カ月前の論壇でなすべきだった。その時点で、木村もりよ や私や WHO などの見解が出ていたのだから、「どっちが正しいか」を論議するべきだった。
 現実には、この一カ月間、論壇は沈黙を守り続けた。だから、6月末の今になって論議するのであれば、「なぜ論壇は沈黙してきたのか」(なぜかくも馬鹿だったか)であるはずだ。
 今になって「政府は間違っていた」と指摘するのは、順序が狂っている。政府が方針転換をしたあとで、その方針転換の後追いで、方針転換をした連中が政府を批判するのでは、話の順序がおかしい。本末転倒。天に唾するようなものだ。……政府を批判するよりは、自分の沈黙と後追いを批判するべきだ。
 連中は、批判するべき対象を、間違えている。
(ついでに言えば、連中は今なお、正しい方針を打ち出せずにいる。しょせんは政府の後追いでしかない。)

( ※ 正しい方針が何かは、翌日の項目で。)
 
posted by 管理人 at 19:22 | Comment(2) | 医学・統計
この記事へのコメント
 最後に 【 追記 】 を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2009年06月29日 20:33
 本文で外岡立人のサイトを紹介した。
  http://nxc.jp/tarunai/

 このサイトは Javascript をやたらと使っている。そのせいで非常に重いし、操作もかったるい。
 ま、それはそれでわかっているのだろうが、「ひょっとして検索 ロボットが見つけられないのでは?」と思ったら、案の定だ。

 このサイトは、Google の検索対象から、完全に漏れてしまっている。つまり、「知る人ぞ知る」であって、普通の一般人は、内容からこのサイトにたどり着くことはろくにない。

 そもそも、知りたくても、知りようがない。Google で検索できないのだ。原則として、一つ一つページを探って見ていくしかない。

 この人、どういう趣旨で、このサイトを運営しているのだろう? 「Google で検索されないページ」なんてのをわざわざ作ることに意味があるのだろうか? あえて世間への広報を拒んで、専門家だけに情報を教えようとしているのだろうか? (特に専門情報はないが。)
 
 教訓。
 世間に広報したければ、Google に見えるサイトにするべし。Javascript の使用にはご注意あれ。


Posted by 管理人 at 2009年06月29日 23:14
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